藤凌駕 雅治(ふじりょうが まさはる、2003年2月27日 … 藤凌駕 雅治(ふじりょうが まさはる、2003年2月27日 - )は、愛知県春日井市出身で、藤島部屋所属の現役大相撲力士。本名及び旧四股名は五島 雅治(ごしま -)。身長180.0cm、体重179kg。最高位東前頭9枚目(2026年7月場所)。 春日井市立白山小学校4年時から中京クラブに通い、春日井市立味美中学校2年時途中に和歌山県へ相撲留学して有田市立箕島中学校(令和6年3月に閉校して4月から有田市立有和中学校と統合)に転校。中学校卒業後は和歌山県立箕島高等学校へ進学し、3年時に全国高等学校相撲選手権大会(立川立飛・元日相撲)8強などの実績を残した。高校卒業後は拓殖大学国際学部国際学科に進学し、拓殖大学相撲部に入部。
木村 昌稔(きむら まさとし、1995年(平成7年)4月18… 木村 昌稔(きむら まさとし、1995年(平成7年)4月18日 - )は、大相撲の元行司である。本名は宇戸 昌平。千賀ノ浦部屋所属。血液型はB型。最高位は三段目格。 愛知県豊田市出身。2011年5月技量審査場所、木村昌稔の名で初土俵を踏む。 2018年1月場所で三段目格に昇進。同年6月30日付で「一身上の都合」で退職 退職後の2024年2月11日、逸ノ城の断髪式の介添を務める。
出羽疾風 龍二(でわはやて りゅうじ、1989年1月31日 … 出羽疾風 龍二(でわはやて りゅうじ、1989年1月31日 - )は、愛知県岡崎市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。身長176cm、体重128kg。本名は鈴木 竜一(すずき りゅういち)。最高位は東十両9枚目(2016年5月場所)。好物はオムライス、趣味はスポーツ全般(特に格闘技観戦)。 2人兄弟の弟として生まれた。岡崎市立六ツ美北部小学校3年次から岡崎市立六ツ美北中学校卒業まで野球に親しんでいた。守備位置は主に左翼手だった。ボクシング観戦を趣味としていた兄の影響を受けて格闘技に興味を抱き、父親が好角家だったため、中学校3年の修学旅行の際に自由行動で出羽海部屋の稽古を見学した。一番下の力士になら勝てるのではないかと思い、当時の出羽海(関脇・鷲羽山)に入門を希望した。
益荒海 幸太(ますらうみ こうた、1988年(昭和63年)1… 益荒海 幸太(ますらうみ こうた、1988年(昭和63年)10月15日 - )は、愛知県豊田市出身で阿武松部屋に所属していた元大相撲力士。本名は黒澤 幸太(くろさわ こうた)、愛称は少年。身長173cm、体重142kg、血液型はA型。得意技は突き、押し。最高位は西十両5枚目(2011年9月場所)。 猿投台中学校では陸上部に所属して砲丸投を経験した。それまで相撲を経験したこともなかったものの、中学3年生だった2003年7月に知人に誘われて場所中の阿武松部屋の稽古を見学した際に阿武松親方(元関脇・益荒雄)のスカウトを受けて阿武松部屋へ入門し、2004年3月場所において3番出世で初土俵を踏んだ。入門時の身長は170cmしかなく、身長の低い新弟子を対象とする第二検査で新弟子検査に合格した。
若力堂 聖也(わかりきどう せいや、1986年12月23日 … 若力堂 聖也(わかりきどう せいや、1986年12月23日 - )は、愛知県豊田市出身で松ヶ根部屋(引退時は二所ノ関部屋)に所属していた元大相撲力士。本名は濱田 聖也(はまだ せいや)。現役時代の体格は身長187cm、体重162.5kg、最高位は西幕下31枚目(2013年11月場所)。取り口は、右四つ、寄り。 師匠の松ヶ根(元・若嶋津六夫)が田宮啓司(琴光喜啓司)の勧誘に失敗した後、田宮の生地である豊田市で濱田を見つけてスカウトされた。 中学卒業間際の2002年3月場所に本名で初土俵を踏む。体格こそ新弟子時代から立派であったがこの頃は相撲の技術をほとんど持っていなかったため新序ノ口となった同年5月場所を3勝4敗と負け越し、序ノ口通過に2場所を所要するなど滑り出しは良くなかった。
明瀬山 光彦(あきせやま みつひこ、1985年7月18日 -… 明瀬山 光彦(あきせやま みつひこ、1985年7月18日 - )は、愛知県春日井市出身で木瀬部屋(閉鎖処分中は北の湖部屋)所属の元大相撲力士。本名は深尾 光彦(ふかお みつひこ)、愛称はみっちゃん。身長182.9cm、体重181.5kg、血液型はA型。得意技はかつては突き・押し・現在は右四つ。最高位は東前頭12枚目(2021年3月場所)。好物は母親の手製の煮物。趣味は音楽鑑賞と食べ歩き。現在は年寄・井筒。 建材店の「深尾タイル」を経営している家の長男坊に生まれる。春日井市立柏原小学校在籍中に「中京クラブ」で相撲を始め、そこで1年先輩の市原孝行に出会う。それ以来、市原を尊敬するとともに目標とし、小学校4年生と5年生の時にはわんぱく横綱に輝いた。
市原 孝行(いちはら たかゆき、1984年8月16日 - )… 市原 孝行(いちはら たかゆき、1984年8月16日 - )は、愛知県名古屋市中村区出身で木瀬部屋、北の湖部屋に所属した大相撲力士。本名同じ。愛称はイッチャン。身長183cm、体重184kg、血液型はA型。得意手は突き、押し、左四つ、寄り。好きな食べ物は寿司、嫌いな食べ物はプチトマト、好きな色はローズ、趣味は掃除。最高位は西前頭13枚目(2008年3月場所)。2009年1月以降は清瀬海孝行。2011年の大相撲八百長問題にて引退勧告処分となり、引退した。なお、清瀬海の四股名で幕内在位はない。 名古屋市立御田中学校2年生の時に「中京クラブ」で相撲を始め、中学3年時に全国都道府県中学生相撲選手権大会・全国中学校相撲選手権大会の両大会で優勝し中学生横綱、史上2人目の中学二冠となった。
舛名大 周一(ますめいだい しゅういち、1984年3月16日… 舛名大 周一(ますめいだい しゅういち、1984年3月16日 - )は、愛知県岡崎市康生町出身で千賀ノ浦部屋に所属した元大相撲力士、新聞記者。本名は田中 周一(たなか しゅういち)。身長189cm、体重116kg。最高位は東三段目89枚目(2009年5月場所)。あだなは「たなしゅう」。 岡崎市立甲山中学校、愛知県立豊田西高等学校を経て名古屋大学工学部化学・生物工学科卒業。 高校時代は水泳部に所属し、自由形の選手だった。大学1年の夏に学園祭の企画で行われた相撲大会に参加して初めて相撲を取り、「相撲はシンプルだけど奥深い」と魅力を感じて相撲部に入部。2年からレギュラーとなり、2005年・2006年の全国国公立大学対抗相撲大会団体戦2連覇に貢献。
春ノ山 竜尚(はるのやま たつなお、1976年8月2日 - … 春ノ山 竜尚(はるのやま たつなお、1976年8月2日 - )は、愛知県豊田市出身で松ヶ根部屋に所属した元大相撲力士。本名は春山 竜尚(はるやま たつなお)。身長188cm、体重180kg。得意技は左四つ・寄り。最高位は東前頭10枚目(2004年5月場所)。 趣味はテレビ鑑賞、血液型はO型。 元在日朝鮮人(三世)。元幕下・嶋の龍の実弟。小学校1年生から相撲を始め、全国大会でも活躍した。また柔道も強く、愛知県大会では見事に優勝を収めた。子供の頃から相撲が好きだったという。 豊田市立逢妻中学校卒業後の1992年3月場所で初土俵を踏んだ。2000年11月場所に新十両。1場所で幕下に落ちたが、2001年1月場所西幕下筆頭で全勝優勝を飾り十両に復帰した。
武雄山 喬義(ぶゆうざん たけよし、1974年7月29日 -… 武雄山 喬義(ぶゆうざん たけよし、1974年7月29日 - )は、愛知県豊橋市出身で武蔵川部屋に所属した元大相撲力士。本名は富永 丈喜(とみなが たけよし)。現役時代の体格は身長181cm、体重164kg。得意手は突き、押し。最高位は東前頭筆頭(2002年3月場所)。現在は年寄・山分。 愛知県豊橋市の農家の家に生まれた。3人兄弟の末っ子で、次兄は競輪選手の富永益生。小学校時代は体が弱く、水泳をやっていた。地元の豊橋市立北部中学校、その後愛工大名電高校を経て、明治大学を卒業。同級生には玉力道等がいる。愛称は「トミー」、「タケヨシ」、「トミナガ」など。座右の銘は「前へ前へ」。好きな食べ物は焼き鳥、コーヒー、焼肉。
須佐の湖 善誉(すさのうみ よしたか、1972年8月30日 … 須佐の湖 善誉(すさのうみ よしたか、1972年8月30日 - )は愛知県知多市出身で北の湖部屋に所属した元大相撲力士。本名は金作 善治(かねさく よしはる)。身長183cm、体重233kg。最高位は東十両2枚目(1998年1月場所)。得意技は突き、押し、閂、叩き。趣味は寝ること。血液型はB型。 1988年3月場所で初土俵。入門直後から期待され、順調に番付を上げていった。21歳になったばかりの1993年9月場所に「将兜」の四股名で十両に昇進した。これにより北の湖部屋から子飼いとしては初となる関取が誕生した。しかし四つ相撲と突き押しの中途半端な相撲だったため3勝12敗と大敗を喫し、1場所で幕下に陥落した。
富風 悟(とみかぜ さとる、1972年1月27日 - )は、… 富風 悟(とみかぜ さとる、1972年1月27日 - )は、愛知県弥富市(旧海部郡弥富町)出身で尾車部屋に所属した元大相撲力士。本名は平川 悟(ひらかわ さとる)。身長180cm、体重141kg。趣味は映画鑑賞。最高位は西十両8枚目(2000年11月場所)。得意技は突っ張り、左四つ、寄り。 中学時代は柔道部に所属していたが、相撲の大会にも借り出され愛知県代表として全国大会に出場したことも有った。知人の紹介で尾車部屋に入門し1987年7月場所で初土俵を踏んだ。三段目までは順調に番付を上げていったが、故障が多く幕下に昇進したのは初土俵から8年後の1994年9月場所であった。以降は幕下に定着し、幕下上位で一進一退を続けていたが、2000年5月場所、休場(公傷)明けの場所であったが西幕下3枚目で5勝2敗と勝ち越し、御当所である翌7月場所に史上5位タイ(当時)のスロー記録で十両に昇進した。
朝乃若 武彦(あさのわか たけひこ、1969年12月11日 … 朝乃若 武彦(あさのわか たけひこ、1969年12月11日 - )は、愛知県一宮市出身で高砂部屋(入門時は若松部屋)に所属した元大相撲力士。本名は足立 武彦(あだち たけひこ)。身長176cm、体重145kg。最高位は西前頭筆頭(2000年5月場所)。得意技は突き、押し、引き、叩き。血液型はAB型、星座は射手座、趣味は映画鑑賞。現在は年寄・若松。愛称は「ヒタチ」。 中学時代は水泳部に所属し主将を務めるほどだった。相撲はほとんど遊びでしか取ったことがなかったが、中学時代の恩師の勧めにより愛工大名電高校に進学し相撲部に入部した。近畿大学相撲部では同級生の大澤(元幕内朝乃翔)と共に全国大会で活躍した。
床島(とこしま、1969年8月25日 - )は、大相撲の床山… 床島(とこしま、1969年8月25日 - )は、大相撲の床山。本名は松原弘一。愛知県豊田市出身。現在放駒部屋所属(所属部屋履歴は二子山部屋→松ヶ根部屋→二所ノ関部屋→放駒部屋)。現在一等床山を務めている。
旭豊 勝照(あさひゆたか かつてる、1968年9月10日 -… 旭豊 勝照(あさひゆたか かつてる、1968年9月10日 - )は、愛知県春日井市出身で大島部屋に所属した元大相撲力士。本名は市川 耐治(元関脇・羽黒山の婿養子時は安念耐治)。身長190 cm、体重145 kg。得意手は左四つ、上手投げ。趣味はマリンスポーツ。俳優の松平健に似た顔立ちから、現役時代には「角界の暴れん坊将軍」「角界のマツケン」と呼ばれた。松平健とは同じ愛知県出身でもあり、断髪式には松平健本人も登場した。最高位は東小結(1996年7月場所、11月場所)。現・年寄立浪。 小学3年生から高校まで空手道場に通う一方、中学時代は水泳部に所属し大会でも入賞するなど活躍した。東邦高等学校に進学しても水泳を続けたが、高校卒業と同時に父の知人だった元大関・旭國斗雄の大島部屋に入門。
天凰山 豊(てんこうやま ゆたか、1961年8月25日 - … 天凰山 豊(てんこうやま ゆたか、1961年8月25日 - 2017年)は、愛知県知立市出身で春日山部屋に所属した元大相撲力士。本名は近藤 英夫。175cm、143kg。最高位は東十両13枚目。得意技は押し。 中学生の時は地元の野球チームに入っており、3年生の時は三塁手のポジションで5番打者を務め、知立市大会でも優勝してゆくゆくは地元球団である中日ドラゴンズに入団するのが将来の夢だった。しかし、知人と一緒に7月場所を観戦し、春日山部屋に寄って一緒に食事をした時に「休みの時は東京へ遊びに来なよ」と誘われたので、その言葉通りに夏休みと冬休みに上京して部屋で遊んでいく内に部屋の雰囲気に自然と馴染んでいき、中学校を卒業したら入門すると決意した。
藤ノ川 祐兒(ふじのかわ ゆうじ、1960年8月20日 - … 藤ノ川 祐兒(ふじのかわ ゆうじ、1960年8月20日 - )は、愛知県大府市出身で伊勢ノ海部屋所属の元大相撲力士。本名は服部祐兒。身長193cm、体重150kg。得意手は左四つ、寄り、小手投げ。最高位は東前頭3枚目(1986年7月場所)。体育学者、アマチュア相撲指導者で、現在は東海学園大学教授。祐兒の祐は正確には示へんに右。
栃司 哲史(とちつかさ てつお、1958年4月25日 - )… 栃司 哲史(とちつかさ てつお、1958年4月25日 - )は、愛知県名古屋市中川区出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は後藤 哲雄(ごとう てつお)。最高位は西関脇(1988年1月場所)。現役時代の体格は180cm、159kg。得意手は突き、押し、突き落とし、いなし、叩き。 現在は、年寄・入間川として、雷部屋(出羽海一門)の部屋付き親方を務めている。 実家は「有限会社 後藤クレーン」という建設会社であり、2013年時点で現存している。 幼少よりスポーツ万能で、小学校の頃は水泳の大会などで優勝したが、中京中学校に入学すると相撲部に入部した。 中京中学校では全国中学校相撲選手権大会で優勝して中学生横綱に輝く等の優秀な成績を収め、その後、中京高等学校(現在の中京大学附属中京高等学校)を経て日本大学に進学した。
鳳凰 倶往(ほうおう ともみち、1956年12月7日 - 2… 鳳凰 倶往(ほうおう ともみち、1956年12月7日 - 2013年1月16日)は、愛知県蒲郡市出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は壁谷 友道(かべや ともみち)。最高位は東関脇(1984年7月場所)。現役時代の体格は180cm、152kg。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。 蒲郡市立西浦中学校では柔道部に在籍し、主に地元の大会で活躍した。柔道部の13年先輩である玉の海に憧れて大相撲入りを待望していたところ、中学3年生の時に当時の濱風親方(元前頭11・宮柱)の勧誘を受け、二所ノ関部屋に入門。1971年9月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は本名と同じ「壁谷」。 なお、皮肉にもこの場所を最後に玉の海は虫垂炎の悪化による腹膜炎で急逝し、結果として壁谷と玉の海が同じ現役の土俵に立った唯一の場所となった。
栃剣 展秀(とちつるぎ のぶひで、1955年(昭和30年)4… 栃剣 展秀(とちつるぎ のぶひで、1955年(昭和30年)4月26日 - )は、愛知県名古屋市昭和区出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は平野 展秀(ひらの のぶひで)。現役当時の体格は171cm、116kg。最高位は西前頭2枚目(1983年11月場所・1984年3月場所)。得意技は突き、押し、蹴返し、血液型はAB型。 小学校6年生の時に熱田神宮の少年相撲大会で優勝し、それを見た中京中学校相撲部の監督に見出されて1968年春、中京中学校へと進学した。小学校時代は野球に熱中していたが、「野球部は強豪校だからレギュラーに選ばれるのは大変だが、相撲部なら選ばれるかもしれない」と考えて相撲部に入ったという。
渥美洋 正征(あつみなだ まさゆき、1945年12月25日 … 渥美洋 正征(あつみなだ まさゆき、1945年12月25日 - )は、愛知県渥美郡渥美町(現在の田原市)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は川合 正征(かわい まさゆき)。182cm、93kg。最高位は東十両12枚目。得意技は右四つ、突き。 1961年5月場所初土俵、長い幕下生活の末1971年7月場所に十両昇進。その場所は5勝10敗と負け越し1場所で幕下へ陥落したが翌1972年3月場所で再度十両に昇進。しかし、十両に在位したのはこの2場所のみで勝ち越すことはなかった。幕下下位で途中休場した1974年1月場所限りで廃業。四股名は当初本名であったが、後に地元にちなんだ現在の四股名に改名。
玉の海 正洋(たまのうみ まさひろ、1944年〈昭和19年〉… 玉の海 正洋(たまのうみ まさひろ、1944年〈昭和19年〉2月5日 - 1971年〈昭和46年〉10月11日)は、大阪府大阪市生野区出生、愛知県宝飯郡蒲郡町(現・蒲郡市)出身で片男波部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。第51代横綱。血液型AB型。本名は谷口正夫、後に竹内正夫(たけうち まさお)。得意技は突っ張り、右四つ、寄り、吊り、上手投げ。 横綱に昇進しながらも27歳の若さで亡くなった。 1944年(昭和19年)2月5日に大阪府大阪市で生まれるが、大阪大空襲で焼け出されて蒲郡に疎開、以降は蒲郡で育つ。谷口家は決して裕福ではない家庭であり、母はほとんど女手一つで正夫少年を含めた4人の子供を育て、針仕事や行商、時には土木作業で家計を支えた。
和晃 敏郎(かつひかり としお、1942年8月9日 - 20… 和晃 敏郎(かつひかり としお、1942年8月9日 - 2018年1月1日)は、愛知県蒲郡市神ノ郷町出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は荒磯部屋)に所属した大相撲力士。本名は杉浦 敏朗(すぎうら としお)。現役時代の体格は186cm、113kg。最高位は東前頭筆頭(1970年9月場所)。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。 蒲郡市立蒲郡中学校では後の横綱・玉の海の1年先輩に当たり、相撲部で主将を務めていた。その後進学した愛知県立蒲郡高等学校を1年生途中で中退し、荒磯部屋(後、1961年1月より伊勢ヶ濱部屋に改称)へ入門。1958年11月場所で初土俵を踏んだ。初土俵の同期には、後の前頭・栃王山らがいる。 以来、着実に番付を上げてゆき、1965年5月場所で十両へ昇進した。
若二瀬 唯之(わかふたせ ただゆき、1942年2月20日 -… 若二瀬 唯之(わかふたせ ただゆき、1942年2月20日 - 1997年5月20日)は、愛知県幡豆郡一色町(現役当時、現・同県西尾市)出身で朝日山部屋(入門時は大鳴戸部屋)に所属した大相撲力士。本名は戸嶋 忠輝(としま ただてる)。現役時代の体格は176cm、150kg。得意手は右四つ、寄り、押し。最高位は西小結(1968年11月場所・1969年7月場所)。 地元の佐久島中学校を卒業後、名古屋市内の海産問屋に勤務していたが、18歳の時に上京。大鳴戸部屋へ入門し、1960年9月場所で初土俵を踏んだ。 当初の四股名は、本名と同じ「戸嶋」である。 その後、1963年5月場所後に朝日山(元関脇・高津山)が死去し、師匠の大鳴戸(元前頭2・二瀬山)が朝日山を継承。
若前田 英一朗(わかまえだ えいいちろう、1930年11月2… 若前田 英一朗(わかまえだ えいいちろう、1930年11月24日 - 2007年6月3日)は、愛知県清須市(現役当時は、同県西春日井郡西枇杷島町)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は由井 秀夫(ゆい ひでお)。最高位は東関脇(1958年5月場所、同年7月場所)。現役時代の体格は174cm、129kg。得意手は右四つ、寄り、押し。 名古屋市内で旋盤工として働く傍ら相撲部で活躍し、1949年の巡業の折に複数の部屋から勧誘されたのを機に高砂部屋に入門し、1950年1月場所に於いて初土俵を踏んだ。 四股名である「若前田」は、師匠の現役名、「前田山」に因んでいる(初名は本名でもある「由井」で、1952年5月場所より、この四股名に改名)。
愛知山 春雄(あいちやま はるお、1922年3月10日 - … 愛知山 春雄(あいちやま はるお、1922年3月10日 - 1986年10月22日)は、愛知県幡豆郡一色町(現・西尾市)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は高橋 春長(たかはし はるなが)。最高位は東前頭4枚目(1947年6月場所)現役時代の体格は172cm、105kg。得意手は右四つ、寄り、下手捻り、頭捻りなど。孫は知立を拠点に活動をしているラッパー、ビートメイカーのC.O.S.A.。 16歳の時に上京し、元小結・緑嶋が率いる立浪部屋へ入門。1938年5月場所で初土俵を踏んだ。 当初から故郷の愛知県に因んだ「愛知山」の四股名で相撲を取り、廃業まで1度も改名する事は無かった。 序ノ口に付いて以来、順調に出世し、1944年5月場所で新十両に昇進。
小島 貞二(こじま ていじ、1919年3月21日 - 200… 小島 貞二(こじま ていじ、1919年3月21日 - 2003年6月24日)は、日本の著作家、相撲・プロレス・演芸評論家にしてそれらの歴史研究者、作詞家。 相撲関係の雑誌などでは大須 猛三(おおす もうさん)のペンネームを使っていたことがある。 愛知県豊橋市出身。旧制豊橋中学校(現:愛知県立時習館高等学校)を卒業後、漫画家を志して上京し、川原久仁於に師事して絵を描いていたが、身長182cmの体格を見込まれて大相撲の出羽海部屋に入門することになり、1938年5月場所に本名で初土俵を踏む。双葉山の70連勝を阻止した平幕時代の安芸ノ海の付け人を経験し、その70連勝阻止の瞬間を裏方からの目線で見た著作がある(別冊1億人の昭和史 昭和大相撲史)。
大錦 大五郎(おおにしき だいごろう、1883年7月22日 … 大錦 大五郎(おおにしき だいごろう、1883年7月22日 - 1943年5月16日)は、愛知県海部郡鍋田村稲元(現:愛知県弥富市稲元)出身の大相撲力士(京都相撲・大坂相撲)。第28代横綱。本名は鳥井 大五郎(とりい だいごろう)。 1883年7月22日に愛知県海部郡鍋田村稲元(現:愛知県弥富市稲元)で大工だった山田松次郎の次男として生まれた。3月22日、3月20日の誕生日諸説ある。幼少期から怪力で、地元の子供相撲でも年上の子供を相手にしても負けなかったため、「稲元の金太郎」という異名を取った。父の元で修業の後に京都で車大工の職人となったが、体格と怪力を見込まれ、その評判を聞きつけた力士の勧めで、1898年に伊呂波部屋(京都相撲)へ入門した。
錦戸 春吉(にしきど はるきち、1872年4月21日(明治5… 錦戸 春吉(にしきど はるきち、1872年4月21日(明治5年3月14日) - 1945年4月24日)は、愛知県豊川市赤坂町出身(当時は額田県赤坂町)で錦戸部屋に所属した力士。本名は吉澤 春吉(旧姓:大場)。5代錦戸。164cm、96kg。最高位は西前頭15枚目。 静岡県で草相撲をしていたが、1891年5月錦戸部屋に入門し初土俵を踏む。1901年5月、29歳で十両昇進。そして1909年6月、旧両国国技館が開館した場所に初土俵から18年、37歳にして新入幕を果たした。幕内在位は1場所のみで、その後幕下まで陥落。すでに二枚鑑札となっており、1911年6月に引退して、親方業に専念した。一時、招猫の四股名を名乗った。
大碇 紋太郎(おおいかり もんたろう、1869年4月3日〈明… 大碇 紋太郎(おおいかり もんたろう、1869年4月3日〈明治2年2月22日〉 - 1930年〈昭和5年〉1月27日)は、大相撲の大関。身長170cm、体重105kg。最高位は横綱(五条家免許)。 出生地は尾張国知多郡(現在の愛知県半田市乙川殿町)出身。生年月日は1869年(明治2年)2月22日説と1871年(明治4年)3月20日説があり、苗字も「吉田」と「竹内」の2説あったが、大碇の生年月日は1869年(明治2年)2月22日で苗字は「竹内」であることが外国旅券下付表や除籍謄本などで確認された。その後、「吉田嘉平」に一旦、養子縁組し、1871年(明治4年)3月20日に愛知県知多郡南知多町内海の「日比長三郎」の養嗣子となり同家に入籍した。
稲野花 倉吉(いねのはな くらきち、1857年(安政4年)5… 稲野花 倉吉(いねのはな くらきち、1857年(安政4年)5月8日(旧暦4月15日) - 1889年(明治22年)9月15日)は、尾張国中島郡(現:愛知県一宮市)出身の元大相撲力士。本名は高木 倉吉(たかぎ くらきち)で、8代・田子ノ浦の養子だった際は大坪 倉吉(おおつぼ くらきち)。 1857年(安政4年)5月8日(旧暦4月15日)に尾張国中島郡(現:愛知県一宮市)で生まれる。1876年1月場所で二段目(現在の幕下)から初土俵を踏むと、1880年1月場所で新十両に昇進、1881年1月場所では西十両9枚目の地位で8勝1敗1分の優勝相当成績を挙げた。1883年1月場所で新入幕を果たすと、同年5月場所で6勝3敗1休の優勝次点の好成績を挙げるが、これが生涯唯一の勝ち越しとなってしまった。
16代 木村 庄之助(じゅうろくだい きむら しょうのすけ、… 16代 木村 庄之助(じゅうろくだい きむら しょうのすけ、嘉永2年11月12日〈1849年12月26日〉 - 明治45年〈1912年〉1月6日)は、大相撲の立行司。本名は柘→大家→柘新助。出身地は、現在の愛知県豊橋市。 吉田船町(現・豊橋市船町)で煮売屋の長男として生まれる。田舎相撲の強豪だった父親の影響で相撲に興味を持つが、体格に恵まれなかったため行司として研鑽を積むようになる。 安政6年(1859年)秋、吉田で江戸相撲の興行があり、その折に3代目清見潟に預けられ入門。13代庄之助に師事し、元治元年(1864年)4月に木村新介の名で初めて番付に載った。明治4年(1871年)4月に、3代木村龍五郎を襲名。
小ノヶ崎 仙吉(おのがさき せんきち、1842年〈天保13年… 小ノヶ崎 仙吉(おのがさき せんきち、1842年〈天保13年〉 - 1877年〈明治10年〉4月24日)は、尾張国中島郡(現在の愛知県一宮市)出身で境川部屋に所属した元力士。本名は山田 仙吉(安吉とする資料もある)。身長・体重は不明。最高位は東前頭5枚目。 故郷の尾張藩では良く働く親孝行者だったが、突然として江戸へ行って入門した。1867年11月場所で初土俵(序ノ口)を踏んだ。1873年12月場所で、尾張藩のお抱え力士となり、東十両7枚目(十枚目格)に昇進。十両では5割強の勝率だったが、番付運に恵まれ順調に昇進を重ねた。1876年4月場所で、新入幕を果たした。國見山半五郎,甲喜三郎と共に「尾張三人衆」との呼び名が高く、将来を大いに期待されたが、翌1877年1月場所後の4月24日に36歳(満34歳)で急死。
八尾ヶ関 周藏(やおがせき しゅうぞう、1841年(天保12… 八尾ヶ関 周藏(やおがせき しゅうぞう、1841年(天保12年) - 1909年(明治42年)12月13日)は尾張国海東郡佐織村草平(現・愛知県愛西市草平町)出身の大相撲力士。本名は京谷周蔵。大阪相撲で活躍し最高位は大関。 三保ヶ関に入門し、初名は平勇と名乗る。1869年(明治2年)3月二段目で黒柳、1870年(明治3年)3月八尾ヶ関と改め1871年(明治4年)6月東前頭12枚目となる。 1876年(明治9年)6月小結、1877年(明治10年)9月も同地位だったが場所前の紛擾で多くの力士が脱走したため1878年(明治11年)9月幸運にも残留組番付の大関となる。 その後2場所張り出され1880年(明治13年)9月限りで引退。
綾瀬川 山左エ門(あやせがわ さんざえもん、1835年10月… 綾瀬川 山左エ門(あやせがわ さんざえもん、1835年10月 - 1877年3月8日)は、大阪府大阪市中央区(愛知県稲沢市説も)出身の大相撲力士。最高位は大関。本名は川村 藤次郎。現役時代の体格は173cm、113kgと伝わる。 生地は摂津国東成郡とも、尾張国中島郡ともされている(幸国寺の墓誌によれば前者)。はじめは大坂相撲の湊(8代横綱不知火諾右エ門)の門下にあって「登り舟」「達ノ森」の四股名で取っていたが、のちに江戸へ移り9代横綱秀ノ山に入門、江戸相撲ゆかりの「達ヶ関」の名で文久元年(1861年)10月場所で番付の幕下二段目に付け出される。秀ノ山門下には強豪陣幕(のちの12代横綱)らがおり、稽古をつけてもらううちに頭角を現し慶応2年(1866年)3月には幕下力士でありながら姫路藩のお抱えとなり、名を姫路藩の景勝相生の松に因んだ相生松五郎と改めた。
阿部 良太(あべ りょうた)は、豊田通商に2006年-201… 阿部 良太(あべ りょうた)は、豊田通商に2006年-2012年に所属していた、バスケットボール選手である。2012年-2016年豊田通商バスケットボールのアシスタントコーチ、2016年-2017年豊通ファイティングイーグルス名古屋のアシスタントコーチを務めた。
毛谷村 六介(けやむら ろくすけ、生没年未詳)は、明治時代の… 毛谷村 六介(けやむら ろくすけ、生没年未詳)は、明治時代の大相撲力士。本名は清水忠太郎。年寄8代大嶽。 現在の愛知県半田市近郊の出身。大嶽に入門し、1885年5月 清竹忠太郎で序ノ口。1886年5月序二段、1887年5月三段目。1887年に大嶽が亡くなり、のち雷部屋に移る。1889年1月毛谷村六介に改名。 毛谷村六介は加藤清正の家来となった貴田孫兵衛の通称である。文禄の役で朝鮮に侵攻し敵の謀略により生涯を終えた人物で、歌舞伎の演目にもなっている。この名前を名乗るため、特色のあった力士と推測される。 1890年5月幕下に。1897年5月から大嶽二枚鑑札で土俵を務め、1898年1月より番付でも大嶽となる。