尾西 桜(おにし さくら、2006年3月23日 - )は、日… 尾西 桜(おにし さくら、2006年3月23日 - )は、日本の女子レスリング選手。福岡県筑紫野市出身。階級は59kg級。 兄の影響で3歳の時に鳥栖クラブでレスリングを始めた。小学生の時はほぼ全ての全国大会で優勝を果たした。鳥栖中学1年と2年の時には全国中学生選手権で優勝した。3年の時に全国中学生選手権、全国中学選抜選手権、U15アジア選手権で優勝した。埼玉栄高校2年の時にはU17世界選手権で2位だったが、3年の時には優勝すると、インターハイでも優勝した。 2024年に日体大へ進学すると、全日本選抜選手権、全日本学生選手権、全日本選手権、さらにはU20世界選手権と全ての大会で優勝を果たした。2年の時には全日本選抜選手権で優勝して、兄であるグレコローマン55㎏級の尾西大河とともに世界選手権代表に選ばれた。
入江 ななみ(いりえ ななみ、1995年1月8日 - )は、… 入江 ななみ(いりえ ななみ、1995年1月8日 - )は、日本の女子レスリング選手。福岡県出身。階級は53kg級。身長153cm。兄の隆と2人の姉妹もレスリング選手。長女のゆきは2012年の世界ジュニア48kg級で優勝、三女のくみは2014年の世界カデット選手権56kg級で3位になった。 兄と姉に続いてレスリングを始めた。横代中学2年と3年の時に全国中学生選手権で3位になった。小倉商業高校時代は1年から3年連続でJOC杯カデットの部で優勝した。2年の時にはアジアカデット選手権と全国高校女子選手権で優勝すると、全日本選抜選手権の51kg級では決勝で至学館大学1年の志土地希果に敗れるが2位になった。
入江 ゆき(いりえ ゆき、1992年9月17日 - )は、日… 入江 ゆき(いりえ ゆき、1992年9月17日 - )は、日本の女子レスリング選手。階級は48kg級と50kg級。2015年アジア選手権48kg級金メダリスト。2018年アジア大会50kg級銀メダリスト。現在の姓名は田中ゆき。福岡県北九州市出身。九州共立大学卒業。自衛隊体育学校を経て、2022年現在は佐賀県スポーツ協会に所属。 5歳の時に兄に続いてレスリングを始めた。小学生の時は女子がほとんどいなかったために男子とばかり練習していた。 北九州市立横代中学校3年の時に全国中学生選手権の46kg級で優勝した。 小倉商業高校時代は全国高校女子選手権で2連覇を果たした。 2011年に九州共立大学へ進学すると、JOC杯ジュニアの部48kg級で2連覇、全日本学生選手権では4連覇を達成した。
田中 章仁(たなか あきひと、1983年3月9日 - )は、… 田中 章仁(たなか あきひと、1983年3月9日 - )は、日本の男性レスリング選手、総合格闘家。福岡県夜須町(現・筑前町)出身。かつてはドン・キホーテ所属、2017年現在は福岡県立三井高等学校教員。 福岡県立三井高校でレスリングを始め、高校2年で全国高校グレコローマン選手権で優勝。高校3年でインターハイ、全国高校グレコ、国体で優勝を果たし、天皇杯全日本選手権では高校生ながら3位に入賞した。 2001年12月、専修大学に進学後、1年生で出場した天皇杯全日本選手権フリースタイル130kg級(最重量級)で初優勝を果たした。 2002年12月、天皇杯全日本レスリング選手権大会・フリースタイル120kg級(最重量級の区分が変更された)に出場。
田中 忠道(たなか ただみち、1945年2月22日 - 20… 田中 忠道(たなか ただみち、1945年2月22日 - 2013年4月3日)は、福岡県出身のフリースタイルのレスリング選手である。階級は57kg級。 福岡県大牟田市出身。大牟田高校から法政大学に進んで、1966年の全日本選手権バンタム級(55kg級)で2位となった。アジア大会では優勝を飾った。卒業後に福岡大学の教員となると、1967年の世界選手権では4位だった。しかし、1968年のメキシコオリンピックには出場できなかった。1969年の世界選手権では57kg級で優勝を飾った。しかし、1972年の全日本選手権では2位となり、ミュンヘンオリンピック出場はならなかった。その後は福岡大学レスリング部部長として、後進の指導に当たった。
新免 純武(しんめん すみたけ、1889年10月23日 - … 新免 純武(しんめん すみたけ、1889年10月23日 - 1967年9月8日)は日本の柔道家(講道館9段)、レスリング選手。文献によっては新免 伊助とも。 古流柔術を経て講道館に学び鹿児島県や島根県を中心に後進の柔道指導を行ったほか、自身も戦前の全日本選士権等で活躍。アムステルダム五輪にはレスリングの日本代表として出場した。 福岡県福岡市出身。双水執流の家元である福岡市の隻流館で古流柔術を学び、中学生時代に17歳で上京して1907年5月付で講道館に入門。講道館の名物男で神田の錦城中学校(現・錦城学園高校)に通う徳三宝2段の推薦で1908年に同校の4年生に編入学し、1910年4月に2段位を取得した。