宍倉 光広(ししくら みつひろ、1960年11月27日 - … 宍倉 光広(ししくら みつひろ、1960年11月27日 - )は、日本の数学者。理学博士。京都大学教授。専門は、力学系理論。 群馬県伊勢崎市生まれ。1979年群馬県立前橋高等学校卒業。1983年京都大学理学部卒業。1988年京都大学大学院理学研究科博士課程数学専攻修了。プリンストン高等研究所所員、東京工業大学助手・助教授、東京大学助教授、広島大学教授を経て、現職。 力学系の中でもフラクタルの研究を活発に行っている。特に複素平面上のマンデルブロ集合についての研究は有名で、境界のハウスドルフ次元が2であるというマンデルブロの予想を証明した。 1992年にはサレム賞、1995年には日本数学会春季賞を受賞した。
大竹 公一郎(おおたけ こういちろう、1952年 - )は、… 大竹 公一郎(おおたけ こういちろう、1952年 - )は、日本の数学者・教育学者。群馬大学教育学部教授。専門は、代数学・教育工学。 1952年、群馬県に生まれる。1970年、群馬県立沼田高等学校卒業。1975年、群馬大学教育学部中学教員養成課程数学科卒業。1980年3月、筑波大学大学院数学研究科博士課程修了。理学博士。 現在群馬大学教育学部教授。 主要研究テーマは「非アベール圏における局所化と余局所化について」。代数学においてQF環の圏論的性質を研究する一方、教育工学分野ではVODを利用した遠隔教育の可能性について探求している。 群馬大学教育学部紀要 (大学・研究所等紀要 1996年) 群馬大学教育学部紀要 (大学・研究所等紀要 2000年) 群馬大学教育実践研究 (大学・研究所等紀要 2000年) 群馬大学教育学部紀要 自然科学編 (大学・研究所等紀要 2001年) 群馬大学教育実践研究 (大学・研究所等紀要 2001年) 群馬大學教育学部紀要 (大学・研究所等紀要 2002年) 群馬大学教育学部紀要 (大学・研究所等紀要 2004年) 群馬大学教育学部紀要 自然科学編 (2002年) 群馬大学教育学部紀要 自然科学編 (2006年)
木村 俊房(きむら としふさ、1929年〈昭和4年〉3月13… 木村 俊房(きむら としふさ、1929年〈昭和4年〉3月13日 - 1997年〈平成9年〉1月5日)は、日本の数学者(理学博士)。東京大学教授、日本数学会理事長。 群馬県前橋市出身。父の転勤により浦和へ引っ越し、旧制浦和高等学校を経て、東京大学理学部数学科を卒業。 立教大学助教授を勤めたのち、東京大学理学部数学科教授。1977年(昭和52年)から2年間、日本数学会理事長を務めた。 複素微分方程式の研究で知られる。 常微分方程式、数値解析、確率論など様々な分野の著書がある。 木村俊房 - KAKEN 科学研究費助成事業データベース この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
井草 凖一(準一、いぐさ じゅんいち、1924年〈大正13年… 井草 凖一(準一、いぐさ じゅんいち、1924年〈大正13年〉1月30日 - 2013年〈平成25年〉11月24日)は、日本の数学者。ジョンズ・ホプキンズ大学名誉教授。勲三等瑞宝章受章者。 群馬県群馬郡清里村(現・前橋市青梨子町)生まれ。旧制群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)、旧制第一高等学校を経て、1945年(昭和20年)東京大学理学部数学科を卒業。東京大学大学院へ進む。 1948年(昭和23年)から2年間東京文理科大学助教授を務める。1949年(昭和24年)秋月康夫の招きにより京都大学助教授となり4年間勤務した。京都大学時代の教え子に広中平祐がいる。 1953年(昭和28年)理学博士号を取得。
正田 建次郎(しょうだ けんじろう、1902年〈明治35年〉… 正田 建次郎(しょうだ けんじろう、1902年〈明治35年〉2月25日 - 1977年〈昭和52年〉3月20日)は、日本の数学者(代数学)。第6代大阪大学総長、武蔵大学学長、初代大阪大学基礎工学部長。群馬県邑楽郡館林町(現・群馬県館林市)出身。勲一等瑞宝章、文化勲章受章。 1902年(明治35年)、群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)に、日清製粉創業者・正田貞一郎の次男として生まれる。小日向台町小学校を経て、1919年(大正8年)に東京府立第四中学校を卒業。1922年(大正11年)に旧制第八高等学校卒業して東京帝国大学理学部数学科に進学し、1925年(大正14年)3月卒業。大学院で高木貞治の指導を受けた。
森本 清吾(もりもと せいご、1900年〈明治33年〉1月2… 森本 清吾(もりもと せいご、1900年〈明治33年〉1月26日 - 1954年〈昭和29年〉6月19日)は、日本の数学者。妻は女性数学者の先駆け森本治枝で、子供4人とも学者となっている。 「群馬近代蚕糸業の祖」といわれる養蚕製糸業「研業社」オーナーで、前橋英和女学校(現・共愛学園前橋国際大学)創設者の深沢(旧姓・大慈谷)利重と妻・孝の五男として生まれる。母方の祖父は前橋藩士、深沢雄象。 師範学校附属小学校を経て、1917年(大正6年)勢多農林学校を卒業する。翌1918年(大正7年)、独学で中等教員検定試験の算術・代数・幾何科に合格する。1919年(大正8年)から赤坂中学校で教鞭を執り、1921年(大正10年)には埼玉県師範学校教諭となった。
剣持 章行(けんもち あきゆき、旧字体: 劍持章行、1790… 剣持 章行(けんもち あきゆき、旧字体: 劍持章行、1790年12月8日(寛政2年11月3日)- 1871年7月27日(明治4年6月10日))は日本の数学者、和算家。諱は章行。字は成紀。号は豫山または任数堂。通称は要七。後半生は関東各地を遊歴し、香取、海上、印旛、匝瑳、常陸、武州等を中心に、約1000人の門弟を持った。 上野国吾妻郡沢渡(現在の群馬県中之条町)に生まれ、本業は農業。幼いころから数学を好んだ。小野榮重に師事し、1824年(文政7年)には「小野栄重門人 上毛吾妻郡澤渡邑 剣持要七郎章行」として清水寺(高崎市石原町)観音堂に算額を奉納している。1827年(文政10年)栄重から免許皆伝を与えられた。
斎藤 宜義(さいとう ぎぎ、文化13年〈1816年〉1月 -… 斎藤 宜義(さいとう ぎぎ、文化13年〈1816年〉1月 - 1889年〈明治22年〉8月9日)は、江戸時代後期から明治時代の和算家(数学者)。宜義は字で、長次郎または長平(戸籍)といった。号は算象、逐葊または乾坤独算民。上野国群馬郡板井村(現・群馬県佐波郡玉村町板井)の出身で、父も和算家の斎藤宜長。墓所は群馬県指定史跡(昭和24年1月11日指定)。 上野国群馬郡板井村の和算家・斎藤宜長の子として生まれる。兄弟姉妹の有無は不明。 父に和算の教えを受け、数え11歳の文政9年(1826年)には「斎藤宜長教授」として大堀辰五郎宜之とともに新町宿の稲荷社に算額を奉納している(『算法雑俎』)。江戸に出て和田寧の教えも受けたとされている。