袴田 佳名瑚(はかまた かなこ、2001年12月16日 - … 袴田 佳名瑚(はかまた かなこ、2001年12月16日 - )は、静岡県出身の、日本の柔道選手である。階級は57kg級。身長161cm。血液型B型。組み手は左組み。得意技は大外刈。 柔道は6歳の時に育誠館道場で始めた。小学校6年の時に和道場へと移り、全国小学生学年別柔道大会は小学校5年の時に40kg級の2回戦、6年の時には45kg級の3回戦でそれぞれ敗れた。浜北北部中学2年の時に全国中学校柔道大会52kg級の3回戦で敗れるが、3年の時には決勝まで進むも堀江中学3年の藤城心に有効で敗れて2位だった。 藤枝順心高校に進むと、1年の時には全日本カデ57kg級の初戦で敗れた。全国高校選手権では準決勝で夙川学院高校2年の金知秀に技ありで敗れて3位だった。
米川 明穂(よねかわ あきほ、2001年11月12日 - )… 米川 明穂(よねかわ あきほ、2001年11月12日 - )は、静岡県出身の、日本の女子柔道選手。階級は78kg超級。身長165cm。体重95kg。組み手は左組み。血液型はO型。得意技は払腰。 柔道は5歳の時に大東柔道クラブで始めた。小学校6年の時に全国小学生学年別柔道大会45kg超級に出場するも3回戦で敗れた。藤枝順心中学2年の時に全国中学校柔道大会の70kg超級で5位となった。3年の時には全国中学校柔道大会で6試合のうち5試合を一本勝ちして優勝を飾った。団体戦では決勝トーナメント初戦で東松山北中学と対戦すると、代表戦で3階級下の57kg級の中学チャンピオンである五十嵐日菜に圧倒されて内股で敗れた。
鈴木 茉莉(すずき まり、1997年6月12日 - )は、静… 鈴木 茉莉(すずき まり、1997年6月12日 - )は、静岡県出身の日本人の女子柔道選手である。階級は48kg級。身長145cm。血液型はO型。段位は初段。組み手は右組み。得意技は背負投。 柔道は5歳の時に柔清会で始めた。小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会の40kg級で3位になった。6年の時には45kg級に出場するが、決勝トーナメント1回戦で敗れた。藤枝順心中学3年の時には全国中学校柔道大会44kg級で2位になった。藤枝順心高校に進むと、1年の時には全日本カデにおいてオール一本勝ちの優勝を飾った。続く世界カデでも優勝した。試合後には、「外国人選手対策を積み、勝ててよかった。今後はオリンピックや世界選手権で結果を残せる選手になりたい」と語った。
佐藤 和哉(さとう かずや、1995年4月6日 - )は、静… 佐藤 和哉(さとう かずや、1995年4月6日 - )は、静岡県出身の、日本の柔道家である。階級は100 kg超級。身長180 cm。体重105 kg。段位は三段。組み手は右組み。得意技は大外刈。現在は日本製鉄所属。 柔道は9歳の時に始めた。静岡学園中学3年の時に全国中学校柔道大会90kg級で決勝まで進むが、国士舘中学の江畑丈夫に払巻込で敗れて2位だった。 静岡学園高校1年の時には全日本カデ90kg超級の準決勝で国士舘高校の田崎健祐に大外刈で敗れて3位だった。高校選手権の無差別では準決勝で東海大浦安高校のウルフ・アロンに小外掛で敗れて3位だった。高校2年の3月には全日本選手権の東海予選に出場すると、決勝リーグで2勝1敗の成績を収めて2位となり本大会への出場権を獲得した。
橋本 壮市(はしもと そういち、1991年8月24日 - )… 橋本 壮市(はしもと そういち、1991年8月24日 - )は、日本の柔道家。静岡県浜松市出身。階級は73kg級。身長170cm。段位は五段。パリオリンピック柔道男子73kg級銅メダリスト。得意技は「橋本スペシャル」と称される変形の袖釣込腰、一本背負投。現在はパーク24に所属。座右の銘は広壮豪宕。 柔道は6歳の時に地元浜松市の育誠館道場で始めた。 東海大相模中学2年の時に全国中学校柔道大会66kg級で3位になると、3年の時には73kg級で2位になった。 東海大相模高校3年になると、金鷲旗とインターハイでは同級生の羽賀龍之介や藤井岳、2年の王子谷剛志らとともに優勝に貢献して、1987年の世田谷学園高校以来、史上2校目の2年連続高校3冠を達成した。
加賀谷 千保(かがや ちほ、1990年4月19日 - )は、… 加賀谷 千保(かがや ちほ、1990年4月19日 - )は、静岡県静岡市出身の、日本人の女子柔道選手である。階級は52kg級。身長159cm。血液型はA型。組み手は左組み。段位は弐段。得意技は内股。結婚して垣田姓となった。 柔道は7歳の時に静岡東部柔道クラブで始めた。観山中学3年の時に全国中学校柔道大会52kg級に出場するが初戦で敗れた。藤枝順心高校1年の時に全日本ジュニアで3位になった。2年の時にロシアジュニア国際に出場するが5位にとどまった。この時に48kg級で優勝した1つ年上である藤村女子高校3年の浅香夕海に、「加賀谷ってなんか妖怪みたいだよね」と言われたことがきっかけで妖怪というあだ名が定着することになってしまったが、本人は「妖怪ですけど、何か?」とこの事態を開き直っていた。
平井 希(ひらい のぞみ、1986年9月19日 - )は、静… 平井 希(ひらい のぞみ、1986年9月19日 - )は、静岡県出身の日本の柔道家。57kg級の選手。身長164cm。組み手は左組み。段位は弐段。得意技は小内刈。現在は自衛隊体育学校に所属する陸上自衛官(2等陸曹)。 柔道は6歳の時に始めた。中学になると神奈川県相模原市にある相武館吉田道場に入門して寮生活を送ることになった(この道場の3年後輩には中村美里もいた)。相原中学2年の時に出場した全国中学校柔道大会の個人戦57kg級では2位に終わったものの、団体戦ではチームの優勝に貢献した。3年の時には団体戦は5位だったものの、個人戦では63kg級に階級を上げて優勝を果たした。その後、東海大相模高校に進学するが、女子部員が他にいなかったためよく東海大学へ出稽古に通っていた。
宮本 樹理(みやもと じゅり、1983年5月30日 - )は… 宮本 樹理(みやもと じゅり、1983年5月30日 - )は、愛媛県北宇和郡吉田町出身の日本の柔道家。階級は57kg級。身長160cm。得意技は内股、大腰。現姓は小國。 3歳の時に水泳とピアノを習い出すと、小学校1年生からはダンスも始めた。また、母親の兄たちは地元で知られた柔道兄弟だけあって、柔道も盛んに勧められたものの、あまり良いイメージを持っていなかったので拒んでいた。しかし、小学校4年生の時に立ち寄ったうどん屋の「国安」でテレビを見ていたら、「愛媛のYAWARAちゃん」として取り上げられていた小学校6年生の風戸晴子が男子をバンバン投げている姿を見てかっこよく思えたこともあり、これをきっかけとして地元の吉田柔道会で柔道を始めることになった。
岩藤 理恵(いわふじ りえ、1981年1月14日 - )は、… 岩藤 理恵(いわふじ りえ、1981年1月14日 - )は、静岡県出身の日本の柔道家。57kg級の選手。身長163cm。組み手は左組み。得意技は内股、大外刈。 柔道は13歳の時に滝井道場で始めた。長田西中学から静岡商業高校へ進むが、2年の時に出場した全国高校選手権63kg級でベスト16にとどまるなど、この当時は大きな実績を上げていない。1999年に住友海上へ入社してから力を付け始めて、2003年の講道館杯57kg級では決勝で会社の2年先輩である茂木仙子に敗れるも2位となった。青島国際では2位、福岡国際では3位に入った。また、この年から実業個人選手権で3連覇を果たした。2004年の選抜体重別では決勝で茂木を破って優勝を飾った。
大村 昌弘(おおむら まさひろ、1978年11月5日 - )… 大村 昌弘(おおむら まさひろ、1978年11月5日 - )は、埼玉県出身の日本の柔道選手である。階級は100kg超級。身長182cm。 小学校1年の時に体が大きかったことから、近所の道場で柔道を始めた。秩父第一中学から沼津学園高校へ進むと、2年の時には全国高校選手権の無差別で3位になった。1997年には中央大学へ進学して元中量級世界チャンピオンである津沢寿志の指導を受けることになった。2年と3年の時に優勝大会では3位に入った。4年の時にはチームの主将に選ばれた。優勝大会では決勝で明治大学と対戦すると相手エースの棟田康幸に警告で敗れるも、チームは5-1で勝利して実に24年ぶりの優勝を勝ち取ることになった。
久保田 有希(くぼた ゆうき、1974年8月28日 - )は… 久保田 有希(くぼた ゆうき、1974年8月28日 - )は、日本の女性総合格闘家、柔道家。静岡県沼津市出身。
窪田 茂(くぼた しげる、1973年6月11日 - )は、静… 窪田 茂(くぼた しげる、1973年6月11日 - )は、静岡県富士市出身の日本の柔道家。現役時代は100kg級の選手。身長187cm。得意技は内股。 柔道は小学校4年生の時に始めた。中学には柔道部がなかったのでバスケットボール部に所属していた。3年の時に全国中学校柔道大会に出場するが、上位には進めなかった。東海大相模高校に進むと、1年の全国高校選手権団体戦では2位になった。2年の時には金鷲旗決勝の大将戦で世田谷学園高校エースの田辺勝を合技で破ってチームを優勝に導いた。インターハイ団体戦でも優勝を飾った。全国高校選手権個人戦無差別では、準決勝で71kg級の選手である東海大第五高校の中村兼三を技ありで破ると、決勝でも沖縄尚学高校の真喜志慶治を判定で破って優勝するが、団体戦では決勝で沖縄尚学高校と対戦すると、真喜志に判定で敗れてチームも2位に終わった。
大原 尚喜(おおはら なおき、1973年1月15日 -)は静… 大原 尚喜(おおはら なおき、1973年1月15日 -)は静岡県出身の日本の柔道家。現役時代は95kg級の選手。身長187cm。 東海大第一中学から東海大第一高校へ進むと、3年の時にはインターハイの軽重量級に出場するが予選リーグで敗れた。新人体重別の95kg級では3位となった。1991年に東海大学へ進むと、1年の時には新人体重別で3位となった。3年の時には正力杯に出場すると、福岡大学3年で190cmの宗真一郎との国内のこの階級では珍しい190cm前後の選手同士による決勝となり、谷落で破って優勝を飾った。優勝大会では3位となった。4年の時には正力杯では決勝で筑波大学4年の湊谷知幹を崩袈裟固で破って2連覇を達成したが、優勝大会では3位だった。
溝口 紀子(みぞぐち のりこ、1971年7月23日 - )は… 溝口 紀子(みぞぐち のりこ、1971年7月23日 - )は、日本の柔道家。学位は博士(学術)(東京大学・2015年)。公益財団法人全日本柔道連盟評議員、日本武道学会評議員。
佐々木 光(ささき ひかり、1967年10月4日 - )は、… 佐々木 光(ささき ひかり、1967年10月4日 - )は、静岡県沼津市出身の女子柔道選手。一時期に「山田」姓でも活動。柔道六段。
石川 裕章(いしかわ ひろあき、1953年2月20日 -)は… 石川 裕章(いしかわ ひろあき、1953年2月20日 -)は静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の日本の柔道家。現役時代は95kg級の選手。身長182cm。得意技は内股 清水東高校から中央大学に進んだ。1年の時に全日本新人体重別重量級で2位となった。4年の時には世界学生の個人戦軽重量級と団体戦で優勝を飾った。卒業後は日立製作所所属となると、1976年には講道館杯95kg級で新日鉄の岩田久和を破って優勝した。その後、佐久間接骨院に所属を変更すると、1979年の選抜体重別で優勝を果たして世界選手権代表に選ばれた。世界選手権では初戦でベルギーのロベルト・バンドワールに双手刈で効果を取られて敗れると、敗者復活戦を勝ち上がった3位決定戦でも西ドイツのギュンター・ノイロイターに払腰で敗れて5位に終わった。
西 文雄(にし ふみお、1897年1月10日 - 1990年… 西 文雄(にし ふみお、1897年1月10日 - 1990年9月3日)は、日本の柔道家(講道館8段、大日本武徳会範士)。 主に福岡県に拠点を置き、選手として熊本・福岡対県試合や全日本選士権大会で活躍する傍ら、福岡・満州対抗試合や全日本東西対抗大会の開催に尽力するなど柔道界の運営にも携わった。その技量は名人・達人の域に達していたと云われるが、晩年は故あって講道館と全日本柔道連盟に反目し、柔道界からは距離を置いて過ごした。 東京府青梅市の出身。中学生となって静岡県浜松市の旧制浜松中学校(現・県立浜松北高校)に在学中、他校の柔道教師であった戸田順吉に傾倒し、1915年に旧制浜松中学校を卒業するのと前後して戸田が指導する静岡市の講道館分道場義正館へ入門した。
岡井 富喜子(おかい ふきこ)は、静岡県出身の日本の柔道家。… 岡井 富喜子(おかい ふきこ)は、静岡県出身の日本の柔道家。現役時代は56kg級の選手。 浜松商業高校時代の1980年には、体重別選手権56kg級決勝で無職の星野佐代子に敗れて2位だった。1981年の初頭に開催された強化選手選考会では3位だった。体重別選手権でも3位にとどまった。浜松信金に所属していた1982年の体重別選手権では、決勝で衣笠中学2年の呉山貴子を破って優勝を飾り、世界選手権代表に選出された。パリで行われた世界選手権では初戦を突破するも、2回戦でスイスのインゲ・クラッセルに腕挫十字固で敗れた。 (出典、JudoInside.com)
橋本 真由美(はしもと まゆみ)は、静岡県出身の日本の柔道家… 橋本 真由美(はしもと まゆみ)は、静岡県出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級及び52kg級の選手。 浜名中学2年の時に体重別選手権及び強化選手選考会の48kg級で早くも3位になった。3年の時には体重別選手権の決勝で東海大学4年の斉田己幸を破って、山口香以来史上2人目となる中学生での全国チャンピオンになった。福岡国際では準決勝で世界チャンピオンであるイギリスのカレン・ブリッグスに優勢負けするなどして5位にとどまった。 浜北西高校1年の時には強化選手選考会の決勝で水谷中学2年の鈴木若葉を破って優勝を飾った。2年の時には強化選手選考会の52kg級で3位になった。 (出典、JudoInside.com)
塚田 信哉(つかだ のぶや)は静岡県出身の日本の柔道家。現役… 塚田 信哉(つかだ のぶや)は静岡県出身の日本の柔道家。現役時代は71㎏級の選手。 東海大第一高校から東海大学へ進むと、2年の時に新人体重別71kg級で3位になった。4年の時には正力杯で3位になると、正力国際では決勝で京都産業大学4年の生田浩三を崩上四方固で破ったのを始め、得意の寝技でオール一本勝ちして、寝技のスペシャリストとしての貫禄を示した。引退後は東海大高輪台高校や東海大翔洋高校の教員などを経て、東海大学のスポーツ教育センター勤務となった。 (出典、JudoInside.com)。