時津洋 宏典(ときつなだ ひろのり、1969年8月2日 - … 時津洋 宏典(ときつなだ ひろのり、1969年8月2日 - 2019年2月14日)は徳島県美馬市(旧美馬郡脇町)出身の元大相撲力士。本名は吉岡 宏典(よしおか ひろのり)。時津風部屋所属。最高位は東前頭4枚目(1993年7月場所)。現役時代の体格は188cm、183kg。得意手は右四つ、寄り。 脇町立脇町小学校(現・美馬市立脇町小学校)、脇町立脇町中学校(現・美馬市立脇町中学校)卒業。父は徳島県立穴吹高等学校の教師をしており、中学1年の時に同校レスリング部で体を鍛え、中学2年の時に体育教師に勧められた砲丸投で全国8位、中学3年の時には中学相撲で全国大会に出場し、阿波の怪童と呼ばれた。 中学校卒業と同時に時津風部屋に入門。
剣岳 寛(けんがく ひろし、1968年12月30日 - )は… 剣岳 寛(けんがく ひろし、1968年12月30日 - )は、徳島県徳島市出身で宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は田村 寛(たむら ひろし)。最高位は西十両11枚目(1991年9月場所)。身長182cm、体重171kg。血液型はAB型。得意手は右四つ、寄り。趣味はカラオケ。剣岳吉五郎とは別人物。 1984年3月場所に宮城野部屋から初土俵を踏む。1991年9月場所に十両に昇進するが1場所で脱落。以後三段目まで落ちて1995年5月場所限りで引退(当時は廃業)。体格の割に機敏な動きが武器であった。
政弘(まさひろ、1936年(昭和11年)11月8日 - 19… 政弘(まさひろ、1936年(昭和11年)11月8日 - 1999年(平成11年)12月29日)は、大相撲の三役呼出。本名は佐藤 正博。徳島県美馬郡脇町(現・美馬市)出身。二所ノ関部屋所属。 政博→正博→政弘→正弘→政弘
秀湊 忠司(ひでみなと ただし、1926年5月5日 - 19… 秀湊 忠司(ひでみなと ただし、1926年5月5日 - 1995年6月4日)は、徳島県板野郡栄村(現役当時、現・同郡板野町)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は平野 忠(ひらの ただし)。最高位は東前頭17枚目(1955年1月場所)。現役時代の体格は173cm、105kg。得意手は右四つ、下手投げ、下手捻り。 地元の公立農業学校(板西農蚕学校、現・徳島県立板野高等学校)を中退後、同じ徳島県出身の元小結・東雲衑藏の勧めにより、15歳の時に出羽海部屋へ入門。 1942年5月場所で初土俵を踏み、翌年1月、本名に因んだ「小平野」の四股名で序ノ口に付いた。 1945年6月より徴兵され、約5ヵ月後に戦場より帰還。
津峯山 政雄(つみねさん まさお、1908年10月8日 - … 津峯山 政雄(つみねさん まさお、1908年10月8日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。出羽海部屋所属。本名は岩戸 政雄。最高位は十両4枚目。 徳島県阿南市出身。出羽海部屋に入門し、1926年5月に序ノ口に就く。1933年5月十両に昇進。この場所3勝8敗と負け越し、幕下に落ちる。1934年5月に十両に復帰。しかし、この場所から3場所続けて負け越し、十両で一度も勝ち越すことなく再び幕下に落ち、1938年5月で廃業した。
吉野岩 畄吉(よしのいわ とめきち、1906年3月8日 - … 吉野岩 畄吉(よしのいわ とめきち、1906年3月8日 - 1954年1月30日)は、徳島県那賀郡見能林村(現在の阿南市)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は高島 留吉(たかしま とめきち)。最高位は西前頭5枚目(1933年5月場所)。身長173cm。体重82kg。 土地相撲で大関を務めていたことがきっかけで、幕下付出で初土俵を踏む。しかし負け越して翌場では序二段に降下する。その後着実に昇進し、1931年5月場所に十両に昇進するがすぐに陥落、1932年1月場所は幕下で迎えた。しかし、春秋園事件で出羽海部屋の関取のほとんどが脱退、穴埋めとして1932年2月場所の番付では十両に返り咲き、それをきっかけにして1933年1月場所で幕内昇進を果たした。
鳴門洋 利之助(なるとなだ としのすけ、1886年11月2日… 鳴門洋 利之助(なるとなだ としのすけ、1886年11月2日 - 1922年10月4日)は、徳島県吉野川市鴨島町出身で中川部屋に所属した力士。本名は藤井 利助。171cm、100kg。最高位は西前頭5枚目。 同郷の7代中川(元幕内鬼鹿毛)のもとに入門、1905年1月初土俵。初め鬼見嵜と名乗ったが、幕下時代の1910年6月に鳴門洋と改名している。1913年1月新十両昇進。1915年1月新入幕を果たした。左四つからの寄り・押しを得意としていた。幕内での勝ち越しは1915年6月の4勝2敗1預3休のみであったが、東西制の恩恵を受け、最高位は前頭5枚目で、幕内に10場所在位した。1918年1月から師匠の四股名の鬼鹿毛を襲名したが、その頃から病気に罹り振るわず、1920年1月十両に転落してその場所限りで廃業、2年後に没した。
國ヶ岩 夘八(くにがいわ うはち、1875年1月4日 - 1… 國ヶ岩 夘八(くにがいわ うはち、1875年1月4日 - 1932年2月17日)は、徳島県美馬市出身で小野川部屋、草風部屋(京都相撲)、入間川部屋に所属した力士。本名は山本 宇八。8代待乳山、7代稲川。165cm、88kg。最高位は東前頭18枚目(ただし、番付外幕尻格)。 大坂相撲、京都相撲に在籍し、京都相撲では史上最後の大関となった。その後39歳で東上し1914年5月幕尻格で初土俵入幕。それ以後は十両、幕下で過ごし、1919年1月に引退して待乳山を襲名、のち稲川に変更し、出羽海部屋で指導した。 日ノ出松→國岩→國ヶ岩
17代 木村 庄之助(じゅうしちだい きむら しょうのすけ、… 17代 木村 庄之助(じゅうしちだい きむら しょうのすけ、文久2年12月11日〈1863年1月30日〉 - 1924年〈大正13年〉7月18日)は、大相撲の立行司。本名は浪花→酒井兵吉。出身地は徳島県徳島市。 徳島市に浪花徳丸の六男として生まれる。幼少時より行司好きで子供相撲で行司を務めていた。大阪相撲の藤見崎という力士が巡業中にこの様子を見て勧誘し、1869年大阪相撲の竹縄部屋に入門。最初は木村兵丸を名乗った。 1885年に東京相撲に移籍、15代庄之助に師事。1886年1月初代木村玉治郎から、1895年1月6代木村庄三郎を経て、1911年5月10代式守伊之助を襲名、翌1912年5月に17代木村庄之助を襲名した。
鬼鹿毛 清七(おにかげ せいしち、1855年(安政2年5月)… 鬼鹿毛 清七(おにかげ せいしち、1855年(安政2年5月)- 1931年1月15日)は、阿波国名東郡徳島寺町出身の大相撲力士。本名は末長 清七。年寄7代中川。 兄は大坂相撲で立浪と名乗る力士であり、本人も草相撲で小立浪と名乗り活躍していた。素人相撲の壽組合に入り鬼鹿毛と名乗っていた。この四股名は贔屓が化粧回しを贈ろうとしたとき、質屋に鬼鹿毛という力士の質流れの化粧回しがあり、名前を直そうとしたが無駄になるので四股名を変えたとのことである。その後大坂相撲の竹縄部屋に入り、1881年7月見習格番付外で出場。1882年9月三段目に出て鬼鹿毛清介。その後京都相撲に移り、華ノ峰善吉の弟子となる。1885年には東京相撲の梅ヶ谷の門下に入り、1885年5月幕下十枚目格番付外となる。
劔山 谷右エ門(つるぎざん たにえもん、1852年2月9日(… 劔山 谷右エ門(つるぎざん たにえもん、1852年2月9日(嘉永5年1月20日) - 1910年(明治43年)11月21日)は、阿波国麻植郡鴨島村(現・徳島県吉野川市)出身の大相撲力士。本名は吉原 熊十郎。最高位は大関。所属部屋は猪名川部屋(大阪)→梅ヶ谷のち雷部屋(東京)。身長177cm、体重120kg。 1870年(明治3年)、大坂相撲で鶴ヶ濱という力士であった父の縁での猪名川の門に入り響矢 熊吉で初土俵。1875年(明治8年)6月入幕(西前頭12)。翌1876年(明治9年)大坂相撲で脱走事件が起き、脱走組は「開化組」を名乗った。響矢も開化組に加わり大関を務めた。1878年(明治11年)9月帰参。