狩山 幹生(かりやま みきお、2001年11月12日 - )… 狩山 幹生(かりやま みきお、2001年11月12日 - )は将棋棋士。井上慶太九段門下。棋士番号は330。岡山県倉敷市出身。 小学1年生のときに祖父を相手に将棋を始め、大山名人記念館の将棋教室などで腕を磨いた。 小学6年生の時、倉敷王将戦高学年の部で全国3位入賞を果たす。 中学1年生の時に奨励会へ入会。岡山県立倉敷古城池高等学校の3年生時に三段へ昇段した。 初参加の三段リーグとなった第66回では7勝11敗とやや苦戦するも、第67・68回では2期連続で11勝7敗と勝ち越し、4期目の第69回では競争相手の柵木幹太が最終日に敗れたことにより、13勝5敗の成績で2位となり、同じく井上慶太門下の横山友紀と共に四段へ昇段した。
有森 浩三(ありもり こうぞう、1963年2月13日 - )… 有森 浩三(ありもり こうぞう、1963年2月13日 - )は、将棋棋士。有吉道夫九段門下。棋士番号は158。岡山県岡山市出身。 1977年第2回中学生名人戦において優勝。同年に5級で奨励会に入会。 1983年3月9日、規定の成績を上げ四段に昇段してプロ入り。 同年度(第41期)より順位戦に参加。第46期(1987年度)順位戦では、自身はC級2組で6勝4敗・53人中17位と昇級争いには絡めなかったものの、その期にプロ入りから僅か1年でC級1組昇進を決めた村山聖に唯一の黒星を与えた。第52期(1993年度)C級1組順位戦では、力戦中飛車で昇級候補の丸山忠久を破った。その結果、昇級争いは井上慶太が10勝(全勝)、有森と丸山が9勝1敗で並んだ。
森安 秀光(もりやす ひでみつ、1949年8月18日 - 1… 森安 秀光(もりやす ひでみつ、1949年8月18日 - 1993年11月22日)は、将棋棋士。森安九段刺殺事件被害者。棋士番号99。岡山県笠岡市出身。藤内金吾門下。同じくプロ将棋棋士である森安正幸は実兄。 小学6年生の時に兄・正幸とともに奨励会入会。同期入会には小阪昇がいる。 1968年、兄より一足早く四段昇段。順位戦は数年間C級で足踏みするものの、古豪新鋭戦や新人王戦で優勝するなど、関西のホープとして脚光を浴びる。初の棋戦優勝となった第16回古豪新鋭戦決勝は、兄・正幸との兄弟決戦となり、188手の長手数の末勝利している。 1978年、七段昇段とともに初の十段戦リーグ入り。その2年後には晴れてA級八段となり、一流棋士の仲間入りを果たす。
森安 正幸(もりやす まさゆき、1947年5月20日 - )… 森安 正幸(もりやす まさゆき、1947年5月20日 - )は、将棋棋士。棋士番号108。岡山県笠岡市出身。藤内金吾門下。同じく将棋棋士である森安秀光は実弟。 (2025年3月4日現在) この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。 (棋士番号の割り当てがない棋士 → 「template:日本将棋連盟引退棋士」参照)
有吉 道夫(ありよし みちお、1935年7月27日 - 20… 有吉 道夫(ありよし みちお、1935年7月27日 - 2022年9月27日)は、将棋棋士、九段。2010年、引退。大山康晴十五世名人門下。棋士番号は66。岡山県備前市出身。 棋聖のタイトル獲得1回のほか優勝8回。また、タイトル戦の舞台での大山との師弟対決は4度実現。 現役55年を数え、2001年には史上6人目の通算1000勝(特別将棋栄誉賞)を達成。過去に7人しかいない『六十歳代A級棋士』の一人でもあった。順位戦A級在籍21期。同じ関西本部所属では、内藤國雄とは自他ともに認めるライバル関係で、共に関西棋界を長年にわたって牽引した。 将棋に熱中したきっかけは、「矢倉囲いの美しさに感動したから」だという。
大山 康晴(おおやま やすはる、1923年〈大正12年〉3月… 大山 康晴(おおやま やすはる、1923年〈大正12年〉3月13日 - 1992年〈平成4年〉7月26日)は、将棋棋士。十五世名人。棋士番号26。木見金治郎九段門下。 主な記録としては、公式タイトル獲得80期(歴代2位)、一般棋戦優勝44回(歴代2位)、通算1433勝(歴代2位)等がある。永世名人・永世十段・永世王位・永世棋聖・永世王将の5つの永世称号を保持。 順位戦A級に在籍しながら、1976年(昭和51年)12月から1989年(平成元年)5月まで日本将棋連盟会長を務めた。弟子には有吉道夫、中田功、行方尚史などがいる。1990年(平成2年)には将棋界から初めて文化功労者に選ばれた。正四位勲二等瑞宝章。
木見 金治郎(きみ きんじろう、1878年6月24日 - 1… 木見 金治郎(きみ きんじろう、1878年6月24日 - 1951年1月7日)は、将棋棋士。追贈九段。関根金次郎十三世名人門下。岡山県児島郡木見村(現・倉敷市)出身。 古鉄商の子として生まれる。明治19年、数えで9歳のころ、家族と神戸に移る。 二十歳頃までは実家にいて、家業のかたわら、賭け将棋をしていたらしい。数えの19歳の頃、後の十三世名人関根金次郎に四枚落ちで一ひねりされ、将棋の勉強を始める。1914年、家業を捨て東京に出て、関根金次郎門下に入門。プロ棋士となる。 第一次世界大戦後に古鉄の相場が再び上昇したため、大阪に戻り古鉄商を再開する。しかし将棋と力仕事の両立が難しい事から、古鉄商をやめて棋士の道を歩む。
山田 朱未 は、日本の将棋の女流棋士。岡山県玉野市出身。有吉… 山田 朱未 は、日本の将棋の女流棋士。岡山県玉野市出身。有吉道夫九段門下。女流棋士番号は25(2011年3月31日までの旧番号は旧48)。