五十嵐 壮太郎(いがらし そうたろう、1982年6月16日 … 五十嵐 壮太郎(いがらし そうたろう、1982年6月16日 - )は、日本の起業家であり、ドリパス創業者。東京都出身。 新聞記者の父の転勤により、幼少期をフランス、ベルギーで過ごし、中学入学時に日本へ帰国。一橋大学経済学部卒業後、株式会社博報堂に入社し、様々な広告キャンペーン、コンテンツプロデュースを手掛ける。 2010年に株式会社博報堂を退社し、独立。同年、株式会社ブルームを設立し代表取締役に就任、ドリパスを立ち上げる。 2013年3月、ドリパスをヤフーに売却。 2016年より株式会社FLYBLUE代表取締役CEOに就任、また2016年11月よりスマートキャンプ(株)アドバイザーに就任。 2017年より株式会社CAMPFIRE執行役員に就任。
前田 浩(まえだ ひろし、1961年12月12日 - )は、… 前田 浩(まえだ ひろし、1961年12月12日 - )は、株式会社ニッソウの創業者で、同社の代表者でもある。東京都出身。 東京都立広尾高等学校中退後、芸能プロダクションに所属し、ナイトクラブやホテルラウンジなどでピアニストとして活動。その後、インテリア関連会社を経て1986年に独立して、クリエイティブリフォームオフィス・マエダを創業し、1988年に株式会社ニッソウを設立する。2018年、東京証券取引所TOKYO PRO Marketに同社を上場させる。その後2020年、同社を名古屋証券取引所セントレックス(現ネクスト市場)に市場変更させる。さらに2022年、同社を東京証券取引所グロース市場に上場させる。
上野 照博(うえの てるひろ、1940年12月25日 - )… 上野 照博(うえの てるひろ、1940年12月25日 - )は、日本の実業家で、株式会社ゾフ創業者、同社元代表取締役社長である。 東京都出身で、学習院初等科、学習院中等科・高等科を経て1963年に学習院大学経済学部を卒業し、レナウンニシキに入社する。1968年に上野衣料株式会社に入社して1969年専務取締役となる。アパレル業界の不況でメガネ事業を構想し、1993年に、株式会社ゾフを設立して代表取締役社長となり、株式会社インターメスティックを設立して代表取締役社長となる。2014年に株式会社インターメスティック代表取締役会長、2015年に株式会社インターメスティック代表取締役会長兼社長、2020年に株式会社インターメタックス取締役会長となる。
小林 照子 (こばやし てるこ、1935年2月24日 - )… 小林 照子 (こばやし てるこ、1935年2月24日 - ) は、元コーセー取締役、美・ファイン研究所創業者。東京都練馬区出身。 3歳ころ両親が離婚、再婚した父に引き取られる。1942年に実父と死別し、継母の兄夫婦の養女となる。戦争の激化により養母の故郷である山形県狩川町に疎開。1951年に養母が死去し、納骨のため上京して自立を決意。東京で保険外交員をしながら、夜間は東京高等美容学院に通い美容師免許取得。 1958年から小林コーセーで美容部員として2年勤務した後、本社教育課に配属される。1964年、長女小林ひろ美を出産。1965年、同社マーケティング部に新設された美容研究室に異動。世田谷区下北沢に転居した際、自宅近くにアトリエを構え、若手指導を始める。
鍵山 秀三郎(かぎやま ひでさぶろう、1933年8月18日 … 鍵山 秀三郎(かぎやま ひでさぶろう、1933年8月18日 - 2025年1月2日)は、株式会社ローヤル(現 イエローハット)の創業者。創業以来続けている「掃除」運動が内外に広がった。NPO法人「日本を美しくする会」(「日本を美しくする会・掃除に学ぶ会」)の創唱者で相談役でもある。 1953年(昭和28年)に自動車業界に入る。当時の自動車業界は、職場や社員なども含め業界全体が粗野な面があり、鍵山が就職した自動車部品販売店でも一般ユーザーの来店などは期待できない状態であった。鍵山は就職した職場でこうした環境を変える必要を感じ、トイレ掃除を始める。このため当初は、社内ハラスメントにもあったが、職場や店舗が清潔になったことで客層がよくなり、ディック・ミネ、森繁久彌などの有名人も来店するほどとなる。
小倉 康臣(おぐら やすおみ、1889年11月29日 - 1… 小倉 康臣(おぐら やすおみ、1889年11月29日 - 1979年1月15日)は、ヤマト運輸創業者。東京都東京市京橋区数寄屋町二丁目(現・中央区銀座、数寄屋橋交差点付近)出身。 銀座の原料紙問屋「川善」の分家を経営していた両親(父・善兵衛、母・もと)の元で生まれ、8人目の三男であったことから八三郎と名付けられた(1930年2月に改名)。1902年3月の泰明小学校高等科2年卒業後は大手町の商工中学校に進学するも、川善の廃業により退学。長姉の嫁ぎ先で薪炭商を営む上田家の「山登屋」に預けられた。 東京外語学校の夜学で英語を学び、工場などで働いたのち、1914年5月25日(当時24歳)に手車による移動販売の「挽き八百屋」として独立し、京橋の大根河岸で野菜を仕入れ、銀座、新橋、芝、赤羽橋で売り歩いた。
岩崎 俊弥(いわさき としや、明治14年(1881年)1月2… 岩崎 俊弥(いわさき としや、明治14年(1881年)1月28日 - 昭和5年(1930年)10月16日)は日本の実業家で、旭硝子の創業者。
亀井 万喜子(かめい まきこ、1855年4月22日(安政2年… 亀井 万喜子(かめい まきこ、1855年4月22日(安政2年3月6日) - 1927年3月24日)は、三省堂創業者。 江戸駿河台に生まれる。両親を幼くして亡くして明治維新となり、困窮を極めた。養子に亀井忠一を迎え、履物屋など、様々な商売を営んだが、1882年に神保町に移って始めた商売が古書店で、これが三省堂書店の礎となった。 当時、主に学生を相手に書籍を売り買いしていたが、ほとんどが洋書で、それはドイツ語や英語だった。万喜子も忠一もそれらを読むことができず、学生に騙され、高く買い、安く売ることが少なくなかった。そのため、万喜子はそれらを習うことにした。毎日、店を閉め、家事を終えてから出かけた。まず、ドイツ語、次に英語を身に付けた。