土肥 潤也(どひ じゅんや、1995年〈平成7年〉 - )は… 土肥 潤也(どひ じゅんや、1995年〈平成7年〉 - )は、日本の社会事業家。学位は修士(社会科学)(早稲田大学・2019年)。一般社団法人トリナス代表理事、特定非営利活動法人わかもののまち代表理事、一般社団法人Next Commons Lab理事(ローカルベンチャー事業担当)、セブンセンスグループ執行役員(ソーシャルマーケティング担当)、アーツカウンシルしずおかアソシエイト。 特定非営利活動法人Rights理事、特定非営利活動法人わかもののまち代表理事、一般社団法人Next Commons Labコーディネーターなどを歴任した。 静岡県出身のコミュニティファシリテータ―である。大学在学中より特定非営利活動法人の活動に参加していた。
荻野 幸太郎(おぎの こうたろう、1980年 - )は、日本… 荻野 幸太郎(おぎの こうたろう、1980年 - )は、日本の著作家、表現の自由活動家。NPO法人うぐいすリボン理事(代表)、情報法制研究所上席研究員。 静岡県富士市出身。静岡大学大学院修士課程修了。学生時代からボランティアとしてNPO設立の支援に携わり、ふじのくにNPO活動センターセンター長などを務めていた。2009年にNPO法人プラットフォーム静岡の役員となった。2011年にうぐいすリボンを設立する。 2017年に警察が漫画家のもとを訪れ表現の配慮を求めた件について、「このようなやり方は表現者にとって大きなプレッシャーになる」として懸念を示した。 2023年に、永山薫のミニコミシリーズ『マンガ論争』上で、山本直樹と対談した。
石川 雅俊(いしかわ まさとし、1979年12月21日 - … 石川 雅俊(いしかわ まさとし、1979年12月21日 - )は、日本の医師、実業家、政治活動家、投資家、大学教授、経営コンサルタント。学位は博士(医療福祉経営学)(国際医療福祉大学・2012年)。まめクリニックグループ代表。KPMGヘルスケアジャパン株式会社マネージャー、国際医療福祉大学大学院医療経営管理分野准教授、厚生労働省医政局総務課課長補佐などを歴任した。 1979年、静岡県湖西市生まれ。2005年、筑波大学医学専門学群卒業。卒後臨床研修を経てKPMGヘルスケアジャパン株式会社に参画、2012年よりマネジャー。2014年より国際医療福祉大学大学院医療経営管理分野准教授、厚生労働省医政局総務課長補佐、ハーバード大学武見フェローを経て現職。
市来 広一郎(いちき こういちろう、1979年 - )は、静… 市来 広一郎(いちき こういちろう、1979年 - )は、静岡県熱海市を拠点とし、地域おこしに従事する活動家、実業家。株式会社machimori代表取締役、株式会社マチモリ不動産取締役、NPO法人atamista代表理事、一般社団法人グリーンエネルギー推進協議会理事、一般社団法人ジャパンオンパク理事、一般社団法人日本まちやど協会理事、一般社団法人熱海市観光協会理事、熱海銀座商店街振興組合理事。東京都立大学大学院理学研究科(物理学)修了。 静岡県熱海市で生まれ育つ。静岡県立韮山高等学校、東京都立大学理学部物理学科を卒業。両親は銀行が保有する保養所の管理人として働き、保養所を実家として育った。中学生の頃にバブル崩壊。
寺井 良夫(てらい よしお、1957年8月 - )は、日本の… 寺井 良夫(てらい よしお、1957年8月 - )は、日本の社会事業家、一般社団法人SAVE IWATE理事長。いわてNPO災害支援ネットワーク共同代表。工学修士(東京工業大学)。技術士(建設部門)。 1957年、静岡市生まれ。1976年、静岡県立静岡高等学校卒業。1977年、東京工業大学第六類入学。1981年、東京工業大学工学部社会工学科卒業。1983年、東京工業大学大学院理工学研究科社会工学専攻修士課程修了(工学修士)。同年、現地密着の地域開発・まちづくりを行いたいと考え、岩手県盛岡市のまちづくりコンサルタント会社、邑計画事務所に入社。2001年、邑計画事務所代表取締役。 2011年、東日本大震災当日は停電でテレビが映らず、翌日、津波被害を知り、盛岡から宮古市に入り惨状に呆然とした。
水島 総(みずしま さとる、1949年(昭和24年)6月18… 水島 総(みずしま さとる、1949年(昭和24年)6月18日 - )は、日本の経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー、政治活動家、日本文化チャンネル桜代表取締役社長。頑張れ日本!全国行動委員会幹事長
川島 宏(かわしま ひろし、1942年頃 - 2022年6月… 川島 宏(かわしま ひろし、1942年頃 - 2022年6月3日)は、日本の新左翼活動家(赤軍派)。アーバンデザイナー。 東大全共闘の主要なメンバーで、東大闘争を最初から最後まで戦い敗北した。大菩薩峠事件以後、赤軍派に身を投じ、よど号ハイジャック事件、PBM作戦を主要な立場で担った。1970年7月11日逮捕され、実刑。のちに川島宏祥と改名し、アーバンデザインの設計者として後半生を生きた。 静岡県静岡市に生まれる。士族だった家系で、地主の父親は自由党選出の静岡県議会議員だった。父とは9歳の時に死別した。1960年6月15日、静岡市での反安保デモに参加。1961年、静岡県立静岡高等学校卒業。1962年、東京大学理科一類に進学。
油井喜夫(ゆい よしお、 1940年 - )は、日本の社会運… 油井喜夫(ゆい よしお、 1940年 - )は、日本の社会運動家、社会運動研究家。新日和見主義事件に遭い、のちにこれを考察する書籍を著した。 6歳のとき中国・遼寧省遼陽より引揚。静岡県立藤枝東高等学校、通信教育課程を経て慶應義塾大学を卒業。静岡県職員、司法書士などに従事。 労働組合運動、青年運動などに携わる。日本民主青年同盟班長・同地区委員長・同県委員長・同中央委員、日本共産党静岡県委員などを歴任。 日本共産党静岡県委員、日本民主青年同盟中央委員・静岡県委員長在任時の1972年5月、分派活動の疑いで査問され、処分を受ける。これらの役職をすべて罷免され、足かけ3年にわたって党員権を停止された。(新日和見主義事件) 以後事件について沈黙を守っていたが、川上徹が事件の実態や問題点を世に問う『査問』(筑摩書房)を1997年12月に刊行したことをきっかけに、自身の経験を通して事件について明らかにすることを決意。
生田 浩二(いくた こうじ、1933年〈昭和8年〉2月3日 … 生田 浩二(いくた こうじ、1933年〈昭和8年〉2月3日 - 1966年〈昭和41年〉3月23日)は、日本の社会主義運動家。共産主義者同盟(共産同・ブント)創立者。 静岡県静岡市出身。静岡城内高校2年の時、共産党に入党。1952年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。同年東京大学入学。教養学部細胞のリーダーとして活動。共産党が武装闘争路線を転換した1955年(昭和30年)の六全協の後、大学に戻り、授業料値上げ反対闘争を指導。1956年(昭和31年)、経済学部に進み、自治会中央委員会議長として砂川基地反対闘争などを指導。1958年(昭和33年)、東大細胞機関誌「マルクス・レーニン主義」を創刊、党中央と理論的に対立し、島成郎らとブントを組織、1959年(昭和34年)8月事務局長。
影山 健(かげやま けん、1930年8月1日 - 2016年… 影山 健(かげやま けん、1930年8月1日 - 2016年6月16日)は、日本の体育学者、市民活動家。愛知教育大学名誉教授。 管理教育に反対し、様々な市民運動を牽引したことで知られる。学究生活のかたわら、名古屋オリンピック招致反対運動や愛知万博反対運動などにも深く関わった。 静岡県静岡市生まれ。師範学校の教師だった父親の異動に伴い、3歳で静岡市を離れ、福島県、長野県などを転々とした。福島県少年スキー大会で滑降3位を記録した。 6度目の引っ越しとなる16歳のときに愛知県に移住。豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)に入学。1951年(昭和26年)、岡崎高等師範学校卒業。1953年(昭和28年)3月、東京教育大学体育学部卒業。
西田 勝(にしだ まさる、1928年11月10日 - 202… 西田 勝(にしだ まさる、1928年11月10日 - 2021年7月31日 )は、日本の文芸評論家、平和運動家。 1928年11月10日、静岡県清水市(現・静岡市清水区)に生まれる。1945年3月、県立清水中学校(現・清水東高)卒業。1947年3月、浜松工業専門学校応用化学科(現・静岡大学工学部)中退。1950年3月、旧制静岡高等学校文科甲類を卒業。1953年3月、東京大学文学部国文学科卒業、1955年3月、同大大学院(旧制)を退学。法政大学文学部非常勤講師を経て1971年4月、同学部助教授、1973年4月、教授となる。1994年3月、退職。同年4月、「西田勝・平和研究室」を設立。 1953年4月、新たな日本近代文学像を求めて小田切秀雄らと日本近代文学研究所を創立、「幻の雑誌」といわれた『驢馬』や『種蒔く人』などの散逸していた号冊を収集しての復刻版を出し、その延長として「近代文学図書館」の構想を立て、日本近代文学館の創設に尽力した。
樋口 篤三(ひぐち とくぞう、1928年3月8日 - 200… 樋口 篤三(ひぐち とくぞう、1928年3月8日 - 2009年12月26日)は、日本の労働運動家、社会運動家、ジャーナリスト。 静岡県沼津市出身。旧制静岡県沼津商業学校、 海軍甲種飛行予科練習生を経て、横浜高等商業学校を卒業。1947年から労働運動に参加し、産別会議東芝堀川町労組書記や日本共産党専従などを務めた。権力・資本からは五回首を切られ、共産党からは二回除名(1951年3月、1965年2月)されたとされる。 ベトナム反戦運動期には共産主義労働者党の中心メンバーであり、1971年の分裂時には春日庄次郎などと労働者革命派(後の労働者党全国委員会)を結成して議長に就任した。 1975年から1986年、雑誌『季刊労働運動』代表を務めた。
黒田 秀俊(くろだ ひでとし、1905年4月15日-1989… 黒田 秀俊(くろだ ひでとし、1905年4月15日-1989年6月14日)は、日本のジャーナリスト、社会運動家。 静岡県下田市出身。明治大学政治経済学科中退、明治大学新聞高等研究科修了。 1938年中央公論社入社、42年南方派遣、のち「中央公論」編集長となり、44年横浜事件及び改造社、中央公論社解散に遭遇。 戦後は原水協事務局長、基地問題文化人懇談会事務局長、日本平和委員会常任理事などを務め、晩年は東京都中野区の教育委員準公選運動などに関わった。
狩野 敏(かの びん、1901年(明治34年)4月1日 - … 狩野 敏(かの びん、1901年(明治34年)4月1日 - 1981年(昭和56年)10月8日)は、日本の右翼活動家。元拓殖大学理事長。狩野を「かのう」と読むものもある。 1919年(大正8年)、静岡県立静岡中学校卒業。1920年(大正9年)、拓殖大学入学。1922年(大正11年)10月、「魂の会」設立。1924年(大正13年)3月、拓殖大学支那語科卒業。同年、日本新聞入社。1925年(大正14年)、静岡市でカフェー経営(〜1930年(昭和5年)4月)。1925年(大正14年)、静岡聖刃社結成。 1930年(昭和5年)、大川周明の思想に共感し、行地社本部で専任事務、機関誌月刊「日本」の編集発行にあたり、その腹心的役割を果たす。
佐野 隆一(さの りゅういち、1889年8月1日 - 197… 佐野 隆一(さの りゅういち、1889年8月1日 - 1977年5月29日)は、日本の実業家・慈善家。自身が設立した鉄興社(現・東北東ソー化学)を日本有数の総合電気化学メーカーに成長させ、社長・会長を務めた。また、自身が蒐集した古美術品をもとに佐野美術館を設立したほか、出身地の三島市にたびたび寄付を行い、図書館や学校、福祉施設などの開設に貢献した。「三島のお父さん」と呼ばれ、三島市名誉市民(第1号)に推挙されている。静岡県田方郡三島町(現・三島市)出身。 1889年(明治22年)8月1日、静岡県田方郡三島町久保町(現・三島市中央町)の商家に生まれた。父親は佐野米吉、母親はたみであり、実家は秋月堂という和菓子舗を営んでいた。
天野 藤男(あまの ふじお、1887年(明治20年)9月25… 天野 藤男(あまの ふじお、1887年(明治20年)9月25日 - 1921年(大正10年)10月10日)は、日本の社会事業家、教育者。処女会創設者。 1887年(明治20年)、静岡県庵原郡庵原村(現・静岡市)に生まれる。1907年(明治40年)、静岡県立静岡中学校卒業。庵原小学校の代用教員を務める。宮内省に出仕していた漢詩人国府種徳(犀東)に才能を認められて内務省嘱託となり、同省の地方局に勤務。青年団や処女会の指導に当たり、1918年(大正7年)、処女会中央部を結成して雑誌「処女の友」や「青年団及び処女会」「大正新処女読本」などを発行・編集。 また、映画「都に憧れて」(監督:金森萬象)を製作し好評を博すなど、処女会の普及・発展に大きく貢献した。