中村 良平(なかむら りょうへい、1953年 - )は、都市… 中村 良平(なかむら りょうへい、1953年 - )は、都市経済、地域経済を専門とする日本の経済学者、岡山大学社会文化科学研究科教授。 香川県高松市に生まれ、幼い時期は岡山市、新居浜市、丸亀市などに住んだ。香川県立高松高等学校を卒業し、補習科を経て京都大学に進んだ。 1977年に京都大学工学部衛生工学科を卒業し、筑波大学大学院社会工学研究科に進んで都市・地域計画学を専攻し、1984年に「Econometric analysis of urban agglomeration economies and amenity values(都市における集積の経済とアメニティ価値に関する計量経済分析)」により筑波大学から学術博士を授与された。
植田 和弘(うえた かずひろ、1952年3月14日 - )は… 植田 和弘(うえた かずひろ、1952年3月14日 - )は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。専門は環境経済学。学位は、工学博士(大阪大学・論文博士・1983年)、博士(経済学)(京都大学・論文博士・1997年)。学位論文はそれぞれ、「金属利用の社会的評価に基づくリサイクル計画に関する基礎的研究:鉛を中心にして」、「廃棄物制御の財政理論」。日本における環境経済学の草分け的存在。香川県生まれ。 1995年の『環境経済・政策学会』設立に発起人として尽力し、社会経済システムとしての地球環境問題研究の中心的学会に育てた。2005年から2010年に同学会の会長を務める。第一線の研究者・教育者であると同時に、「オーガナイザー」として京都大学を日本における「地球環境問題研究」の拠点に育てた中心的人物。
唐渡 興宣(からと おきのり、1943年8月1日 - )は、… 唐渡 興宣(からと おきのり、1943年8月1日 - )は、日本の経済学者。専門はマルクス経済学。北海道大学名誉教授 香川県高松市生まれ。香川県立高松商業高等学校を経て、1970年一橋大学経済学部卒業。種瀬茂ゼミで指導を受け、1975年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学、北海道大学経済学部講師。1977年同助教授。1986年同教授。1995年経済理論学会幹事。2001年北海道大学大学院経済学研究科長・学部長。退職後、北海道大学名誉教授、国士舘大学21世紀アジア学部教授を経て、2010年国士舘大学大学院グローバルアジア研究科長。ゼミの指導学生に吉原直毅マサチューセッツ大学教授、平野研北海学園大学教授など。
近藤 文男(こんどう ふみお、1939年7月18日 - )は… 近藤 文男(こんどう ふみお、1939年7月18日 - )は、日本の経済学者。専門は、日本企業のグローバルマーケティングの研究。博士(経済学)。京都大学名誉教授。マーケティング史学会名誉会員。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、香川大学経済学部経済学科卒業。京都大学大学院経済学研究科経営学専攻博士課程修了。 1989年(平成元年)「成立期マーケティングの研究」で学位修得(京都大学 経済学博士)。 研究は、主に3つに分かれる。第1にマーケティング発祥の地アメリカにおける成立期のマーケティングの研究を通じて、マーケティングの本質に迫ろうという研究。第2に国際マーケティング研究において、日本の家電企業の対米輸出マーケティングに関する歴史的研究。
藤田 敬三(ふじた けいぞう、1894年3月22日 - 19… 藤田 敬三(ふじた けいぞう、1894年3月22日 - 1985年11月29日)は、日本の経済学者。大阪経済大学学長(第3代)、同理事長を歴任。大阪市立大学経済学博士、同名誉教授。日本経済政策学会名誉会員。 大阪市立大学名誉教授で元大阪経済法科大学学長の藤田整は子息。 香川県三野郡本山村(現 三豊市豊中町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制第三高等学校を経て、1921年京都帝国大学経済学部卒業、同大学院に進み河田嗣郎に師事。1922年より文部省在外研究員として欧州に留学。羽仁五郎、大学同窓の三木清らと同時期にドイツ・ハイデルベルク大学で学び交流をもった。 1924年彦根高等商業学校教授、1927年京都帝国大学農学部農林経済学科講師。
高谷 道男(たかや みちお、1891年10月12日 - 19… 高谷 道男(たかや みちお、1891年10月12日 - 1994年3月21日)は、日本の経済学者。内村鑑三の弟子でジェームス・カーティス・ヘボンの研究家でもある。 1922年にシカゴ大学を卒業後、関東学院、明治学院の教授を経て、桜美林大学経済学部創立に尽力する。後に同大学経済学部長を務める。 1981年キリスト教功労者の表彰を受ける。 1891年(明治24年)香川県那珂郡丸亀町(現・丸亀市)の呉服町の家に生まれた。小学校の高学年の時に家の商売は借財と火災でたちまち傾き没落したが、家族親戚は高谷には勉学の見込みがあるとみて学問をさせようと努めた。東京高等商業学校(現一橋大学)に合格し育英会の奨学金と親戚の援助などで進学した。