石浦 外喜義(いしうら ときよし、1961年7月10日 - … 石浦 外喜義(いしうら ときよし、1961年7月10日 - )は、日本の高校教諭。鳥取城北高等学校の校長・相撲部総監督。ちゃんこ店経営者。石川県能美市出身。 担当教科は保健体育。相撲選手時代の体格は身長178cm、体重90㎏。元大相撲力士・石浦鹿介(現23代間垣)の父。 小学校時代には村の相撲大会に出てはいたが、この頃は本格的に相撲を取っていたわけでなく、相撲大会には景品目当てで出場していた。幼少期の石浦は相撲より野球が好きで、甲子園へ出場してプロ野球選手になりたいという夢を持っていた。 金沢高校は横綱・輪島の出身校であり、野球も甲子園出場経験があるなど決して弱くはなかったが、学校で怖い先生として恐れられていた顧問の岡大和に相撲部へ勧誘される。
広橋 百合子(廣橋 百合子、ひろはし ゆりこ、1916年5月… 広橋 百合子(廣橋 百合子、ひろはし ゆりこ、1916年5月12日 - 1977年4月26日)は、走高跳を専門とする日本の陸上競技選手、学校教師。結婚後の姓は長井(ながい)。石川県羽咋郡北荘村(現・宝達志水町)出身で、大島鎌吉と並ぶ石川県初のオリンピック選手である。元日本記録保持者。 黎明期の日本女子走高跳を支えた人物で、3度オリンピック出場を目指したが、実際に出場が叶ったのは1932年ロサンゼルスオリンピックの1度であった。 1916年(大正5年)5月12日、石川県羽咋郡北荘村小川(現・宝達志水町小川)にて5人きょうだい(1男4女)の三女として生まれる。実家は照覚寺という真宗大谷派の仏教寺院で、父は僧侶、母も羽咋の寺から嫁いだ人であった。
小島 伊佐美(こじま いさみ、1875年(明治8年)3月16… 小島 伊佐美(こじま いさみ、1875年(明治8年)3月16日 - 1945年(昭和20年)6月15日)は戦前日本のドイツ語教師。石川県士族。熊本市第五高等学校で44年間ドイツ語を教えた。 1875年(明治8年)3月16日石川県金沢に小島与次郎の長男として生まれた。原籍は川上新町3丁目12番地。1881年(明治14年)5月金沢の小学校に入学し、1888年(明治21年)11月共立尋常中学校(後の金沢一中)第2年級に編入、1892年(明治25年)4月第1回生として卒業し、同校予備科で嘱託教師を務めた。 1893年(明治26年)9月11日第四高等中学校本科第1年級に入学し、徳永富・蒲生重実にドイツ語を学んだ。
奥村 三策(おくむら さんさく、1864年4月27日(元治元… 奥村 三策(おくむら さんさく、1864年4月27日(元治元年3月22日) - 1912年(明治45年)1月2日)は、日本の盲目の盲学校教師。盲学校の職業教育に理療を確立させた。 1864年、加賀国(現在の石川県金沢市)で生まれる。3歳のときに失明した。8歳から加賀藩医久保三柳について鍼灸・按摩術を学んだ。研究意欲が旺盛で、西洋医学を学ぶことの必要を感じ、金沢医学専門学校の教師や学生について解剖・生理・病理などを学び、鍼灸・按摩術の研究をする。上京してさらに研鑽を積みたいという志を持つが、父親は盲人の一人旅に強く反対していた。その父親が亡くなったことから、1886年(明治19年)に上京し、築地の訓盲唖院に入学する。