勝武士 幹士(しょうぶし かんじ、1991年〈平成3年〉11… 勝武士 幹士(しょうぶし かんじ、1991年〈平成3年〉11月4日 - 2020年〈令和2年〉5月13日、本名:末武 清孝)は、山梨県甲府市出身で高田川部屋に所属した大相撲力士。 最後の出場となった2020年3月場所時点の体格は身長165.0cm、体重111.3kg、最高位は東三段目11枚目(2017年11月場所)。 現役中に死亡した力士の1人であり、2020年4月に新型コロナウイルス感染症のパンデミックの中で同感染症を発症し、同年5月に死去した。これは日本国政府が把握する限りで新型コロナウイルス感染症による日本国内初の20代での死亡事例であり、日本のプロスポーツ選手における初の死亡事例である。
緑富士 優(みどりふじ まさる、1974年8月2日 - )は… 緑富士 優(みどりふじ まさる、1974年8月2日 - )は、山梨県中巨摩郡田富町出身で阿武松部屋に所属した元大相撲力士。本名は大金優(おおがねまさる)。184.5cm、159.5kg。最高位は西幕下筆頭。現役後期には富士龍優耀(ふじりゅうまさる)の四股名を名乗っていた。 東京都八王子市生まれ。小学校に上がる前、父の転勤で山梨県中巨摩郡田富町に引っ越した。中学時代は水泳のバタフライの選手。ラグビーをやっていた兄と同様、体が大きかった。山梨県立谷村工業高校の清水監督に誘われ、同校の相撲部に入った。1年生のときは板倉将昭コーチの家に下宿して指導を受けた。3年次のインターハイは個人戦で全国ベスト32。
秀ノ花 行秀(ひでのはな ゆきひで、1965年2月10日 -… 秀ノ花 行秀(ひでのはな ゆきひで、1965年2月10日 - )は、山梨県韮崎市出身で放駒部屋(入門時は花籠部屋)に所属した元大相撲力士。本名は菊島 行秀(きくしま ゆきひで)。身長185cm、体重144kg。最高位は東十両5枚目(1988年7月場所)。得意技は右四つ、寄り。 中学卒業後の1980年3月場所に花籠部屋へ入門。輪島に出会ったことがきっかけであり、山梨県からの新弟子自体が少ないことからもそれ以前はまさか自分が入門するとは思っていなかったという。同期生には関脇・琴富士(粂川を経て現・タレント)や幕下付出デビューで同部屋に入門した十両・花嵐(現・プロレスラーの大黒坊弁慶)がいる。入門から約8年後の1988年5月場所で新十両、この場所は11勝4敗の成績で同期生の琴富士と決定戦の末、いきなり新十両優勝を果たす。
大乃花 武虎(おおのはな たけとら、1958年6月23日 -… 大乃花 武虎(おおのはな たけとら、1958年6月23日 - )は、山梨県東八代郡八代町(現・笛吹市)出身で大鵬部屋に所属した元大相撲力士。本名は大野 久好(おおの ひさよし)。身長189cm、体重148kg。得意手は右四つ、上手投げ。最高位は西前頭13枚目(1988年3月場所)。 兄・喜夫(よしお、1956年9月生まれ)は、高砂部屋の元三段目力士・八代錦(やしろにしき、初土俵:1972年7月、引退:1978年9月)。妻は、部屋の兄弟子・翔鵬(しょうほう、最高位・十両11枚目)の妹。 八代中学校では野球部で活躍したが、相撲にも興味を持ち、山梨県大会で2位の成績を残している。中学2年生の時、大鵬親方に直接入門を志願し、上京。
白根山 宗則(しらねやま むねのり、1950年3月11日 -… 白根山 宗則(しらねやま むねのり、1950年3月11日 - )は、現在の山梨県南アルプス市出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は深澤 宗則(ふかざわ むねのり)。188cm、113kg。最高位は東十両13枚目。得意技は右四つ、吊り。 中学卒業後に地元郵便局に1年半勤務後、大相撲を志し、猛反対する両親を兄に説得してもらい入門を果たした。1966年9月場所に16歳で初土俵。三段目を1場所で突破するなど順調に出世し、1968年5月場所に18歳の若さで幕下へ昇進するが7戦全敗と跳ね返された。その後は幕下と三段目を往復する日々が続いていたが、1971年頃から幕下に定着し、1972年3月場所に22歳で十両昇進を果たした。
吉田川 清四郎(よしだがわ せいしろう、1927年11月19… 吉田川 清四郎(よしだがわ せいしろう、1927年11月19日 - 没年不明 )は、山梨県富士吉田市出身(出生地は東京都八王子市横山町)で時津風部屋(入門時は音羽山部屋)に所属した大相撲力士。本名は真田 征四郎(さなだ せいしろう)。最高位は西前頭13枚目(1952年9月場所)。現役時代の体格は171cm、105kg。得意手は左四つ、寄り、押し。 13歳の時、元前頭2枚目・白岩が率いる音羽山部屋に入門し、1941年5月場所で初土俵を踏んだ。その後、師匠・音羽山が部屋経営から手を引いた事に伴い、1945年より双葉山道場(後の時津風部屋)へ移籍。 1949年10月場所で新十両に進み、その際に四股名を、本名でもある「真田」から郷土の地名に因んだ「吉田川」へ改めている。
甲斐ノ山 福人(かいのやま ふくひと、1921年3月4日 -… 甲斐ノ山 福人(かいのやま ふくひと、1921年3月4日 - 没年不明)は、山梨県東山梨郡塩山町(現・同県甲州市)出身で錦嶋部屋に所属した大相撲力士。本名は田草川 次夫(たくさがわ つぎお)。現役時代の体格は170cm、113kg。得意手は右四つ、寄り。引退後は、およそ9年半の間、年寄として後進の指導に努めた。 14歳の時に錦嶋部屋へ入門し、1935年5月場所で初土俵を踏んだ。 「大蛇嶋」の名で初めて番付に載るまでに3年近くを要し、その後も出世は遅々として進まず、1944年1月場所で漸く新十両に昇進。そして、これを機に、四股名を故郷・山梨県の旧称に因んだ「甲斐ノ山」に改めた。 以降は、幕下と十両との往復を繰り返した。
甲斐錦 勝(かいにしき まさる、1920年(大正9年)10月… 甲斐錦 勝(かいにしき まさる、1920年(大正9年)10月31日 - 没年不明)は、山梨県山梨市牧丘町(現役当時は東山梨郡中牧村)出身で、二所ノ関部屋(入門時は松ヶ根部屋)に所属した大相撲力士。本名は鶴田 勝(つるた まさる)。最高位は西前頭12枚目(1950年5月場所)。現役時代の体格は175cm、86kg。得意手は左四つ、吊り、寄り。 17歳の時に上京し、元小結・紅葉川が率いる松ヶ根部屋へ入門。1938年(昭和13年)5月場所で初土俵を踏んだ。同期生には、後の横綱・吉葉山や小結・大起などがいる。当初の四股名は、本名と同一の「鶴田」。改名後の「甲斐錦」は、故郷・山梨県の旧称・甲斐に因む。 三段目時代と新十両昇進時(1945年(昭和20年)6月場所後)に応召された事も災いして出世は遅れ、初土俵から新入幕(1949年(昭和24年)5月場所)まで、およそ11年を要した。
甲 吾郎(かぶと ごろう、1870年1月5日(明治2年12月… 甲 吾郎(かぶと ごろう、1870年1月5日(明治2年12月4日) - 1923年1月9日)は、山梨県巨摩郡(現・南アルプス市)出身で立川部屋、中村部屋、再度立川部屋に所属した力士。本名は五味 安吉。6代立川。168cm、90kg。最高位は東前頭4枚目。 1893年1月初土俵、1897年5月十両昇進。1903年1月新入幕、1909年から二枚鑑札、1913年1月に力士を引退。1911年から引退までは最年長幕内力士だった。 甲→甲斐ノ山→甲→兜→甲→立川