玉井 光一(たまい こういち、1952年10月21日 - )… 玉井 光一(たまい こういち、1952年10月21日 - )は、日本の技術者、実業家、工学博士。富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)代表取締役社長を経て、富士フイルムビジネスイノベーション代表取締役会長、ビジネス機械・情報システム産業協会筆頭副会長。 大分県出身。1972年大分県立大分工業高等学校卒業、東芝入社。東芝生産技術研究所(現生産技術センター)メカトロニクス開発センター主任研究員などを務め、2002年には「高精細液晶ディスプレイにおける実装技術と実装システムの開発」により東京大学博士(工学)の学位を取得。 2003年富士写真フイルム(現富士フイルム)入社。医療機器などの設計を担当し、2011年富士フイルムホールディングス取締役に昇格。
江熊 哲翁(えぐま / えくま てつお、1893年(明治26… 江熊 哲翁(えぐま / えくま てつお、1893年(明治26年)4月25日 – 1974年(昭和49年)5月20日)は、大正から昭和期の水産技術者、政治家。参議院議員。 大分県宇佐郡、現在の宇佐市で生まれる。1916年(大正5年)農商務省水産講習所(現東京海洋大学)本科養殖科を卒業した。 1918年(大正7年)大分県水産技手に就任。以後、水産試験場技手、台湾総督府技手、滋賀県技手、地方農林技師・佐賀県水産課長兼水産試験場長・水産製品検査所長、愛媛県水産課長、山口県水産課長、下関漁港事務所長事務取扱などを歴任した。その後、山口県健民対策審議会専門委員、同水産業会長、同漁業組合連合会長、山口漁村振興協議会長、福石商会会長、天山商事社長などを務め、山口県の水産業界の振興に尽力した。
三浦 覚一(覺一、みうら かくいち、1870年6月26日(明… 三浦 覚一(覺一、みうら かくいち、1870年6月26日(明治3年5月28日)- 1930年(昭和5年)1月31日)は、明治後期から昭和初期の水産技術者、漁業家、政治家。衆議院議員。 豊後国大野郡、のちの大分県大野郡赤嶺村(三重村、三重町を経て現豊後大野市三重町赤嶺)で、三浦喬三の長男として生まれる。1891年(明治24年)法律を学ぶため上京したが、村田保と面会すると日本の水産業振興の重要性を説かれ、水産伝習所(のち東京水産大学、現東京海洋大学)に入学した。1894年(明治27年)水産伝習所を卒業。北海道に渡り水産業の視察、研修を行う。 1896年(明治29年)に帰郷し、大分県庁に入庁して大分県技手、同県水産試験場長、同水産試験業技師、大分県技師、勧業課長などを歴任し、水産業、特に遠洋漁業の振興に尽力した。
油布賢一(ゆふ けんいち、 - )は、日本の音楽プロデューサ… 油布賢一(ゆふ けんいち、 - )は、日本の音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、トラックメイカー、マニピュレーター、レコーディング・エンジニア、A&R、実業家。 音楽との出会いは、幼稚園時にピアノを習い、大学時代テニスコーチをしながらギターを始めたこと。 卒業後、Apple製MacとMTRを購入してDTMで作曲活動を開始。名古屋アポロシアター(現アポロベース)で週1ライブをはじめた。影響を受けたアーティストはビートルズ、U2、OASIS、STING、ボン・ジョヴィで、中学・高校時代はオーディオマニアだった。 自身の作曲の転調や展開術に関してはエクシング(ジョイサウンド)制作部で耳コピの仕事にしていく内にカラオケで人気のある曲の方程式を見つけ出した。