オタボー・ケネス(Otabor Kenneth、2002年5… オタボー・ケネス(Otabor Kenneth、2002年5月13日 - )は、ナイジェリア・カドゥナ州カドゥナ出身のプロサッカー選手。Jリーグ・栃木SC所属。ポジションはミッドフィールダー。 ナイジェリア国内のクラブでプレーをはじめ、高知中央高等学校への進学を機に来日。 2021年、J3リーグのいわてグルージャ盛岡に加入。加入時の登録名はオタボー。4月11日、J3第5節のヴァンラーレ八戸戦で後半途中から出場しJリーグデビューを果たした。 2023年、登録名をオタボー・ケネスに変更した。 2025年、当初はいわてグルージャ盛岡でプレーを予定していたが、Jリーグ開幕直前の2月14日に栃木SCへの完全移籍を発表した。
オニエ・オゴチュクウ・プロミス(Onye Ogochukwu… オニエ・オゴチュクウ・プロミス(Onye Ogochukwu Promise, 2002年3月13日 - )は、ナイジェリア出身のプロサッカー選手。関東サッカーリーグ1部・EDO ALL UNITED所属。ポジションは、フォワード(FW)。日本での登録名はオニエ・オゴチュクウ。 日本からスカウトを受け、高知中央高校へ留学。高校1年次からエースストライカーとして活躍し、高校3年次のプリンスリーグ四国では、25得点を挙げて得点王を獲得した。 2020年、Y.S.C.C.横浜へ加入した。8月16日、J3第10節のガンバ大阪U-23戦でプロ入り初得点を決めた。 2026年1月7日、関東サッカーリーグ1部・EDO ALL UNITEDへの加入が発表された。
濱口 草太(はまぐち そうた、1999年5月22日 - )は… 濱口 草太(はまぐち そうた、1999年5月22日 - )は、高知県高知市出身のサッカー選手。中国サッカーリーグ・福山シティFC所属。ポジションは、ミッドフィールダー(MF)。 友人の誘いを受け、小学校1年からサッカーを始めた。高校からは地元の高知県を離れて、カマタマーレ讃岐U-18に所属した。 2018年より、トップチームへ昇格。クラブ史上初めてアカデミーからのトップチーム昇格選手となった。同年6月6日、天皇杯2回戦の横浜FC戦で途中交代にてプロデビューを果たす。 2019年11月30日、カマタマーレ讃岐は契約期間の満了を発表。2020年、高知ユナイテッドSCに移籍。 2021年、福山シティFCへ期限付き移籍を発表。
佐々木 敦河(ささき たいが、1998年6月19日 - )は… 佐々木 敦河(ささき たいが、1998年6月19日 - )は、高知県高知市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィルダー (MF)、フォワード(FW)。Jリーグ・高知ユナイテッドSC所属。 明徳義塾中学校・高校からIPU環太平洋大学に進み、2021年、ソニー仙台FCに加入した。 2022年はリーグ戦全30試合出場し、この年ソニー仙台FCを退団 2023年、地元の高知ユナイテッドSCに完全移籍。 2023年は前年に続いてリーグ戦全28試合(この年はFC神楽しまねが資金難により、JFLから退会したためリーグ戦が2試合少なくなった)に出場。 2024年、横竹翔から高知で7年間付けていた『10番』を譲り受けた。
國澤 志乃(くにさわ しの、 1991年4月27日 - )は… 國澤 志乃(くにさわ しの、 1991年4月27日 - )は、高知県高知市出身の元女子サッカー選手。元サッカー日本女子代表。ポジションはミッドフィールダー。はとこに大相撲の豊ノ島がいる。 小学校年代でサッカーを始め、地元の少女サッカークラブである高知JFC.ROSAでプレー。中学校2年時には日本サッカー協会(JFA)のアンダー年代強化合宿『ナショナルトレセン女子U-15』のメンバーに、熊谷紗希、小原由梨愛、菅澤優衣香、中島依美といったメンバーと一緒に選ばれている。 2007年、女子サッカー部の創設第1期生として日本航空高等学校に入学。高校3年次の第18回全日本高等学校女子サッカー選手権大会では準決勝までコマを進めたが、神村学園高等学校に敗れている。
山中 誠晃(やまなか せいこう、1989年1月22日 - )… 山中 誠晃(やまなか せいこう、1989年1月22日 - )は、高知県出身のサッカー選手。四国サッカーリーグ・ KUFC南国所属。ポジションは、DF。
濱崎 陽平(はまさき ようへい、1987年7月6日 - )は… 濱崎 陽平(はまさき ようへい、1987年7月6日 - )は、高知県出身のサッカー選手。ポジションはGK。
楠瀬 章仁(くすのせ あきひと、1986年12月4日 - )… 楠瀬 章仁(くすのせ あきひと、1986年12月4日 - )は、高知県高知市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。 流通経済大学(流通経済大学サッカー部)卒業後、ヴィッセル神戸に入団。 2010年8月、左膝外側半月板損傷により全治2カ月の重傷を負う。 2011年、シーズン末にプロA契約変更のための規定出場時間である公式戦450分出場を達成し、神戸と契約変更したが その後、1週間足らずで来季契約を更新しないことが発表された。 2012年、松本山雅FCに移籍。9月8日の天皇杯2回戦京都サンガF.C.戦ではプロ初得点を挙げるなど、シャドーや左サイドのアタッカーとして活躍した。
本間 圭(ほんま けい、1985年5月14日)は高知県高知市… 本間 圭(ほんま けい、1985年5月14日)は高知県高知市出身のサッカー指導者。 JAPANサッカーカレッジ卒。
小松 塁(こまつ るい、1983年8月29日 - )は、高知… 小松 塁(こまつ るい、1983年8月29日 - )は、高知県出身の元プロサッカー選手で、サッカー指導者。セレッソ大阪スポーツクラブ所属。現役時代のポジションはフォワード(センターフォワード)。 関西学院大学時代の2005年にユニバーシアード日本代表に選ばれ、優勝に貢献。 2006年に前年特別指定選手として登録されていたセレッソ大阪に入団したが、シーズン途中の10月に全国地域リーグ決勝大会突破とJFL昇格を目指していた当時Kyuリーグ所属のV・ファーレン長崎に期限付き移籍する。全国地域リーグ決勝大会では小松と同様に期限付き移籍で加入した林祐征とツインタワーを組んでいた。[要出典] 2007年はC大阪に復帰。
藤田 泰成(ふじた たいせい、1982年1月31日 - )は… 藤田 泰成(ふじた たいせい、1982年1月31日 - )は、高知県出身の元プロサッカー選手。 ポジションはミッドフィールダー及びディフェンダー。左右両方のウイングバック(WB)、サイドバック(SB)をこなした。 小学校1年生の時に兄の影響でサッカーを始める。中学生までを高知県で過ごすが、全国高校選手権に憧れて、1996年に山口県の多々良学園高校に進学。当時は主にFWを務めていた。 2000年にJ1・名古屋グランパスエイトに入団。1年目から10試合に出場したが、2年目以降は出場機会が激減し、2004年限りで退団した。2005年、J1・FC東京へ完全移籍。DF加地亮が日本代表招集によって不在となったカップ戦で右SBに配され、積極的な攻撃を評価されるも、リーグ戦ではSBの加地・金沢浄 からポジションを奪えず、1年限りでJ2・東京ヴェルディ1969に期限付き移籍。
岡本 三代(おかもと みよ、1978年7月1日 - )は、高… 岡本 三代(おかもと みよ、1978年7月1日 - )は、高知県高知市出身の元女子サッカー選手・指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。静岡学園高等学校卒業。現在はサッカータイ王国女子代表とU-20サッカータイ王国女子代表の監督を兼任。 中学校在学中に鈴与清水FCラブリーレディースよりスカウトされ、1994年に入団。1995年度よりレギュラーとして試合に出るようになったが、1998年度シーズン終了後、所属する鈴与清水がL・リーグより脱退、退団して地元である高知県に戻り、県内の女子サッカークラブであるベーネグルッポでプレーした。 2001年に岡山湯郷Belleに入団。翌2002年に中国女子サッカー選手権優勝と第24回全日本女子サッカー選手権大会を経験した。
吉本 岳史(よしもと たかふみ、1978年5月13日 - )… 吉本 岳史(よしもと たかふみ、1978年5月13日 - )は、高知県出身のサッカー選手、指導者。ポジションはDF、MF。
吉村 光示(よしむら こうじ、1976年4月13日 - )は… 吉村 光示(よしむら こうじ、1976年4月13日 - )は、高知県出身の元サッカー選手(DF)。日本サッカー協会公認B級コーチ。
北内 耕成(きたうち こうせい、1974年4月25日 - )… 北内 耕成(きたうち こうせい、1974年4月25日 - )は、日本の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
名木 利幸(なぎ としゆき、1971年11月29日 - )は… 名木 利幸(なぎ としゆき、1971年11月29日 - )は、高知県安芸市出身の元サッカー審判員、高知県サッカー協会理事。 2017年までFIFA(国際サッカー連盟)国際副審を務めた。 高知工業高等専門学校卒業。1996年12月に1級審判員資格を取得。以後、主にJ1で副審を務め、2007年10月6日に行われたJ1第28節・アルビレックス新潟対大宮アルディージャ戦(新潟スタジアム)で史上19人目となるJ1副審担当120試合を達成した。 また、2003年からは国際副審となり、AFCチャンピオンズリーグやAFCカップ、東アジアサッカー選手権2008などの国際大会で審判員を務めた。 2009年2月に日本サッカー協会とプロ契約を結び、相樂亨とともに、副審としては初のプロフェッショナルレフェリーとなった。
成田 十次郎(なりた じゅうじろう、1933年1月1日 -2… 成田 十次郎(なりた じゅうじろう、1933年1月1日 -2022年8月7日 、旧姓:山中)は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。スポーツ学者。高知県吾川郡池川町(現・仁淀川町)出身。 高知県立高知追手前高等学校ではバレーボール部に所属していたが、東京教育大学体育学部に入学後は蹴球部に入部した。在学中の1953年に関東大学サッカーリーグ戦で優勝、1954年に日本代表候補となる。 東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学後、1960年にドイツ体育大学ケルンに留学する際、日本サッカー協会から戦後日本のサッカー復興のためのコーチ探しを依頼され、西ドイツ国内のクラブチームから、当時西ドイツでも日本でも無名であったデットマール・クラマーを発掘した。