高橋 利弘(たかはし としひろ、1945年9月20日 - )… 高橋 利弘(たかはし としひろ、1945年9月20日 - )は、日本の外交官。国連公使などを経て、パラグアイ駐箚特命全権大使、ニュージーランド駐箚特命全権大使を務めた。 1964年東京都立小石川高等学校卒業、1969年東京大学工学部都市工学科卒業、1970年外務省入省。同期に下荒地修二(駐ベネズエラ大使)、古屋昭彦(ウィーン代表部大使)など。アメリカ合衆国で研修を受けたのち在ビルマ日本国大使館二等書記官に就任。 OECD代表部一等書記官、在バングラデシュ大使館参事官を経て、外務省経済局国際エネルギー課長、大臣官房文書課長、同通信課長、外務研修所総括指導官、国際協力事業団企画評価部長、大臣官房審議官、国連代表部公使、EU代表部公使、リオデジャネイロ総領事、査察担当大使、駐パラグアイ特命全権大使などを歴任。
赤澤 正人(あかざわ まさと、1945年8月25日 - )は… 赤澤 正人(あかざわ まさと、1945年8月25日 - )は、日本の元外交官。元ドミニカ共和国特命全権大使。神田外語大学学長、嘉悦大学学長を歴任した。
野坂 康夫(のざか やすお、1945年〈昭和20年〉6月22… 野坂 康夫(のざか やすお、1945年〈昭和20年〉6月22日 - )は、日本の政治家、元外交官。元鳥取県米子市長(通算4期)。 鳥取県米子市出身。東京大学経済学部中退。1969年外務省入省。在英国大使館公使、在バンクーバー総領事などを歴任。2003年旧米子市長選で初当選。2005年の新市長選で当選。2013年4月、3選を果たした。祖父は洋食のレストランおよびレコード、楽器店を営んでいた野坂康久(“十字屋”経営主)。祖母のいとこには戦後、米子市長をつとめた野坂寛治がいる。 父・野坂陞三、母・千年の間に生まれた。1人っ子である。祖父野坂康久は、米子市東倉吉町で「十字屋」を経営、父や母、おばがこれを手伝っていたが、野坂が幼いころは、市会議員もしていた。
東郷 和彦(とうごう かずひこ、1945年〈昭和20年〉1月… 東郷 和彦(とうごう かずひこ、1945年〈昭和20年〉1月10日 - )は、日本の外交官、評論家、政治学者(国際関係論)。Ph.D.(ライデン大学、2009年)。 外務省条約局局長、外務省欧亜局局長、オランダ駐箚特命全権大使、ライデン大学附属国際アジア研究所教授、プリンストン大学東アジア研究学部講師、京都産業大学法学部教授、京都産業大学世界問題研究所所長などを歴任した。 疎開先の長野県軽井沢町生まれ、東京都で育つ。東京大学教養学部を経て、1968年に外務省に入省した。欧亜局の審議官や大臣官房の総括審議官を経て、条約局や欧亜局の局長を歴任した。オランダ特命全権大使としてデン・ハーグに赴任するも、鈴木宗男事件をきっかけに2002年に罷免された。
服部 則夫(はっとり のりお、1945年(昭和20年) - … 服部 則夫(はっとり のりお、1945年(昭和20年) - )は、日本の外交官。ベトナム駐箚特命全権大使などを歴任した。 福井県福井市出身。1968年(昭和43年)東京大学法学部を卒業し、外務省入省。1969年(昭和44年)から1970年(昭和45年)までフランス共和国に留学し、フランス語研修を受ける。1975年在フィリピン日本国大使館一等書記官、1977年在ジュネーブ日本政府代表部一等書記官、1980年外務省経済協力局政策課企画官、1983年外務省外務大臣官房国内広報課長、1985年外務省欧亜局西欧第一課長、1986年在中華人民共和国日本国大使館参事官、1989年在フランス日本国大使館公使、1990年外務省経済協力局審議官、1996年在インドネシア日本国大使館公使、1997年在インドネシア日本国大使館特命全権公使、1999年外務省軍備管理・科学審議官(大使)、2001年(平成13年)外務報道官、2002年(平成14年)から2008年(平成20年)まで、ベトナム駐箚特命全権大使を務めた。
安藤 裕康(あんどう ひろやす、1944年(昭和19年)11… 安藤 裕康(あんどう ひろやす、1944年(昭和19年)11月22日 - )は、日本の外交官。 外務省中東アフリカ局局長、イタリア駐箚特命全権大使、独立行政法人国際交流基金理事長などを歴任した。 1944年生まれ。神奈川県箱根町出身、県立小田原高校を卒業。大学時代にサンケイスカラシップで米国に一年間留学 1969年(昭和44年)8月に外務公務員上級試験に合格し、1970年(昭和45年)東京大学文学部卒業、外務省に入省した。 外務省本省にてアジア局南東アジア第二課長、大臣官房在外公館課長、大臣官房外務参事官、大臣官房審議官などを歴任した。2002年には、中東アフリカ局長に就任した。 在外公館では、在フィリピン大使館、在連合王国大使館参事官、在アメリカ合衆国大使館公使、在アメリカ合衆国大使館特命全権公使などを務めた。
上田 秀明(うえだ ひであき、1944年11月1日 - )は… 上田 秀明(うえだ ひであき、1944年11月1日 - )は、日本の元外交官。京都産業大学客員教授。在ポーランド特命全権大使・在オーストラリア特命全権大使・人権人道担当大使などを歴任した。 1944年(昭和19年)新潟県生まれ。1967年(昭和42年)に東京大学を卒業し、外務省に入省。外務省内ではロシア語研修閥の「ロシアン・スクール」に属しており、在ソ連大使館一等書記官・同参事官、欧亜局東欧課長などを歴任した。 1995年(平成7年)には日本初開催となるAPEC大阪会議の準備事務局長に任命される。だが後に事務局次長ら数人が会場費を約4300万円分水増しして請求し、ホテルの宿泊費や上田も出席した打ち上げの費用などに流用していたことが発覚。
中村 雄二(なかむら ゆうじ、1944年9月5日 - )は、… 中村 雄二(なかむら ゆうじ、1944年9月5日 - )は、日本の外交官。シドニー総領事や、駐スイス特命全権大使、駐イタリア特命全権大使等を歴任した。 1966年に外務公務員採用上級試験に合格し、東京大学法学部を中退して、外務省に入省。テュービンゲン大学留学、在オーストリア日本国大使館一等書記官、在インド日本国大使館一等書記官等を経て、1981年内閣法制局第三部参事官。1983年外務省欧亜局東欧課長。1985年在ドイツ連邦共和国日本国大使館参事官。1992年フランクフルト総領事。1994年外務大臣官房審議官兼内閣情報調査室次長。1996年シドニー総領事。2000年参議院参事、参議院事務局国際部長。
谷内 正太郎(やち しょうたろう、1944年〈昭和19年〉1… 谷内 正太郎(やち しょうたろう、1944年〈昭和19年〉1月6日 - )は、日本の外交官。 外務事務次官、政府代表、内閣官房参与、国家安全保障局長(初代)、内閣特別顧問を歴任。 石川県生まれ、富山県育ち。貧しい環境で苦労して育つ。大学時代は若泉敬主宰の研究会に参加し、研鑽を積む。学者を目指して大学院に進学するものの、指導教官の急死などで断念し、外交官となる。 外務事務次官としては異例の3年(在任 2005年(平成17年)1月4日 - 2008年(平成20年)1月17日)を務め、安倍内閣の外務大臣・麻生太郎の提唱した外交方針(価値観外交および戦略的互恵関係)の策定・実行に中心的役割を果たした。退官後は早稲田大学、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス等で教鞭を執り、前記大学合同の授業は谷内塾と呼ばれた。
黒川 祐次(くろかわ ゆうじ、1944年〈昭和19年〉 - … 黒川 祐次(くろかわ ゆうじ、1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の外交官。ウクライナ駐箚特命全権大使、コートジボワール駐箚特命全権大使などを歴任した。 愛知県出身。愛知県立旭丘高等学校を経て、1967年に東京大学教養学部国際関係論分科卒業、外務省入省。1986年から1989年まで、在モントリオール総領事。1990年から1994年まで、国際交流基金総務部長。1996年から1999年まで、在ウクライナ特命全権大使。1999年から2001年まで衆議院外務調査室長、常任委員会専門員、外務委員会専門員。2002年から在コートジボワール特命全権大使。退官後、日本大学国際関係学部国際関係学科教授。2008年「コートジボワールの紛争と日本の対応」で日本大学博士(国際関係)。
齋藤 正樹(さいとう まさき、1943年10月13日 - 2… 齋藤 正樹(さいとう まさき、1943年10月13日 - 2013年11月2日)は、日本の外交官。駐カンボジア、ニュージーランド大使、財団法人交流協会台北事務所代表を務めた。 1943年に広島県で生まれる。広島大学附属福山高等学校、東京大学教養学部を卒業後1966年に外務省へ入省。入省同期には野上義二、浦部和好、孫崎享、大塚清一郎などがいる。外務省大臣官房領事移住部長、カンボジア特命全権大使、ニュージーランド兼サモア特命全権大使を経たのち、財団法人交流協会台北事務所代表を務めた。 しかし、2009年に台湾の国立中正大学での講演で「台湾の国際的地位は未定」と発言したことから、馬英九政権はこの発言に「中華民国の主権を否定するもの」と強く反発し、台湾外務省は齋藤代表を呼び出して厳重抗議した。
大島 正太郎(おおしま しょうたろう、1943年9月20日 … 大島 正太郎(おおしま しょうたろう、1943年9月20日 - )は、日本の外交官。東京大学客員教授。内閣官房内閣審議官およびTPP関係国との協議担当政府代表、世界貿易機関(WTO)上級委員。東京都出身。大島寛一の子。
孫崎 享(まごさき うける、1943年〈昭和18年〉7月19… 孫崎 享(まごさき うける、1943年〈昭和18年〉7月19日-)は、日本の外交官、評論家。東アジア共同体研究所理事・所長。ハーバード大学の国際問題研究所(英語版)研究員、ウズベキスタン駐箚特命全権大使、外務省国際情報局局長、イラン駐箚特命全権大使、防衛大学校人文社会科学群学群長、筑波大学国際総合学類非常勤講師などを歴任した。 1943年(昭和18年)、満洲国の奉天省鞍山市にて生まれた。日本の特殊会社たる南満洲鉄道が設立した鞍山製鉄所(のちの昭和製鋼所)に父が勤務していたため、満洲国にて暮らす。第二次世界大戦終結にともない、父の故郷である石川県小松市に引き揚げた。小松市立松陽中学校を経て、金沢大学教育学部附属高等学校を卒業した。
小川 郷太郎(おがわ ごうたろう、1943年7月1日 - )… 小川 郷太郎(おがわ ごうたろう、1943年7月1日 - )は日本の元外交官。イラクやアフガニスタンの復興支援のために尽力した。現在、高校生の留学を支援する財団法人エイ・エフ・エス日本協会の理事長や三井住友海上火災保険の顧問、日本国際フォーラム政策委員を務めている。 静岡県静岡市出身。静岡県立静岡高校3年の時に休学し交換留学生としてアメリカニューメキシコ州でホームステイをしながら現地の高校に通った。1968年3月、東京大学法学部を卒業後、外務省に入省。 2006年9月にイラク復興支援等調整担当大使となり、同年10月9日にヌーリ・マリキ首相に訪日の招請を行った。2007年9月イラク復興支援等調整担当を最後に退官したが、その後もイラク復興支援等調整担当大使としてイラク戦争後の経済復興に官民で取り組むイラク経済ミッションの団長としてバグダッドを訪問している。
大島 賢三(おおしま けんぞう、1943年〈昭和18年〉5月… 大島 賢三(おおしま けんぞう、1943年〈昭和18年〉5月14日 - 2021年〈令和3年〉5月29日)は、日本の外交官。外務省経済協力局局長、国際平和協力本部事務局長、国際連合事務次長(人道問題担当)、オーストラリア駐箚特命全権大使、国際連合政府代表部特命全権大使、国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会委員、原子力規制委員会委員などを歴任した。 広島県広島市東区牛田出身。1961年広島大附属高校時代にAFSでアメリカ合衆国に1年間留学。 1965年東京大学在学中サンケイスカラシップで英国留学、1967年、東京大学法学部を中退し、4月、外務省入省。 フランス語研修、在フランス大使館・在インド大使館・在オーストラリア大使館・在アメリカ大使館勤務などを経て、1990年在アメリカ合衆国日本国大使館公使、1993年8月国際協力事業団総務部長 1995年8月アジア局審議官、国際社会協力部長、1997年経済協力局長、人間の安全保障・科学技術協力・国連改革担当大使を務めた。
稲川 照芳(いながわ てるよし、1943年‐)は、日本の外交… 稲川 照芳(いながわ てるよし、1943年‐)は、日本の外交官 。 駐ウルグアイ、駐ハンガリー特命全権大使を歴任した。 1943年 岐阜県生まれ。中津川市の親元を離れ、長野県の松本深志高等学校(第14回卒業生)に松本市の下宿から通学。高校2年時よりドイツ語学習を始め、大学入試もドイツ語で受験、東京大学在学中に民間の複数の会社が立ち上げたスカラーシップで当時の西ドイツのフライブルク大学に1年間留学。
沼田 貞昭(ぬまた さだあき、1943年 - )は、日本の外… 沼田 貞昭(ぬまた さだあき、1943年 - )は、日本の外交官。 兵庫県生まれ、出生から半年後に転居し東京都出身。東京都立西高等学校、東京大学法学部第3類卒、1966年4月外務省入省。 1972年から1976年までアメリカ局北米一課に勤務、田中角栄・三木武夫等歴代首相の英語通訳を務めた。1994年駐英特命全権公使、1998年外務報道官、2000年駐パキスタン大使を歴任、2003年から沖縄担当大使を務め在任中に発生した沖国大米軍ヘリ墜落事件への対応を担当した。 2004年駐カナダ大使兼国際民間航空機関政府代表部大使、2007年退官。2018年瑞宝重光章受章。
ムハンマド・ヌルル・イスラーム(ベンガル語: মুহম্মদ… ムハンマド・ヌルル・イスラーム(ベンガル語: মুহম্মদ নূরুল ইসলাম、英語: Muhammad Nurul Islam、1943年 - )はバングラデシュの外交官。チッタゴン生まれ。旭日章受賞者。2017年現在、在チッタゴン日本国名誉総領事館において名誉総領事の地位にある。日本国名誉総領事館はバングラデシュ全土で102ある(チッタゴンでは15)外国公館等のうちの一つである。 ヌルル・イスラームは1943年にイギリス領インド帝国のチッタゴンに生まれ、幼少時代もチッタゴンで過ごす。1963年にダッカ大学チッタゴン校を卒業。1968年に国際交流基金(Japan Foundation)の奨学金を利用して東京大学で日本語学の課程を修了した。
内田 富夫(うちだ とみお、1942年(昭和17年)11月8… 内田 富夫(うちだ とみお、1942年(昭和17年)11月8日 - )は、日本の外交官、シリアおよびスウェーデン駐箚特命全権大使等を務めた。 1942年(昭和17年)11月8日、福岡県福岡市に生まれる。第二次世界大戦・太平洋戦争中は、佐賀県に疎開する。灘高等学校を経て、1965年(昭和40年)東京大学法学部を卒業し、外務省に入省する。フランス、ベトナム、中国、韓国の各大使館、在外公館に勤務。1989年(平成元年)6月、外務省大臣官房外務参事官兼中近東アフリカ局。1991年(平成2年)[要検証 – ノート]12月、外務省大臣官房審議官兼中近東アフリカ局。1992年(平成3年)[要検証 – ノート]2月、欧州共同体(EC)日本政府代表部公使。
折田 正樹(おりた まさき、1942年7月29日 - 202… 折田 正樹(おりた まさき、1942年7月29日 - 2022年12月14日)は、日本の外交官。駐英大使などを歴任した。退官後は中央大学法学部教授(担当は国際組織法)・ロースクール兼担教員(担当は国際交渉論)。日本国際フォーラム参与、政策委員。
野上 義二(のがみ よしじ、1942年6月19日 - )は、… 野上 義二(のがみ よしじ、1942年6月19日 - )は、日本の官僚、外交官。2009年より日本国際問題研究所理事長兼所長。他に、公益財団法人東芝国際交流財団理事、公益財団法人世界平和研究所評議員などを務める。
茂田 宏(しげた ひろし、1942年(昭和17年)6月13日… 茂田 宏(しげた ひろし、1942年(昭和17年)6月13日 - )は、日本の外交官。1999年から2002年までイスラエル駐箚特命全権大使。認定NPO法人岡崎研究所 理事長。 1942年(昭和17年)和歌山県古座町(現在の串本町)出身。古座中学校卒業。1965年(昭和40年)東京大学中退、外務省に入省する。ハーバード大学留学を経て、1967年度には、外務省在ソ連邦日本国大使館とソ連邦対外文化連絡国家委員会の合意に基づき、松井啓及び宮鍋幟らとモスクワ大学派遣研究員を務めた。 外務省欧亜局ソヴィエト連邦課長、1992年(平成4年)駐露公使、1996年(平成8年)外務省国際情報局長、総理府国際平和協力本部事務局長を経て、1999年(平成11年)8月、駐イスラエル大使。
川島 裕(かわしま ゆたか 1942年5月2日 - )は、日… 川島 裕(かわしま ゆたか 1942年5月2日 - )は、日本の官僚、元外交官。侍従長(第8代)。外務事務次官を務めた。
登 誠一郎(のぼる せいいちろう、1942年 - )は、日本… 登 誠一郎(のぼる せいいちろう、1942年 - )は、日本の外交官。外務省中近東アフリカ局長、内閣官房内閣外政審議室長 、経済協力開発機構日本政府代表部特命全権大使を歴任。 兵庫県出身。東京大学法学部卒業後、1964年に外務省入省。1990年在アメリカ合衆国日本国大使館公使。1994年ロサンジェルス総領事。1996年外務省中近東アフリカ局長。1998年内閣審議官、内閣官房内閣外政審議室長兼内閣総理大臣官房外政審議室長兼インドシナ難民対策連絡調整会議事務局長。2000年軍縮会議日本政府代表部特命全権大使。2002年経済協力開発機構日本政府代表部特命全権大使。2005年に退官後、日本政府観光局理事や、日本コングレス・コンベンション・ビューロー副会長、安保政策研究会理事を歴任。
法眼 健作(ほうげん けんさく、1941年8月2日 - )は… 法眼 健作(ほうげん けんさく、1941年8月2日 - )は、日本の外交官。国際連合事務次長、駐カナダ大使など歴任。現在は日加協会会長、株式会社アライヴン社外取締役。東京府(現・東京都)出身。
浅井 基文(あさい もとふみ、1941年7月3日 - )は、… 浅井 基文(あさい もとふみ、1941年7月3日 - )は、日本の元外交官、政治学者。 愛知県生まれ。愛知県立西尾高等学校卒業。1963年3月、東京大学法学部中退。同年4月、外務省に入省。同期には野村一成ら。 中国語研修(台湾及び米国ハーバード大学)、アジア局中国課、条約局条約課、在オーストラリア大使館、在ソ連大使館、調査部分析課を経て、条約局国際協定課長(1978年 - 1980年)、在中国大使館参事官(1980年 - 1983年)、アジア局中国課長(1983年 - 1985年)、イギリス国際戦略研究所研究員(1986年 - 1987年)などを歴任。 1988年に外務省から文部省に出向し、東京大学教養学部教授(国際関係論)に就任。
佐藤 俊一(さとう しゅんいち、1941年2月10日 - )… 佐藤 俊一(さとう しゅんいち、1941年2月10日 - )は元・外交官、ナカノフドー建設監査役、パイオニア社外取締役。岡山県出身。趣味・特技はゴルフ、スキー、器楽。 1964年に東京大学教養学部を卒業と同時に外務省に入省。1983年に国際連合局政治課長、1984年に国際連合局政策課長、1985年に在フランス日本国大使館参事官、1987年4月にフランス大使館公使、1989年に官房外務参事官・兼・内閣官房外政審議室審議官、同年に官房審議官、1991年9月に在モントリオール総領事、1994年2月に文化交流部長、1995年8月に中南米局局長、1997年7月に在ポーランド日本大使、2000年5月から2003年11月まで在ベルギー日本大使を勤め、同年12月に退官。
阿南 惟茂(あなみ これしげ、1941年1月16日 - 20… 阿南 惟茂(あなみ これしげ、1941年1月16日 - 2024年11月13日)は、日本の外交官。駐中華人民共和国日本国大使(2001年 - 2006年)、新日本製鐵株式会社顧問(2006年6月 - 2016年5月)などを歴任。父は陸軍大臣、陸軍大将の阿南惟幾。外務省チャイナ・スクール(中国語研修組)の重鎮として知られる。 東京生まれ。東京都立西高等学校を経て、1964年、東京大学法学部を卒業。1967年、外務省に入省した。同期には次官になった竹内行夫、高野紀元(駐韓大使、外務審議官)上田秀明(駐オーストラリア大使)、阿部信泰(駐スイス大使・国連事務次長)、大島賢三(駐オーストラリア大使・国連事務次長)、天江喜七郎(駐ウクライナ大使・中東アフリカ局長)、山崎隆一郎(駐フィリピン大使)、黒川祐次(駐コートジボワール大使)らがいる。
伊集院 明夫(いじゅういん あきお、1940年11月3日 -… 伊集院 明夫(いじゅういん あきお、1940年11月3日 -)は、日本の外交官。法務省入国管理局長を経て、オーストリア国兼スロヴェニア国ボスニア・ヘルツェゴヴィナ国マケドニア旧ユーゴスラビア共和国駐箚特命全権大使を務めた。 1964年東京大学教養学部教養学科卒業、外務省入省(条約局)。同年在連合王国日本国大使館外交官補。1970年在連合王国日本国大使館三等書記官。1971年在連合王国日本国大使館二等書記官。1979年在大韓民国日本国大使館一等書記官。1981年在大韓民国日本国大使館参事官。1982年外務省情報文化局海外広報課長。1984年外務省中近東アフリカ局中近東第一課長。1986年外務大臣官房領事移住部領事第一課長。
野口 雅昭(のぐち まさあき、1940年10月13日 - )… 野口 雅昭(のぐち まさあき、1940年10月13日 - )は、日本の元外交官。アラビスト。元京都文教大学人間学部長、現代社会学科教授。龍谷大学客員教授。京都聖母女学院短期大学非常勤講師。福島県会津若松市出身。父は旧帝国陸軍で参謀などを務めた野口省己。登山家の野口健は次男。野口絵子は孫(健の長女)。 外交官時代は、アラビア語の専門教育を受けたアラビストであった。1991年1月31日、イエメン大使在任時に、大使公邸に手榴弾が投げ込まれた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
平林 博(ひらばやし ひろし、1940年(昭和15年)5月5… 平林 博(ひらばやし ひろし、1940年(昭和15年)5月5日 - )は、日本の外交官。インド駐箚特命全権大使、フランス駐箚特命全権大使などを歴任した。リヨン第2大学名誉博士。フランス通として知られる。
渡辺 伸(わたなべ しん 1940年2月20日 - 2002… 渡辺 伸(わたなべ しん 1940年2月20日 - 2002年3月25日)は、日本の外交官。元駐アラブ首長国連邦・アルジェリア大使。
須藤 隆也(すとう たかや、1940年(昭和15年)2月 -… 須藤 隆也(すとう たかや、1940年(昭和15年)2月 -)は、日本の外交官。外務省中近東アフリカ局長や、駐エジプト特命全権大使を歴任。 群馬県立藤岡高等学校を経て、1962年東京大学教養学部卒業、外務省入省。アラビア語研修をしたアラブ・スクール。コロンビア大学中東研究所、在レバノン外務・英連邦省所属アラビア語研修センター、カイロ大学に留学。 外務省中近東アフリカ局長や、駐エジプト特命全権大使を歴任。 丹波實、小倉和夫、西村元彦(駐葡大使)、池田維(アジア局長、駐蘭大使)、原島秀毅(駐マレー大使)、川島純(駐ニュージーランド大使)、中村武(駐ベトナム大使)など。
佐藤 行雄(さとう ゆきお、1939年10月6日 - )は、… 佐藤 行雄(さとう ゆきお、1939年10月6日 - )は、日本の外交官。財団法人日本国際問題研究所副会長。公益財団法人日本国際フォーラム政策委員。
池田 維(いけだ ただし、1939年3月18日 - )は、日… 池田 維(いけだ ただし、1939年3月18日 - )は、日本の外交官。 外務省アジア局長、官房長、オランダ特命全権大使、ブラジル特命全権大使、交流協会台北事務所代表(駐台湾大使相当)を歴任。財団法人霞山会理事長、立命館大学客員教授。2014年、瑞宝重光章受章。妻は比較文学者の池田美紀子。 兵庫県出身。1961年(昭和36年)10月東京大学法学部在学中に外務公務員上級試験に合格する。1962年(昭和37年)東大法学部を卒業して、外務省に入省した。中国語研修(台湾、米国)を経て、香港、北京に在勤。
青木 盛久(あおき もりひさ、1938年11月23日 - 2… 青木 盛久(あおき もりひさ、1938年11月23日 - 2024年11月9日)は、日本の元外交官で、公益財団法人青木周蔵記念育英会理事長。 栃木県那須塩原市青木出身。父は在ジュネーヴ国際機関日本政府代表特命全権大使や、駐南ベトナム特命全権大使などを務めた外交官の青木盛夫。母方の祖父は国際連盟事務局次長や駐フランス大使、IOC委員を務めた杉村陽太郎。なお、曽祖父は明治時代に外務大臣を務めた青木周蔵(周蔵が養子に入った青木家の別の養子である青木梅三郎の子孫のため血縁関係はない)。 その後神奈川県に移り、栄光学園中学校・高等学校を経て、1963年に東京大学法学部を卒業。同校在籍中の1962年外務公務員上級試験に合格し、卒業後の1963年に外務省に入省した。
小倉 和夫(おぐら かずお、1938年11月15日 - )は… 小倉 和夫(おぐら かずお、1938年11月15日 - )は、日本の外交官。韓国大使、フランス大使、国際交流基金理事長などを務めた後、青山学院大学教授、立命館大学教授、日本財団パラリンピックサポートセンター理事長。東京都出身。 父は農林官僚・経済学者の小倉武一。弟は社会学者の小倉充夫。 外務省同期入省には、高瀬尚一(駐バチカン大使)、西村元彦(駐ポルトガル大使)、丹波實(駐ロシア大使)、原島秀毅(駐マレーシア大使)、木島輝夫(駐アルゼンチン大使)、木村崇之(EU大使)、川島純(駐ニュージーランド大使)、池田右二(ウィーン国際機関大使)、宮本信生(駐チェコ大使)、荒船清彦(駐西大使、中南米局長)、大和田悳朗(駐ユーゴ大使)、荒義尚(駐比大使)、久保田穣(駐パキスタン大使)、国安正昭(駐ポルトガル大使)など。
丹波 實(たんば みのる、1938年5月6日 - 2016年… 丹波 實(たんば みのる、1938年5月6日 - 2016年10月7日)は、日本の元外交官。 旧樺太(南樺太)生まれ。8歳で家族と共に引き揚げ、札幌市へ移住する。その後、北海道札幌東高等学校を経て、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。 1962年外務省入省。ハーバード大学でロシア語研修を受けた後、1965年、在ロシア日本国大使館に着任。以降、ロシア課長、安保課長、条約局長、駐サウジアラビア大使、外務審議官(政務担当)、駐ロシア大使を歴任した。 アメリカ、ロシア、中国三国の大使館に勤務し、1972年、北京での日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明調印式に佐藤正二駐中国大使(元外務事務次官)らと共に、田中角栄と周恩来との調印に同席した。
池田 右二(いけだ ゆうじ、1938年2月19日 - )は、… 池田 右二(いけだ ゆうじ、1938年2月19日 - )は、日本の外交官。駐ヨルダン特命全権大使、北海道担当特命全権大使、在ウィーン国際機関日本政府代表部特命全権大使、外務省参与等を歴任した。 長野県出身。長野県松本深志高等学校を経て、1962年東京大学法学部卒業、外務省入省。在カナダ日本国大使館外交官補、在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部一等書記官等を経て、1978年外務大臣官房領事移住部領事第一課長。1980年外務省経済局国際機関第一課長。1982年在ホノルル日本国総領事館領事。 1983年在アメリカ合衆国日本国大使館参事官。1985年在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部参事官。1989年在ジュネーヴ日本国総領事館総領事、在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部特命全権公使。
國安 正昭(くにやす まさあき、1938年1月27日 - )… 國安 正昭(くにやす まさあき、1938年1月27日 - )は、日本の外交官、著作家。 山口県生まれ。山口県立安下庄高等学校卒業。1961年9月、東京大学在学中外務公務員採用I種試験に合格、1962年卒業。同年4月、外務省に入省。国際連合代表部、中南米第一課長、中南米第二課長、国際連合局科学課長、経済協力局経済協力第一課長、経済局調査官、在ソビエト連邦大使館参事官、在フィリピン大使館公使兼マニラ総領事、大臣官房外務参事官、同審議官、東京都外務長等を歴任した。 1992年-1994年、駐スリランカ特命全権大使。1995年-1998年、駐ポルトガル特命全権大使。1998年-2001年、駐ヴェネズエラ特命全権大使。
川上 隆朗(かわかみ たかお、1938年 - )は日本の外交… 川上 隆朗(かわかみ たかお、1938年 - )は日本の外交官。 神奈川県生まれ。1961年に東京大学法学部卒業後、外務省に入省する。フランス、イタリア、英国、ザイール(現コンゴ民主共和国)、国連代表部、OECD代表部などでの海外勤務を経て、経済協力局政策課長、審議官を務める。その後、1988年にソ連特命全権公使となる。そして、1990年に経済協力局長を務めた。1994年に駐パキスタン大使となる。1997年には駐インドネシア大使として赴任する。2001年に国際協力事業団総裁(~2003年)、後に外務省参与、国際協力機構顧問、2007年に国際開発高等教育機構理事長を歴任した。2013年、秋の叙勲で瑞宝重光章を受章した。
村田 光平(むらた みつへい、1938年 - )は、日本の元… 村田 光平(むらた みつへい、1938年 - )は、日本の元外交官。大学教授。東京都出身。 1938年、東京都に生まれる。 1961年、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後、2年間、外務省研修生としてフランスに留学。 その後、分析課長、中東第一課長、宮内庁御用掛、在アルジェリア公使、在仏公使、国連局審議官、公正取引委員会事務総局官房審議官、在セネガル大使、衆議院渉外官などを歴任。 1996年~1999年9月、在スイス大使。 1999年~2011年、東海学園大学教授。 2000年~2002年、稲盛財団評議員、京セラ株式会社顧問。 2002年~2012年、サカエ・シュテンジ財団理事。 2004年~2008年、原発震災を防ぐ全国署名連絡会顧問。
林 貞行(はやし さだゆき、1937年11月10日 - )は… 林 貞行(はやし さだゆき、1937年11月10日 - )は、日本の外交官。
松浦 晃一郎(まつうら こういちろう、1937年9月29日 … 松浦 晃一郎(まつうら こういちろう、1937年9月29日 - )は、日本の外交官、国連職員。公益財団法人日仏会館理事長、一般社団法人アフリカ協会会長、一般財団法人日本ウズベキスタン・シルクロード財団評議員、株式会社パソナグループ監査役、中国人民大学名誉教授、東邦音楽大学パフォーマンス総合芸術文化専攻客員教授。 過去に、駐フランス共和国特命全権大使やユネスコ(国際連合教育科学文化機関)第8代事務局長を務めた。山口県佐波郡島地村(後の徳地町、今の山口市)出身。 三井生命保険(現大樹生命保険)勤務の父親誠一と山口市の造り酒屋「松屋」の娘だった母清子の子として東京府荏原区(現東京都品川区)で生まれ、父の生地である島地村で幼少を過ごす。
柳井 俊二(やない しゅんじ、1937年1月15日 - )は… 柳井 俊二(やない しゅんじ、1937年1月15日 - )は、日本の外交官。外務事務次官(1997年7月 - 1999年9月)、駐米大使(1999年9月 - 2001年10月)。2005年からは国際海洋法裁判所の判事を務めており、2011年10月には同裁判所長に選出された。 東京生まれ。父は条約局長を務めた外交官・弁護士の柳井恒夫、兄は運輸官僚の柳井乃武夫。姉婿は柳谷謙介(1924年 - 2017年。元外務事務次官、成城大学・成城学園理事長)。祖父は医師の柳井貴三で、柳井家は代々備中松山藩の藩医をしていた家系。 学習院初等科、学習院中・高等科を経て、1961年、東京大学法学部卒業、外務省入省。フランス語研修(ストラスブール大学)、在フランス大使館、国連代表部、在インドネシア大使館、在韓国大使館の各在外公館に勤務。
山口 洋一(やまぐち よういち、1937年1月14日 - )… 山口 洋一(やまぐち よういち、1937年1月14日 - )は、日本の元外交官、著作家。 本籍は佐賀県。同県で生まれ、少年期に神奈川県鎌倉市に移り住む。1960年東京大学教養学部教養学科仏文科卒、同年外務省入省。同省経済局、アジア局、調査部、情報文化局、在フランス、南ベトナム、イタリア、インドネシア各大使館での勤務や、外務省情報文化局海外広報課長を経て、1981年よりパリ・ユネスコ常駐代表、駐マダガスカル特命全権大使兼駐コモロ特命全権大使、駐トルコ特命全権大使。1995年から駐ミャンマー特命全権大使。1998年外務省退官。その後、2006年から2009年までNPO法人国際芸術家センター理事長を務める。
久米 邦貞(くめ くにさだ、1937年(昭和12年)1月 -… 久米 邦貞(くめ くにさだ、1937年(昭和12年)1月 - )は、日本の外交官。ドイツ駐箚特命全権大使、ハンガリー駐箚特命全権大使などを歴任した。2010年(平成22年)からボーイスカウト日本連盟副理事長兼国際コミッショナー。 1937年1月生まれ。曽祖父は肥前佐賀藩出身の歴史学者久米邦武、祖父は洋画家の久米桂一郎である。 学習院初等科・中等科・髙等科を経て、東京大学教養学部を卒業して、1961年(昭和36年)に外務省に入省する。中近東アフリカ局参事官、外務大臣官房外務参事官、外務大臣官房領事移住部長、ベルリン総領事、在ウィーン国際機関日本政府代表部大使、外務省儀典長、ハンガリー駐箚特命全権大使などを経て、1998年(平成10年)から2001年(平成13年)までドイツ駐箚特命全権大使を務めた。
太田 博(おおた ひろし、1936年(昭和11年)10月7日… 太田 博(おおた ひろし、1936年(昭和11年)10月7日 - )は、日本の外交官、外交評論家。認定NPO法人岡崎研究所 前理事長。 サウジアラビア駐箚特命全権大使、タイ王国駐箚特命全権大使を歴任した。 兵庫県出身。1959年(昭和34年)東京大学教養学部教養学科を卒業する。同年外務公務員採用上級試験に合格、翌1960年(昭和35年)外務省に入省する。
谷野 作太郎(たにの さくたろう、1936年6月6日 - )… 谷野 作太郎(たにの さくたろう、1936年6月6日 - )は、日本の外交官。東京都出身。
渡辺 允(渡邉 允、わたなべ まこと、1936年(昭和11年… 渡辺 允(渡邉 允、わたなべ まこと、1936年(昭和11年)5月9日 - 2022年(令和4年)2月8日)は、日本の外交官。位階は正三位。 元・侍従長、前・宮内庁参与。東京府(現・東京都)出身。 学習院初等科(1949年(昭和24年)卒業)、都立日比谷高校を経て、1959年(昭和34年)東京大学法学部卒業後、外務省入省。同期には松浦晃一郎ら。 英語研修(米国スワースモア大学)、北米局北米第一課事務官、1976年(昭和51年)条約局法規課長、1977年(昭和52年)国際連合局政治課長、1979年(昭和54年)在フィリピン日本国大使館参事官、1981年(昭和56年)在アメリカ合衆国日本国大使館参事官、1983年(昭和58年)在アメリカ合衆国日本国大使館公使、1985年(昭和60年)外務省大臣官房審議官(北米局担当)、1988年(昭和63年)駐ヨルダン大使を歴任。