髙橋 翼(たかはし つばさ、2001年10月13日 - )は… 髙橋 翼(たかはし つばさ、2001年10月13日 - )は、日本の柔道家。埼玉県出身。階級は100kg超級。身長177cm。体重127kg。段位は四段。組み手は右組み。得意技は小外刈。 柔道は4歳の時に始めた。育徳館柔道クラブと新井道場で稽古を積んだ。田島中学3年の時には全国中学校柔道大会90kg級に出場するも初戦で敗れた。作陽高校に進むと、2年の時には全国高校選手権の個人戦無差別で優勝すると、団体戦でも3位になった。3年の時には金鷲旗の準決勝で国士舘高校と対戦すると、大将戦で斉藤立に内股で敗れて3位にとどまった。インターハイの個人戦100kg超級の決勝では斉藤に反則負けを喫して2位、団体戦では3位に終わった。
浦 明澄(うら あすみ、2000年11月20日 - )は、福… 浦 明澄(うら あすみ、2000年11月20日 - )は、福岡県・糸島市出身の、日本の女子柔道選手。階級は63kg級。身長164cm。組み手は左組み。血液型はO型。得意技は背負投。 柔道は3歳の時に雷山柔道場で始めた。雷山小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会40kg級の初戦で兵庫県の阿部詩を判定で破るなどして決勝まで進むが、大阪府の金知秀に判定で敗れて2位だった。6年の時には45kg級の決勝で金を有効で破って優勝した。沖学園中学に進むと、2年と3年の時に全国中学校柔道大会57kg級で5位だった。 創志学園高校へ進むと、1年の時には全日本カデで3位だった。インターハイでは初戦で敗れた。その後階級を63kg級に上げると、全国高校選手権では決勝で富士学苑高校1年の結城彩乃に指導2で敗れて2位だった。
古賀 ひより(こが ひより、2000年9月22日 - )は、… 古賀 ひより(こが ひより、2000年9月22日 - )は、日本の柔道選手。神奈川県出身。階級は57kg級。身長153cm。血液型はA型。組み手は右組み。得意技は一本背負投。父親はバルセロナオリンピック71kg級金メダリストの古賀稔彦。長兄は73㎏級の古賀颯人、次兄は60kg級の古賀玄暉。 柔道は3歳の時に父親が開設した古賀塾で始めた。小学校5年の時には全国小学生学年別柔道大会の40kg超級で2位になったが、6年の時には45㎏超級の初戦で敗れた。 東橘中学2年の時には全国中学校柔道大会52㎏級の準決勝で田島中学3年の富沢佳奈に有効で敗れて3位、3年の時には決勝まで進むも夙川学院中学3年の阿部詩に有効で敗れて2位だった。
小倉 葵(おぐら あおい、1997年4月19日 - )は、滋… 小倉 葵(おぐら あおい、1997年4月19日 - )は、滋賀県出身の、日本の女子柔道家である。階級は48kg級。身長156cm。組み手は右組み。顔が似ている姉がいる。得意技は内股。 柔道は4歳の時に石山塾で始めた。小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会40kg級に出場するも予選リーグで敗れた。粟津中学2年の時に全国中学校柔道大会44kg級の初戦で敗れるも、3年の時には5位となった。創志学園高校へ進むと、1年の時にはインターハイ48kg級の準々決勝で大成高校3年の近藤亜美に横四方固で敗れた。2年の時には全日本カデとインターハイでは初戦、全国高校選手権52kg級で2回戦でそれぞれで敗れた。3年の時にはインターハイの3回戦で敗れた。
井上 あかり(いのうえ あかり、1996年12月3日 - )… 井上 あかり(いのうえ あかり、1996年12月3日 - )は、日本の柔道選手。岡山県出身。階級は78kg超級。身長170cm。体重100kg。血液型はAB型。組み手は右組み。得意技は大内刈、寝技。 柔道は4歳の時に生々館で始めた。神奈川県の強豪校である相原中学へ進むと、3年の時にマルちゃん杯で1年後輩の冨田若春などとともに活躍して3位となった。高校は地元に戻って創志学園高校に進むと、2年の時には全国高校選手権の無差別準決勝で埼玉栄高校1年の冨田若春に有効で敗れるも3位となった。2015年に環太平洋大学へ進むと、1年の時には学生体重別78kg超級の準決勝で大阪体育大学3年の山本沙羅にGSに入ってから技ありで敗れるも3位になった。
藤澤 征憲(ふじさわ せいけん、1993年7月10日 - )… 藤澤 征憲(ふじさわ せいけん、1993年7月10日 - )は、岡山県出身の、日本の柔道選手である。階級は55kg級と60kg級。身長163cm。血液型はO型。組み手は右組み。得意技は背負投。 柔道は6歳の時に養徳館道場で始めた。小学校5年と6年の時に全国小学生学年別柔道大会に出場するも、ともに予選リーグで敗れた。津山西中学3年の時には全国中学校柔道大会55kg級で3位となった。足立学園高校へ進むと、1年の時には世界カデで5試合の内4試合に一本勝ちして優勝を飾った。2年の時には全日本ジュニアで3位だったが、世界ジュニア代表に選出された。世界ジュニアでは決勝まで進むが、カザフスタンのエルドス・スメトフに袖釣込腰で敗れて2位に終わった。
大野 義啓(おおの よしひろ、1975年8月14日 - )は… 大野 義啓(おおの よしひろ、1975年8月14日 - )は兵庫県出身の元柔道家。鍼灸師。柔道整復師。在日韓国人3世で本名は姜義啓朝: 강의계。 韓国の100kg超級および無差別級の柔道代表として2000年アジア柔道選手権大会銅メダル、1999年夏季ユニバーシアード銅メダル、2001年世界柔道選手権大会無差別級ベスト8。 在日韓国人3世として明石市に生まれる。小学5年生の時に地元道場、陽明館に通う。中学卒業後は岡山県作陽高等学校を経て天理大学体育学部に進学、卒業後はダイコロに所属。韓国代表として1999年夏季ユニバーシアード100kg超級で銅メダル、2000年アジア柔道選手権大会100kg超級でも銅メダルを獲得。
真壁 友枝(まかべ ともえ、1974年11月28日 -)は、… 真壁 友枝(まかべ ともえ、1974年11月28日 -)は、岡山県勝田郡勝央町出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級の選手。身長151cm。得意技は大車、背負投、出足払。 小学校2年の時に地元の勝央町スポーツ少年団にて兄と一緒に柔道を始め、6年生からは隣接する津山市の福岡道場にて柔道に打ち込んだ。1990年4月、勝央中学校を卒業して岡山東商業高校に進学すると、2年生の時には全国高校選手権の48kg級では5試合を勝ち抜き優勝した。高校も卒業に近づいた頃、周囲の関係者や持田典子の勧めもあり、また、柔道で海外遠征に行きたいという望みも手伝って真壁は住友海上火災保険(現・三井住友海上火災保険)への入社を希望した。
大森 千賀子(おおもり ちかこ、1973年4月19日 -)は… 大森 千賀子(おおもり ちかこ、1973年4月19日 -)は岡山県出身の日本の柔道家。現役時代の階級は52kg級。身長は164cm。 岡山東商業高校2年の時に高校選手権52kg級の2回戦で敗れた。1992年に岡山商科大学へ進むと、4年の時には全国女子体重別で3位となった。1996年にはミキハウスの所属となると、1997年の実業個人選手権では決勝で会社の同僚である吉田清美に敗れて2位だった。全国女子体重別では決勝で吉田を破って全国大会初優勝を果たした。福岡国際では決勝まで進むも、ダイコロの永井和恵に敗れて2位にとどまった。 (出典、JudoInside.com)
山田 利彦(やまだ としひこ、1970年4月16日 - )は… 山田 利彦(やまだ としひこ、1970年4月16日 - )は、日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長183cm。体重125kg。了徳寺大学教授。また、了徳寺学園の柔道部監督も務めている。 岡山県出身。東海大相模高校時代には団体戦で活躍して、1年と2年の時に全国高校選手権で3位、金鷲旗では2年と3年の時に2位、インターハイは1年と3年の時に3位、2年の時に2位となったものの、全国優勝までには至らなかった。しかし、インターハイ個人戦の重量級では3年の時に優勝している。さらに、新人体重別でも優勝を果たした。 東海大学に進学すると、1年と2年の時に優勝大会で優勝した。また、1年の時には早くも全日本選手権に出場を果たすものの、初戦で綜合警備保障の金野潤に敗れた。
佐藤 昭子(さとう あきこ、1968年4月1日 - )は、岡… 佐藤 昭子(さとう あきこ、1968年4月1日 - )は、岡山県岡山市出身の日本の柔道家。現役時代は72kg級の選手。身長165cm。 就実高校2年の時に将来婦人警官になりたいと思って柔道を始めた。高校の部活動はまるでお遊びのようなものだったので、町道場の正々館や岡山武道館でも稽古を積んだ。すると3年の時には強化選手選考会72kg級で早くも3位となった。 1986年になると国際武道大学へ進学した。そこでは自分より30kgも軽い上級生に軽々と抑え込まれるなど柔道の恐ろしさを見せ付けられることになった。高校時代の稽古が如何にお遊びの域を出ていなかったことかを思い知らされて、最初は泣きくれていたという。
渡辺 涼子(わたなべ りょうこ、1966年4月18日 -)は… 渡辺 涼子(わたなべ りょうこ、1966年4月18日 -)は日本の柔道家。金沢学院大学人間健康学部教授。現役時代は66kg級の選手。身長169cm。得意技は大外刈。 岡山県出身。小学校4年の時に柔道を始める。中学高校の時には学校に柔道部がなかったので陸上部に所属して、柔道は児島武道館で稽古した。岡山県立児島高等学校から筑波大学に進学後、大学2年の時には61kg級で世界3位となった。その後階級を66kgに上げて、1991年の世界選手権では3位となった。翌年の体重別では決勝で佐々木光に1-2の微妙な判定で敗れるも、オリンピック代表に選ばれるが初戦で敗れた。1993年の世界選手権でも初戦で敗れて引退した。
大村 嘉奈(おおむら かな、1964年10月11日 - )は… 大村 嘉奈(おおむら かな、1964年10月11日 - )は、日本の柔道家。現役時代は72kg級及び72kg超級の選手。広島県出身。 就実高校1年の時に体重別選手権66kg超級決勝で鈴木金属工業の佐藤広世に敗れるも2位となった。続く強化選手選考会では72kg超級に出場して、決勝で宮城学院中学教員の川村順子に敗れた。2年の時には体重別選手権で3位だった。3年の時には体重別選手権の決勝で茂原農業高校の鈴木洋子に敗れて2位にとどまった。 1983年には東海大学へ進学すると、1年の時には体重別選手権の決勝で鈴木を破って、ようやく全国大会初優勝を遂げた。2年の時には体重別選手権の72kg級で3位だったが、強化選手選考会では決勝で浪人生の田辺陽子を破って優勝を飾った。
藤原 敬生(ふじわら たかお、1958年11月5日 - 20… 藤原 敬生(ふじわら たかお、1958年11月5日 - 2011年8月29日)は、日本の柔道家(講道館7段)。 岡山県和気郡和気町出身。町立和気中学校への入学に際し、当時バレーボールがブームだった事や自身の父親が相撲で30回以上国体へ出場した経験を持つ選手だった事もあり藤原はバレーボール部か相撲部への入部を考えていたが、和気中学校でまともに活動しているのが柔道部だけだったため同部への入部を決めた。中学校時代は藤原の父親も指導員として毎日道場に顔を出し、技の基本を指南したという。藤原は中学生時代に見た1972年のミュンヘン五輪に感銘を受け、この頃から自身も自然とオリンピックを目指すようになっていった。
金光 弥一兵衛(かなみつ やいちひょうえ、1892年3月30… 金光 弥一兵衛(かなみつ やいちひょうえ、1892年3月30日 - 1966年12月25日)は、日本の柔術家、柔道家(講道館9段・大日本武徳会柔道教士)。 柔術各派や大日本武徳会にて柔道を修行して明治神宮競技大会柔道競技優勝という実績を残す傍ら、大正期から昭和初期にかけ旧制第六高校において柔道を指導し弟子たちと共に膝十字固や三角絞を生み出すなど高専柔道の発展に大きく貢献し、寝技の大家としてその名を知られた。 岡山県岡山市の出身。かつて岡山藩では池田家が起倒流を、分家の天城池田家が竹内流を公式の柔術として採用し互いに技を競い合った関係で岡山の地には両流派が根付いており、金光は少年時代より起倒流を岸本重太郎に、竹内流を今井行太郎に学んだ。
高橋 数良(たかはし かずよし、1886年3月 - 1942… 高橋 数良(たかはし かずよし、1886年3月 - 1942年5月3日)は日本の柔道家(講道館8段)。 講道館四天王の1人である横山作次郎の直弟子であり、切れ味鋭い足技を駆使した返し技(裏技)の達人であった。後には警視庁や陸軍幼年学校、東京高等師範学校等の柔道師範を務めて多くの後進の指導に当たり、戦前の柔道界を牽引した大家と知られている。 旧高松藩の藩士であった父・五郎と母・マス夫妻の長男として香川県高松市に生まれる。父の五郎は水戸藩の星野家に仕えた頃から水府流を会得して高松藩時代には水任流で水術の達人と名を馳せ、また高松松平家の鉄砲組の頭領として門外不出と云われた新刀流(明治維新後に高松師範で教えた)の2代目師範も務めていた関係で、数良は幼少時より柔術・剣術・居合術の手解きを受けた。
田辺 又右衛門(たなべ またえもん、1869年1月15日 -… 田辺 又右衛門(たなべ またえもん、1869年1月15日 - 1946年1月20日)は日本の柔術家(不遷流4世・宗家)、柔道家(大日本武徳会範士)。社団法人兵庫県柔道整復師会初代会長。 1886年・翌87年の警視庁武術大会での大勝を機に日の出の勢いとなった新興の講道館柔道が各地に根付く柔術各派を圧倒し、在京の各派の多くが講道館の軍門に下る中、それでも一部の流派が講道館に挑み続けてその急先鋒と云われたのが不遷流出身の田辺であった。得意の寝技を以って講道館四天王の山下義韶や大豪・戸張滝三郎を破るなどし、富田常次郎、横山作次郎、西郷四郎など並居る講道館の重鎮たちが田辺との試合を避けてきた史実から、“講道館が最も恐れた男”として伝説的な存在となっている。
樫本 共加(かしもと ともか)は、岡山県出身の日本の柔道家。… 樫本 共加(かしもと ともか)は、岡山県出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級の選手。 備前高校2年の時に強化選手選考会52kg級で3位になった。岡山県立短大2年の時には強化選手選考会で再び3位になった。体重別選手権には48kg級に出場して3位だった。1984年には岡山県総合グラウンド事務所の所属となると、体重別選手権では決勝で日本電気の中原ひとみを破って優勝を飾り、世界選手権の代表に選出された。ウィーンで行われた世界選手権では初戦でカナダの日系選手であるティナ・タカハシに敗れた。福岡国際では3位に入った。1985年には科学捜査研究所の所属となると、強化選手選考会では決勝で東海大精華女子高校教員の斉田己幸に敗れて2位だったが、体重別選手権では決勝で常包千賀を破って2連覇を飾った。