上村 次敏(うえむら つぐとし 1934年 - 1998年)… 上村 次敏(うえむら つぐとし 1934年 - 1998年)は、日本の画家。逆さ絵や錯視を利用した精密な作品が特徴とされる。 1934年、福岡県久留米市に生まれる。宮崎県立宮崎大宮高等学校を卒業後、1956年に上京。1957年、武蔵野美術学校に入学。1959年、同校在学中に第3回シェル美術賞を受賞する。1961年、丸善石油美術奨励賞選抜展出展。担当教授に卒業課題の卒業制作を有名作家のコピーと誤解されて卒業できず、同校を中退する[要出典]。1962年、第2回太平洋青年美術家展に入選[要出典]。1963年には第3回パリ青年ビエンナーレ展に日本代表として宮脇愛子、渡辺恂三、工藤哲巳らとともに出展。同年、現代日本美術展入選、二紀会同人努力賞受賞。
弥勒 祐徳(みろく すけのり、1919年2月20日 - 20… 弥勒 祐徳(みろく すけのり、1919年2月20日 - 2024年5月16日)は、宮崎県内で活動した日本の画家。西都市にて生まれ、在住も死没地も同市であった。珍しい名前だが、本名である。宮崎県立都農高等学校講師、宮崎県美術協会理事。息子はテレビ宮崎役員の弥勒猛。 精力的に活動を続け、350回を越える個展を開いた。自宅の近くに展示室『神楽館』を設けており、作品を見ることができるほか、アートカフェや美術館で作品展示を行った。主に神楽や桜をテーマにする画家として有名。代表作に、銀鏡神楽(しろみかぐら)で舞われた「山の神」を描いた百二十号の大作など。
河野 扶(かわの たすく、1913年(大正2年)- 2002… 河野 扶(かわの たすく、1913年(大正2年)- 2002年(平成14年)8月14日)は、日本の洋画家。
瑛九(えいきゅう、1911年4月28日 - 1960年3月1… 瑛九(えいきゅう、1911年4月28日 - 1960年3月10日)は、日本の画家、版画家、写真家。前衛的な作品、抽象的な作品(抽象絵画)が多い。本名、杉田 秀夫。QEiとも自署した。浦和画家として有名。 宮崎県宮崎市に生まれる。瑛九の生家は宮崎市内で眼科医院を営んでいるが、極度の近視のため家業を継ぐことはできなかった。1925年、宮崎中学校(現宮崎県立宮崎大宮高等学校)を中退して上京。日本美術学校卒業。 1934年に生涯の友人となる画家の山田光春(当時は教員)と出会う。1935年に中央美術展に初入選した。山田らと芸術家クラブふるさと社を結成した。この頃より美術評論家の外山卯三郎や、画家の長谷川三郎と親交を深める。
山内 多門(やまうち たもん、1878年(明治11年)4月2… 山内 多門(やまうち たもん、1878年(明治11年)4月29日 - 1932年(昭和7年)5月30日)は、日本の明治から昭和にかけて活動した日本画家。多門は本名で、字を子弘、初号を都洲、他に空容子、起雲閣、蜀江山房、自足園主人、書禅堂など。 宮崎県都城市倉之馬場通東に、都城島津家家臣の山内勝麿の子として生まれる。16歳で郷里で狩野派の中原南渓に学ぶ。1899年(明治32年)に上京、同郷の造船技師で経営者だった須田利信の家に寄寓しながら、川合玉堂に入門、雅号都洲を授かる。翌1900年(明治33年)橋本雅邦に師事し、前期日本美術院に参加、同年第8回日本美術協会第三回日本美術協会連合絵画共進会「三顧草盧」という歴史画で初入選。