荒川 ひかり(あらかわ ひかり、1994年12月24日 - … 荒川 ひかり(あらかわ ひかり、1994年12月24日 - )は、茨城県つくば市出身の女子競輪選手。日本競輪選手会茨城支部所属、ホームバンクは取手競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第110期生。師匠は宮本秀人(54期)。 茨城県立竹園高等学校出身。高校時代は陸上部に所属し、短距離とやり投げを専門種目としていた。2012年茨城県高校総合体育大会陸上競技大会では4×400mリレーで4位の成績を収めた。顧問の教師から「足がしっかりしているので競輪選手に向いてる」と声を掛けられたことをきっかけに競輪選手を目指すようになったという。 20歳の誕生日でもあった2014年12月24日、競輪学校第110回技能試験に合格。
黒沢 征治(くろさわ せいじ、1992年3月12日 - )は… 黒沢 征治(くろさわ せいじ、1992年3月12日 - )は、日本の競輪選手、元社会人野球選手(投手)。茨城県鉾田市出身。日本競輪選手会埼玉支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第113期生。妻は同じく競輪選手の黒沢夢姫(114期。旧姓、吉田)。 常磐大学高等学校では茨城県大会ベスト16が最高で甲子園出場経験はなし。 常磐大学時代は直球が最速152Km/hを記録し、プロ野球のスカウトから注目されるも、プロ志望届を提出せずに社会人野球のHondaに入社した。 Hondaではスピードが売りだった一方でコントロール不足を露呈し、チームは都市対抗野球大会や社会人野球日本選手権大会に連続出場したが、自身に活躍の機会はなくわずか2年で退部。
山口 真未(やまぐち まみ、1991年12月12日 - )は… 山口 真未(やまぐち まみ、1991年12月12日 - )は、茨城県古河市出身の元女子競輪選手。現役時代は日本競輪選手会静岡支部所属、ホームバンクは日本サイクルスポーツセンター。日本競輪選手養成所(以下、養成所)第120期生。師匠は落合達彦(96期)。 中学時代から陸上競技に打ち込み、2006年全国中学校体育大会四種競技で6位に入賞。その後取手聖徳女子高を経て、茨城大学では日本学生陸上競技対校選手権大会七種競技8位などの実績を残した。筑波大学大学院修了後も陸上競技を続けていたが、アキレス腱断裂を機に自転車競技へ転向した。 日本サイクルスポーツセンターで勤務の傍ら、2020年1月16日、養成所第120回技能試験に合格。
雨谷 一樹(あまがい かずき、1990年1月14日 - )は… 雨谷 一樹(あまがい かずき、1990年1月14日 - )は、茨城県桜川市出身の競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第96期。日本競輪選手会栃木支部所属、ホームバンクは宇都宮競輪場。師匠は飯嶋則之。妻は元プロロードレーサーの雨谷千紗子。 小学生時代から空手、中学生で並行してサッカーも始めるが、小学生の頃、地元茨城の長塚智広や十文字貴信達の姿を見て卒業文集に「競輪選手になりたい」と書いていた。サッカーは中学校に自転車部がなかったので足腰を鍛えるための入部であったが、県の選抜メンバーに呼ばれるほどであった。しかしオリンピックへ出るために競輪選手を目指し、自転車競技の強豪校作新学院高等学校へ進学し競技を始める。
保立 沙織(ほたて さおり、女性、1983年10月24日 -… 保立 沙織(ほたて さおり、女性、1983年10月24日 - )は、日本の女子競輪選手、元プロビーチバレーボール選手。競輪選手としては、日本競輪選手会神奈川支部所属、ホームバンクは川崎競輪場。日本競輪選手養成所(以下、養成所)第118期生。師匠は野村純宏(82期)。ビーチバレーボール時代はスポーツクラブNASに所属。 茨城県神栖市出身。東京女子体育大学在学中の2002年から2005年まで全日本ビーチインカレで4連覇を達成している。同学卒業後はスポーツクラブNASに所属し、高尾和行の指導を受け、永田唯や宮川紗麻亜らとペアを組み、JBVツアーに参戦。 2013年8月の第27回ビーチバレージャパンで、宮川紗麻亜とペアを組み準優勝に輝いた。
芦澤 大輔(あしざわ だいすけ、1982年4月9日 - )は… 芦澤 大輔(あしざわ だいすけ、1982年4月9日 - )は、茨城県取手市出身の競輪選手。 日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第90期生。弟の辰弘(95期)も競輪選手。師匠は木村泰丈(65期)。弟子は小坂丈(121期)、半田水晶(128期)。 常総学院高等学校時代はラグビー部の主将を務め、オール茨城に選出された実績を持つ。 競輪学校時代の在校競走成績は4位(30勝)。2005年7月2日、大宮競輪場でデビュー(4着)。2012年の平塚記念でG3初優勝を記録。以後、2015年の青森記念、豊橋記念を優勝している。 特別競輪では、2011年の日本選手権競輪でG1初出場。2016年の競輪祭で初の優参(4着)を果たした。
宮本 孝男(みやもと たかお、1950年4月17日 - )は… 宮本 孝男(みやもと たかお、1950年4月17日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身の、元プロ野球選手及び元競輪選手。1972年及び競輪時代の登録名は宮本 孝雄(読み同じ)。 竜ヶ崎第一高校ではエース。切れのいいカーブを武器とした本格派。コントロールがあとひと息といわれているが、主将で四番を打ちバッティングも高く評価されていた。1968年ドラフト会議で東映フライヤーズから3位指名を受け入団。ポジションは投手。1972年の登録名は宮本 孝雄。同年限りで引退。 その後、競輪選手に転身。日本競輪選手会茨城支部に在籍していた。日本競輪学校第35期生で、同期には中野浩一らがいる。なお、競輪選手登録名は宮本 孝雄である。