吉澤俊 介(よしざわ しゅんすけ、1956年(昭和31年)2… 吉澤俊 介(よしざわ しゅんすけ、1956年(昭和31年)2月8日 - )は、日本の銀行家、実業家。十八親和銀行の会長。親和銀行最後の頭取。ふくおかフィナンシャルグループ執行役員を務める。元ふくおかフィナンシャルグループ取締役。現在は青雲学園の理事長。 長崎県松浦市の出身で慶應義塾大学法学部卒。1978年、親和銀行に入行し、秘書室主任秘書役や本店営業部長、審査部長、総合企画部長、常務執行役員を歴任し、2007年にふくおかフィナンシャルグループの完全子会社となった親和銀行の代表取締役専務に就任した。 2009年にふくおかフィナンシャルグループの取締役に就任し、2014年に小幡修の後任として代表取締役頭取に就任した。
森 拓二郎(もり たくじろう、1955年〈昭和30年〉2月2… 森 拓二郎(もり たくじろう、1955年〈昭和30年〉2月28日 - )は日本の実業家、銀行家。十八親和銀行頭取。十八銀行最後の頭取。親会社のふくおかフィナンシャルグループの執行役員。九州経済連合会副会長。 長崎県長崎市出身。1978年(昭和53年)に九州大学経済学部を卒業。同年、十八銀行に入行し、佐賀支店長や秘書室長、人事部長などを経て、2007年に当時指名委員会等設置会社であった十八銀行の執行役に就任し、2010年には取締役兼常務執行役、2012年には代表執行役専務と進んで、2014年には宮脇雅俊の後任として代表執行役頭取に就任した。 2016年にふくおかフィンシャルグループとの経営統合を基本合意した。
樫沢 利博(かしざわ としひろ、1948年9月5日 - )は… 樫沢 利博(かしざわ としひろ、1948年9月5日 - )は、日本の銀行家、実業家。元三菱東京UFJ銀行常務取締役、兼松会長。長崎県出身。 1948年、長崎県長崎市生まれ。長崎市立長崎中学校、長崎県立長崎東高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。新聞記者志望であったが、1972年東京銀行(現:三菱UFJ銀行)に入行した。入行後、ニューヨークやロンドンなど海外で勤務。後に本店勤務となり、1996年の三菱銀行との統合時には東京銀行側の事務局長を務めた。2001年執行役員、2003年常務執行役員を経て、同年常務取締役に就任。常務時代は不良債権処理等に取り組んだ。三菱UFJ証券監査役などを経て、2010年兼松専務、2011年会長。
宮脇 雅俊(みやわき まさとし、1944年10月9日 - )… 宮脇 雅俊(みやわき まさとし、1944年10月9日 - )は、日本の銀行家。十八親和銀行顧問。十八銀行の取締役会長、取締役兼代表執行役頭取を務めた。2016年11月から長崎商工会議所会頭を務めている。 長崎県南松浦郡玉之浦町(現:長崎県五島市)出身。長崎県立長崎東高等学校を経て、1968年に長崎大学経済学部卒業後、十八銀行に入行。専務取締役、副頭取などを経て、2007年に代表執行役頭取就任。生え抜きの頭取就任は51年ぶりのことであった。 2014年、取締役兼代表執行役頭取を森拓二郎に譲り、取締役会長に就任した。 2016年11月、長崎商工会議所会頭に選任された。 2020年に十八銀行の取締役会長を退任し、同行顧問(同年10月、十八親和銀行顧問に横滑り)に就任する。
吉永 武男(よしなが たけお、1904年〈明治37年〉10月… 吉永 武男(よしなが たけお、1904年〈明治37年〉10月28日 - 1978年〈昭和53年〉5月1日)は、日本の銀行家。長崎県長崎市出身。 熊本県立玉名中学校(1922年卒業)、第五高等学校を経て、東京帝国大学経済学部を卒業した。 大学卒業後に三十四銀行に入る。1933年に三十四銀行は他の銀行との統合により、三和銀行となる。1952年に東京事務所長に就任し、以後、経理部長、神戸支店長、取締役、常務取締役などを歴任した。 1963年三和銀行退任後、日本火災海上保険に取締役副社長として入り、1969年に取締役会長に就任。1974年、勲四等旭日小綬章を受章。 1978年5月1日、閉塞性黄疸のため東京都文京区本駒込の宮入外科病院で死去。
今村 千代太(いまむら ちよた、1857年2月7日(安政4年… 今村 千代太(いまむら ちよた、1857年2月7日(安政4年1月13日)- 1916年(大正5年)1月15日)は、明治期の教育者・銀行家・政治家。衆議院議員。 肥前国彼杵郡大村(長崎県東彼杵郡西大村、大村町を経て現大村市)の農家に生まれる。小学校卒業後、長崎県師範学校を卒業した。 小学校訓導、小学校長、中学校教員、学務委員、戸長、郡書記などを歴任した。 政界では長崎県会議員に選出された。1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(長崎県第2区、進歩党)で当選し、同年8月の第6回総選挙(長崎県第2区、憲政本党でも再選され、最後は三四倶楽部に所属して衆議院議員に連続2期在任した。 その他、玖島銀行頭取を務めた。
沢山 精八郎(澤山、さわやま せいはちろう、1855年12月… 沢山 精八郎(澤山、さわやま せいはちろう、1855年12月11日(安政2年11月3日) - 1934年(昭和9年)3月21日)は、明治から昭和時代初期の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 肥前大村藩士・沢山熊右衛門の長男として生まれる。長崎広運館にて英学を修める。1899年(明治32年)家督を相続した。島原水電、沢山汽船、沢山兄弟商会、遠洋漁業、九州汽船各社長、長崎銀行頭取、長崎製鉄所取締役などを歴任した。ほか、長崎市名誉参事会員、同市会議員、長崎商業会議所副会頭などを務めた。 1925年(大正14年)長崎県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1932年(昭和7年)9月28日まで在任した。
稲田 又左衛門(稻田 又左衞門、いなだ またざえもん、183… 稲田 又左衛門(稻田 又左衞門、いなだ またざえもん、1834年3月1日(天保5年1月21日)- 1910年(明治43年)3月3日)は、幕末の大村藩家老、明治期の政治家・銀行家。衆議院議員、長崎区長。諱・凞孚。通称・才八郎、東馬、又左衛門。 肥前国彼杵郡大村(現長崎県大村市)で、大村藩士の家に生まれ、19歳で同藩士・稲田中衛の養子となる。藩校五教館で学んだ。1854年(安政元年)中小姓に任じられた。以後、諸稽頭取、近習番頭、御用人、長崎御用懸、家老兼烈山隊参謀、吾往隊大隊長、大村藩権大参事などを歴任。藩主大村純熈を補佐した。 廃藩置県後、西彼杵郡大串村に転居した。第二中学大区取締、第十一大区区長、兼第十三大区区長を歴任。