野本 喜一郎(のもと きいちろう、1922年5月8日 - 1… 野本 喜一郎(のもと きいちろう、1922年5月8日 - 1986年8月8日)は、埼玉県加須市出身のプロ野球選手、学生野球指導者。 旧制の不動岡中学校(現在の埼玉県立不動岡高等学校)卒業。第二次世界大戦が勃発すると日本軍に徴兵され、中国戦線へ送られた。 不動岡中時代から野球部の投手を務めており、戦後、社会人野球のコロムビアを経て、1950年に西日本パイレーツへ入団した。1951年、西日本パイレーツと西鉄クリッパースが合併し、西鉄ライオンズと改称したが3シーズンに渡って同チームに在籍し、1953年に近鉄パールスへ移籍し、アンダースローの投手としてプロ通算18勝をあげた。同年限りで現役を引退し、その後は郷里の埼玉県に戻り上尾町(後の上尾市)で銭湯を営んでいた。
西川 博夫(にしかわ ひろお、1918年 - 1944年7月… 西川 博夫(にしかわ ひろお、1918年 - 1944年7月3日)は、日本の元アマチュア野球選手。埼玉県出身。ポジションは外野手。 浦和中学(現・埼玉県立浦和高等学校)在学中は、甲子園に2回(春2回〈1935年、1937年〉)出場した。浦和中は1935年春には、初出場(埼玉県内では川越中学〈現・埼玉県立川越高等学校〉に次いで2番目の出場)ながらベスト8に入る活躍を見せたが、1937年春の大会では初戦(3月29日)の対・滝川中学〈現・滝川中学校・高等学校〉戦で0-27という大敗を喫した。 1938年早稲田大学に入学、東京六大学リーグ戦にも出場した。しかし早大卒業後応召され、1944年7月3日、中国北支・石門の陸軍病院にて戦病死した。
家村 相太郎(いえむら そうたろう、1917年1月5日 - … 家村 相太郎(いえむら そうたろう、1917年1月5日 - 2005年)は、朝鮮京南生まれ、埼玉県川越市出身のプロ野球選手。 小学3年生の時に野球を始め、川越中学校では2年次に一塁手、3年次にはエースピッチャーとなり北関東大会決勝まで進んだが甲子園には出場できなかった。 1936年に東京セネタースへ入団。 1940年に退団し、翌年から社会人野球の全京城でプレーする。 1946年にセネタースへ復帰し、同年引退した。 引退後は天理高校、母校の川越高校、天理大学で野球部コーチと監督、習志野高校でコーチを務めた。
綿貫 惣司(わたぬき そうじ、1915年4月6日 - 没年不… 綿貫 惣司(わたぬき そうじ、1915年4月6日 - 没年不明)は、埼玉県出身の元プロ野球選手(内野手)。 川越中学出身。1931年に第8回選抜野球大会へ3番ファーストとして出場したがチームは初戦で杉浦清、野口明らがいた中京商業に0-11で敗れた。卒業後に立教大学へ進学し、景浦將と共にクリーンナップを打つなど活躍した。 1936年に大学を中退して東京セネタースへ入団。1938年に応召。 戦後はノンプロの豊岡物産で監督兼選手として都市対抗野球大会に出場し、日本球界初の天覧試合にも出場している。 1950年から1953年まで、富士製鐵室蘭の監督を務めた。
川保 麻弥 は、埼玉県上尾市出身の元女子プロ野球選手、野球指… 川保 麻弥 は、埼玉県上尾市出身の元女子プロ野球選手、野球指導者。捕手、右投げ右打ち。
駒谷 麻妃 は、日本の元女子プロ野球選手、投手。青森県むつ市… 駒谷 麻妃 は、日本の元女子プロ野球選手、投手。青森県むつ市出身。
鈴木 健 は、埼玉県越谷市出身の元プロ野球選手(内野手)、野… 鈴木 健 は、埼玉県越谷市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球解説者。右投左打。
碇 美穂子 は、東京都出身の元女子プロ野球選手、指導者、監督… 碇 美穂子 は、東京都出身の元女子プロ野球選手、指導者、監督。2021年からの登録名は碇 穂。
木原 弘人(きはら ひろと)は、埼玉県出身の元アマチュア野球… 木原 弘人(きはら ひろと)は、埼玉県出身の元アマチュア野球選手である。ポジションは捕手。 慶應義塾志木高校では、1968年秋季関東大会県予選準々決勝に進むが、大宮高に敗退。慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグでは工藤真、萩野友康、長谷部優らとバッテリーを組み、1971年秋季リーグから1972年秋季リーグまで三連覇を果たす。1972年の全日本大学野球選手権大会では、決勝で関大の山口高志に完封され準優勝。ベストナイン(捕手)選出2回。大学同期に山下大輔がいた。 卒業後は松下電器に入社。1974年から正捕手となり山口高志、福間納らとバッテリーを組む。松下勝実、鍛治舎巧ら強力打線に援護され、1975年の社会人野球日本選手権では準々決勝に進むが、住友金属に7回コールド負け。