狭川 真一(さがわ しんいち、1959年 - )は、日本の考… 狭川 真一(さがわ しんいち、1959年 - )は、日本の考古学者。大阪大谷大学文学部歴史文化学科 特任教授。(公財)大阪府文化財センター理事長。 古代の墳墓研究や都市論を研究の中心としているが、最近は中近世の石塔研究を墳墓論に絡めて行っている。また、古代の磨崖仏を三次元計測して当初の姿を復元したり、改変されたりした歴史を探求している。 奈良県奈良市に生まれる。奈良県立郡山高等学校を卒業後[要出典]、奈良大学文学部文化財学科に入学。 同学を卒業後、太宰府市教育委員会技師(文化財専門職)を経て、1999年に元興寺文化財研究所に研究員として配属され、2020年まで勤務。2009年、「中世墓の変遷と火葬の受容」で博士(文学)(奈良大学)の学位を取得。
岡村秀典(おかむら ひでのり、1957年 - )は、日本の考… 岡村秀典(おかむら ひでのり、1957年 - )は、日本の考古学者。専門は中国考古学。公益財団法人黒川古文化研究所所長。学位は文学博士(京都大学・論文博士・2005年)(学位論文「中国古代王権と祭祀」)。京都大学人文科学研究所教授を経て、京都大学名誉教授。 奈良市生まれ。大阪教育大学附属高校天王寺校舎卒業、1980年京都大学文学部史学科考古学専攻卒業、1985年同大学院博士後期課程中退、京都大学文学部助手、九州大学文学部助教授を経て、京都大学人文科学研究所助教授、2005年教授。同年「中国古代王権と祭祀」で京都大学より文学博士の学位を取得。2000年に濱田青陵賞受賞。2019年に立命館白川静記念東洋文字文化賞(第13回)教育普及賞部門を受賞。
菅谷 文則(すがや ふみのり、1942年9月7日 - 201… 菅谷 文則(すがや ふみのり、1942年9月7日 - 2019年6月18日)は、日本の考古学者。滋賀県立大学名誉教授、前奈良県立橿原考古学研究所所長。 1942年、奈良県宇陀郡榛原町(現・宇陀市)で生まれた。奈良県立畝傍高等学校を経て、関西大学文学部考古学科で学んだ。同大学院文学研究科に進学し、1967年に修士課程を修了。 同大学副手を経て、奈良県立橿原考古学研究所で古墳や寺院跡などの発掘に従事。北京大学に留学し、帰国後はシルクロード学研究センター研究主幹などを務めた。1995年、滋賀県立大学教授に就任。2008年に滋賀県立大学を定年退任し、名誉教授となった。2009年から橿原考古学研究所の第5代所長を務めた。
井川スミス 史子 (いかわ スミス ふみこ、1930年9月1… 井川スミス 史子 (いかわ スミス ふみこ、1930年9月10日 - )は、カナダの考古学者、文化人類学者。専門は日本など東アジア先史考古学。マギル大学名誉教授。 1930年、兵庫県神戸市長田村房王寺谷(現・神戸市長田区房王寺町)に生まれる。 1948年、奈良女子高等師範学校附属高等女学校(現・奈良女子大学附属中等教育学校)を卒業後、1953年に津田塾大学学芸学部英文学科を卒業し、東京都立大学社会学研究室助手補となる。 1954年に、東京都立大学大学院社会科学研究科社会人類学専攻修士課程に入学する。1955年からフルブライト奨学生としてハーバード大学に留学した。1958年、ラドクリフ・カレッジで修士号(M.A.)を取得し、ラドクリフ・カレッジ博士課程を修了する。
網干 善教(あぼし よしのり、1927年9月29日 - 20… 網干 善教(あぼし よしのり、1927年9月29日 - 2006年7月29日)は、日本の考古学者、関西大学名誉教授。専門は考古学、古代史、仏教史。明日香村名誉村民。 1927年、奈良県高市郡飛鳥村(現・明日香村)で生まれた。3歳のとき、父の網干順三が唯称寺の住職・順誠となり、一家で移り住んだ。唯称寺は石舞台古墳のすぐ下にある浄土宗の寺で、1933年から始まった第一次石舞台発掘調査に身近に接して考古学に関心を持つようになった。 旧制畝傍中学校(現・奈良県立畝傍高等学校)時代より、京都帝国大学考古学研究員であった末永雅雄(橿原考古学研究所初代所長、関西大学名誉教授、文化功労者、文化勲章受章者)が陣頭指揮を執る石舞台古墳の発掘調査に参加。
樋口 清之(ひぐち きよゆき、1909年1月1日 - 199… 樋口 清之(ひぐち きよゆき、1909年1月1日 - 1997年2月21日)は、日本の考古学者・歴史作家。國學院大學名誉教授、國學院大學考古学資料館名誉館長、國學院大學栃木短期大学名誉学長、全日本博物館学会名誉会長。文学博士。専門は考古学・民俗学。紫綬褒章、勲三等旭日中綬章受章。 奈良県桜井市生まれ。先祖は、織田長益(有楽斎)に発する旧家である。旧制奈良県立畝傍中学校在学中に、学術誌に十数篇の論考を投稿していた。1927年、鳥居龍蔵を慕って國學院大學に入学。1932年(昭和7年)國學院大學文学部国史学科卒業。在学中の1928年(昭和3年)4月には、自身の収集品をもとに博物館の必要性を訴えたことで、國學院大學内に考古学標本室が創設された。
森本 六爾(もりもと ろくじ、1903年〈明治36年〉3月2… 森本 六爾(もりもと ろくじ、1903年〈明治36年〉3月2日 - 1936年〈昭和11年〉1月22日)は、大正時代から昭和初期にかけての日本の考古学者。 奈良県磯城郡織田村大泉(現:桜井市)出身。1920年に旧制奈良県立畝傍中学校(現・奈良県立畝傍高等学校)を卒業する。奈良県磯城郡三輪尋常高等小学校の代用教員となり、香久山尋常高等小学校や生駒郡都跡尋常高等小学校でも代用教員を務めた。[要出典]1924年に上京して東京高等師範学校の校長であった三宅米吉の下で、歴史科に副手として勤務した。同年に東京考古学会を設立した。1929年、三宅の死去に伴い副手を辞任。1935年に夫人を結核で亡くし、翌年に神奈川県鎌倉市極楽寺の仮寓で同じく結核により32年の生涯を閉じた。