琴裕将 由拡(ことゆうしょう よしひろ、1994年5月14日… 琴裕将 由拡(ことゆうしょう よしひろ、1994年5月14日 - )は、奈良県橿原市出身で、佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は稲垣 善之(いながき よしゆき)。身長179.0cm、体重139.5kg、血液型はO型。最高位は東十両13枚目(2022年1月場所)。現在は若者頭。 大相撲入門前に本格的な相撲経験は無いが、小学生の時にわんぱく相撲に出場しており、その際に大相撲の佐渡ヶ嶽部屋に宿泊している。橿原市立橿原中学校在学中は柔道部所属だったが、地元の相撲道場(けはや道場)にも顔を出しており、相撲の大会にも出場していた。この頃に佐渡ヶ嶽部屋師匠の13代佐渡ヶ嶽(元関脇・初代琴ノ若)から勧誘されており、この時は入門しなかったが、これ以降佐渡ヶ嶽からは毎場所番付が送られてくるようになった。
德勝龍 誠(とくしょうりゅう まこと、1986年8月22日 … 德勝龍 誠(とくしょうりゅう まこと、1986年8月22日 - )は、奈良県奈良市出身(出生地は高市郡高取町)で木瀬部屋(閉鎖処分中は北の湖部屋)所属の現役大相撲力士。本名は青木 誠(あおき まこと)。身長180cm、体重180kg。最高位は西前頭4枚目(2015年5月場所)。趣味はダーツ。
德勝龍 誠(とくしょうりゅう まこと、1986年8月22日 … 德勝龍 誠(とくしょうりゅう まこと、1986年8月22日 - )は、奈良県奈良市出身(出生地は高市郡高取町)で木瀬部屋(閉鎖処分中は北の湖部屋)に所属した元大相撲力士。本名は青木 誠(あおき まこと)。身長183.0cm、体重190.0kg。最高位は西前頭2枚目(2020年3月場所)。いわゆる「花のロクイチ組」の1人。現在は年寄・千田川。 奈良県高市郡高取町に生まれた。小学1年生まで同地で育ち、その後中学校卒業までの間を橿原市で暮らした。生誕時3,860gで、生後半年で10kgに達し、幼稚園の制服は特注であった。3歳の頃から柔道を始め、小学2年生で野球を始めた。少年野球では「ホームランか三振」という強打の捕手として活躍。
奈良光 幹夫(ならひかり みきお、1972年2月5日 - )… 奈良光 幹夫(ならひかり みきお、1972年2月5日 - )は、奈良県奈良市出身で武蔵川部屋所属の元大相撲力士。本名は中原 幹夫(なかはら みきお)。身長179 cm・体重116 kg。最高位は東幕下30枚目。 奈良市立都南中学校では相撲とラグビーで活動し、ラグビーでは県大会では準優勝。中学3年生の1986年に全国中学相撲選手権大会個人の部に参加、2回戦で敗退。中学卒業後、武蔵川部屋に入門し、1987年3月場所本名の「中原」で初土俵を踏む。1989年3月場所四股名を「奈良光」に改める。1990年11月場所三段目に昇進する。2年間三段目で取り続けていたが1993年から第五腰椎分離すべり症で1年半休場。
磐石 博文(ばんじゃく ひろふみ、1948年10月21日 -… 磐石 博文(ばんじゃく ひろふみ、1948年10月21日 - 2001年8月22日)は、奈良県御所市出身で朝日山部屋に所属した元大相撲力士。本名は辻川 博文(つじかわ ひろふみ)(旧姓・萩山)。177cm、150kg。最高位は東十両8枚目。得意技は右四つ、寄り。 中学生の時に朝日山が訪ねて来て「夏休みに1度、東京へ遊びにおいで。ゆっくり東京見物させてあげるよ」と言われたので、相撲は嫌いだったが喜んで上京した。朝日山部屋の人達が親切に接してきたので、我慢して過ごしている内に入門を決意し、入門するにあたって墨田区立堅川中学校に転校した。1962年9月場所に初土俵。1969年9月場所に新十両昇進、翌11月場所に四股名を磐石に改める。
二瀬川 政一(ふたせがわ まさいち、1916年4月15日 -… 二瀬川 政一(ふたせがわ まさいち、1916年4月15日 - 1959年8月22日)は、奈良県北葛城郡新庄町(現葛城市)出身で朝日山部屋に所属した大相撲力士。本名は井口 政一(旧姓安川)。最高位は東関脇。身長171cm、体重128kg。得意手は突っ張り、押し、右四つ、寄り。 1931年5月場所初土俵、その後ゆっくりではあったが着実に昇進し、1940年5月場所新入幕を果たした。二の腕から先の柔軟性を生かした突き押し、右四つからの腰の重い寄りを得意とした。ところがこの場所、横綱双葉山をはじめ上位陣に休場者が多く、相手方の横綱男女ノ川の対戦相手を番付の上から数えていくと、二瀬川にあたってしまったので、13日目、前日まで5勝7敗であったのに対戦が組まれ、敗れて負け越してしまった。
笠置山 勝一(かさぎやま かついち、1911年1月7日 - … 笠置山 勝一(かさぎやま かついち、1911年1月7日 - 1971年8月11日)は、奈良県生駒郡(後の大和郡山市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は仲村 勘治(なかむら かんじ)。最高位は西関脇。 1911年1月7日に奈良県生駒郡(後の大和郡山市)で生まれる。小学生の時から相撲で活躍し、小学6年生では大阪毎日新聞社が主催した奈良県学童相撲で優勝する実力を身に付けた。奈良県立郡山中学校では相撲を離れて柔道部に所属していたが、1928年に常陸山谷右エ門の叔父である内藤高治の推薦で出羽海部屋へ入門した。しかし、学業を修了していなかったため、東京・早稲田中学校へ転校して部屋から中学校へ通う生活を続けていた。
鶴ヶ濱 増太郎(つるがはま ますたろう、1893年7月19日… 鶴ヶ濱 増太郎(つるがはま ますたろう、1893年7月19日 - 1939年1月16日)は、奈良県北葛城郡當麻町(現在の葛城市)出身で荒磯部屋(当初は中立部屋)に所属した大相撲力士。本名は西本 増太郎。身長178cm、体重105kg。最高位は西小結。得意手は右四つ、吊り、泉川、突っ張り。 1911年(明治44年)2月場所に「大鶴」の四股名で初土俵を踏んだが病に罹り帰郷、間もなくして「若ノ川」の四股名で大坂相撲に出ていた。1912年(明治45年)5月場所で東京相撲に復帰し三段目から再出発、一旦序二段に陥落した場所もあったが、三段目に復帰し、幕下へと番付を上げていき、1918年(大正7年)1月場所で新十両。
鶴ヶ濱 熊吉(つるがはま くまきち、1870年7月16日(明… 鶴ヶ濱 熊吉(つるがはま くまきち、1870年7月16日(明治3年6月18日) - 1939年(昭和14年)2月6日)は、奈良県添上郡(現在の奈良市)出身で小野川部屋、八角部屋、中立部屋、再度八角部屋に所属した力士。4代伊勢ヶ濱。世話人。本名は清水 熊吉。170cm、101kg。最高位は前頭3枚目。 大坂相撲に所属していたが、同郷の司天龍政吉(北葛城郡出身)を慕い、1891年1月に八角部屋に加入。序ノ口からの初土俵となる。四股名は司天龍の前の四股名の鶴ヶ濱を名乗る 。恵まれた体格を持ちながらも昇進は遅かった。しかし、1897年1月にようやく十両に昇進すると、1898年5月には新入幕。以後18場所幕内を務め、1907年1月に引退、4代伊勢ヶ濱を襲名。
司天龍 政吉(してんりゅう まさきち、1860年9月21日(… 司天龍 政吉(してんりゅう まさきち、1860年9月21日(万延元年8月7日) - 1917年(大正6年)9月22日もしくは9月26日)は、大和国葛下郡(現在の奈良県葛城市)出身で小野川部屋、玉垣部屋、雷部屋、八角部屋に所属した力士。本名は勇川 政吉。7代大嶽、5代中立。身長不明、体重は70kg。最高位は西小結。 大坂相撲の小野川部屋から、1880年5月に三段目格で初土俵。1885年5月には新入幕を果たした。所属が八角部屋になったことから、四股名を鶴ヶ濱から司天龍に改めている。以後幕内20場所を務め、その間にはのちの横綱・小錦八十吉に幕内初黒星を付けた。1895年1月限りで引退し、年寄大嶽を襲名した。
釈迦ヶ嶽 清一郎(しゃかがたけ せいいちろう、1855年1月… 釈迦ヶ嶽 清一郎(しゃかがたけ せいいちろう、1855年1月1日(嘉永7年11月13日) - 1929年(昭和4年)9月19日)は大和国宇智郡二見村(現・奈良県五條市二見)出身の大相撲力士。本名は西出栄治郎(のち清一郎、一時柴田姓?)。大阪相撲で活躍し最高位は大関。 鏡山の弟子となり、のちに藤嶋部屋に移籍。1871年(明治4年)初土俵。初名を若柳と名乗るというが番付未確認。1875年(明治8年)6月中相撲二段目にある釈迦ヶ嶽 栄次郎が初見。1876年(明治9年)6月下の名を清一郎と改める。 1884年(明治17年)9月入幕。大柄ではないが怪力として知られた。好不調の波があり暫く停滞したが1889年(明治22年)9月関脇。