林 董(はやし ただす、嘉永3年2月29日(1850年4月1… 林 董(はやし ただす、嘉永3年2月29日(1850年4月11日) - 大正2年(1913年)7月20日)は、江戸時代末期(幕末)の幕臣、明治時代の日本の外交官、政治家。伯爵。蘭方医佐藤泰然の5男で初代陸軍軍医総監・男爵の松本良順は実兄。幼名は信五郎、名は董三郎(とうさぶろう)とも。変名、佐藤 東三郎(さとう とうさぶろう)。
千葉県:3人
林 董(はやし ただす、嘉永3年2月29日(1850年4月1… 林 董(はやし ただす、嘉永3年2月29日(1850年4月11日) - 大正2年(1913年)7月20日)は、江戸時代末期(幕末)の幕臣、明治時代の日本の外交官、政治家。伯爵。蘭方医佐藤泰然の5男で初代陸軍軍医総監・男爵の松本良順は実兄。幼名は信五郎、名は董三郎(とうさぶろう)とも。変名、佐藤 東三郎(さとう とうさぶろう)。
逸見 宗助(へんみ そうすけ、1843年〈天保14年〉 - … 逸見 宗助(へんみ そうすけ、1843年〈天保14年〉 - 1894年〈明治27年〉)は、幕末から明治の武士、剣術家、警察官。 生年は1834年(天保5年)ともいわれる。佐倉藩藩士・逸見信敬(立身流第17代宗家)の子として生まれ、家伝の立身流を修行する。立身流は袋竹刀で打ち合う古式の剣法であったが、江戸で竹刀防具を用いる撃剣試合が盛んになると、佐倉藩も1850年(嘉永3年)に他流試合を許し、北辰一刀流や鏡新明智流などを招いて学んだ。鏡新明智流からは高弟の上田馬之助が来て、逸見は上田の指導を受けた。 1860年(万延元年)、父より立身流居合目録を受ける。父の計らいで藩から剣術留学の許しを得て、1861年(万延2年)に江戸に出て、鏡新明智流士学館道場を主として1年間撃剣を修行。
寺島 直(てらじま なおし、1837年6月1日(天保8年4月… 寺島 直(てらじま なおし、1837年6月1日(天保8年4月28日)- 1910年(明治43年)6月29日)は、幕末の武士、維新の志士。明治時代の官吏、法律家、判事。位階および勲等は従三位・勲二等。 下総国香取郡小見川(現在の千葉県香取市)に小見川藩士の寺島彦三郎の子として生まれる。儒学者の並木栗水の螟蛉塾に学ぶ。後に京都に出て、梅田雲浜などと尊王攘夷論者として国事に奔走し、禁錮刑となった。 1870年に本保県(現在の福井県)の逮部伍長に任じられた。1871年に敦賀県参事となった。1877年に判事となり、東京上等裁判所や宮城県上等裁判所の判事、熊本裁判所長、大審院評定官を歴任し、1884年に大審院判事となり、勲六等単光旭日章を賜った。