井上 法子(いのうえ のりこ、1990年7月26日 - )は… 井上 法子(いのうえ のりこ、1990年7月26日 - )は、日本の歌人、詩人。 福島県いわき市出身。福島県立磐城高等学校在学中の17歳のとき、塚本邦雄の歌に出会い作歌をはじめ、福島県文学賞(短歌部門)で青少年奨励賞を受賞。明治大学文学部入学後、早稲田短歌会に入会。また詩も執筆し、福島県文学賞(詩部門)奨励賞を受賞。立教大学大学院文学研究科比較文明学専攻修士課程を経て、2020年現在は東京大学大学院総合文化研究科博士課程に在学(休学中)。 2013年、「永遠でないほうの火」30首で第56回短歌研究新人賞次席。2015年、第一歌集『永遠でないほうの火』刊行。2019年から2020年まで、現代詩手帖にて短歌時評を担当。
吉田 隼人(よしだ はやと、1989年4月25日 - )は日… 吉田 隼人(よしだ はやと、1989年4月25日 - )は日本の歌人、エッセイスト。 1989年、福島県伊達郡保原町(現伊達市)に生まれ、福島県立福島高等学校に進学。在学中、2006年に第59回福島県文学賞青少年奨励賞(短歌部門および俳句部門)、2007年に第22回全国高等学校文芸コンクール短歌部門優秀賞受賞。 早稲田大学文化構想学部に進学後、早稲田短歌会に入会。2012年3月、文化構想学部表象・メディア論系卒業。同年4月、早稲田大学大学院文学研究科フランス語フランス文学コース修士課程に進学。同年5月、平岡直子、瀬戸夏子らと、同人誌「率」創刊に参加(2014年11月脱退)。2013年、「忘却のための試論」50首で第59回角川短歌賞受賞。
堀切 克洋(ほりきり かつひろ、1983年10月8日 - )… 堀切 克洋(ほりきり かつひろ、1983年10月8日 - )は、日本の演劇研究者・俳人。専門はアントナン・アルトー研究、舞台芸術論、表象文化論。第8回北斗賞、第3回俳人協会新鋭評論賞大賞、第6回石田波郷新人賞奨励賞、第42回俳人協会新人賞受賞。武蔵野大学文学部日本文学文化学科教授。 福島県福島市で議員秘書(亀岡高夫農林水産大臣秘書官、佐藤栄佐久福島県知事政務秘書、社会福祉法人厚慈会理事長等を歴任)の長男として生まれる。 福島県立福島高等学校を経て、2007年一橋大学社会学部卒業。2009年東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻修士課程修了。パリ第7大学文学・芸術・映画研究センター、高等師範学校留学を経て、2016年東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程単位取得退学。
三原 由起子(みはら ゆきこ、1979年4月13日 - )は… 三原 由起子(みはら ゆきこ、1979年4月13日 - )は、日本の歌人。現代歌人協会会員、日本歌人クラブ参与、日本ペンクラブ会員。一般社団法人浪江町地域文化フォーラム理事。 1979年、福島県双葉郡浪江町生まれ。アスナロ幼稚園、浪江小学校、浪江中学校、いわき光洋高校を経て、共立女子大学国際文化学部国際文化学科日本文化コースを卒業。中学生で不登校になった際、国語教員に勧められて詩を作り、1995年の高校1年生の時から作歌。同年、第48回福島県文学賞短歌部門で青少年奨励賞を受賞。高校生から短歌を作り始め、1997年、第1回全国高校詩歌コンクール短歌部門優秀賞を受賞。2001年、第44回短歌研究新人賞候補。
齋藤 芳生(さいとう よしき、1977年2月20日 - )は… 齋藤 芳生(さいとう よしき、1977年2月20日 - )は歌人。本名は齋藤周子(さいとうちかこ)。
本田 一弘(ほんだ かずひろ、1969年3月14日 - )は… 本田 一弘(ほんだ かずひろ、1969年3月14日 - )は、日本の歌人。高校教員。短歌結社竹柏会「心の花」に所属し、佐佐木幸綱に師事。現代歌人協会会員、日本文藝家協会会員。
阿久津 善治(あくつ ぜんじ、1922年8月24日 - 19… 阿久津 善治(あくつ ぜんじ、1922年8月24日 - 1988年2月1日)は、日本の歌人。晩年の前田夕暮に師事し、直系中の直系として純粋で源泉的な生き方と作風を貫いた。1946年2月から1948年10月までの2年3か月にわたり、福島県郡山市から『詩歌』(白日社)の戦後復刊の編集刊行にあたった。1956年、ケルン短歌会を創設し、主宰となる。生涯で幾たびかの生死を分ける病魔との戦いを経て、人生の多くを病床で過ごす傍ら、自然主義歌人として身近な自然と人生の厳しさと温かさを透明な視点の中に収めつつ、高く深い立場から人間と自己を見つめ続けた。 福島県郡山市に生まれる。1928年、6歳の時に、商家を営む伯父の阿久津藤七・クニ夫妻の養子となる。
吉田 武(よしだ たけし、1911年6月27日 - 1990… 吉田 武(よしだ たけし、1911年6月27日 - 1990年4月13日)は、昭和時代後期日本の歌人。福島県出身。 1911年(明治44年)、福島県田村郡小野新町(現在の小野町)に生まれる。福島県郡山商工学校(現在の福島県立郡山商業高等学校)を卒業し、日立製作所に入社。同社を退職して帰郷した後、町立小野中学校教員となる。 1954年(昭和29年)、朴の花短歌会を結成し会長に就任。1966年(昭和41年)に県が募集していた「福島県県民の歌」の作詞部門で応募作が入選し、翌1967年(昭和42年)2月11日に制定される。1972年(昭和47年)、角川書店『短歌』特選。1975年(昭和50年)、東北アララギ郡山に入会。
八木沼 丈夫(やぎぬま たけお、1895年(明治28年) -… 八木沼 丈夫(やぎぬま たけお、1895年(明治28年) - 1944年(昭和19年)12月12日)は、日本の陸軍軍属、歌人。日中戦争(支那事変)において日本軍が本格的に宣撫官を導入するきっかけとなった人物。 1895年(明治28年)、福島県東白川郡常豊村(現塙町)の小学校長の家に生まれる。旧制磐城中学に入学するも、学費を提供してくれていた親族が亡くなったため中退。1913年(大正2年)、志願兵として仙台の連隊に入営。除隊後の1917年(大正6年)には中国大陸へ渡り、1919年(大正8年)に現地で結婚。1929年(昭和4年)、南満州鉄道に入社し、その後関東軍に配属される。 1933年(昭和8年)、満州事変における熱河省攻略作戦で、日本軍が初めて宣撫官を投入することが決まると、宣撫班の班長に任命される。
大須賀 乙字(おおすが おつじ、1881年7月29日 - 1… 大須賀 乙字(おおすが おつじ、1881年7月29日 - 1920年1月20日)は、日本の俳人・俳論家。福島県相馬郡中村町(現在の相馬市)生まれ。本名・績(いさお)。 祖父は儒学者の神林復所で父は漢学者で漢詩人の大須賀筠軒。福島尋常中学校(現在の福島県立安積高等学校)、宮城県第一中学校(現在の宮城県仙台第一高等学校)から第二高等学校(現在の東北大学)を経て東京帝国大学文科大学国文科卒業。卒業後は教員として中学、高等女学校で教えたのち、若くして東京音楽学校(現在の東京芸術大学)の教授に就任した。東大卒で学者一族の家系という毛並みの良さと文才を評価され、早くから新傾向俳句の旗手として嘱望された。『海紅』の河東碧梧桐に師事、同じ旧制二高出身(ただし碧梧桐は中退)で才能も評価された乙字に対し碧梧桐の期待は高かったが、海紅堂事件に端を発する海紅同人同士の内部対立により1915年5月に離脱。
久保 猪之吉(くぼ いのきち、1874年(明治7年)12月2… 久保 猪之吉(くぼ いのきち、1874年(明治7年)12月26日 - 1939年(昭和14年)11月12日)は、日本の医学者・歌人・俳人。医学博士。京都帝国大学福岡医科大学(後の九州帝国大学、現・九州大学)教授。 明治7年12月26日、陸奥国二本松藩の藩士久保常保の子として現在の福島県二本松市に生まれる。戊辰戦争の当時、猪之吉は6歳、実兄たちは、二本松藩士久保長一郎常保(父親と同名のため父親と誤認されるが、実兄である)、二本松少年隊の久保鉄次郎13歳と久保豊三郎12歳として知られる。猪之吉は兄の豊三郎と共に二本松の戦いに参加したいと母親に懇願したが、懐妊中の母は猪之吉を無言で抱き締めていたと伝わる。
加藤 千浪(かとう ちなみ、1810年12月15日(文化7年… 加藤 千浪(かとう ちなみ、1810年12月15日(文化7年11月19日) - 1877年(明治10年)11月18日)は、幕末から明治時代の国学者・歌人。通称は弥三郎または弥助。号は萩園。 陸奥国白河(現在の福島県白河市)にて加藤美方と母緑川氏の子として生まれる。幼少より勉学を好み、後に江戸に出て、岸本由豆流に国学を学ぶ。歌道や書に長けていたという。 明治維新後、歌人としての名声が高く、多くの門人を抱えた。この中には伊東祐命や中島歌子などがいる。1877年(明治10年)11月18日逝去。享年68歳。墓所は深川の臨川寺。妻は三宅氏で、子供はなく養子を関氏よりとった。 顕彰碑が向島区の牛嶋神社に建立された。