一色 正春(いっしき まさはる、1967年〈昭和42年〉1月… 一色 正春(いっしき まさはる、1967年〈昭和42年〉1月3日 - )は、日本の元海上保安官(最終階級:三等海上保安正)。尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件において、「sengoku38」名で映像を動画共有サービス・YouTubeへ最初に投稿した。 海上保安官辞職後の職業は未詳。 京都府京都市出身。国立富山商船高等専門学校卒業。学生時代は空手の稽古に熱中していた。商船高専卒業後は、海運業を営む企業に就職し、外航航路の船員として原油や天然ガスを日本に輸送するタンカー船などに乗船した。20代半ばで不況もあって船を降り、サラリーマン、職人見習いのようなことを日本で経験した。その後商船高専時代の同僚が先に海保にいたこともあり、30歳のとき国家公務員試験を受けて海上保安官となる。
廣瀬 昌由(ひろせ まさよし、1965年〈昭和40年〉9月8… 廣瀬 昌由(ひろせ まさよし、1965年〈昭和40年〉9月8日 - )は、日本の建設・国土交通技官。 京都府八木町(現・南丹市)出身。洛南高校を経て、1990年(平成2年)3月、京都大学大学院工学研究科土木工学専攻を修了。同年4月、建設省に入省し、土木研究所ダム部水資源開発研究室に配属。入省時はバブル時代で、公共事業に向けられる世間からの目が厳しく、進め方や環境に配慮する必要性が出てきたと述懐している。 1994年(平成6年)からは河川局に配属され、ダム等の計画、事業の実施、管理などを担当した。1997年(平成7年)には環境に対する要請の高まりから組織再編をすることとなり、廣瀬は新設された河川環境課の初代河川環境対策係長に就任した。
山村 紅葉(やまむら もみじ、1960年10月27日 - )… 山村 紅葉(やまむら もみじ、1960年10月27日 - )は、日本の女優、タレント、元国家公務員。本名:吉川 紅葉。旧姓:山村。 京都府京都市 出身。山村美紗オフィス、東宝芸能所属。愛称は「もみちゃん」。 母は推理小説家の山村美紗。夫は元財務省官僚。祖父は民法学者で京都大学名誉教授の木村常信。叔父は政治学者で北海道大学名誉教授の木村汎。 京都教育大学附属幼稚園、京都教育大学附属桃山小学校、京都教育大学附属桃山中学校、京都教育大学附属高等学校を経て1985年に早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。 学生時代に母・山村美紗の本が原作のテレビドラマ『燃えた花嫁〜殺しのドレスは京都行き〜』(テレビ朝日)で女優デビューし、「卒業するまでの記念に」とその後もドラマ作品に20本ほど出演する。
金尾 健司(かなお けんじ、1958年〈昭和33年〉5月12… 金尾 健司(かなお けんじ、1958年〈昭和33年〉5月12日 - )は、日本の国土交通技官。 京都府出身。京都教育大学附属高等学校を経て、1983年(昭和58年)3月、東京大学大学院工学系研究科土木工学専攻を修了。同年4月、建設省へ入省。 入省以来、河川行政に携わり、国土交通省河川局防災課企画専門官、同河川環境課企画専門官、同河川環境課河川環境保全調整官、同治水課河川整備調整官、同河川計画課河川事業調整官、関東地方整備局河川部長、同企画部長、水管理・国土保全局河川環境課長、同河川計画課長などを歴任。 2014年(平成26年)7月8日、九州地方整備局長に就任。 2015年(平成27年)7月31日、水管理・国土保全局長に就任。
岡田 憲和(おかだ のりかず、1958年5月10日 - )は… 岡田 憲和(おかだ のりかず、1958年5月10日 - )は、日本の地方公務員。京都市副市長、大学コンソーシアム京都評議員会副議長。 豚熱予防対策などにあたった。 公益財団法人京都文化交流コンベンションビューロー副理事長、公益財団法人大学コンソーシアム京都評議員会副議長、公益財団法人国立京都国際会館評議員等兼務。
塚本 稔 (つかもと みのる、1955年12月7日 - )は… 塚本 稔 (つかもと みのる、1955年12月7日 - )は、日本の地方公務員。京都市副市長、公益財団法人京都文化交流コンベンションビューロー副理事長を経て、公益財団法人国立京都国際会館事務局長。瑞宝小綬章受章。 京都市生まれ。大阪大学法学部卒業。1982年京都市役所入庁。京都市秘書課長、京都市市長公室長、京都市行財政局長などを経て、2012年から京都市副市長を務め、京都文化交流コンベンションビューロー副理事長等も兼務した。2016年退任。2017年公益財団法人国立京都国際会館事務局長。
大和 哲夫(やまと てつお、1921年(大正10年)1月23… 大和 哲夫(やまと てつお、1921年(大正10年)1月23日 - 1998年(平成10年)8月20日)は、日本の法学者・官僚・公務員。北海学園大学元学長。福岡県遠賀郡戸畑町(現・北九州市)出身。 学内ではこの他、北海学園大学学生部長などを、学外では、北海道地方労働委員会公益委員(1968-1977年)や北海道人事委員会委員(1982-1990年)、公共企業体等労働委員会調停委員など多くの公職を歴任。
内藤 良一(ないとう りょういち、1906年12月26日 -… 内藤 良一(ないとう りょういち、1906年12月26日 - 1982年7月7日)は、日本の軍医。1950年、日本ブラッドバンク(後のミドリ十字)を創業。医学博士。 京都府綾部町出身。茨木中学校、旧制三高を経て、1927年(昭和2年)京都帝国大学医学部に入学し、1931年(昭和6年)に卒業。1936年(昭和11年)に京大大学院を卒業。「バクテリオファージ研究補遺」で医学博士となる。 1937年(昭和12年)からヨーロッパ、アメリカでの研究、情報収集を行った後、陸軍軍医学校防疫研究室の責任者として、731部隊が主導した細菌兵器の開発・研究や人体実験にも関わったとされる。帰国後、東京・戸山の陸軍軍医学校で終戦まで軍医教官として勤務した。
堀内 利国(ほりうち としくに、1844年8月19日(天保1… 堀内 利国(ほりうち としくに、1844年8月19日(天保15年7月6日) - 1895年(明治28年)6月18日)は日本陸軍の軍医。明治前半に熊本や大阪鎮台病院長などを務めた。当時の日本は脚気の流行が問題になっていたが、堀内利国は大阪鎮台において兵食を白米から麦飯に変えることで兵士の脚気をほとんどゼロになるまで減らし、脚気が麦飯で予防できることを日本で初めて実験的に証明した。 明治3年(1870年)に日本で初めての陸軍病院が大阪に設置され、堀内利国は軍事病院医官となった。堀内は軍事病院の外人教師・オランダ人医師ブッケンから医学を学んだ。日本に徴兵制が敷かれて地方から大阪に集まってくる兵が増えるにつれて、軍隊の中で脚気患者が目に見えて増大するようになった。
片山 信子(かたやま のぶこ)は日本の図書館員、国会職員、大… 片山 信子(かたやま のぶこ)は日本の図書館員、国会職員、大学教員。第27代国立国会図書館副館長。 京都府京都市生まれ。1980年京都市立紫野高等学校卒業。1985年東京大学経済学部を卒業した。 1986年に国立国会図書館へ入館し、関西館長、利用者サービス部長、総務部長などを経て、2022年1月1日副館長に就任した(2023年12月31日まで)。 2024年時点では、立教大学図書館司書コース兼任講師も務める。
神田 昌幸(かんだ まさゆき)は、日本の国土交通技官。倉敷市… 神田 昌幸(かんだ まさゆき)は、日本の国土交通技官。倉敷市助役、富山市副市長、筑波大学客員教授、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会施設整備調整局長、国土交通大学校副校長等を経て、全日本スキー連盟理事、大阪府特別参与、大阪市特別参与。 京都府生まれ。洛南高等学校を経て、1986年京都大学大学院工学研究科土木工学専攻修了、建設省入省。建設省土木研究所構造橋梁部橋梁研究室主任研究員を経て、1997年建設省都市局街路課長補佐。 1999年建設省道路局国道課長補佐。2000年建設省東北地方建設局 (現・東北地方整備局) 酒田工事事務所長。2002年国土交通省都市・地域整備局都市計画課企画専門官。