高橋 かづゆき(たかはし かづゆき、1975年8月30日 -… 高橋 かづゆき(たかはし かづゆき、1975年8月30日 - )は、日本の脚本家、放送作家。日本脚本家連盟会員。 福岡県糟屋郡宇美町生まれ。東福岡高等学校、西南学院大学出身。福岡市で仕事を転々としていたが、2005年に上京。シナリオ・センターでシナリオの基本を学び、在学中に脚本家のジェームス三木に師事。その後、放送作家の安達元一に師事。テレビ番組の構成、脚本のほか、企業VPなどの構成も手がけている。
草場 滋(くさば しげる、1967年5月27日 - )は、メ… 草場 滋(くさば しげる、1967年5月27日 - )は、メディアプランナーおよび放送作家。福岡県出身。 福岡県立城南高等学校在学中の1983年、津田真一、小田朋隆らと、同校水泳部内に「第5の泳法」を開発するチームを結成し、草場は代表を務める。この草場・津田・小田から成るチームは「指南役」と名乗り、現在に至るまでエンタテインメント企画集団として活動している。草場個人のTwitterアカウント名も「指南役」である。高校時代の同級生に草野マサムネがいた。 1998年「フジテレビ・バラエティプランナー大賞」グランプリ獲得。以後、同局のバラエティ番組を中心に構成作家の活動を始める。 1999年、ホイチョイ・プロダクションズにブレーンとして正式参加。
竹林 紀雄(たけばやし のりお、1958年2月12日 - )… 竹林 紀雄(たけばやし のりお、1958年2月12日 - )は、日本のテレビ演出家、TVプロデューサー、放送作家。特に、ドキュメンタリーの構成・演出に定評がある。文教大学情報学部メディア表現学科長・教授、文教大学大学院情報学研究科教授、文化庁芸術祭執行委員、日本映画監督協会理事、湘南総合研究所所長。 福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)生まれ。大学入学のために上京した1979年春より、自主映画制作団体 『都会村』を設立・主宰し、8ミリ映画の制作を始める。1981年より2年間、イメージフォーラム付属映像研究所で、松本俊夫、金井勝、かわなかのぶひろ、鈴木志郎康、萩原朔美、松田政男、そして寺山修司などから、実験映画を中心にアートとしての映像表現を学ぶ。
毛利 恒之(もうり つねゆき、1933年2月8日 - )は、… 毛利 恒之(もうり つねゆき、1933年2月8日 - )は、日本の脚本家、放送作家、小説家。 福岡県大牟田市で生まれる。福岡県立三池高等学校、熊本大学法文学部国文学科卒業。NHK契約ライターを経て、フリーの放送作家となる。 主な作品に、「マーサ」(九州朝日放送、1961年)、「十八年目の召集」(九州朝日放送、1964年)、「幾星霜」(九州朝日放送、1964年)といったテレビドラマのほか、「福大病院タリウム中毒事件の謎」(福岡放送、1982年)、北洋漁船の衝突事故を扱った「海難を超えて」(仙台放送、1983年)などのドキュメンタリーがある。一方で、KBCの情報ワイド番組「モーニングモーニング」(1986年 - 1998年)の企画立ち上げにも関わる。
寺田 信義(てらだ のぶよし、1932年〈昭和7年〉11月1… 寺田 信義(てらだ のぶよし、1932年〈昭和7年〉11月1日 - 2004年〈平成16年〉9月22日)は、日本の脚本家・放送作家。福岡県久留米市出身。新潟県立三条高等学校を経て、中央大学法学部卒。在学中に学映協(全国学生自主映画製作協議会)に参加し、その縁で『ともしび』(1954年/監督:家城巳代治)を執筆して脚本家デビューを果たした。1957年には戦後映画史の傑作とされる『異母兄弟』(原作 : 田宮虎彦 監督:家城巳代治)を依田義賢と共同執筆し、高い評価を受けて名声を確立した後、独立プロの活動を経て日本映画復興会議(初代議長:今井正)に参加。社会派映画から日活青春映画、アクション、さらにはテレビドラマまで幅広く手掛け、現実社会や時代性を鋭く反映した作風で知られる。
川崎 洋(かわさき ひろし、1930年1月26日 - 200… 川崎 洋(かわさき ひろし、1930年1月26日 - 2004年10月21日)は、日本の詩人、放送作家。東京都出身。 茨木のり子と「櫂」を創刊。明るい存在感溢れる詩風で、戦後詩に新鮮な叙情詩の世界を開いた。作品に詩集『はくちょう』(1955年)、『食物小屋』(1980年)、放送詩劇『魚と走る時』(1956年)など。 名前の洋は、『詩経』の「河川洋々」から取って、母方の祖父が名付けた。1944年福岡県八女郡に疎開。福岡県立八女中学校(現:福岡県立八女高等学校)卒業、父が急死した1951年に西南学院専門学校英文科(現:西南学院大学)中退。上京後は横須賀の米軍キャンプなどに勤務した。 1948年頃より詩作を始め、1953年5月茨木のり子と詩誌「櫂」を創刊。