対馬 康子(つしま やすこ、1953年10月22日 - )は… 対馬 康子(つしま やすこ、1953年10月22日 - )は、日本の俳人。 香川県高松市に生まれる。小学校高学年より詩に興味を持ちはじめ、香川県立高松高等学校時代は文芸部に所属。1972年日本女子大学文学部国文学科に入学、文芸部に入部し同人誌に詩や短文を執筆。東大学生俳句会と文芸部との合同ハイキングで西村我尼吾と出会い俳句を作り始める。 1973年、国文学科教授中島斌雄が主宰する「麦」入会。同時に東大学生俳句会に学外参加し、東大ホトトギス会にて山口青邨の選を受ける。1976年「麦」同人。大学卒業後、日本女子大学学生課に勤務。1978年我尼吾と結婚。1981年より我尼吾のイェール大学留学に伴いコネティカット州ニューヘブンに1983年まで住む。
大塚 布見子(おおつか ふみこ、1929年11月30日 -2… 大塚 布見子(おおつか ふみこ、1929年11月30日 -2020年4月12日 )は、日本の歌人。1977年歌誌『サキクサ』創刊。歌集、評論集など多数。夫は小説家・歌人の大塚雅春。孫に劇団アマヤドリ所属の女優・大塚由祈子。 香川県観音寺市出身。香川県立三豊高等女学校(現・香川県立観音寺第一高等学校)在学中に、「形成」同人で同校の南信一校長に短歌を学ぶ。東京女子大学国語科在学中、担任の藤森朋夫に万葉集を学ぶ。一時勤務したスタイル社の『スタイル』、ロマンス本社の『モダン・ロマンス』で、宇野千代、北原武夫、和田芳恵のもとで編集者として仕事をする。歌誌『藝林』を経て、1977年歌誌「サキクサ」を創刊、サキクサ短歌会を主宰。
香西 照雄(こうざい てるお、1917年10月30日 - 1… 香西 照雄(こうざい てるお、1917年10月30日 - 1987年6月24日)は、日本の俳人。 香川県木田郡庵治村(現高松市)に生まれる。旧制高松中学、旧制姫路高校を経て、1941年に東京帝国大学文学部国文科を卒業。ラバウルから復員後、1946年に高松で高校教諭となる。俳句ははじめ竹下しづの女に師事。のち東大俳句会で中村草田男を知り終生の師とする。1946年、中村草田男の「萬緑」創刊に参加。1955年、成蹊高等学校にうつり草田男の同僚となる。また大学部の講師も兼任した。1960年、第8回現代俳句協会賞受賞。「萬緑」の誌風のもと季語の象徴性に着目、思想性や社会性のある句を作った。「萬緑」では編集を補佐し、草田男の死去後は選者も務めている。
香川 進(かがわ すすむ、1910年7月15日 - 1998… 香川 進(かがわ すすむ、1910年7月15日 - 1998年10月13日)は、昭和期・平成期の日本の歌人。 香川県多度津町出身。多度津中学校(現香川県立多度津高等学校)を経て、1934年神戸商業大学(現神戸大学)卒。在学中の1932年に白日社に入社し、前田夕暮に師事。口語自由律短歌を作る。 三菱商事に入社後、1935年に出張先で現地召集される。1945年友人と東亜交易創立。敗戦後の財閥解体の処理に関わる。1953年木下商店に入り、名古屋支店長や内外炉工業社長を歴任。 戦後は文語定型短歌へと回帰。1953年「地中海」を創刊、主宰。義兄にあたる米田登も参加。門下に小野茂樹、雨宮雅子がいる。1958年『湾』で第4回日本歌人クラブ推薦歌集(現日本歌人クラブ賞)受賞、1973年『甲虫村落』で第7回迢空賞受賞、1992年『香川進全歌集』で第15回現代短歌大賞受賞。
中河 幹子(なかがわ みきこ、1897年7月30日 - 19… 中河 幹子(なかがわ みきこ、1897年7月30日 - 1980年10月26日)は、日本の国文学者、歌人。中河与一の妻。旧姓は林。 香川県坂出市生まれ。実家は紙問屋林卯吉。香川県立丸亀高等女学校を経て津田英学塾卒。在学中の1920年に中河与一と結婚をする。女性文芸誌『ごぎやう』を創刊し、後に短歌誌『をだまき』と改め主宰となる。門下に高瀬一誌、蒔田さくら子らがいる。共立女子大学教授を務め、共立女子学園歌の作詞も手がけている。 妹の林寿枝子は、初代メイ牛山に師事した美容家で、雑誌で美容指南や対談などもした。