スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
北代 祐太(きたしろ ゆうた、1988年11月10日 - )… 北代 祐太(きたしろ ゆうた、1988年11月10日 - )は、日本のコメディアン、俳優。 和歌山県新宮市出身。2007年和歌山県立新宮高等学校卒業、2011年大阪市立大学文学部卒業。吉本興業所属。 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。
巽 真悟(たつみ しんご、1987年1月10日 - )は、和… 巽 真悟(たつみ しんご、1987年1月10日 - )は、和歌山県東牟婁郡古座川町出身の元プロ野球選手(投手)。
堤 一之(つつみ かずゆき、1976年10月24日 - )は… 堤 一之(つつみ かずゆき、1976年10月24日 - )は、和歌山県出身の元ハンドボール選手。ポジションは両サイド。 父(堤 啓二)が監督を務める新宮高等学校でハンドボールを始め、中部大学を経てHC東京WINGSに入団。高校時代はバックプレーヤーであったが、大学時代にサイドプレーヤーに転向。167cmと非常に小柄で軽量級ではあるが、スピードと多彩なシュートテクニックを具え持ち、HC東京では須藤武志、田中将らとの併用で途中出場が多かったが、出番が来ればシュート&シュートメイクを正確にできる選手であった。チーム内の同期武藤崇之、木村祐介と仲が良かった。 HC東京廃部後(2006年)引退。2008年に女子バスケットボール選手の堀部涼子(ユニチカ-JAL)と結婚している。
平野 義久(ひらの よしひさ、1971年12月7日 - )は… 平野 義久(ひらの よしひさ、1971年12月7日 - )は、日本の作曲家、編曲家。和歌山県新宮市出身。 1992年に渡米しジュリアード音楽院の教授に師事。その後、イーストマン音楽大学に入学した。1999年に帰国後、劇伴音楽の作曲や編曲などを手掛けている。クラシック音楽に深く根ざした優雅な作風からポップスや現代音楽に近い作品も見られる。卓越したオーケストレーション技術に裏付けされた高い音楽性が印象的。 ALI PROJECTの楽曲の編曲やオーケストレーションでも知られる。また、ピアニストの細田真子とBleuというユニットを組んでCDをリリースしている。
藪 恵壹(やぶ けいいち、本名:藪 恵一〈読み同じ〉、196… 藪 恵壹(やぶ けいいち、本名:藪 恵一〈読み同じ〉、1968年9月28日 - )は、三重県南牟婁郡御浜町出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ。1994年の登録名は藪 恵市(読み同じ)。愛称は「恵ちゃん」。
山崎 慎太郎(やまさき しんたろう、1966年5月19日 -… 山崎 慎太郎(やまさき しんたろう、1966年5月19日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。
久木留 毅(くきどめ たけし、1965年12月28日 - )… 久木留 毅(くきどめ たけし、1965年12月28日 - )は、専修大学文学部教授(スポーツ情報戦略)。博士(スポーツ医学)。和歌山県出身。 株式会社リクルート、北里大学、国際協力機構青年海外協力隊(シリア・アラブ共和国派遣)、参議院議員馳浩事務所等を経て現在に至る。 著書以外のもので関わりがあるもの
久島海 啓太(くしまうみ けいた、1965年8月6日 - 2… 久島海 啓太(くしまうみ けいた、1965年8月6日 - 2012年2月13日)は、和歌山県新宮市出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は久嶋 啓太(くしま けいた)。身長187cm、体重204kg。得意手は右四つ、寄り、極め出し、小手投げ。最高位は東前頭筆頭。愛称はネッシーにかけた怪物クッシー 新宮市で靴製造販売業を営む家に二男として生まれる。4歳の時に相撲好きである父親の指導で相撲を始めたが、小学校では卓球や陸上を、中学校ではバスケットボールをやっていた。 和歌山県立新宮高等学校へ進学した時は186cm・160kgと堂々たる体格で、1年生から3年生まで3年連続で全国高等学校相撲選手権大会で優勝を果たし、高校3年時には全日本相撲選手権大会でも優勝し、史上初となる高校生でのアマチュア横綱を獲得して、同年齢で中学生横綱を2年連続で獲得した秋本久雄とともに高校卒業後の進路が注目されたが、教員志望で高卒後のプロ入りはせず日本大学への進学を明言した。
鈴木 理策(すずき りさく、1963年 - )は日本の写真家… 鈴木 理策(すずき りさく、1963年 - )は日本の写真家。ロードムービーのような作風で知られる。東京芸術大学美術学部先端芸術表現科准教授。立教大学兼任講師・東京綜合写真専門学校講師。早稲田大学第二文学部非常勤講師を務めたこともある。 写真集「KUMANO」では東京の自宅から夜行バスに乗り熊野神社へ、「Piles of time」では恐山へ、と聖地へと向かう道のりを多く撮っている。
田岡 実千年(たおか みちとし、1961年〈昭和36年〉2月… 田岡 実千年(たおか みちとし、1961年〈昭和36年〉2月13日 - )は、日本の政治家。元和歌山県新宮市長(4期)。 和歌山県新宮市出身。1979年(昭和54年)3月、和歌山県立新宮高等学校卒業。1985年(昭和60年)3月、大阪芸術大学芸術学部卒業。同年4月、株式会社カメラのタオカに勤める。1990年(平成2年)、同社の代表取締役に就任。また、1987年(昭和62年)6月からは毎日放送報道局新宮駐在員を兼職した。2008年(平成20年)9月、カメラのタオカと放送局駐在員を退職。 2009年(平成21年)10月の新宮市長選挙で初当選。10月30日、市長就任。 2025年6月17日、健康面の原因により、同年10月の新宮市長選挙に立候補しないと表明した。
岩出 雅之(いわで まさゆき、Masayuki Iwade、… 岩出 雅之(いわで まさゆき、Masayuki Iwade、1958年2月21日 - )は、日本のラグビー指導者、元ラグビー選手。帝京大学ラグビー部前監督、帝京大学スポーツ医科学センター教授、帝京大学スポーツ局局長。元高校ラグビー日本代表監督。 1958年、和歌山県新宮市生まれ。新宮高校を経て1980年、日本体育大学体育学部卒業。日体大ラグビー部ではフランカーとしてレギュラーで活躍し、大学4年次には主将としてチームをまとめた。1978年全国大学ラグビー選手権大会では決勝で明治大学を破り同大学2度目の大学日本一に輝いた。 日本体育大学を卒業後、滋賀県の教員採用試験に合格、県内の公園管理勤務を経て中学校教員を歴任。
岡田 章(おかだ あきら、1954年3月4日 - )は、日本… 岡田 章(おかだ あきら、1954年3月4日 - )は、日本の経済学者。専門は、ゲーム理論・理論経済学。一橋大学名誉教授。日本を代表する世界的なゲーム理論研究者。2014年6月から約1年間第46代日本経済学会会長歴任。和歌山県新宮市生まれ。
峯本 達雄(みねもと たつお、1953年6月12日 - )は… 峯本 達雄(みねもと たつお、1953年6月12日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投右打。
庄司 智久(しょうじ ともひさ、1953年5月30日 - )… 庄司 智久(しょうじ ともひさ、1953年5月30日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(外野手)。
田村 さと子(たむら さとこ、1947年3月26日 - 20… 田村 さと子(たむら さとこ、1947年3月26日 - 2020年1月19日)は、日本のラテンアメリカ文学研究者、詩人、元帝京大学教授。 和歌山県新宮市生まれ。本姓・川村。夫は新潟県副知事・立教大学教授を務めた自治省官僚の川村仁弘。小学校から和歌山県立新宮高等学校まで、中上健次と同級だった。1978年お茶の水女子大学家政学部卒業。メキシコ国立自治大学でラテンアメリカ文学を、スペイン国立マドリード大学で詩論を学ぶ。1989年お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士課程中退。1991年、「ガブリエラ・ミストラルの「死のソネット」研究」(川村さと子)で同大学術博士。1992年帝京大学助教授、のち教授。
中上 健次(なかがみ けんじ、1946年〈昭和21年〉8月2… 中上 健次(なかがみ けんじ、1946年〈昭和21年〉8月2日 - 1992年〈平成4年〉8月12日)は、日本の小説家。妻は作家の紀和鏡、長女は作家の中上紀。 和歌山県新宮市生まれ。和歌山県立新宮高等学校卒業。新宿でのフーテン生活の後、羽田空港などで肉体労働に従事しながら作家修行をする。1976年『岬』で第74回芥川賞を受賞、戦後生まれで初めての芥川賞作家となった。 紀伊半島(紀伊)を舞台にした数々の小説を描き、ひとつの血族と「路地」(中上は被差別部落の出身で、自らの生まれた部落を「路地」と名付けた)のなかの共同体を中心にした「紀州熊野サーガ」とよばれる独特の土着的な作品世界を作り上げた。 主要作品に『枯木灘』(毎日出版文化賞、芸術選奨新人賞)『千年の愉楽』『地の果て 至上の時』『奇蹟』などがある。
後藤 忠弘(ごとう ただひろ、1939年7月15日 - )は… 後藤 忠弘(ごとう ただひろ、1939年7月15日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは外野手。
前岡 勤也(まえおか きんや、1937年8月13日 - )は… 前岡 勤也(まえおか きんや、1937年8月13日 - )は三重県亀山市出身の元プロ野球選手。旧姓、旧登録名(1958年まで)は井崎勤也(いざき きんや)。
岡田 守雄(おかだ もりお、1937年1月12日 - )は、… 岡田 守雄(おかだ もりお、1937年1月12日 - )は、和歌山県新宮市[1]出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
中平 穂積(なかだいら ほづみ、1936年8月3日 - 20… 中平 穂積(なかだいら ほづみ、1936年8月3日 - 2024年12月1日)は、日本のジャズ・フォトグラファー。国内外の著名なジャズミュージシャンと親交があり、アルバムのジャケット撮影や、経営するジャズ喫茶にて、ライブやレコーディングを多数おこなっている[要出典]。 和歌山県本宮町(現・田辺市)生まれ。和歌山県立新宮高等学校を経て、1960年日本大学芸術学部写真学科卒業。1961年2月、新宿に「DIG」を開店する。3月、「ジャズ・アーティスト写真展」を開催した。同月に結婚する。 1963年に「DIG」渋谷店をオープンする。1965年に、「ジャズ・カレンダー」の製作を開始した。 1966年、初渡米し、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイビスを撮影。
井上 敦(いのうえ あつし、1936年(昭和11年)6月14… 井上 敦(いのうえ あつし、1936年(昭和11年)6月14日 ‐ 2011年(平成23年)3月20日)は、日本の政治家。日本共産党所属の衆議院議員。 和歌山県生まれ。三重県南牟婁郡鵜殿村出身。1955年(昭和30年)和歌山県立新宮高等学校を卒業。同県新宮市議会議員、紀南地区労働組合協議会書記次長、和歌山県振動病をなくす会顧問、日本共産党紀南地区委員長、同党和歌山県常任委員などを務めた。 1979年(昭和54年)の第35回衆議院議員総選挙で旧和歌山県第2区から出馬し初当選。当選1回。議員在職中の1980年(昭和55年)4月25日、衆議院建設委員会にて浜田幸一元代議士の土地転がし問題を暴露した。同年の第36回総選挙で落選。
石垣 一夫(いしがき かずお、1931年8月4日 - 200… 石垣 一夫(いしがき かずお、1931年8月4日 - 2004年7月23日)は、和歌山県新宮市出身のプロ野球選手、コーチ、政治家。
古角 俊郎(こすみ としろう、1921年7月19日 - 20… 古角 俊郎(こすみ としろう、1921年7月19日 - 2013年1月8日[1])は、日本の高校野球指導者。和歌山県立新宮高等学校硬式野球部元監督、明治大学硬式野球部OB会の駿台倶楽部顧問を務めた。
平松 小いとゞ(ひらまつ こいとど、1916年(大正5年)9… 平松 小いとゞ(ひらまつ こいとど、1916年(大正5年)9月26日 - 1944年(昭和19年)6月7日)は、日本の俳人。 和歌山県新宮市出身。父・竈馬の影響下、高濱虛子に師事、時にユーモアを交えた繊細で家庭的な温もりを持つ作風であったが、学徒動員で出兵、中国河南省での作戦に従軍、戦闘中に敵軍の銃弾に斃れた。《紙白く書き遺すべき手あたゝむ》は、出兵に際しての遺書とも取れ、命日は「白紙忌」と名付けられた。 1916年(大正5年)9月26日、父・平松竈馬(「ホトトギス」俳人、本名義彦、俳号はいとどとも、いとゞとも記される)、母・おとえの長男として、和歌山県東牟婁郡新宮町磐盾に生まれる。本名は一郎。
畑中 武夫(はたなか たけお、1914年(大正3年)1月1日… 畑中 武夫(はたなか たけお、1914年(大正3年)1月1日 - 1963年(昭和38年)11月10日)は、日本の天文学者。日本の電波天文学の開拓者として知られている。 和歌山県田辺市に生まれたが、少年時代に新宮市に引っ越したので、同市を出身地とした。旧制新宮中学校(現・和歌山県立新宮高等学校)時代から科学雑誌を読み、天文学を志す。旧制第一高等学校を経て、1937年東京帝国大学理学部天文学科卒業。はじめは理論天体物理学を専攻し、東京大学助手を経て、1945年講師となる。萩原雄祐の下で惑星状星雲の放射機構を研究し、同年9月、学位論文「惑星状星雲に於ける電離ヘリウム、二重電離酸素及び二重電離窒素原子間の光学的交互作用理論(英文)」により、理学博士の学位を取得。
西 律(にし りつ、1909年〈明治42年〉8月20日 - … 西 律(にし りつ、1909年〈明治42年〉8月20日 - 1983年〈昭和58年〉4月30日)は和歌山県の政治家・郷土史家。和歌山県東牟婁郡四村の村長、本宮町町議会議員をつとめた。政治家の職を退いた後、熊野九十九王子の調査に従事した。 西は1909年(明治42年)8月20日、和歌山県東牟婁郡四村(和歌山県田辺市本宮町)に生まれた。新宮中学校を中退した後、家業の林業に一時従事したが、陸軍に入隊し、郷里を出た。第二次大戦中は満州で軍役に就いたが、敗戦とともにソ連に抑留され、1949年(昭和24年)に帰国した。帰国後、1949年から四村の村長に就任し、水害にあった村の復旧など、政治家としての手腕を振るったが、1951年(昭和31年)に四村ほかいくつかの町村が合併して本宮町が成立する際の町長選で落選した。
村井 正誠(むらい まさなり、明治38年(1905年)3月2… 村井 正誠(むらい まさなり、明治38年(1905年)3月29日 - 平成11年(1999年)2月5日)は、明治 - 平成時代の洋画家。岐阜県大垣市出身。新宮市名誉市民。武蔵野美術大学名誉教授。閉校した文化学院および文化学院芸術専門学校(埼玉県庄和町)講師。元日本美術家連盟理事長。 抽象絵画の草分けの一人として活躍した。作品にシリーズ「URBAIN」などがある。 岐阜県に生まれ、村井昌澄と、とみゑの次男。眼科医のであった父の転勤によって、幼少期を和歌山県東牟婁郡新宮町(現・新宮市)で過ごす。新宮第一尋常小学校3年生の頃にスケッチをしている西村伊作(後に入学する文化学院の創設者)に出逢う。西村の作品を後ろから覗き見た経験が美術に対して興味を持つきっかけの一つになる。
廣岡 淑生 (ひろおか よしお、1898年(明治31年)9月… 廣岡 淑生 (ひろおか よしお、1898年(明治31年)9月1日 - 1988年(昭和63年)7月8日、本名 : 廣岡 九一)は、昭和期の音楽教育者であり、全日本吹奏楽連盟会長、日本吹奏楽指導者協会会長を務めた。名字が 広岡 と表記されることもある。 明治31年(1898年)、三重県上野市(現伊賀市)に生まれる。大正14年(1925年)東京音楽学校(現東京芸術大学)第四臨時教員養成所オルガン科卒業。和歌山県立新宮高等女学校(現和歌山県立新宮高等学校)教諭、昭和3年(1928年)東京府立第一商業高等学校(現東京都立第一商業高等学校)講師、東京府立大泉師範学校(現東京学芸大学教育学部)、お茶の水女子大学講師、川村学園講師を歴任。
石垣 栄太郎(いしがき えいたろう、1893年12月1日 -… 石垣 栄太郎(いしがき えいたろう、1893年12月1日 - 1958年1月23日)は、日本の洋画家。 1893年、和歌山県東牟婁郡太地町で船大工を生業とする石垣政治の子として生まれた。1901年、町立太地小学校に入学し、1907年に県立新宮中学校へ進学したが、1909年には1901年にアメリカへ移民していた父の呼びかけで退学して渡米した。1910年からカリフォルニア州ベーカーズフィールドでボーイなどとして働き、また日本人キリスト教会で英語を学び、聖書や社会主義の本などにも親しんだ。 1914年から絵画をサンフランシスコ美術学校やニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグで学び、1916年頃より絵画制作を始めたという。
佐藤 春夫(さとう はるお、1892年〈明治25年〉4月9日… 佐藤 春夫(さとう はるお、1892年〈明治25年〉4月9日 - 1964年〈昭和39年〉5月6日)は、近代日本の詩人・小説家。艶美清朗な詩歌と倦怠・憂鬱の小説を軸に、文芸評論・随筆・評伝作品・童話・戯曲・和歌とその活動は多岐に及び、明治末期から昭和中期まで旺盛に活動した。筆名を潮鳴、沙塔子、雅号を能火野人と称した。初代新宮市名誉市民。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 生家は医家。中学時代から文学好きで、文芸誌「スバル」に詩歌を投稿した。永井荷風を慕い慶應義塾に入学。生田長江に師事。与謝野鉄幹・晶子の東京新詩社に入った。 『西班牙犬の家』(1917年)などで認められ、『田園の憂鬱』(1917年)や『都会の憂鬱』(1922年)で作家的地位を確立。
小野 芳彦(おの よしひこ、1860年〈万延元年〉2月7日 … 小野 芳彦(おの よしひこ、1860年〈万延元年〉2月7日 - 1932年〈昭和7年〉3月2日)は、和歌山県の教育者・郷土史家。 旧制和歌山県立新宮中学校(現・和歌山県立新宮高等学校)で長きにわたって教壇に立ち、当地での尊敬の念を集めた。郷土史家としては、熊野新宮の本願庵主梅本家に秘伝であった編年体の記録を発掘し『熊野年代記』としてまとめたほか、没後に刊行された遺稿集『小野翁遺稿熊野史』(以下、『熊野史』)は、熊野の歴史と信仰の近代的研究の方向性を示したものとして評価されている。 小野は、万延元年(1860年)2月7日、和歌山県牟婁郡新宮町に生まれた。1875年(明治8年)5月、16歳で新宮小学校の教授手伝として勤務を始め、同年9月より当時の新宮にあった小学学科伝習所に入所し、小学科教授法を学んだ。
向井山 朋子(むかいやま ともこ)は、アムステルダムを拠点に… 向井山 朋子(むかいやま ともこ)は、アムステルダムを拠点に活動するピアニスト、アーティスト、ディレクター。 1991年ガウデアムス国際現代音楽演奏コンクール優勝。ソリストとしてロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、アンサンブル・モデルン、ロンドン・シンフォニエッタとも共演。1990年代より観客とお茶を飲んだりお喋りしながらピアノを弾く「リビングルーム」など、従来の演奏形式にとらわれない新しい形のステージを積極的に発表。ニューヨーク・リンカーンセンター、パリ・オペラ座などの劇場から、美術館、個人宅、公共空間、時には瀬戸内海の島の魚市場までありとあらゆる空間、オンラインがプラットフォーム。 2007年には「Tomoko Mukaiyama Foundation」をオランダで、2015年には日本で一般社団法人◯+(マルタス)を設立し自らアーティステックディレクターとしてプロデュースの分野でも活躍。
榎本 吉孝(えのもと よしたか)は、日本の知的財産学者・情報… 榎本 吉孝(えのもと よしたか)は、日本の知的財産学者・情報学者。弁理士。大阪工業大学知的財産専門職大学院教授。元特許庁審査第一部首席審査長。元日本貿易振興機構(JETRO)ソウル事務所副所長、元工業所有権情報・研修館(INPIT)審議役・知財活用支援センター長。元発明協会特許流通促進事業センター部長。ピラミデ国際特許事務所パートナー・弁理士。 専門は、特許権・特許情報・知的財産情報システム、国際特許・工業所有権(特に日本・韓国)・実用新案法、知的財産戦略(特に知的財産事業化)。 和歌山県立新宮高等学校卒業。1990年名古屋大学大学院理学研究科物理学専攻修士課程修了。通商産業省(現:経済産業省)特許庁に入庁、主に特許審査・審判実務に従事。