野坂 一郎(のざか いちろう、明治45年(1912年)6月2… 野坂 一郎(のざか いちろう、明治45年(1912年)6月20日 - 没年不明)は、日本の無線技師、実業家、作家。元ラジオ山陰(現山陰放送)常務。 鳥取県米子市長・野坂康夫の伯父。洋食のレストランおよびレコード、楽器店を営んだ野坂康久(“十字屋”経営主)の長男。 鳥取県西伯郡米子町(現米子市)出身。康久の長男。 昭和7年(1932年)無線電信講習所本科卒業。大阪商船外国航路通信士。上海華中電気通信股份有限公司日立造船各勤務を経て、昭和29年(1954年)3月ラジオ山陰(現山陰放送)に弟陞三と勤める。 その間昭和13年(1938年)サンデー毎日大衆文芸第一席に当選。週刊朝日小説に三席入賞以後作品約十五発表。
増谷 麟(ますたに りん、1892年8月 - 1967年5月… 増谷 麟(ますたに りん、1892年8月 - 1967年5月)は日本の現像技師、実業家である。PCL(現在のソニーPCL)創立社長、日本ポリドール社長等を歴任、「ソニー育ての親」として知られる。 福留繁海軍中将は自著『海軍生活四十年』の中で、増谷の厚い友情にふれている。 ソニー創業者井深大は増谷の葬儀のとき読んだ弔辞の中で次のように述べている。「今のソニーも、増谷さんには創立前から相談にのっていただき、山のものとも海のものとも分からない時に、多額の出資もお願いしました。爾来、名前は、相談役や監査役でしたが、いつも親身になって心配し、喜んでくださいました。…」。
橋谷 義孝(はしたに よしたか、1888年〈明治21年〉2月… 橋谷 義孝(はしたに よしたか、1888年〈明治21年〉2月13日 - 1975年〈昭和50年〉3月5日)は、日本の農学博士、技師、実業家。酵母の専門家である。 鳥取県日野郡宮原村(のち日野郡溝口村宮原・日野郡溝口町宮原、現・西伯郡伯耆町宮原)生まれ。橋谷義治の二男。溝口尋常高等小学校、鳥取県立第二中学校(後の米子中学、現・米子東高校)を経て1915年、東北帝国大学農科大学(現・北海道大学農学部)を卒業する。大日本麦酒に入社する。 1923年、農学博士の学位を受く。1930年、薬用酵母剤「エビオス」を創製する。1931年、麦酒醸造に関し、学術研究及び視察のため欧米に出張する。名古屋工場長を経て1935年、吹田工場長。
大村 一蔵(おおむら いちぞう、1884年(明治17年)2月… 大村 一蔵(おおむら いちぞう、1884年(明治17年)2月15日 - 1944年(昭和19年)1月29日)は日本の鉱山技師。石油調査・研究を専門とし、帝国石油副総裁や日本地質学会会長を歴任したほか、アマチュアスポーツの指導者としても活動した。 鳥取県鳥取片原二十番屋敷(現:鳥取市片原町)生まれ。鳥取県尋常中学校(現:鳥取県立鳥取西高等学校)、明治学院普通学部(現:明治学院高等学校)、第五高等学校(現:熊本大学)を経て、1907年(明治40年)、東京帝国大学理科大学(現:東京大学理学部)地質学科に入学。 帝大卒業後、下関市の黒鉛会社を経て、1912年(明治45年)に、当時日本石油と並ぶ二大石油会社であった宝田石油(本社・長岡市)に技師として入社。