一翔 幸(かずと こう、2003年12月15日 - )は、神… 一翔 幸(かずと こう、2003年12月15日 - )は、神奈川県横浜市瀬谷区出身で立浪部屋所属の現役大相撲力士。本名は藤田 一翔(ふじた かずと)。身長176.6cm、体重120.9kg。最高位は東幕下5枚目(2025年11月場所)。 小学5年生だった2015年に、全日本小学生相撲優勝大会で準優勝した。 青森県立三本木農業恵拓高等学校では2021年の全国高等学校総合体育大会の個人でベスト4に進出。準決勝で落合哲也に敗れたが、3位決定戦で勝利し銅メダルを獲得した。 高校卒業後に立浪部屋へ入門し、2022年5月場所で初土俵。同年の11月場所では元幕内の天風に勝利するなど7戦全勝。同じく全勝の日翔志との三段目優勝決定戦に臨んだが、敗れた。
勝南桜 聡太(しょうなんざくら そうた、1998年7月16日… 勝南桜 聡太(しょうなんざくら そうた、1998年7月16日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身で式秀部屋所属の元大相撲力士。本名は服部 祥多(はっとり しょうた)。身長179.5cm、体重85.8kg。服部桜(はっとりざくら)の四股名で2015年9月場所に初出場し、2021年1月場所より「勝南桜」に改名した。 大相撲史上最長の104連敗や史上2位の89連敗などの記録を残し、恐怖心のため本場所で敗退行為に及んだこともあり、史上最弱力士と評されていた。最高位は東序ノ口9枚目(2021年5月場所)。 茅ヶ崎市立梅田小学校時代にテレビで幕下の取組を見て相撲に興味を持った。茅ヶ崎市立梅田中学校では1年次より陸上競技部に所属して、1500mの長距離走を専門としていた。
朝弁慶 大吉(あさべんけい だいきち、1989年2月12日 … 朝弁慶 大吉(あさべんけい だいきち、1989年2月12日 - )は、神奈川県平塚市出身で、高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は酒井 泰伸(さかい やすのぶ)。身長189.9cm、体重168.8kg、血液型はA型。最高位は西十両7枚目(2016年7月場所)。 平塚の中華料理店に生まれ、中学時代までは特にスポーツ歴がなかった。五領ヶ台高校入学後に大きな体を生かして柔道を始めて関東大会に出場し、柔道で大学への進学も決まっていたが、山下泰裕の講演を傾聴しに行った際に地元の高砂部屋後援会長に声をかけられてそのまま勧誘され、高校卒業直前に7代高砂(元大関・朝潮)が実家を訪れて話をしたことで高砂部屋入門を決意。
秋乃峰 將司(あきのみね しょうじ、1977年3月27日 -… 秋乃峰 將司(あきのみね しょうじ、1977年3月27日 - )は、神奈川県小田原市出身で峰崎部屋所属の元大相撲力士。本名は秋山 隆司(あきやま たかし)。身長191.3cm、体重146kg。血液型はA型。星座は牡羊座。得意手は右四つ、寄り。最高位は東幕下26枚目(2004年7月場所)。 相洋高校3年次在学中の1995年1月場所、峰崎部屋から初土俵。同期生には元十両・北勝光がいる。同年5月場所は西序二段156枚の地位で5連勝し、序二段の優勝争いに加わっていたが、6番相撲で栃不動に敗れて優勝を逃す。1996年5月場所、3人による優勝決定戦を制し、序二段優勝。この優勝決定戦は巴戦形式で行われたが、2周目までもつれ込む、珍しいケースだった。
4代 木村 朝之助(きむら あさのすけ、1972年9月2日 … 4代 木村 朝之助(きむら あさのすけ、1972年9月2日 - )は、大相撲の幕内格行司である。本名は石田 勝也(いしだ かつや)。高砂部屋所属。血液型はA型。 神奈川県横浜市旭区出身。神奈川県立都岡高校卒業後の1991年3月場所で若松部屋から初土俵を踏んだ。2002年2月に若松部屋が高砂部屋に吸収されたため、同年3月場所以降は高砂部屋所属となった。2008年1月場所で十両格に昇進し、師匠の33代木村庄之助が立行司昇進前まで名乗っていた木村朝之助の4代目を襲名。2022年12月26日付(2023年1月場所番付発表日)で幕内格に昇進。 行司としては珍しく高校を卒業してからの入門であり、2025年6月時点では朝之助より年下ながら序列上位の行司が3人いる。
隆二(りゅうじ、1970年(昭和45年)7月23日 - )は… 隆二(りゅうじ、1970年(昭和45年)7月23日 - )は、大相撲の幕内呼出である。本名は高橋 隆二(たかはし りゅうじ)。神奈川県横須賀市出身。宮城野部屋→伊勢ヶ濱部屋所属。血液型はO型。
朝乃翔 嚆矢(あさのしょう はじめ、1969年12月23日 … 朝乃翔 嚆矢(あさのしょう はじめ、1969年12月23日 - )は、神奈川県小田原市出身(出生地は横浜市)の元大相撲力士。本名は小塚 一(こづか はじめ、旧姓は大澤)、身長185cm、体重147kg、血液型O型。得意手は突っ張り、押し。現役時は若松部屋所属で最高位は西前頭2枚目(1997年3月場所、1999年9月場所)。現在は会社員の傍ら、相撲協会の評議員を務めている。 小田原市立鴨宮中学校時代はバレーボール部に所属していたが、相洋高等学校に進学してからは相撲部に入部した。近畿大学に進むと、後に朝乃若となる足立武彦らとともに活躍した。1992年3月場所に幕下60枚目格付出しで初土俵を踏んだ。当時の本名の大澤を四股名として順調に番付を上げて行き1993年3月場所に新十両。
旭(あきら、1969年(昭和44年)1月31日 - )は、大… 旭(あきら、1969年(昭和44年)1月31日 - )は、大相撲の幕内呼出である。本名は市川 俊幸(いちかわ としゆき)。神奈川県海老名市出身。大島部屋→友綱部屋→大島部屋所属。血液型はB型。
荒谷 望誉(あらや のぶたか、1968年3月7日 - )は、… 荒谷 望誉(あらや のぶたか、1968年3月7日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身で九重部屋所属の元大相撲力士、全日本プロレス所属の元男性プロレスラー。大相撲時代の四股名及び本名は荒谷 信孝(あらや のぶたか)。選手生活晩年は渕正信、菊タローらと会場を暖める試合を展開し、哀愁を感じさせる貴重な選手だった。 中学校卒業後すぐに大相撲の九重部屋に入門して、1983年3月場所に15歳で初土俵を踏む。序二段まで昇進したが、1985年7月場所限りで廃業してプロレスラーに転向する。1992年にオリエンタルプロレスに入門するが、団体の経営難に伴い離脱した後、レスリング・ユニオン傘下のIWA流山に移籍しエースとして活動するが、こちらも経営難により離脱。
前進山 良太(ぜんしんやま りょうた、1966年4月22日 … 前進山 良太(ぜんしんやま りょうた、1966年4月22日 - )は、神奈川県横浜市出身で高田川部屋に所属した元大相撲力士。本名は秋元 良太(あきもと りょうた)。身長180cm、体重141kg。得意手は突き、押し。最高位は東十両2枚目(1992年7月場所)。現在は若者頭・前進山、血液型はB型。 横浜高校時代は野球部に所属していた。相撲経験はなかったが、知人の紹介で高校を中退し高田川部屋に入門。1982年11月場所で初土俵を踏んだ。序ノ口時代には押し相撲とも四つ相撲と言えない相撲を取っており苦労したが、四股名を「前進山」と改名してからは「名は体を表す」かのように突き押し相撲一本に絞り、それから安定した成績を残していった。
栃相模 久(とちさがみ ひさし、1965年〈昭和40年〉11… 栃相模 久(とちさがみ ひさし、1965年〈昭和40年〉11月17日 - )は、春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は谷本 久(たにもと ひさし)。神奈川県茅ヶ崎市出身。最高位は東幕下筆頭(1991年(平成3年)7月場所)。身長185cm、体重151kg。 1981年(昭和56年)春日野部屋に入門、3月場所で初土俵を踏む。同じ春日野部屋から栃司もこの場所、幕下付出で初土俵を踏んだ。入門から2年半は序二段に留まり、1983年(昭和58年)11月場所で三段目に昇進。「栃相模」に改名後の1985年(昭和60年)11月場所で幕下に昇進。三段目に落ちたりしたが、1990年(平成2年)11月場所で7回目の幕下に昇進してから勝ち越しを続け、1991年(平成3年)3月場所で初の幕下一桁(西9枚目)に上がり、ここでも5勝2敗と勝ち越し、翌5月場所西2枚目に上がった。
大石田 謙治(おおいしだ けんじ、1961年10月2日 - … 大石田 謙治(おおいしだ けんじ、1961年10月2日 - )は、神奈川県相模原市出身で大鵬部屋に所属した元大相撲力士。本名は石田 謙治(いしだ けんじ)、182cm、141kg。最高位は西十両13枚目。得意技は突き、押し、左四つ、寄り、血液型はO型。 1977年3月場所初土俵、入門14年目の1990年9月場所に所要81場所で念願の新十両昇進を果たす。ただ初日は勝利したものの翌日から13連敗、千秋楽は勝利したが2勝13敗の成績で1場所で幕下に陥落。十両在位は結局この1場所で、最後は三段目まで陥落し1993年9月場所限りで現役を引退(廃業)した。現役晩年には短期間で体重が20㎏以上減り、当時幕内で活躍していた智ノ花の豪快な「いぞり」と関連し「どうした、げっそり元十両・大石田」とやくみつるの漫画でネタにされてしまった。
福の守 尚(ふくのもり ひさし、1922年12月6日 -19… 福の守 尚(ふくのもり ひさし、1922年12月6日 -1997年 )は、荒汐部屋、時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)に所属した元力士。本名は福守 尚(ふくもり ひさし)。現在の神奈川県小田原市出身。179cm、98kg。最高位は東十両15枚目。得意技は右四つ、押し。 1940年5月場所に初土俵。1952年1月場所に十両昇進。連続4場所務めたのち、1954年5月場所に廃業した。
相武山 信男(そうぶやま のぶお、1918年1月11日 - … 相武山 信男(そうぶやま のぶお、1918年1月11日 - 没年不明)は、神奈川県津久井郡(現相模原市緑区)出身で出羽海部屋に所属した昭和年間の元大相撲力士。本名は橋本 信男(はしもと のぶお)。最高位は西十両2枚目。得意技は左四つ、寄り。 1937年1月場所に初土俵を踏む。1942年5月場所に十両に昇進。立ち合いに相手の懐に飛び込んで鋭い出足を生かし、左を差して一気に出る颯爽な取り口が持ち味だった。しかし、腰が軽く四つに組まれて出足を止められると、攻め手がなく苦戦した。十両4場所目の1944年1月場所、13勝2敗の好成績を挙げた(十両優勝は上位の九州錦)。翌5月場所は自己最高位となる西十両2枚目まで上がるが、3勝7敗と負け越し、11月場所は全休し、この場所限りで廃業した。
相模川 佶延(さがみがわ よしのぶ、1917年7月13日 -… 相模川 佶延(さがみがわ よしのぶ、1917年7月13日 - 1987年1月22日)は、神奈川県愛甲郡南毛利村(現在の同県厚木市)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は原島 寶(はらじま たから)。身長189cm、体重124kg。得意手は左四つ、突っ張り、上手投げ。最高位は西関脇(1944年5月場所)。 17歳の時に春日野部屋へ入門し、1935年5月場所で初土俵を踏んだ。 1937年5月場所で序二段優勝してから上昇気流に乗り、三段目・幕下・十両をそれぞれ1場所で突破し、1939年5月場所に於いて新入幕を果たした。 長身から繰り出す突っ張りは威力があり、それが上位へ進出する際の大きな武器になった。
江戸ヶ崎 源弥(えどがさき げんや、1781年(天明元年) … 江戸ヶ崎 源弥(えどがさき げんや、1781年(天明元年) - 1812年(文化9年)8月16日(旧暦7月10日))は、相模国大住郡四之宮村(現:神奈川県平塚市四之宮)出身で桐山部屋に所属した大相撲力士。本名は平野 源弥(ひらの げんや)。最高位は関脇。 1781年(天明元年)に相模国大住郡四之宮村(現:神奈川県平塚市四之宮)の旧・平野家に生まれる。1794年(寛政6年)に桐山部屋へ入門、1795年(寛政7年)3月場所で初土俵を踏んだ。四股名は出身地の郡名に因んで「大隅」とした。 1797年(寛政9年)3月場所から三段目昇進が決定した際に、四股名を「荒馬」に変更した。その後も順調に出世していき、1798年(寛政10年)には久留米藩・有馬候の抱え力士となった。
荒角 金太郎(あらかど きんたろう、生年不明 - 1882年… 荒角 金太郎(あらかど きんたろう、生年不明 - 1882年(明治15年)9月21日)は、相模国大住郡(現在の神奈川県厚木市) 出身で桐山部屋に所属した力士。本名は諸星 金太郎(後に二枚鑑札となった時に、桐山と改姓)。身長・体重は不明。最高位は西前頭3枚目。 荒井嵜繁藏(8代桐山)の養子として、1865年11月場所で初土俵(序ノ口)を踏む。1874年3月場所に西十両7枚目(十枚目格)に昇進。その後、十両で長く燻っていたが1879年6月場所に新入幕を果たした。その場所は東前頭8枚目で6勝1敗1休2預の優勝同点 の好成績を挙げた。餅肌の美男で人気が高かったと伝わる。1882年1月場所に9代桐山となり、二枚鑑札となった。
鎌倉 十七(かまくら としち(じゅうしち)、生没年不詳)は、… 鎌倉 十七(かまくら としち(じゅうしち)、生没年不詳)は、鎌倉出身の大相撲力士。 寛永頃(1624年-1645年)に活躍。黒柳 左茂右衛門(畔柳)ともいった。身長六尺二寸(188cm)体重三十一貫(121kg)。慶安年間に鳥取藩池田侯の抱え力士となり八人扶持七十石を賜ったという。 高原市兵衛星(後市入)咄には鎌倉十七の名の由来について、鎌倉にて名立たる相撲取りを集めて勧進相撲を行った際に本方(地元勢)が大きく勝ち越して寄方(遠征勢)から誰か出るものがいないのかとなった時に寄方の屋形から出て本方の相撲取りを片っ端から片付けてしまった。このとき十七歳だったことから「日の下開山鎌倉十七」と讃えられこれが名乗りとなったという。