濱中 治(はまなか おさむ、1978年7月9日 - )は、和… 濱中 治(はまなか おさむ、1978年7月9日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)、コーチ。2015年から阪神タイガースでコーチを務めており、現在は二軍打撃コーチを務める。
和歌山県:167人
濱中 治(はまなか おさむ、1978年7月9日 - )は、和… 濱中 治(はまなか おさむ、1978年7月9日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)、コーチ。2015年から阪神タイガースでコーチを務めており、現在は二軍打撃コーチを務める。
吉見 祐治(よしみ ゆうじ、1978年5月21日 - )は、… 吉見 祐治(よしみ ゆうじ、1978年5月21日 - )は、高知県生まれ、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は横浜DeNAベイスターズのスカウト。 和歌山県立星林高等学校では3年夏にエース・濱中治の南部高に準々決勝で敗れる。東北福祉大学に進学。大学の同期には洗平竜也と歌藤達夫がおり、4年時投手としての位置付けは吉見がエース、洗平が二番手、歌藤は三番手以降だった。2年秋には明治神宮大会の決勝で先発を任されるが敗れた。3年秋には宮城教育大戦で5回コールド参考記録ながらノーヒットノーランを達成、7連続奪三振。仙台地区の選抜チームによるキューバ戦でも5回無失点の好投。2000年に春のリーグ戦では毎回の17奪三振を記録した他、5試合登板のすべて先発完封のシーズン無失点で最優秀選手、ベストナインを受賞し第49回全日本大学野球選手権大会で準優勝、日米大学野球、シドニーオリンピック野球日本代表に選出。
小坂 将商(こさか まさあき、1977年7月23日 - )は… 小坂 将商(こさか まさあき、1977年7月23日 - )は、和歌山県那賀郡那賀町(現紀の川市)出身の高校野球指導者。智辯学園高等学校(奈良県五條市)・硬式野球部監督。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
谷 浩弥(たに ひろや、1977年7月1日 - )は、和歌山… 谷 浩弥(たに ひろや、1977年7月1日 - )は、和歌山県日高郡美浜町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
井上 紘一(いのうえ こういち、1976年12月16日 - … 井上 紘一(いのうえ こういち、1976年12月16日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(外野手)。1996年から1999年までの登録名は井上 煌千。
生駒 雅紀(いこま まさき、1975年2月5日 - )は、和… 生駒 雅紀(いこま まさき、1975年2月5日 - )は、和歌山県有田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学3年で野球を始め、小学5年生から投手。和歌山県立吉備高等学校時代の3年夏の県大会は2回戦敗退。日立製作所では1995年、1996年都市対抗野球に出場した。ドラフト4位で日本ハムファイターズに入団。 1997年は、ルーキーながら1軍登板を経験し、2年目の1998年は登板数も若干ながら増え防御率も上向いた。 3年目の1999年には、先発11試合を含む30試合に登板し2勝8敗4セーブという成績を収め、翌2000年は中継ぎで28試合に登板した。 しかし、2001年以降登板数が激減し、2002年からは2年連続で一軍試合登板がなく、2003年に球団から戦力外通告を受ける。
高野 忍(たかの しのぶ、1974年12月10日 - )は、… 高野 忍(たかの しのぶ、1974年12月10日 - )は、和歌山県那智勝浦町出身の元プロ野球選手(外野手)、プロレスラー。現役途中からの登録名は「髙野 忍」。
松田 匡司(まつだ まさし、1974年11月16日 - )は… 松田 匡司(まつだ まさし、1974年11月16日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 星林高では1年夏に甲子園に出場。その後は投手となって、2年夏は県大会準優勝。 法大では、投手で1年秋にリーグ戦4試合に登板した後に外野手へ転向。投手としては高橋由伸にリーグ通算2号本塁打を浴びた。3年次に全日本大学野球選手権大会優勝、4年秋に東京六大学野球リーグのベストナインにも選ばれた。同期には副島孔太がいた。野手ではリーグ戦通算20試合、48打数26安打11打点、打率.546。 社会人野球チームシダックスでは、都市対抗野球に補強を含めて3年連続出場してベスト4も経験。1999年の日本選手権初優勝に大きく貢献し、同年のドラフトで阪神タイガース7位指名を受けて入団。
千原 淳弘(ちはら あつひろ、1973年10月3日 - )は… 千原 淳弘(ちはら あつひろ、1973年10月3日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。 野球部の強化を進めていた和歌山県立日高高等学校中津分校に入学し、1991年のドラフト会議で西武から6位で指名を受けた。契約金と年俸それぞれ3,500万円、400万円(いずれも推定)で入団契約を結び、同校出身者としては垣内哲也に続く2人目のプロ野球選手となっている。スライダーが武器。 一軍での登板はなく、1997年に現役を引退して西武の打撃投手となった。その後、スコアラーに転身している。2023年からは阪神のスコアラーに就任する。
林 孝哉(はやし たかや、1973年6月1日 - )は、和歌… 林 孝哉(はやし たかや、1973年6月1日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ、スカウト。
南 真一郎(みなみ しんいちろう、1973年4月11日 - … 南 真一郎(みなみ しんいちろう、1973年4月11日 - )は、和歌山県新宮市出身(出生は東京都調布市)の元プロ野球選手(投手)。 新宮商業高では2年夏の県大会2回戦で6回参考記録ながらノーヒットノーランを達成し卒業後、社会人野球の新日本製鐵堺を経て、1994年のドラフト会議で近鉄バファローズから3位指名を受け入団。社会人の先輩となる野茂英雄とは入れ替わりであった。 1996年シーズン終盤に1軍へ昇格、1試合に投げる。 1998年シーズン途中、大森剛との交換トレードで背尾伊洋とともに巨人へ移籍。9試合に登板、勝敗はつかなかったものの近鉄時代を上回る10回と3分の1を投げる。1999年は中継ぎに定着し、プロ初勝利を含む2勝を挙げる。
西口 文也(にしぐち ふみや、1972年9月26日 - )は… 西口 文也(にしぐち ふみや、1972年9月26日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。現役時代21年間全て西武に所属したフランチャイズ・プレイヤー。
金森 隆浩(かなもり たかひろ、1972年8月12日 - )… 金森 隆浩(かなもり たかひろ、1972年8月12日 - )は、和歌山県有田郡湯浅町出身の元プロ野球選手(投手)。
小久保 裕紀(こくぼ ひろき、1971年10月8日 - )は… 小久保 裕紀(こくぼ ひろき、1971年10月8日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球監督。現在は福岡ソフトバンクホークスの一軍監督を務める。 現役時代は福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークス、読売ジャイアンツに所属し、両球団で主将を務めた。2005年から2009年まで社団法人日本プロ野球選手会の第10代理事長を務めた。バルセロナオリンピック野球の銅メダリスト。 引退後の2013年からはNHKの野球解説者を務める一方、同年より2017年まで、日本代表(侍ジャパン)の監督を務めた。2021年シーズンは福岡ソフトバンクホークスのヘッドコーチ、2022年シーズンからは同二軍監督を務め、2024年シーズンより一軍監督を務める。
川口 朋保(かわぐち ともやす、1971年9月14日 - )… 川口 朋保(かわぐち ともやす、1971年9月14日 - )は、日本の元野球選手(内野手)、野球指導者である。 和歌山県和歌山市出身。和歌山県立桐蔭高等学校では3年夏の県大会準決勝で小久保裕紀がいた星林高を破って決勝へ進むが智弁和歌山高に延長13回サヨナラ負け。明治大学に進学して3年春にベンチ入りを果たすも同期に鳥越裕介らがいてレギュラー獲得には至らず、代打要員での出場が主であった。他の同期に柳沢裕一、1学年上に古沢淳、2学年下に野村克則がいた。1994年に三菱自動車工業に入社し、三菱自動車岡崎でプレーした。同僚に谷佳知、岩下修一がいた。 2000年10月、監督の堀井哲也よりマネジャー就任の打診を受けたことから現役を引退。
山田 和幸(やまだ かずゆき、1971年4月20日 - )は… 山田 和幸(やまだ かずゆき、1971年4月20日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手)。 那賀高では3年夏の県大会ベスト8、早稲田大学に進学。 入学後、野球部では強打の二塁手として大越基、仁志敏久とともに1年春からベンチ入りを果たすもわずか3か月で退部し、3年次から準硬式野球部に入部すると全日本大学準硬式野球選手権で優勝。4年春はリーグ戦で捕手としてベストナイン。 一般企業へ就職が内定したが、社会人野球を続けることを目指して留年していたところ1994年のドラフトで6位指名を受け西武ライオンズに入団。しかし、内臓疾患の病気によりわずか2年で退団することとなる。 退団後は海外でプレーを続けたが、引退し一般企業に就職した。
芝﨑 和広(しばさき かずひろ、1971年4月4日 - )は… 芝﨑 和広(しばさき かずひろ、1971年4月4日 - )は、和歌山県御坊市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は埼玉西武ライオンズの若獅子寮副寮長。 和歌山県立日高高等学校中津分校では垣内哲也の1年後輩に当たり、バッテリーを組んだ。3年の春季県大会はベスト4まで進出した。卒業後は社会人野球の大和銀行に進み、1994年は都市対抗に大阪ガスの補強選手として2回戦で先発するも敗戦。1997年の都市対抗では中山製鋼の補強選手として出場。三菱自動車川崎との1回戦で先発に起用されるが、四死球を連発し4回に降板、敗戦投手となる。この時のチームメイトに高野忍がいた。 1997年のドラフト6位で西武ライオンズに入団。
松本 尚樹(まつもと なおき、1970年9月11日 - )は… 松本 尚樹(まつもと なおき、1970年9月11日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は千葉ロッテマリーンズ本部長補佐兼編成部長[1]。
市場 孝之(いちば たかゆき、1970年9月8日 - )は、… 市場 孝之(いちば たかゆき、1970年9月8日 - )は、和歌山県田辺市出身の元大相撲力士、元プロ野球選手(外野手)。 大相撲廃業後にNPBに進んだという異色の経歴の持ち主。 田辺市立明洋中学校時代は野球部で4番を打つ傍らで相撲部でも活躍し、1986年3月の中学卒業と同時に佐渡ヶ嶽部屋に入門して同年3月場所に琴市場(こといちば)の四股名で初土俵を踏んだ。1987年3月場所では6勝1敗の好成績をおさめ、翌5月場所には自己最高位となる序二段42枚目まで昇格したが左膝捻挫のために途中休場し、同年9月場所限りで廃業した。 大相撲廃業後は、1988年4月に国際海洋高校へ入学するとともに、野球部に入部した。
垣内 哲也(かきうち てつや、1970年6月6日 - )は、… 垣内 哲也(かきうち てつや、1970年6月6日 - )は、和歌山県日高郡川辺町(現:日高川町)出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)・コーチ。 日高高中津分校から、1988年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから3位指名を受け、契約金3000万円・年俸400万円(金額は推定)で捕手として入団。分校出身者(硬式)としてはプロ野球史上初の指名であった。強打・俊足の持ち主で、「秋山二世」、「和製大砲」と呼ばれる。 正捕手・伊東勤の存在で出場機会に恵まれなかったが、1990年にファームで頭角を現す。 1991年から強打を生かす為、外野手にコンバートされた。イースタン・リーグで本塁打、打点の2冠を獲得した。
吉本 亮(よしもと りょう、1969年11月22日 - )は… 吉本 亮(よしもと りょう、1969年11月22日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(捕手)、元野球監督。 御坊商工高では2年時の選抜高校野球に出場し、高村祐がエースの宇都宮南高にサヨナラ負け。 1988年に王子製紙春日井(現・王子硬式野球部)に入部。 1992年の都市対抗野球で2本塁打を放ちスカウトの注目を集める。同年のドラフト4位で広島東洋カープに入団。背番号40。この背番号はこの年限りで引退した達川光男の着けていたものであり、球団の期待の大きさがうかがえる。しかし、控え捕手のレベルには達してもスタメンマスクを奪い取るまでには至らなかった。 1996年6月に入来智とのトレードで近鉄バファローズに移籍。
原井 和也(はらい かずや、1968年6月17日 - )は、… 原井 和也(はらい かずや、1968年6月17日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、コーチ等の野球指導者。
杉浦 正則(すぎうら まさのり、1968年5月23日 - )… 杉浦 正則(すぎうら まさのり、1968年5月23日 - )は、和歌山県出身の元アマチュア野球選手(投手)。日本生命勤務。 社会人野球や日本代表のエースとして活躍し、「ミスターアマ野球」と呼ばれる。日本生命硬式野球部元監督。 和歌山県伊都郡九度山町出身。九度山町立九度山中学校から和歌山県立橋本高等学校に進む。1986年の春季近畿大会に県予選を勝ち抜き進出。1回戦で京都商に延長12回サヨナラ勝ち、しかし準決勝では比叡山高に惜敗した。同年夏は県予選で敗れ、甲子園には届かなかった。 同志社大学商学部に進学。関西学生野球リーグでは、1990年秋季リーグで5勝を挙げ14季ぶりの優勝に貢献、最優秀選手に選ばれた。
川端 一彰(かわばた かずあき、1968年3月12日 - )… 川端 一彰(かわばた かずあき、1968年3月12日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。 現在は、横浜DeNAベイスターズのチーム運営部スコアラー。 星林高校から中央大学へ進学。1学年上に笘篠賢治、2学年下に中山雅行がいた。入学時は2部リーグも、1部昇格した2年春からレギュラーとなり、4年春は東都大学リーグ3位となる打率.357を記録するが当時の中大は低迷期にあり、入替戦で敗れると最後の秋季リーグ戦は2部。一部リーグ通算60試合出場、209打数53安打、打率.254、2本塁打、8打点。 1989年のプロ野球ドラフト会議にて横浜大洋ホエールズから5位で指名を受けて入団。
竹中 則行(たけなか のりゆき、1967年11月4日 - )… 竹中 則行(たけなか のりゆき、1967年11月4日 - )は、和歌山県にあったプロ野球・独立リーグチームである紀州レンジャーズの球団会社株式会社紀州レンジャーズ代表取締役、映像制作会社アイシーブレーン代表。身長171cm、体重67kg、血液型B型。 映像制作ディレクターを経て、各種映像・イベントの企画プロデュースや町づくり・地域活性化プランのプロデュースなどを行う。 2006年3月30日に開催された“和歌山箕島球友会”VS茨城ゴールデンゴールズの試合をプロデュースした際に、木村竹志監督と出会い和歌山でのプロ野球球団立上げに向けて活動をはじめる。 2008年に紀州レンジャーズを発足させ、2009年から発足した独立リーグの関西独立リーグに加盟し活動していたが、2013年シーズン終了後に脱退し、2014年以降は活動を休止し、2017年に活動を終了した。
横田 久則(よこた ひさのり、1967年9月8日 - )は、… 横田 久則(よこた ひさのり、1967年9月8日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(投手、右投左打)、監督、コーチ。 松江小学校時代から、投手として父親の指導のもと活躍していた。その頃はチームメートの方が超小学級として騒がれていたが、中学以降からその才能をのばしていった。 那賀高等学校から、1985年度プロ野球ドラフト会議にて西武ライオンズから6巡目指名を受けて入団。 1986年、アメリカ1A・サンノゼ・ビーズに野球留学。 1987年に5勝を挙げたが、その後は肩の故障などで苦しんだ。また故障がちであったため、「ブルペンエース」というニックネームがついた。また同期入団で同い年の清原和博は現役時代の横田について「あいつの苦労に比べたら俺の苦労なんて小さいもの」と語っていた。
松山 秀明(まつやま ひであき、1967年4月18日 - )… 松山 秀明(まつやま ひであき、1967年4月18日 - )は、和歌山県伊都郡九度山町出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ。 PL学園高校では清原和博、桑田真澄のKKコンビと同期、3年時には主将を務め、ともにPL黄金期を築いた。1985年春の選抜に三塁手として出場。準決勝で渡辺智男を擁する伊野商に敗退。同年夏の選手権では二塁手に回る。この大会は順調に勝ち進み、決勝で宇部商を降し優勝を飾る。この試合でサヨナラヒットを放ち注目を集めた。同期では他に今久留主成幸、内匠政博がプロ入りした。 卒業後は青山学院大学へ進学。東都大学野球リーグでは同期のエース吉田直喜を擁し、1988年秋季リーグで創部以来106年で初のリーグ初優勝を経験翌1989年は1年下の奈良原浩と二遊間を組み活躍。
嶋田 章弘(しまだ あきひろ、1966年6月27日 - )は… 嶋田 章弘(しまだ あきひろ、1966年6月27日 - )は、和歌山県有田市出身の元プロ野球選手。
山崎 慎太郎(やまさき しんたろう、1966年5月19日 -… 山崎 慎太郎(やまさき しんたろう、1966年5月19日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。
山下 徳人(やました のりひと、1965年10月11日 - … 山下 徳人(やました のりひと、1965年10月11日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(外野手)。
吉井 理人(よしい まさと、1965年4月20日 - )は、… 吉井 理人(よしい まさと、1965年4月20日 - )は、和歌山県有田郡吉備町(現:有田川町)出身の元プロ野球選手(投手)。現在は北海道日本ハムファイターズの一軍投手コーチ。
西 俊児(にし しゅんじ、1965年1月17日 - )は、和… 西 俊児(にし しゅんじ、1965年1月17日 - )は、和歌山県海南市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。 叔父に元プロ野球選手の西五十六・西三雄兄弟がいる。 和歌山・大成高は川の近くにある学校で、グラウンドに岩が出ている時もあった。ノックを受けると、球がイレギュラーして体に当たるため、球に体で向かってゆくようになった。3年次の1982年、遊撃手として春の選抜に出場。静岡市立高を降し2回戦に進むが、中京高の野中徹博投手に0-1で完封負けを喫する。同年夏の県予選では準々決勝に進むが、新宮高に9回サヨナラ負けを喫し、甲子園には届かなかった。 高校卒業後は1983年に専修大学へ進学し、関清和・畝龍実両投手に宮里太捕手と同期になるが、東都大学野球リーグでは二部降格も経験。
植田 幸弘(うえだ ゆきひろ、1964年7月27日 - )は… 植田 幸弘(うえだ ゆきひろ、1964年7月27日 - )は、和歌山県田辺市[1]出身の元プロ野球選手(捕手)。現在は、広島東洋カープ一軍バッテリーコーチ。
畑山 俊二(はたやま しゅんじ、1964年6月11日 - )… 畑山 俊二(はたやま しゅんじ、1964年6月11日 - )は、和歌山県海南市出身の元プロ野球選手。
久保 文雄(くぼ ふみお、1962年12月3日 - )は、和… 久保 文雄(くぼ ふみお、1962年12月3日 - )は、和歌山県伊都郡高野口町出身の元プロ野球選手(投手)。左投右打。 伊都高では、1年次の1978年に夏の県大会準決勝に進み先発を任されるが、藤村雅人が先発し、岡本哲司のいた吉備高に敗退。1980年の春季近畿大会では内田昌作投手との二本柱で準決勝に進むが、自身は四番・一塁手として出場して山脇光治が先発登板した浪商高に9回裏サヨナラ負け。同年夏も四番・一塁手として県大会決勝に進出するが、箕島高に敗れる。 1980年オフに、ドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。 主に対左打者用のワンポイントとして起用され、左腕投手不足だった当時の大洋で期待された。
古谷 盛人(ふるたに もりと、1962年10月26日 - )… 古谷 盛人(ふるたに もりと、1962年10月26日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手)。古谷施術院(名古屋)院長。 熊野高では、捕手として1980年春季近畿大会で、1回戦で天理高に勝ち準決勝に進むが、東洋大姫路高に惜敗。同年夏の甲子園県予選は準決勝で箕島高に延長15回サヨナラ負けを喫する。 同年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。5年目の1985年から内野手に転向し、同年に一軍デビューする。1987年限りで現役引退。 引退後は球団職員を経て、医療専門学校を卒業し、1993年に愛知県名古屋市昭和区にて古谷施術院(名古屋)を開業。野球教室「古谷野球塾」や、マンツーマンアスリートコーチングで野球指導にも携わる。
嶋田 宗彦(しまだ むねひこ、1962年2月17日 - )は… 嶋田 宗彦(しまだ むねひこ、1962年2月17日 - )は、和歌山県有田市出身の元プロ野球選手(捕手)。弟は元プロ野球選手の嶋田章弘。
正田 耕三(しょうだ こうぞう、1962年1月2日 - )は… 正田 耕三(しょうだ こうぞう、1962年1月2日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者、野球解説者。
木村 竹志(きむら たけし、1961年7月10日 - )は、… 木村 竹志(きむら たけし、1961年7月10日 - )は、和歌山県有田市出身の元プロ野球選手(投手)、監督、実業家。旧名:石井 毅(いしい たけし)。
山﨑 章弘(やまさき あきひろ、1961年5月2日 - )は… 山﨑 章弘(やまさき あきひろ、1961年5月2日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(捕手)、野球指導者。
岡本 哲司(おかもと てつじ、1961年3月15日 - )は… 岡本 哲司(おかもと てつじ、1961年3月15日 - )は、和歌山県有田郡金屋町(現:有田川町)出身の元プロ野球選手(捕手)、野球指導者。右投右打。 和歌山県立吉備高校(現在の有田中央高校)では、捕手であったにもかかわらず、チーム事情で投手として起用。1年下のチームメートに、藤村雅人投手がいた。 3年生だった1978年には、第50回選抜高等学校野球大会に出場。岐阜高校との1回戦に先発で登板したものの、チームは初戦で敗退した。夏の選手権和歌山県大会では、決勝で箕島高校と対戦したが、石井毅 - 嶋田宗彦の2年生バッテリーの前に完封負けを喫した。 高校卒業後に神戸製鋼へ入社すると、捕手に復帰。1984年の都市対抗に出場すると、その年のドラフト会議で、横浜大洋ホエールズから6位で指名された。
小田 真也(おだ しんや、1961年1月18日 - )は、和… 小田 真也(おだ しんや、1961年1月18日 - )は、和歌山県新宮市出身の元プロ野球選手(投手)。 新宮商業高から社会人野球の京都大丸→大丸を経て、1981年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから3位指名を受け入団。 セットポジションから投げる左のサイドスローで、主にカーブ・シュートを武器とし、西武黄金時代に市村則紀と共に左のワンポイントとして起用された。 1984年に一軍デビュー。 1986年までは先発経験もあった。 1987年以降はリリーフに専念。 1988年にはチーム最多の41試合に登板した。 1993年には新人の杉山賢人の台頭もあり9年ぶりに1軍未登板に終わるとこの年限りで現役を引退した。
石井 雅博(いしい まさひろ、1960年9月4日 - )は、… 石井 雅博(いしい まさひろ、1960年9月4日 - )は、和歌山県有田市出身の元プロ野球選手(外野手)。
上川 誠二(かみかわ せいじ、1960年3月27日 - )は… 上川 誠二(かみかわ せいじ、1960年3月27日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手)。
吉田 幸夫(よしだ ゆきお、1958年7月23日 - )は、… 吉田 幸夫(よしだ ゆきお、1958年7月23日 - )は、元アマチュア野球選手である。ポジションは投手。 和歌山県田辺市出身。南部高校でアンダースローとなり、卒業後は青山学院大学経営学部に入学し硬式野球部に所属する。入部時は東都大学リーグ2部リーグであったが、大学3年次の1979年春の入替戦で専修大学に勝利。1部に昇格すると最優秀投手、1学年上の藤倉一雅とともにベストナインを受賞。4年次は主将も務めた。 大学卒業後の1981年に社会人野球のプリンスホテルに入社する。同期に川村一明、高山郁夫がいた。1984年にエースとしてロサンゼルスオリンピック野球日本代表に選ばれ、伊東昭光や宮本和知とともに投手陣の一角として活躍し、オリンピックでの金メダル獲得に貢献した。
西村 博巳(にしむら ひろみ、1958年5月20日 - )は… 西村 博巳(にしむら ひろみ、1958年5月20日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 伊都高では1975年、2年生の時に左腕エース福田浩二(近大-拓銀)を擁し、外野手として春の選抜に出場。しかし1回戦で札幌商に敗退。同年夏は県予選を勝ち抜き、紀和大会決勝に進出するが、天理高に0-1で惜敗。翌年も甲子園出場には届かなかった。 高校卒業後は、社会人野球の住友金属に入団。中心打者として活躍し、1978年の都市対抗野球では優秀選手賞を獲得。1979年には日本選手権で2年ぶりに優勝、同年の社会人ベストナイン(外野手)に選出された。1981年の第5回インターコンチネンタルカップ日本代表となる。
島本 啓次郎(しまもと けいじろう、1955年7月15日 -… 島本 啓次郎(しまもと けいじろう、1955年7月15日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(外野手)。
竹中 雅彦(たけなか まさひこ、1954年12月 - 201… 竹中 雅彦(たけなか まさひこ、1954年12月 - 2019年10月16日)は、和歌山県和歌山市出身の日本の高校野球指導者。社会科教諭。 和歌山県の桐蔭高校時代には、軟式野球部に所属。 成城大学に進学後に硬式野球部に入部し、硬式野球に転じる。 大学卒業後は、社会科教員として故郷の和歌山県に帰郷し、1980年には母校の桐蔭高校で軟式野球部の監督として指導に当たる。新宮高校、星林高校ではそれぞれ硬式野球部の部長を務めた。星林高校時代の教え子には、小久保裕紀らがいる。1988年には、和歌山県高等学校野球連盟常任理事に就任。1996年には、当時全国最年少で県高野連理事長に就任。 2003年には、日本高等学校野球連盟常任理事や選抜大会選考委員に就任。
中出 謙二(なかで けんじ、1954年11月3日 - )は、… 中出 謙二(なかで けんじ、1954年11月3日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(捕手)。 和歌山工業高では3年次の1972年、夏の甲子園和歌山県予選準々決勝に進むが、桐蔭高に敗れる。 卒業後は1973年に新日本製鐵堺へ入社し、都市対抗に4年連続で出場したほか、1977年には第3回インターコンチネンタルカップ日本代表に選出される。ヤクルトの片岡宏雄スカウトが大矢明彦に続く捕手を獲得するため、新日鉄堺グラウンドへ中出の視察に赴いたことがあったが、現役時代捕手でもあった片岡は「こんなレベルじゃプロでは通用せえへんな」と、即決で中出の獲得を断念。この時に片岡の目に留まったのが中出の後輩の投手・尾花高夫である。
大屋 好正(おおや よしただ、1953年10月26日 - )… 大屋 好正(おおや よしただ、1953年10月26日 - )は、和歌山県海南市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。