スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
入江 ななみ(いりえ ななみ、1995年1月8日 - )は、… 入江 ななみ(いりえ ななみ、1995年1月8日 - )は、日本の女子レスリング選手。福岡県出身。階級は53kg級。身長153cm。兄の隆と2人の姉妹もレスリング選手。長女のゆきは2012年の世界ジュニア48kg級で優勝、三女のくみは2014年の世界カデット選手権56kg級で3位になった。 兄と姉に続いてレスリングを始めた。横代中学2年と3年の時に全国中学生選手権で3位になった。小倉商業高校時代は1年から3年連続でJOC杯カデットの部で優勝した。2年の時にはアジアカデット選手権と全国高校女子選手権で優勝すると、全日本選抜選手権の51kg級では決勝で至学館大学1年の志土地希果に敗れるが2位になった。
岡村 奈々(おかむら なな、1994年12月30日 - )は… 岡村 奈々(おかむら なな、1994年12月30日 - )は、福岡県北九州市出身の女子ソフトボール選手(投手)。元日立サンディーバ所属。 小学校から地元のソフトボールチーム志徳ブルーサンダースに加入。北九州市立早鞆中学校時代の2009年8月にチェコのプラハで開催されたISFユースワールドカップでチームのエースを務め、予選リーグのドミニカ共和国戦で完全試合を達成。 中学卒業後の2010年に小倉商業高等学校に進学。同年、史上最年少で日本代表入りを果たした。高校卒業後は日本体育大学に進学。 2017年、日立サンディーバに入団。17試合に登板し、4勝2敗・防御率2.88の成績を残した。日本リーグの新人賞を受賞。
中田 達也(なかた たつや、1993年8月30日 - 202… 中田 達也(なかた たつや、1993年8月30日 - 2022年11月6日)は、福岡県北九州市出身の日本のボートレーサー。登録第4802号。福岡県立小倉商業高等学校卒業。 師匠は塩田北斗(登録第4566号)、弟子は松尾怜実(登録第5162号)。 福岡県立小倉商業高等学校在学中、当時の校長から先輩に植木通彦の存在を教えられて競艇選手を志す。2回目の受験でやまと競艇学校に合格、第113期生として卒業記念競走に優勝、養成所チャンプとなる。 2013年11月にボートレーサーとしてプロデビューを果たし、2017年6月26日に住之江競艇場でデビュー初優勝を飾る。2018年には浜名湖競艇場で行われたヤングダービーでG1初出走、同開催で初勝利を挙げている。
入江 ゆき(いりえ ゆき、1992年9月17日 - )は、日… 入江 ゆき(いりえ ゆき、1992年9月17日 - )は、日本の女子レスリング選手。階級は48kg級と50kg級。2015年アジア選手権48kg級金メダリスト。2018年アジア大会50kg級銀メダリスト。現在の姓名は田中ゆき。福岡県北九州市出身。九州共立大学卒業。自衛隊体育学校を経て、2022年現在は佐賀県スポーツ協会に所属。 5歳の時に兄に続いてレスリングを始めた。小学生の時は女子がほとんどいなかったために男子とばかり練習していた。 北九州市立横代中学校3年の時に全国中学生選手権の46kg級で優勝した。 小倉商業高校時代は全国高校女子選手権で2連覇を果たした。 2011年に九州共立大学へ進学すると、JOC杯ジュニアの部48kg級で2連覇、全日本学生選手権では4連覇を達成した。
來河 侑希(きたがわ ゆうき、1984年3月9日 - )は、… 來河 侑希(きたがわ ゆうき、1984年3月9日 - )は、日本の俳優である。福岡県北九州市出身、福岡県立小倉商業高等学校卒業。 身長174cm。血液型O。趣味は、バスケ。特技は、殺陣、ボクシング、映画アクション等。 フリーを経て株式会社Allen所属。劇団アレン座主宰。 2017年10月に出演・共同プロデューサーを務める映画「僕の帰る場所」は、東京国際映画祭(アジアの未来部門)にて、作品賞と国際交流基金アジアセンター特別賞の2冠を達成。その他、21カ国31以上の国際映画祭に選出される。 また、企画、プロデュース作品『遠いところ』が第56回カルロリヴィ・ヴァリ国際映画祭にてクリスタル・グローブ部門(メインコンペティション)にノミネートされた。
植木 通彦(うえき みちひこ、1968年4月26日 - )は… 植木 通彦(うえき みちひこ、1968年4月26日 - )は、福岡県北九州市出身の元ボートレーサー。登録第3285号。 現在は一般財団法人BOAT RACE振興会ボートレースアンバサダー。 福岡県立小倉商業高等学校2年時に中退。当時は野球部に所属。(ボートレーサー引退後に福岡県立博多青松高等学校に編入学して卒業。) その後、全国モーターボート競走会連合会本栖研修所に入所。 1986年11月21日から福岡競艇場で開催された一般戦でデビュー。 1986年12月25日から芦屋競艇場で開催された一般戦で初勝利。 1988年11月29日からびわこ競艇場で開催されたG3で初優出を果たす。 1989年1月16日、桐生競艇場でのレース中に転覆した際、後続艇のプロペラで顔面を切り刻まれ、全治5カ月、傷の縫合に75針を要する重傷を負う。
門田 富昭(かどた ふみあき、1956年2月6日 - )は、… 門田 富昭(かどた ふみあき、1956年2月6日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 小倉商高では、1973年にエースとして春の選抜に出場。1回戦で桜美林高を降すが、2回戦でこの大会に優勝した横浜高の永川英植と投げ合い、延長13回サヨナラ負けを喫する。 卒業後は西南学院大学に進学。九州六大学リーグでは優勝に届かず、2位3回にとどまる。しかし速球投手として知られ、4年春には久留米大学戦で10回を投げて完全試合を記録するなど活躍、リーグ戦通算最多の39勝を記録して「西の江川」と呼ばれた。 1977年のドラフト1位で横浜大洋ホエールズに、西南学院大学出身として初のプロ野球選手として入団した。
秋富 由利夫(あきとみ ゆりお、1950年9月13日 - )… 秋富 由利夫(あきとみ ゆりお、1950年9月13日 - )は、佐賀県出身のプロゴルファー。 小学5年生の頃からゴルフのグラブを握り、中学時代は器械体操をやるが、その頃に鍛えた足腰の強さがロングドライブの糧になる。 麻生飯塚ゴルフ倶楽部で藤井義将に弟子入りし 、162cmと小柄ながら師匠の藤井ばりの広いスタンス、大きなスイングが特徴であった。同じ所属プロで藤井の弟子であった藤池昇や友利勝良とのラウンドで腕を磨き、友利は秋富から小技を盗もうとした。 1975年に6回目の挑戦でプロ入りし、1976年からはアジアサーキットに参戦 。 1976年の香港オープンでは初日に5バーディー、1ボギーでコースレコードタイの66をマークし、謝敏男( 中華民国)に2打差付けて首位に立つが、2日目には74を叩いて、通算140で2位へ後退。
流 敏晴(ながれ としはる、1948年7月7日 - 2016… 流 敏晴(ながれ としはる、1948年7月7日 - 2016年9月15日)は、福岡県北九州市出身のプロ野球選手(投手)、プロ野球スカウト、長崎国際大学硬式野球部監督。福岡県立小倉商業高等学校卒業。 小倉商業高校では、2年生の時に1965年秋季九州大会県予選で県北部決勝まで進むが小倉高に敗退。翌1966年春季九州大会県予選では2回戦で八幡高を相手に7回コールドながら完全試合を達成して注目される。同年夏の甲子園県予選では準々決勝で柳川商に惜敗、甲子園には出場できなかった。 1966年第1次ドラフト会議で阪急ブレーブスから2位指名を受け入団。足立光宏、山田久志に続くアンダースロー。飄々とした風貌から投げられるシュート、カーブを武器に6年目にプロ入り初勝利を挙げる。
森本 俊治(もりもと としはる、1945年1月14日 - )… 森本 俊治(もりもと としはる、1945年1月14日 - )は、福岡県北九州市出身のプロゴルファー。 息子の森本真祐はエースキャディ。 福岡県立小倉商業高等学校出身。 21歳でゴルフを始め、1973年にプロ入りする。 1974年の中部オープンでは初日に69をマークして首位でスタートし、最終日には優勝した橘田規から7打差2位に入った。 1975年のKBCオーガスタでは初日を許勝三(中華民国)・川上実・西田升平・小林富士夫と並んでの11位タイでスタートし、2日目には69をマークして草壁政治・前田新作と並んでの4位タイに浮上。3日目は前田と共に73とスコアを伸ばせず、青木功・石井裕士と並んでの4位タイに留まった。
真実 一男(まざね かずお、1920年 - 2004年12月… 真実 一男(まざね かずお、1920年 - 2004年12月26日)は、日本の思想史家。大阪市立大学名誉教授。元経済学史学会代表幹事。デヴィッド・リカード研究を専門とした。 長崎県壱岐石田町出身。小倉市立小倉商業学校(現福岡県立小倉商業高等学校)を経て、1938年長崎高等商業学校(現長崎大学)無試験入学。1943年東京商科大学(現一橋大学)を繰り上げ卒業。杉本栄一ゼミ出身。一貫してデヴィッド・リカードを専攻。 学徒出陣し薩摩半島で終戦を迎え、日本の降伏後、九州で語学教師などを務め、1949年から上京し杉本に師事。1951年長崎大学商業短期大学助教授兼長崎大学経済学部講師。1954年長崎大学経済学部助教授。
劉 寒吉(りゅう かんきち、1906年(明治39年)9月18… 劉 寒吉(りゅう かんきち、1906年(明治39年)9月18日 - 1986年(昭和61年)4月20日) は、日本の昭和期の小説家。本名は 濱田 陸一(はまだ りくいち)。 1906年(明治39年)9月18日 福岡県小倉市、魚町33番地(現 北九州市小倉北区、魚町2丁目4番21号)で 父 濱田源治 母 マツの長男として生まれた。名は陸一。生家は、旧小倉藩小笠原公の砂糖御用達商人「濱田屋」。1925年(大正14年)小倉市立小倉商業学校(現 福岡県立小倉商業高等学校)卒業。 在学中より文学の道に進み、同人誌『悟桐』を創刊。1925年(大正14年)9月、同人誌『公孫樹』を創刊。1938年(昭和13年)『九州文学』創刊以来、1983年(昭和58年)12月号の第464号で休刊するまで、48年間『九州文学』の大黒柱として、編集経営に尽力した。