古田 啓昌(ふるた よしまさ、1966年 - 2021年)は… 古田 啓昌(ふるた よしまさ、1966年 - 2021年)は、日本国及びニューヨーク州弁護士。アンダーソン・毛利・友常法律事務所パートナー。岐阜県養老郡養老町出身。 祖父が地元選出の国会議員の後援会幹部をしていたことも影響し、当初は政治家を志望していたという。自分の周りに政治家がいなかったため、まずは官僚になろうと東京大学に入学。樋口陽一の憲法や塩野宏の行政法のゼミを履修していた。大学卒業後は自治省に入省するも、1年で辞め、弁護士となった。政治家になるための前段として自治省に入省したが、前例踏襲の慣習が合わなかったという。 国際的な商事の訴訟や仲裁を得意とする。蝶ネクタイがトレードマーク。在外日本人選挙権訴訟の原告側弁護団にも参加した。
棚橋 泰文(たなはし やすふみ、1963年〈昭和38年〉2月… 棚橋 泰文(たなはし やすふみ、1963年〈昭和38年〉2月11日 - )は、日本の政治家、弁護士、通産官僚。自由民主党所属の衆議院議員(11期)。 国家公安委員会委員長(第97代)、国土強靭化担当大臣、領土問題担当大臣、内閣府特命担当大臣(防災、海洋政策)、内閣府特命担当大臣(科学技術政策、食品安全、食育)、衆議院国家基本政策委員長・予算委員長、自由民主党青年局長、自由民主党幹事長代理、自由民主党党・政治制度改革実行本部長、自由民主党行政改革推進本部長を歴任した。 岐阜県大垣市で生まれる(現住所は大垣市御殿町1丁目)。小学校5年生から中学校2年生まで西ドイツで生活。東京学芸大学附属高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。
小鞠昭彦(こまり あきひこ、1959年4月12日 - )は日… 小鞠昭彦(こまり あきひこ、1959年4月12日 - )は日本の財務官僚、弁護士。 岐阜県出身。岐阜県立関高等学校、東京大学経済学部卒業。1982年 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1984年 大阪国税局調査部。1985年7月 主計局総務課調査主任。1986年7月 主計局総務課企画係長。1987年7月 関東信越国税局三条税務署長。1988年7月 農林水産省大臣官房企画室企画官。1991年 銀行局検査部管理課長補佐。1992年6月 外務省在オーストラリア日本国大使館一等書記官。1997年7月 内閣官房内閣審議官(内閣内政審議室)。1998年7月 預金保険機構特別業務部次長。1999年4月 預金保険機構総務部次長。
荒木 清寛(あらき きよひろ、1956年〈昭和31年〉6月1… 荒木 清寛(あらき きよひろ、1956年〈昭和31年〉6月1日 - )は、日本の政治家、弁護士。東京福祉大学名誉教授。 参議院議員(4期)、外務総括政務次官(第2次森内閣)、外務副大臣(第2次森改造内閣)、公明党参議院政策審議会長などを歴任した。現在は愛知県名古屋市在住。
小島 敏郎(こじま としろう、1949年3月23日 - )は… 小島 敏郎(こじま としろう、1949年3月23日 - )は、日本の環境官僚、弁護士。地球環境審議官を経て、青山学院大学教授、名古屋市経営アドバイザー、愛知県政策顧問、東京都特別顧問、都民ファーストの会東京都議団政務調査会事務総長等を歴任。 岐阜県多治見市生まれ。 1967年、愛知県立旭丘高等学校卒業。同級生の河村たかし名古屋市長は高校時代からの友人で、のちに環境官僚として当時衆院議員だった河村とともに、藤前干潟埋め立て阻止を行った。 1972年、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1973年、同第2類(公法コース)卒業。東大法学部在学中に国家公務員上級試験(法律職)に3番で合格し、司法試験にも合格。
羽柴 修(はしば おさむ、1949年3月14日 - )は、日… 羽柴 修(はしば おさむ、1949年3月14日 - )は、日本の弁護士。 岐阜県瑞浪市出身、岐阜県立多治見北高等学校卒業、新潟大学人文学部法律学科卒業。1975年4月神戸弁護士会弁護士登録。兵庫県弁護士九条の会事務局長で安倍内閣の目指していたオスプレイ配備、集団的自衛権、特定秘密の保護に関する法律などに反対の立場であった。九条の心ネットワーク代表でもあり、2016年5月には神戸で大規模な憲法集会を開催。これはこれまで別々に活動をしてきた全国労働組合総連合加盟の兵庫労連と日本教職員組合加盟の兵教組が初めて一緒に集会の実行委員会を結成して共同で活動するというものであった。 神戸連続児童殺傷事件の加害者の家族を支え続けている人物でもあった。
伊藤 鉄男(いとう てつお、1948年3月15日 - )は、… 伊藤 鉄男(いとう てつお、1948年3月15日 - )は、日本の検察官、弁護士。東京地方検察庁特捜部長、東京地方検察庁検事正、次長検事、総務省政治資金適正化委員会委員長、西村あさひ法律事務所オブカウンセルなどを歴任した。 岐阜県恵那市出身。1971年中央大学法学部卒業。1990年最高裁判所司法研修所教官。1993年東京地方検察庁検事。1999年東京地方検察庁刑事部長。2000年法務省大臣官房会計課長。2001年東京地方検察庁特別捜査部長。2002年甲府地方検察庁検事正。2004年最高検察庁検事。2005年東京地方検察庁次席検事。2006年東京高等検察庁次席検事。2007年東京地方検察庁検事正。
熊﨑 勝彦(くまざき かつひこ、1942年〈昭和17年〉1月… 熊﨑 勝彦(くまざき かつひこ、1942年〈昭和17年〉1月24日 - 2022年〈令和4年〉5月13日)は、日本の検察官、弁護士(第一東京弁護士会)。検察官として最高検察庁公安部長、東京地方検察庁特別捜査部長(東京地検特捜部長)などを務め、退官後には第13代日本野球機構コミッショナーなどを務めた。位階勲等は従三位瑞宝重光章。 1942年(昭和17年)1月24日、岐阜県益田郡萩原町(現・下呂市)出身。岐阜県立益田高等学校(現・岐阜県立益田清風高等学校)、明治大学法学部を経て、旧司法試験に合格。1972年、30歳で検事任官。同期に大林宏(検事総長)、横田尤孝(最高裁判所判事)、中尾巧(大阪高等検察庁検事長)、三井環(大阪高等検察庁公安部長)などがいる。
熊崎 勝彦(くまざき かつひこ、1942年1月24日 - )… 熊崎 勝彦(くまざき かつひこ、1942年1月24日 - )は、日本の元検察官、弁護士(第一東京弁護士会)、熊崎勝彦綜合法律事務所 所長。元・最高検察庁公安部長。東京地方検察庁特別捜査部長(東京地検特捜部長)を経験している。吉本興業株式会社顧問。第13代日本野球機構コミッショナー。
大脇 雅子(おおわき まさこ 1934年10月15日 - )… 大脇 雅子(おおわき まさこ 1934年10月15日 - )は、日本の政治家、弁護士。参議院議員(2期)、社会民主党政策審議会長、国際委員長を歴任した。 岐阜県岐阜市出身。名古屋大学法学部を卒業後、司法試験に合格し、司法修習を経て弁護士登録。労働・公害問題や家庭問題等、市民に密着した事案を数多く手がけた。1992年、PKO法闘争のなかで、砂川事件判決の裁判官だった伊達秋雄から「今こそ憲法擁護の大事な時」と促され、日本社会党からの国政進出を決意。第16回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、当選。以後2期12年間参議院議員を務め、護憲と共に男女雇用機会均等法、パートタイム労働者の権利保護法、環境アセスメント法、廃棄物処理法等の立法、改正に尽力した。
棚橋 祐治(たなはし ゆうじ、1934年10月13日 - )… 棚橋 祐治(たなはし ゆうじ、1934年10月13日 - )は、日本の弁護士。元通産官僚、第25代通商産業事務次官、石油資源開発社長、石油鉱業連盟会長。 岐阜県岐阜市生まれ。軍人であった父を3歳の時に亡くし、母と祖父母に育てられた。 岐阜県立岐阜北高等学校から東京大学法学部に入学。在学中は行政法・自治法が専門の田中二郎のゼミで学ぶ。ゼミの同期には片山虎之助(参議院議員、初代総務大臣)がいた。「広域行政の必要性」を説く田中からは自治省への入省を勧められ、片山も自治省でのキャリアを積む事となるが、棚橋は「日本はまだまだ経済発展が必要だ。出来るならば、産業政策を担う通産省に入りたい」と志した。 1958年、東大法学部を卒業し通商産業省入省。
古屋 亨(ふるや とおる、1909年1月6日 - 1991年… 古屋 亨(ふるや とおる、1909年1月6日 - 1991年6月20日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士、政治家。衆議院議員、自治大臣兼国家公安委員会委員長。正三位勲一等旭日大綬章。
安東 義良(あんどう よしろう、1897年(明治30年)5月… 安東 義良(あんどう よしろう、1897年(明治30年)5月4日 - 1986年(昭和61年)1月20日)は、日本の外交官、弁護士、政治家。位階は従三位、勲等は勲二等。衆議院議員(2期)。 岐阜県可児郡御嵩町出身。1922年東京帝国大学法学部卒業、外務省入省。1925年パリ大学卒業(法学博士)。 外務省調査部第3課長、欧亜局、大東亜省総務局長、1942年11月条約局長、同省政務局長、1945年退官。 1947年4月、第23回衆議院議員総選挙に岐阜2区から当選。衆議院では外務委員長を務める。1949年1月の第24回衆議院議員総選挙では落選するが1952年10月の第25回衆議院議員総選挙で返り咲き。
青木 徹二(あおき てつじ、1874年(明治7年)9月9日 … 青木 徹二(あおき てつじ、1874年(明治7年)9月9日 - 1930年(昭和5年)10月12日)は、明治期の検察官、弁護士、法学者。 岐阜県生まれ。岐阜中学校を中退し、1891年(明治24年)慶應義塾に入学。1897年(明治30年)に慶應義塾大学部法律科を卒業後時事新報社に勤める。翌年判検事試験に合格し、神戸区裁判所検事代理となるも1899年(明治32年)これを辞任し、再び時事新報社に入った。その後、慶應義塾の大学部教員養成のためドイツに派遣され、ベルリン大学などで学ぶ。1902年(明治35年)7月帰国後、大学部法律科で商法を講じた。1910年(明治43年)法学博士となる。1920年(大正9年)、雑誌『東方時論』に「続世相審かし論」を投稿し、不敬罪の廃止を唱えたため、新聞紙法違反で禁固4ヶ月の判決を受ける。
松野 祐次郎(まつの ゆうじろう、万延元年12月5日(186… 松野 祐次郎(まつの ゆうじろう、万延元年12月5日(1861年1月15日) - 大正3年(1914年)11月22日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党)、弁護士。 美濃国不破郡青野村(現在の岐阜県大垣市)に栗田武兵衛の長男として生まれ、松野清之助の養子となった。1878年(明治11年)、岐阜県立師範学校を卒業。明治法律学校(現在の明治大学)に学び、弁護士試験に合格。弁護士の業務に従事する傍ら、岐阜県会議員、同副議長、同議長に選出された。 1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙で当選を果たした。