吉江 喬松(よしえ たかまつ、1880年9月5日 - 194… 吉江 喬松(よしえ たかまつ、1880年9月5日 - 1940年3月26日)は、フランス文学者、詩人、作家、評論家、早稲田大学教授。号は孤雁。
長野県:58人
吉江 喬松(よしえ たかまつ、1880年9月5日 - 194… 吉江 喬松(よしえ たかまつ、1880年9月5日 - 1940年3月26日)は、フランス文学者、詩人、作家、評論家、早稲田大学教授。号は孤雁。
窪田 空穂(くぼた うつぼ、1877年(明治10年)6月8日… 窪田 空穂(くぼた うつぼ、1877年(明治10年)6月8日 - 1967年(昭和42年)4月12日)は、日本の歌人・国文学者。日本芸術院会員。元早稲田大学教授。文化功労者。本名は窪田 通治。息子に、同じく歌人の窪田章一郎がいる。 草創期の「明星」に参加。浪漫傾向から自然主義文学に影響を受け、内省的な心情の機微を詠んだ。古典の評釈でも功績が大きい。詩歌集に『まひる野』(1905年)、歌集に『土を眺めて』(1918年)など。 長野県東筑摩郡和田村(現・松本市和田)生まれ。長野県尋常中学校(現長野県松本深志高等学校)から東京専門学校文学科に進学するも、一度中退。代用教員として働いていたときに校長の影響で作歌を始める。
太田 水穂(おおた みずほ、1876年(明治9年)12月9日… 太田 水穂(おおた みずほ、1876年(明治9年)12月9日 - 1955年(昭和30年)1月1日)は、明治期から昭和期の日本の歌人・国文学者。本名は太田貞一、別号・みづほのや。歌人・太田青丘は養子。 長野県東筑摩郡広丘村(現・塩尻市)に、太田億五郎の三男として生まれる。太田家は太田道灌の一族との伝がある。幼少から父より孝経の素読や百人一首の和歌を教えられる。 広丘高等小学校(現・塩尻市立広丘小学校)卒業後、長野県師範学校(現・信州大学教育学部)に進学。教師には高橋白山、浅井洌、高島平三郎がいた。在学中に詩歌に興味を持ち、文芸雑誌「文学界」に新体詩の投稿を始め、信濃毎日新聞に「和歌日抄」を掲載する。
高野 辰之(たかの たつゆき、1876年〈明治9年〉4月13… 高野 辰之(たかの たつゆき、1876年〈明治9年〉4月13日 - 1947年〈昭和22年〉1月25日)は、日本の国文学者、作詞家。文学博士(東京帝国大学・論文博士・1925年)(学位論文「日本歌謡史」)。号は斑山(はんざん)。 1876年、長野県水内郡永江村(現・中野市永江)の豪農の家に生まれた。1887年、豊津学校永江支校小学中等科を卒業。1890年3月、下水内高等小学校高等小学科を卒業。 1890年5月、永田尋常小学校授業生(代用教員)となった。しかし3年後の1893年、長野県尋常師範学校に入学。1897年3月には同師範学校を卒業した。1897年4月からは下水内高等小学校訓導となった。1898年6月、国語科の師範学校・尋常中学校・高等女学校教員免許状を取得。
小柳 司気太(おやなぎ しげた、1870年12月24日(明治… 小柳 司気太(おやなぎ しげた、1870年12月24日(明治3年11月3日)- 1940年(昭和15年)7月18日)は、日本の中国文学者、道教の研究者。新潟県出身[信頼性要検証]。東京帝国大学選科修了。旧姓は熊倉[信頼性要検証]。 越後国中蒲原郡小吉村(現・新潟県新潟市西蒲区)で、熊倉玄周の子として生まれる。父の死後、母方の叔父・小柳卯三郎の養子となる。1885年、粟生津村の私塾長善館に入門。1888年に上京。東京英語学校に入学するが、病気により一時退学、帰郷。1894年、東京帝国大学漢学科選科修了。藤田精一らと東亜学院を設立し、月刊誌『東亜説林』を刊行する。その後、広島尋常中学校教諭、真言京都中学校教諭を務める。
土橋 八千太(つちはし やちた、慶応2年10月28日(186… 土橋 八千太(つちはし やちた、慶応2年10月28日(1866年12月4日)- 昭和40年(1965年)3月11日)はカトリック司祭・天文学者・漢学者。上智大学第3代学長。洗礼名はパウロ。弟は日本で初めて電気炉製鋼を実用化した土橋長兵衛である。1964年勲三等瑞宝章受章。 慶応2年、信濃国諏訪郡下桑原村(甲州街道上諏訪宿)生まれ。明治14年(1881年)、前年に長野県上諏訪村小和田(現諏訪市)の小学校を卒業したばかりの八千太は、諏訪を訪れたパリ外国宣教会の宣教師・ジュル・ラングレーの説教に感激し、明治15年(1882年)カトリックの洗礼を受ける。 上京後の明治19年(1886年)に上海に渡って神学校のヨハネ学院で学び、明治21年(1888年)9月7日にイエズス会に入会する。
飯島 重孝(いいじま しげたか)は、日本の天文学者。 山梨県… 飯島 重孝(いいじま しげたか)は、日本の天文学者。 山梨県出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、東京工業大学大学院理工学研究科理学系博士課程修了。東京大学東京天文台(現・国立天文台)教授。定年退官後、電気通信大学教授、武蔵工業大学(現・東京都市大学)教授。
笠井 裕之(かさい ひろゆき)は、日本のフランス文学者、慶應… 笠井 裕之(かさい ひろゆき)は、日本のフランス文学者、慶應義塾大学法学部教授。 文学青年で、長野県屋代高等学校時代は文学部への入学を希望していたが、親戚から「文学をやって何になるんだ」と言われ、「つぶしのきく」法学部に入学。しかし政治の勉強には身が入らず、憂鬱な毎日を送っていた。そこで、履修していた一般教養科目のフランス文学の担当だった朝吹三吉に相談したところ、文学部への学士入学を勧められた。そして法学部卒業後、学士入学を果たし、フランス文学者の道を歩むこととなった。 ちなみに朝吹三吉の息子の朝吹亮二もフランス文学者であり、同じく慶應義塾大学法学部でフランス語を教えている。 専門分野はジャン・コクトーであり、いくつかの論文や共著の書籍を残している。