池井 昌樹(いけい まさき、1953年〈昭和28年〉2月1日… 池井 昌樹(いけい まさき、1953年〈昭和28年〉2月1日 - )は、日本の詩人。『歴程』同人。 1953年、香川県坂出市生まれ。二松學舍大学文学部卒[要出典]。12歳の時に谷内六郎の絵に魅了され、師に親しむ。1972年、山本太郎の推挙で歴程同人となり、会田綱雄と出会う。同年、全国学芸コンクール詩部門特選となる[要出典]。1977年第一詩集『理科系の路地まで』を発表。以後『鮫肌鉄道』(1978)、『ぼたいのいる家』(1986)、『水源行』(1993)などを上梓。1997年に発表した『晴夜』で歴程賞と芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。法政大学で臨時講師もしていた[要出典]。 かな文字を多用し、七五調のリズムで読ませる叙情性豊かな作風が特徴である[要出典]。
西原 邦子(にしはら くにこ、1931年(昭和6年)6月12… 西原 邦子(にしはら くにこ、1931年(昭和6年)6月12日 - 2024年(令和6年)9月23日)は、日本の詩人。 香川県丸亀市に生まれる。丸亀高等女学校(現・香川県立丸亀高等学校)を経て、食糧学校(現・東京栄養食糧専門学校)栄養科卒。北川冬彦および深尾須磨子に師事する。1957年、第4回「時間」新人賞受賞。1973年より翌年まで、フランスに滞在。1975年、町田志津子・小川アンナ・芹澤加寿子とともに詩誌『塩』を創刊。
河西 新太郎(かわにし しんたろう、1912年5月2日 - … 河西 新太郎(かわにし しんたろう、1912年5月2日 - 1990年9月8日)は、昭和時代日本の詩人、作詞家。香川県出身。 1912年(明治45年)5月2日、弁護士・河西善太郎の長男として高松市に生まれる。旧制高松中学校を経て東洋大学在学時に東都大詩人連盟等を結成。機関紙「大学詩派」を主宰する他、新東京演劇映画協会文芸部長として多数の脚本を手がけた。その後大学を中退し、同郷の先輩である菊池寛を訪ね「文藝春秋社」への入社を希望するも「詩で飯は食えない」と断られる。1934年(昭和9年)四国民報社に入社。1937年(昭和12年)に東京朝日新聞が主催した「亜欧連絡記録大飛行応援歌」に応募した「行けよ「神風」空遠く」が応募総数約四万五千編の中から一等入選で採用された。
壺井 繁治(つぼい しげじ、1897年〈明治30年〉10月1… 壺井 繁治(つぼい しげじ、1897年〈明治30年〉10月18日 - 1975年〈昭和50年〉9月4日)は、日本の詩人。日本共産党員。 香川県小豆郡苗羽村(現在の小豆島町)出身、早稲田大学に学ぶ。1920年代にはアナキズムの陣営に属し、『赤と黒』などに拠って詩作をはじめた。その後、共産主義に接近、プロレタリア文学の詩の分野で活躍した。1930年代には何度か投獄され、その後は小熊秀雄や村山知義たちと〈サンチョ・クラブ〉を結成し、風刺的な詩を作っていた。 1925年(大正14年)に作家の壺井栄と結婚。 戦後は新日本文学会の創立に参加し、発起人となる。しかし、戦後登場した武井昭夫や吉本隆明たち若手からは、戦時中の行動との差のために批判の対象にされた。