渡部 修斗(わたなべ しゅうと、1989年2月27日 - )… 渡部 修斗(わたなべ しゅうと、1989年2月27日 - )は、日本の男性総合格闘家、柔術家、元レスリング選手。栃木県足利市出身。ストライプル新百合ヶ丘所属。初代Fighting NEXUSバンタム級王者。父は修斗初代ウェルター級王者の渡部優一、妻は総合格闘家の青野ひかる。 小学5年生より柔道を学び、中学からは並行してレスリング部に所属し、高校はレスリングの名門校足利工大附高に入学。大学に入り一時期レスリングから遠ざかったが、魔裟斗の引退試合に感動し、父と同じ格闘技の道を歩むことを決意する。 2012年4月1日、パンクラスでプロデビュー。 2012年9月17日、SWAT!バンタム級トーナメント2012の決勝戦で伊藤盛一郎にチョークスリーパーで一本勝ち。
船越 光子(ふなこし みつこ、1974年4月19日 - )は… 船越 光子(ふなこし みつこ、1974年4月19日 - )は、栃木県出身の女子レスリング選手である。階級は75kg級。身長167cm。 小学生の時に「壬生ちびっこ教室」でレスリングを始めた。1988年から全日本選手権75kg超級で2年連続2位となった。1990年に壬生高校へ入学すると、全日本選手権では階級を75kg級に下げて初優勝を飾った。翌年の全日本選手権でも優勝して世界選手権に出場するが4位だった。1992年には全日本選手権で3連覇するも、世界選手権では2位にとどまった。1993年には東京にある代々木クラブ所属となるが、全日本選手権では2位に終わった。1994年の全日本選手権で2年ぶりの優勝を果たすと、世界選手権でも優勝を成し遂げた。
宮内 輝和(みやうち てるかず、1960年7月6日 - 20… 宮内 輝和(みやうち てるかず、1960年7月6日 - 2026年1月11日)は、群馬県出身の元レスリング選手、元春日野部屋大相撲力士。最高位は東幕下30枚目(1986年1月場所)。 足利工業大学付属高等学校を経て、日本大学に入学。大学でもレスリング部に入り、1980年の全日本選手権で男子グレコローマンの100kg以上級で優勝。同年のモスクワオリンピック日本代表に選ばれたが、日本はボイコットしたため、出場できなかった。その後、大学を中退し大相撲に転向。 春日野部屋に入門し1981年1月場所に初土俵を踏んだ。同場所では近畿大学を中退し大相撲に飛び込んだ杉野森(後横綱旭富士・現伊勢ヶ浜親方)も初土俵を踏んだ。
谷津 嘉章(やつ よしあき、1956年7月19日 - )は、… 谷津 嘉章(やつ よしあき、1956年7月19日 - )は、日本のレスリング選手、プロレスラー。 学生時代はアマチュアレスリングのフリースタイル重量級で国内無敵を誇り、オリンピックの日本代表に2大会連続で選ばれる。プロレスラーとしては新日本プロレスからキャリアを始め、全日本プロレスやSWS、WJプロレスなどで主力選手として活躍。2019年に糖尿病の影響で右足を切断して以降は障がい者レスリングに取り組む。 足利工業大学附属高等学校でレスリングを始める。日本大学レスリング部時代には全日本学生選手権や全日本選手権で優勝を重ね、1976年には日本代表としてモントリオールオリンピックに出場(8位)。1980年モスクワオリンピックでも日本代表に選ばれたが、日本が不参加だったため2大会連続出場はならなかった。
長島 偉之(ながしま ひでゆき、1953年5月27日 - )… 長島 偉之(ながしま ひでゆき、1953年5月27日 - )は、日本のレスリング選手(フリースタイル)。1984年ロサンゼルスオリンピック銀メダリスト。栃木県足利市出身。栃木県レスリング協会理事長。 次男は2013年世界柔道選手権81㎏級日本代表の長島啓太。 ロス五輪当時、機械科2組の担任であった。が、試合のテレビ中継が無く、生徒はがっかりした為、凱旋時、知らん顔された。
金子 正明(かねこ まさあき、1940年7月8日 - )は、… 金子 正明(かねこ まさあき、1940年7月8日 - )は、栃木県足利市出身の元レスリング選手、元陸上自衛官1968年メキシコシティーオリンピックレスリング競技男子63kg級金メダリスト。 足利工業大学附属高等学校でレスリングを始める。専修大学卒業後、自衛隊に入隊、陸上自衛官として自衛隊体育学校に在籍。バンタム級で第18回夏季オリンピック東京大会(1964年)を目指すが、代表選考会の最終予選で上武洋次郎に敗れて出場を逃す。 東京大会の後に階級をフェザー級に上げ、1968年第19回夏季オリンピックメキシコシティ大会に挑むことを決意、その当時には普及されていなかったウェイトトレーニングで体を作る。またその当時の日本レスリングの主流だった八田一朗(日本アマチュアレスリング協会会長)が提唱した攻撃重視スタイルにあえて背を向け、防御と巧みな試合運びで後半に勝負するという自己流カウンター型スタイルを確立、世界選手権を2連覇し、メキシコシティ大会では男子フリースタイルフェザー級において金メダルを獲得した。