大角 雄三(おおすみ ゆうぞう、1949年8月25日 - )… 大角 雄三(おおすみ ゆうぞう、1949年8月25日 - )は、日本の建築家。大角雄三設計室主宰。岡山県倉敷市生まれ。 岡山県倉敷市で生れる。地元の岡山県立倉敷青陵高校を経て、1975年に日本大学理工学部建築学科卒業する。その後、1988年大角雄三設計室を設立し、岡山県を中心に日本各地で設計活動を行う。 1999年「古民家再生工房の継続的な活動」で日本建築学会賞業績賞受賞する。「黒谷の家」で2000年第1回JIA環境建築賞の住宅部門最優秀賞を受賞した。また、2009年にも、第1回JIA中国建築大賞住宅部門の優秀賞を受賞する。2009年「廣榮堂本店藤原店」でグッドデザイン賞する。2012年「岡山山陽高校80周年記念館」で第4回JIA中国建築大賞 一般建築部門 優秀賞受賞する。
樋口 修(ひぐち おさむ、1949年 - )は、日本の建築家… 樋口 修(ひぐち おさむ、1949年 - )は、日本の建築家。岡山県生まれ。 1973年、日本大学理工学部建築学科卒業。その後東京大学大学院工学系研究科池辺陽研究室研究生となり1976年に終了。1978年から丸川建築事務所で建築設計に従事する。その後独立。 1991年、環境デザインSDA賞入選(薬師あいロード商店街)。 1995年の第1回ヘーベルデザインコンテストで審査委員をつとめた。 2000年から地元 中野区都市計画マスタープラン、2004年中野区基本構想、2006年中野区都市計画審議委員をつとめた。 おもな作品にナイツ本社ビル、ヒグチビル、野口スタジオなどがある。
佐藤 正平(さとう しょうへい、1949年 - )は、日本の… 佐藤 正平(さとう しょうへい、1949年 - )は、日本の建築家。岡山市出身。日本建築学会賞(業績)、BELCA賞などを受賞。岡山県域を中心に活動している。 岡山大学附属中学校から岡山県立朝日高等学校を経て、1975年に京都大学工学部建築学科を卒業する。 1993年、岡田新一がコミッショナーを務めていた岡山県の「クリエイティブTOWN岡山」(CTO)の建築家に選任され、健康の森整備事業エリア計画、及び基本設計に従事。1999年より長野宇平治設計による旧日本銀行岡山支店(現在のルネスホール)を保存するため、官民協働による歴史的建造物の再生プロジェクトに参画する。施設完成までの13年間の永きに亘り、施設が生まれ営まれる全てのフェーズに持続的に関わることで、公共空間のつくられ方に新たな可能性を見い出している。
大野 美代子(おおの みよこ、1939年 - 2016年8月… 大野 美代子(おおの みよこ、1939年 - 2016年8月)は、日本の建築家・橋梁デザイナー。 株式会社エムアンドエムデザイン事務所(M+M Design Office)の主宰を務め、橋梁や道路、その付属施設の景観デザインなどを手がける。愛知県立芸術大学と東京工業大学の非常勤講師を歴任。 岡山県出身。1958年、岡山県立岡山朝日高等学校卒業。1963年、 多摩美術大学美術学部デザイン科卒業。
浦辺鎮太郎(うらべ しずたろう、1909年3月31日 - 1… 浦辺鎮太郎(うらべ しずたろう、1909年3月31日 - 1991年6月8日)は、日本の建築家。 岡山県児島郡粒江村(現:倉敷市)出身。岡山県第一岡山中学校(現:岡山県立岡山朝日高等学校の一つ)、旧制第六高等学校を経て、1934年京都帝国大学工学部建築学科卒業後、倉敷レイヨン(現:クラレ)に入社し営繕関連部門に勤務。1962年、倉敷レイヨン内に同社社長で同郷の実業家大原総一郎の庇護のもとに倉敷建築研究所(現:浦辺設計の前身)を設立した。1964年に倉敷レイヨンを退社し倉敷建築事務所として独立、1966年に浦辺建築設計事務所と改称した。倉敷レイヨン時代から大原総一郎の構想する倉敷のまちづくりを建築家として支え、1968年の総一郎死去後も大原家や倉敷に関連する建築をはじめ多くの作品を残している。
蒲原 重雄(かんばら しげお、1898年3月12日 - 19… 蒲原 重雄(かんばら しげお、1898年3月12日 - 1932年10月16日)は日本の建築家。司法省技師。日本における表現主義建築の傑作とされる小菅刑務所(現東京拘置所)と、建畠大夢が建設した北軽井沢大学村に現存する洋小屋組が特徴の南紀倶楽部(元紀州出身の美術家グループのアトリエである南紀美術倶楽部)が代表作。 明治31年(1898年)、岡山市で旧佐賀藩の漢学者の次男[要検証 – ノート]として生まれる。岡山県立第一中学校、第六高等学校(岡山)を経て、東京帝国大学に進学。大正11年(1922年)3月、東京帝国大学工学部建築学科を卒業。卒業制作は「住宅」。同期には岸田日出刀、土浦亀城、田辺平学、長谷川輝雄などがいる。