杉浦 誠司(すぎうら せいじ、1976年9月10日 - )は… 杉浦 誠司(すぎうら せいじ、1976年9月10日 - )は、日本の書家・思想家。岐阜県多治見市出身。岐阜県多治見市観光大使。 「文字職人」を公称し、作品発表のほか文字を通じた講演活動を行っている。 めっせー字は、杉浦誠司が伝えたいひらがなのメッセージで漢字が作られているものである。
岐阜県:3人
杉浦 誠司(すぎうら せいじ、1976年9月10日 - )は… 杉浦 誠司(すぎうら せいじ、1976年9月10日 - )は、日本の書家・思想家。岐阜県多治見市出身。岐阜県多治見市観光大使。 「文字職人」を公称し、作品発表のほか文字を通じた講演活動を行っている。 めっせー字は、杉浦誠司が伝えたいひらがなのメッセージで漢字が作られているものである。
茂住 修身(もずみ おさみ、1956年〈昭和31年〉 - )… 茂住 修身(もずみ おさみ、1956年〈昭和31年〉 - )は、日本の書家・内閣府職員。号は菁邨(せいそん)。 岐阜県吉城郡古川町(現・飛騨市古川町)にて生まれ育つ。1974年(昭和49年)、岐阜県立斐太高等学校卒業。1980年(昭和55年)、大東文化大学経済学部経済学科卒業。 大学時代は書道学科ではなく経済学部に在籍し、書道部に入部して部長を務めた。元々書道を志して入学したわけではなく「たまたま入部して書道という好きなものを見つけてしまった」と述べている。 1980年(昭和55年)4月、総理府(現、内閣府)に入府、2005年(平成17年)内閣府大臣官房人事課辞令専門官となる。これまでに国民栄誉賞の賞状や内閣総理大臣表彰の揮毫(手書きの筆文字の指導)のほか辞令などを担当し、2016年(平成28年)3月に定年退職。
山本 竟山(やまもと きょうざん、文久3年9月28日〈186… 山本 竟山(やまもと きょうざん、文久3年9月28日〈1863年11月9日〉 - 1934年〈昭和9年〉1月24日)は、近代日本の書家。名は由定。竟山、聾鳳と号した。美濃国厚見郡岐阜町(現在の岐阜県岐阜市)の出身。 書は日下部鳴鶴に師事した。明治35年(1902年)楊守敬を慕って清国(現在の中国)に渡り書法を学んだ。以後中国に遊学すること7回に及んだ。そこで楊守敬のほか呉昌碩、顧麟士らと交流して書学を研鑽し、多数の法帖碑版を日本へもたらした。明治時代の末には京都へ転居し多くの子弟を教育して関西の書壇に新風を吹き込んだ。学書の基本をいつも古典の臨書においていた人であり、個性を尊び、創造性と自主性のある書を書くことを心がけたという。