七浦 広志(ななうら ひろし、1964年12月14日 - )… 七浦 広志(ななうら ひろし、1964年12月14日 - )は、日本の医師・写真家・陶芸家。血液型はB型。 和歌山県伊都郡高野町冨貴出身。奈良県御所市に育つ。 父・義郎は開業医。母・貞子は陶芸家。兄・高志は開業医。御所市医師会副会長、奈良県医師会理事。 奈良県立五條高等学校、愛知医科大学医学部医学科卒業。 1998年4月、愛知医科大学付属病院助手、2000年7月~2010年12月、岐阜県中津川市国民健康保険坂下病院・泌尿器科部長、臨床検査科部長。2011年1月~2014年3月、岐阜社会保険病院・泌尿器科部長、在宅診療部長。2014年4月、トヨタ自動車入職。 現在は、トヨタ自動車統括産業医、厚生労働省労働政策審議会安全衛生分科会委員、産業医科大学非常勤講師。
西郷 隆文(さいごう たかふみ、1947年〈昭和22年〉 -… 西郷 隆文(さいごう たかふみ、1947年〈昭和22年〉 - )は、日本の陶芸家。日置南洲窯代表。鹿児島県陶業協同組合、及び鹿児島県薩摩焼協同組合・初代理事長。特定非営利活動法人西郷隆盛公奉賛会理事長。維新の三傑の一人・西郷隆盛の曾孫にあたる。2011年(平成23年)度・現代の名工、及び2012年(平成24年)度・黄綬褒章受賞。 1947年(昭和22年)、西郷隆泰の長男として奈良市に生れる。幼い頃は京都で暮らしており、父は京都大学でゼロ戦に代わる次世代航空機の研究、設計、製作などを行う技師で、ほとんど家にいなかった。雄弁に語ることはせず、剣道を極め、立ち居ふるまいに武人としての誇りを感じていた父親とは、日常会話も畳一枚離れ敬語で会話していた。
脇田 宗孝(わきた むねたか、1942年 - )は、日本の陶… 脇田 宗孝(わきた むねたか、1942年 - )は、日本の陶芸家。奈良教育大学名誉教授。放送大学客員教授。 奈良県立畝傍高等学校を経て、奈良学芸大学(現在の奈良教育大学)を1965年に卒業し、父祖の地・明日香村で飛鳥赫窯を開窯し、創作活動に入る。教育者、古代陶器研究家、陶芸作家の顔を併せ持つ。飛鳥・奈良時代の土器・須恵器・三彩など古代の陶芸技法の研究・復元における第一人者である。ライフワークとして「陶芸における古代の造形美を探求し、その美と情感を多元的に具現すること」と、「陶芸の各種技法を習得し、土から生まれる創造的表現の喜びを体感させることにより、文化財の意味と価値を会得すること」を掲げている。
今西 洋(いまにし ひろし、1897年5月25日 - 195… 今西 洋(いまにし ひろし、1897年5月25日 - 1957年1月9日)は日本の陶芸家。国画会会員。本名:今西末太郎 1897年、奈良県丹波市町(現在の天理市)の茶貿易商今西安太郎の次男として生まれる。 1915年、奈良県立旧制郡山中学(現在の郡山高校)を卒業。在学中より親交のあった大和・安堵村の富本憲吉のもとで教えを受け作陶をはじめる。 その後、長崎県波佐見中尾山に仕事場を構え、九州伊万里ほか全国地名の窯場を遍歴し古陶磁器文様の研究を行い、更に、朝鮮・満州・中国各地の窯場を視察し、独自の作風を打ち立てる。特に古窯からの「くらはんか」系の破片研究に努め、柳宗悦に”今の所今西君ほど實物を澤山見てゐる人は他にないと思ふ。
富本 憲吉(とみもと けんきち、1886年(明治19年)6月… 富本 憲吉(とみもと けんきち、1886年(明治19年)6月5日 - 1963年(昭和38年)6月8日)は、日本の陶芸家。人間国宝、文化勲章受章者。尾竹紅吉は妻。映画監督・テレビ演出者の富本壮吉は長男。 大阪府平群郡安堵村(現・奈良県生駒郡安堵町)の大地主の家に生まれ、幼少より絵を学ぶ。東京美術学校図案科に入学して建築、室内装飾を専攻。在学中にウィリアム・モリスの工芸思想に影響され1908年(明治41年)、卒業前にロンドンへ私費留学(留学中に卒業)。ヴィクトリア&アルバート美術館に日参し、アーツ・アンド・クラフツの作品にふれる。ロンドンで建築家・新家孝正と出会い、写真助手としてインドを巡る。実家から帰国命令が届いたため1910年(明治43年)帰国。