岡沢 精(おかざわ くわし、1844年8月20日〈弘化元年7… 岡沢 精(おかざわ くわし、1844年8月20日〈弘化元年7月7日〉- 1908年〈明治41年〉12月12日)は、日本の武士(長州藩士)、陸軍軍人、華族。正二位勲一等功二級子爵。 長州藩士岡沢甚内の子として萩に生まれる。1862年(文久2年)以降は江戸の長州藩邸に滞在しながら京都を往来し、文久の政変に巻き込まれたこともあった。大村益次郎の塾に学んだ後は尊皇攘夷運動に携わる。南国隊を組織し戊辰戦争に従軍した。 維新後は陸軍に進み、1870年(明治3年)10月に大坂第2教導隊に入営。1871年(明治4年)2月に四等軍曹、4月に御親兵大隊長、6月3日には陸軍准中尉となり、さらに同年中には中尉・大尉・少佐と昇任した。
内海 忠勝(うつみ ただかつ、1843年9月12日〈天保14… 内海 忠勝(うつみ ただかつ、1843年9月12日〈天保14年8月19日〉- 1905年〈明治38年〉1月20日)は、日本の武士、官僚、政治家。内務大臣(第16代)、長崎県令、三重県令、兵庫県知事(第9代)、長野県知事(第2代)、神奈川県知事(第3代)、大阪府知事(第8代)、京都府知事(第8代)、会計検査院長、貴族院議員などを歴任。吉田治助の四男。長州藩士である。従三位勲三等、死後に従二位勲一等旭日大綬章。男爵。 周防国吉敷郡吉敷村(現在の山口県山口市)出身。長州藩士として禁門の変に参加。維新後新政府に登用され、岩倉使節団に大使随行員として参加。地方官として長崎、三重、兵庫、長野、神奈川、大阪、京都の各県令・知事を歴任。
井上 勝(いのうえ まさる、天保14年8月1日(1843年8… 井上 勝(いのうえ まさる、天保14年8月1日(1843年8月25日) - 明治43年(1910年)8月2日)は、日本の幕末から明治にかけて活躍した武士(長州藩士)、官僚。正二位勲一等子爵。幼名は卯八(うのはち)、通称は弥吉(やきち)。鉄道発展に寄与し、日本の鉄道の父と呼ばれる。長州五傑の1人。ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン卒業。
野村 素介(のむら もとすけ、1842年6月26日(天保13… 野村 素介(のむら もとすけ、1842年6月26日(天保13年5月18日)- 1927年(昭和2年)12月23日)は、幕末から昭和初期にかけての日本の武士(長州藩士)、官僚、政治家、書家。正二位勲一等 男爵。幼名は範輔、字は絢夫、号は右仲、素軒。 1842年(天保13年)5月18日に長州藩士 有地留之助の次男として周防国吉敷郡長野村(現在の山口県山口市)に生まれる。はじめ、萩の藩校明倫館で学ぶ。1859年(安政6年)4月、江戸へ行き、長州藩上屋敷内の有備館で学ぶ。さらに儒学者 塩谷宕陰から漢籍・経書・歴史を、書家 小島成斎から書道を学ぶ。1862年(文久2年)に帰国して明倫館舎長となる。 1863年(文久3年)10月に同じく長州藩士 野村正名の養子となり、1866年(慶応2年)2月、家督を継ぐ。
国貞 廉平(くにさだ れんぺい、天保12年3月22日〈184… 国貞 廉平(くにさだ れんぺい、天保12年3月22日〈1841年5月12日〉 - 1885年〈明治18年〉1月18日)は、日本の武士(長州藩士)、官僚。愛知県令。諱は景孝、景廉、景行。通称は鶴之進、直之進、直人、晩年には廉平。変名は逸水清助。雅号は韓山。 天保12年3月(1841年5月)、長門国萩城下松本村で長州藩士・国貞要助の嫡男として生まれた。藩校・明倫館で学び、万延元年(1860年)江戸の有備館に入り、大橋訥庵の指導も受けた。文久2年(1862年)藩世子・毛利元徳の近侍となる。 慶応2年正月(1865年)、鎮静会議員に加わり内乱の収拾に尽力。慶応2年5月(1866年)、干城隊頭取兼文学寮都講となり、さらに国政方を務めた。