長尾 弘子(ながお ひろこ、1930年5月6日 - 2023… 長尾 弘子(ながお ひろこ、1930年5月6日 - 2023年10月5日)は、日本画家。徳島県徳島市出身。徳島市立高等女学校(現徳島市立高等学校)卒業。 1939年に和田青華のもとで日本画を学び、1946年には徳島市立高等女学校にて高岡何有に師事。その後、第1回徳島県展初出品で特選となって以降、特選を重ね、現在は特別出品となる。 1993年にそごう徳島店美術画廊にて個展を開く。2010年に徳島県郷土文化会館にて画業70年を記念した個展「日本画展-この道七十年のあしあと」を開く。 2001年に徳島新聞文化賞、徳島県文化賞、地域文化功労者文部科学大臣表彰を受賞。
吹田 文明(ふきた ふみあき、1926年11月28日 - )… 吹田 文明(ふきた ふみあき、1926年11月28日 - )は、日本の版画家。日本美術家連盟理事、多摩美術大学名誉教授。娘は陶芸家の吹田千明。 徳島県阿南市富岡町出身。東京都世田谷区在住。 1947年(昭和22年)に徳島師範学校(現徳島大学)を卒業。1948年、徳島県の研究生として東京芸術大学に派遣され、萬鉄五郎に師事する。その後、数々の賞を受賞。 1969年(昭和44年)に多摩美術大学教授に就任。1994年(平成6年)に日本版画協会理事長に就任。2004年(平成16年)に日本美術家連盟理事長に就任。 2013年(平成25年)に阿南市名誉市民に選定される。 ニューヨーク近代美術館、ポーランド国立美術館、シアトル美術館、オレゴン大学美術館、スイス国立美術館、メキシコ近代美術館、シカゴ美術館、東京国立近代美術館などの美術館に作品が所蔵されている。
山下 菊二(やました きくじ、1919年10月8日 - 19… 山下 菊二(やました きくじ、1919年10月8日 - 1986年11月23日)は、日本の画家。 徳島県三好市に生まれる。1937年、香川県立工芸学校卒業。翌1938年に上京し、福沢一郎の絵画研究所に入る。 1944年から1949年まで東宝映画教育映画部に勤務、この間、応召による戦場体験と1946年から1948年までの東宝争議を体験した。1946年、高山良策、大塚睦らと「前衛美術会」を結成。 1949年、美術文化協会の会員になるが、翌年、退会。以後、多くの会を結成、あるいは参加。また、日本共産党に入党し、山村工作隊にも参加した。 1952年、小河内村でのダム反対闘争に参加。以後、松川裁判、安保闘争、狭山裁判などに関与。
富士 正晴(ふじ まさはる、本名:冨士正明、1913年10月… 富士 正晴(ふじ まさはる、本名:冨士正明、1913年10月30日 - 1987年7月15日)は、日本の小説家、詩人、版画家。多くの有名作家を輩出した『VIKING (同人誌)』の創刊同人であり、3度の芥川賞候補、直木賞候補となり、晩年は竹やぶに囲まれた自宅に引きこもって活動し、「竹林の隠者」と呼ばれた。毎日出版文化賞、大阪芸術賞、関西大賞大詩仙賞受賞。 徳島県三好郡山城谷村(現三好市)出身。両親はともに小学校の訓導をしていた。家族と神戸に転居し、神戸第三中学校卒業。 1931年旧制第三高等学校理科甲類に進学。志賀直哉を訪問したところ、竹内勝太郎を紹介されて師事する。1932年、野間宏(のちに富士の妹と結婚して義弟となる)や桑原静雄とともに、詩の同人誌『三人』を創刊。
天野 節(あまの みさお、1911年2月10日 - 没年不明… 天野 節(あまの みさお、1911年2月10日 - 没年不明)は、日本の洋画家。徳島県麻植郡美郷村(現吉野川市)出身。徳島県師範学校卒業。 日本色彩学会名誉会員。奉天省美術展特選、新世紀美術展大内賞、徳島県出版文化賞などを受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
一原 有徳(いちはら ありのり、1910年8月23日 - 2… 一原 有徳(いちはら ありのり、1910年8月23日 - 2010年10月1日)は、北海道小樽市に居住していた版画家。モノタイプ手法を用いた特異な作風で、国際的にも名高い。また、俳人・登山家としても知られる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
林 雲渓(林 雲谿、はやし うんけい、本名:林 勇、1903… 林 雲渓(林 雲谿、はやし うんけい、本名:林 勇、1903年(明治36年)1月6日 - 1990年(平成2年)9月11日)は、日本画家。徳島県麻植郡鴨島町(現吉野川市)出身。 1984年(昭和59年)に南画に優れた功績を挙げた第一人者として徳島県文化賞を受賞。 四国八十八箇所11番札所である藤井寺本堂の天井絵には雲渓の描いた雲龍が描かれている。30畳ほどの大きさがあり、繊細な線と睨みをきかせた迫力のある顔が薬師如来を守つているかのように見える。 現在、鴨島町の吉野川市立森山小学校に雲渓の記念碑が建てられている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
広島 晃甫(ひろしま こうほ、本名:広島新太郎、1889年(… 広島 晃甫(ひろしま こうほ、本名:広島新太郎、1889年(明治22年)11月23日 - 1951年(昭和26年)12月16日)は、徳島県徳島市出身の日本画家。香川県立工芸学校(現香川県立高松工芸高等学校)、東京美術学校日本画科(現東京藝術大学)卒業。 徳島県徳島市に生まれる。1907年(明治40年)に香川県立工芸学校を卒業。1909年(明治42年)に白馬会洋画研究所に入り、後に画家の萬鉄五郎らとアブサント会を興す。1912年(明治45年)に東京美術学校日本画科を卒業。その後、長谷川潔、永瀬義郎と共に日本版画倶楽部を結成。 第1回帝展、第2回帝展で特選になり名が知られるようになる。帝展審査員、新文展審査員などを歴任した。