伊藤 富士夫(いとう ふじお、1945年2月24日 - )は… 伊藤 富士夫(いとう ふじお、1945年2月24日 - )は、秋田県を登録地としていた元競輪選手。 秋田県立大曲農業高等学校を経て、法政大学在籍時代、1964年の東京オリンピック・団体追い抜きのメンバーとして出場(19位)。 1967年9月9日、日本競輪学校第25期生として、いわき平競輪場でデビューし1着。 1999年7月12日、選手登録削除。通算戦績2340戦356勝。
田中 忠道(たなか ただみち、1945年2月22日 - 20… 田中 忠道(たなか ただみち、1945年2月22日 - 2013年4月3日)は、福岡県出身のフリースタイルのレスリング選手である。階級は57kg級。 福岡県大牟田市出身。大牟田高校から法政大学に進んで、1966年の全日本選手権バンタム級(55kg級)で2位となった。アジア大会では優勝を飾った。卒業後に福岡大学の教員となると、1967年の世界選手権では4位だった。しかし、1968年のメキシコオリンピックには出場できなかった。1969年の世界選手権では57kg級で優勝を飾った。しかし、1972年の全日本選手権では2位となり、ミュンヘンオリンピック出場はならなかった。その後は福岡大学レスリング部部長として、後進の指導に当たった。
近藤 宏樹(こんどう ひろき、1945年(昭和20年)1月1… 近藤 宏樹(こんどう ひろき、1945年(昭和20年)1月14日 - 2025年(令和7年)3月31日)は、日本の政治家。元島根県安来市長(3期)。 島根県能義郡安来町(現・安来市)に生まれる。安来市立安来小学校、米子市立第一中学校(現・米子市立東山中学校)、鳥取県立米子東高等学校卒業。1967年(昭和42年)、法政大学法学部政治学科卒業。 1997年(平成9年)に(旧)安来市議会議員に当選する(2期)。2004年(平成16年)に安来市議会議員に当選する(2期)。 2008年(平成20年)10月、安来市長選挙に初当選。2012年(平成24年)10月、再選。2016年(平成28年)、3選。 2020年(令和2年)10月18日投開票の同選挙で4選を目指すも元市議の田中武夫に敗れ落選。
韮澤 潤一郎(にらさわ じゅんいちろう、1945年1月9日 … 韮澤 潤一郎(にらさわ じゅんいちろう、1945年1月9日 - )は、日本の実業家で、たま出版社長・編集長である。自称UFO、超常現象研究家。量子力学、意識の問題を研究しているとも述べている。 新潟県生まれ。法政大学文学部を卒業。 1995年に第17回参議院議員通常選挙(参院選)の比例代表区で「開星論」のUFO党より立候補、落選。
足達 和子(あだち かずこ、1945年 - )は日本のポーラ… 足達 和子(あだち かずこ、1945年 - )は日本のポーランド語の翻訳家、作家。 東京都に生まれる。都立青山高校を卒業し、法政大学文学部日本文学科を卒業後、ワルシャワ大学文学部に留学する。在学中に執筆した『日ポ・ポ日小辞典』が、1982年にヴェーザ・ポフシェフナ社(ワルシャワ)から出版される。帰国後、ポーランド航空日本支社、静岡産業大学講師を経て、翻訳に従事する。 1992年、編著訳書『現代日本名詩選 さくら』(日ポ二カ国語版、国際文化出版社)で日本翻訳出版文化賞を受賞する。2015年にポーランド大統領から「カヴァレルスキ十字勲章」を授与される。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
小栗 純子(おぐり じゅんこ、1945年 - )は、日本の宗… 小栗 純子(おぐり じゅんこ、1945年 - )は、日本の宗教学者。 新潟県生まれ。法政大学文学部史学科卒。天理教などを研究した。日本宗教史。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
藤本 孝一(ふじもと こういち、1945年 - )は、日本の… 藤本 孝一(ふじもと こういち、1945年 - )は、日本の古文書学者。 東京都に生まれる。法政大学大学院人文学科研究科日本史学専攻博士課程単位取得中退。2010年「中世史料学叢論」で龍谷大学・博士(文学)。文化庁美術学芸課主任文化財調査官。大阪青山大学客員教授、龍谷大学文学部客員教授を務め、冷泉家時雨亭文庫調査主任、真言宗大本山随心院顧問(文化財)。
秋元 国武(あきもと くにたけ、1945年 - )は、徳島県… 秋元 国武(あきもと くにたけ、1945年 - )は、徳島県鳴門市出身のアマチュア野球選手(一塁手、外野手)。 徳島県立撫養高等学校では長池徳士の2年後輩。 1963年夏の甲子園県予選準決勝に進むが海南高に敗退。卒業後は法政大学へ進学、一塁手として活躍する。東京六大学野球リーグでは在学中2回の優勝を経験。 1966年秋季リーグでは打率.375で首位打者となり、ベストナイン(一塁手)に選出される。 1967年秋季リーグでは、2年生エース山中正竹を擁し優勝に貢献。大学同期に鶴岡泰、1年下には田淵幸一らがいる。 大学卒業後は日本石油に入社。1968年から都市対抗に7年連続出場。同年の都市対抗では準決勝で河合楽器と対戦、8回に同点本塁打を放つが二塁を踏まなかったと判定され、放棄試合寸前となる「幻の本塁打」事件で知られる。
鬼海 弘雄(きかい ひろお、1945年 - )は、写真家。山… 鬼海 弘雄(きかい ひろお、1945年 - )は、写真家。山形県寒河江市生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。
沢野 ひとし(さわの ひとし、本名:沢野 公。1944年12… 沢野 ひとし(さわの ひとし、本名:沢野 公。1944年12月18日 - )はイラストレーター、エッセイスト、絵本作家。愛知県名古屋市出身。さわのひとし名義でも活動している。椎名誠の著書ほか数多くの本の挿絵を担当。 千葉県千葉市立千葉高等学校では椎名誠と同級生であった。法政大学に進学するが中退。 20代で椎名誠、木村晋介らと克美荘での共同生活に参加する。こぐま社に15年間の勤務の後、独立。 椎名、目黒考二らが雑誌「本の雑誌」を創刊後は、その表紙・本文イラストを一手に引き受けている。 その細長い手足や目付きなどから、椎名誠や目黒考二などの友人からは、ワニ目画伯と呼ばれている。 第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。
みなみ らんぼう(本名:南 寛康(みなみ ひろやす)、194… みなみ らんぼう(本名:南 寛康(みなみ ひろやす)、1944年〈昭和19年〉12月13日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター、俳優。 「らんぼう」という芸名はフランスの詩人アルチュール・ランボーにあやかったものである。 宮城県栗原郡志波姫町(現・栗原市)生まれ。プロボクシング元WBA世界スーパーフライ級王者の河野公平は娘婿に当たる。 1963年、宮城県築館高等学校卒業。1967年、法政大学社会学部卒業。その後、コピーライター、ラジオ台本作家を経て1971年、日活映画『ネオン警察 ジャックの刺青』の挿入歌『酔いどれ女の流れ唄』で作詞・作曲家としてデビュー。1973年に『ウイスキーの小瓶』で歌手デビューした。
橋本 武徳(はしもと たけのり、1944年12月8日 - 2… 橋本 武徳(はしもと たけのり、1944年12月8日 - 2020年10月9日)は、奈良県天理市出身の日本の高校野球指導者。元天理高等学校硬式野球部監督。現役時代は外野手。 1944年、現在の天理市に生まれた橋本は、天理小学校から天理中学校を経て、1960年に天理高校に入学した。1962年、第44回全国高等学校野球選手権大会に8番・中堅手として出場したが、1回戦敗退した。法政大学に進学後は野球部に入部せず、卒業後は天理教教会本部に就職し、以後野球とは無縁の日々を送った。 1982年5月、天理高校野球部監督が辞任したことにより、後任監督を要請され受諾。1983年の第65回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、1回戦敗退した。
梨元 勝(なしもと まさる、1944年〈昭和19年〉12月1… 梨元 勝(なしもと まさる、1944年〈昭和19年〉12月1日 - 2010年〈平成22年〉8月21日)は、日本の芸能リポーター、タレント。 株式会社オフィス梨元(東京都渋谷区代々木上原)代表取締役社長、函館大学商学部客員教授などを歴任した。 東京都中野区生まれ。5歳から埼玉県与野市(現:さいたま市中央区)に育つ。埼玉県立浦和西高等学校、法政大学社会学部社会学科卒業。ゼミは芝田進午。出版社・講談社の契約社員として女性誌『ヤングレディ』の記者を務めた後、立花隆の助言により芸能リポーターに転身した。大学時代は、大学院進学を考えていた。そのことを大学の先輩と飲酒した際に話すと、「お前は大学入学のお金だけじゃなくて、この上おじいちゃん(当時梨元は祖父と2人暮らしをしていた)のスネをかじり、面倒かけようと言うのか!」と彼に言われ、「そんなことを言うのなら、就職の一つでも紹介するのが先輩というものでしょう!」と切り返したところ、1週間後に彼が『ヤングレディ』記者の仕事を持ってきたというのが就職の経緯である。
木口 宣昭(きぐち のりあき、1944年11月8日 - 20… 木口 宣昭(きぐち のりあき、1944年11月8日 - 2021年9月12日)は、日本の元レスリング選手で、レスリング・総合格闘技の指導者。 満洲生まれ。法政大学2年次、1962年に全日本学生選手権グレコローマンスタイル57kg級優勝。1969年には、レスリング世界選手権62kg級5位、全米選手権62kg級優勝及びフリースタイル62kg級3位の成績を残した。 現役を引退した1970年より「木口道場」を開きレスリング、総合格闘技を指導し普及に努めた。また1990年にはレスリングをベースにサブミッションを加えたコンバットレスリングを創始し大会を運営。 ほか多数の要職に就くなど、日本のレスリング・総合格闘技界に多大な貢献をした。
山藤 浩三(やまふじ ひろみ、1944年10月23日 - 1… 山藤 浩三(やまふじ ひろみ、1944年10月23日 - 1984年5月9日)は、日本の競輪選手。秋田県出身で、日本競輪選手会茨城支部に在籍していた。 秋田県立六郷高等学校時代の1962年、大津びわこ競輪場で開催されたインターハイ、1kmタイムトライアルで優勝。その後法政大学へと進み、1964年東京オリンピックの日本代表選手となり、4000m個人追い抜きに出場し13位。また団体追い抜きにも出場した。 法大卒業後、日本競輪学校第25期生として入学。同期には荒川秀之助、谷津田陽一らがいる。1971年の新人王戦を優勝。その後も1981年頃まで特別競輪(現在のGI)に出場していた。 1984年5月8日、取手市の自宅で妻子3人と共にガス自殺を図り、自身を含め全員死亡。
吉橋 通夫(よしはし みちお、1944年9月30日 - )は… 吉橋 通夫(よしはし みちお、1944年9月30日 - )は、日本の児童文学作家、作家。 岡山市生まれ。法政大学文学部教育学科卒業後、京都へ来られ京都児童文学会に参加したの機に創作活動に専念[要出典]。『季節風』同人。日本児童文学者協会 評議員。現在、長野県大町市在住。
小池 雄介(こいけ ゆうすけ、1944年9月28日 - )は… 小池 雄介(こいけ ゆうすけ、1944年9月28日 - )は、千葉県出身の俳優。本名は同じ。身長173cm、体重65kg。 俳優小劇場養成所出身。アクターズカンパニー、杉山事務所を経て、アニマ・エージェンシーに所属。 刑事ドラマの犯人役の常連の一人。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
山岸 勝榮(やまぎし かつえい、1944年9月22日 - 2… 山岸 勝榮(やまぎし かつえい、1944年9月22日 - 2025年6月2日)は、日本の英語学者、言語学者、英和・和英辞典編纂者。学位は博士(応用言語学)(明海大学・2004年)。明海大学名誉教授。 法政大学第二教養部教授、明海大学外国語学部教授などを歴任した。 山口県宇部市出身。1963年法政大学第二高等学校卒業、1967年法政大学文学部英文学科卒業、1972年同大学院人文科学研究科博士課程満期退学、法政大学第二教養部専任講師・文学部兼担。1976年同助教授・文学部兼担、1981年法政大学ロンドン分室室長、ロンドン大学(UCL)客員研究員。1985年法政大学第二教養部教授・文学部兼担。1988年明海大学外国語学部英米語科教授。
菊池 汪夫(きくち ひろお、1944年(昭和19年)7月30… 菊池 汪夫(きくち ひろお、1944年(昭和19年)7月30日 - 2026年(令和8年)3月22日)は、日本の政治家。山形県村山市長(1期)、山形県議会議員(2期)、村山市議会議員。国民民主党衆議院議員の菊池大二郎は二男。 山形県出身。法政大学文学部卒。村山市内の保育園を運営し、園長を務める。村山市議会議員を経て、1995年、山形県議会選挙に無所属で立候補して当選する。後に自民党に入る。山形県議を2期務めた後、2002年の村山市長選挙に無投票で当選する。同年6月6日に就任した。2005年、市の職員採用をめぐり現金を受け取ったとして受託収賄容疑で逮捕された。同年7月29日に、市長を辞職した。 令和8年3月22日、直腸がんのため北村山公立病院で逝去。
坂内 仁(ばんない ひとし、1944年〈昭和19年〉7月26… 坂内 仁(ばんない ひとし、1944年〈昭和19年〉7月26日 - 1994年〈平成6年〉12月23日)は日本の政治・経済評論家。 1944年(昭和19年)7月26日、新潟県柏崎市に生まれる。法政大学大学院社会科学研究科経済学専攻修士課程を修了する。 1994年(平成6年)12月23日に死去、50歳。
山本 光正(やまもと みつまさ、1944年7月 - )は日本… 山本 光正(やまもと みつまさ、1944年7月 - )は日本の歴史学者。元国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学教授。 東京都台東区生まれ。1967年に法政大学文学部史学科、1970年に法政大学大学院修士課程を修了する。同年、神奈川県企画調査部県史編集室事務嘱託、1974年に千葉県企画部、1980年に文化庁国立歴史民俗博物館(仮称)設立準備室に勤務する。1981年に国立歴史民俗博物館歴史研究部助手、1982年に助教授、1999年総合研究大学院大学文化科学研究科日本歴史研究専攻助教授を併任する。2007年教授に昇任。2010年定年退任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
宇田 川勝(うだがわ まさる、1944年(昭和19年)6月2… 宇田 川勝(うだがわ まさる、1944年(昭和19年)6月28日 - )は、日本の経営学者。法政大学名誉教授。専攻は日本経営史。 千葉県生まれ。1968年法政大学経営学部卒業。75年同大学院社会科学研究科経済学専攻博士課程修了。1988年「新興財閥」で法政大学より経済学博士の学位を取得。1972年法政大学経営学部助手、1975年専任講師、77年助教授、1984年教授。1995- 1997年経営学部学部長。2015年定年退職。2023年、瑞宝中綬章受章。
晋樹 隆彦(しんじゅ たかひこ、1944年〈昭和19年〉5月… 晋樹 隆彦(しんじゅ たかひこ、1944年〈昭和19年〉5月9日 - 2026年3月11日)は、日本の歌人、出版人、編集者。ながらみ書房社長。歌誌「心の花」選者。本名は及川勝利(おいかわ かつとし)、編集者としての名義は及川隆彦(おいかわ たかひこ)。 1944年(昭和19年)5月9日、千葉県匝瑳郡野栄町(現・匝瑳市)に生まれる。法政大学文学部日本文学科卒業。 「えろちか」編集長(駿河台書房)、「短歌現代」編集長(短歌新聞社)などを経て、1985年(昭和60年)にながらみ書房を設立し、1989年に月刊「短歌往来」を創刊。2013年(平成25年)10月に、歌集『浸蝕』で第18回若山牧水賞を受賞する。
佐藤 征一(さとう せいいち、1944年4月28日 - )は… 佐藤 征一(さとう せいいち、1944年4月28日 - )は、福岡県北九州市出身のフリーアナウンサー。 小倉高校時代の同級生には漫画家・イラストレーターのわたせせいぞうがいる。法政大学卒業後の1967年にテレビ西日本へ入社し、主にプロ野球・公営競技などのスポーツ中継を担当。特に競馬中継→エキサイティング競馬→ドリーム競馬の小倉開催分のメインキャスターを務め、退職までの数年間はプロデューサーも兼務。これは後輩の川﨑聡にも引き継がれた。プロ野球ニュースでは福岡からのコーナーキャスターも担当し、時間終わりの「佐藤アナ・今日の一句」は番組名物となった。TVQ開局前の1990年まで小倉競輪場・飯塚オートレース場の特別競走を実況し、特に小倉の競輪祭はテレビ東京系列でも放送された。
井上 泰一(いのうえ たいいち、1944年4月19日 - )… 井上 泰一(いのうえ たいいち、1944年4月19日 - )は、埼玉県大宮市(現・さいたま市)出身の実業家。角川書店元代表取締役社長。 埼玉県立大宮高等学校から法政大学法学部に進学し、在学中から角川書店(現・KADOKAWA)でアルバイトを始め、角川春樹に誘われてそのまま入社。営業畑を歩む。 角川春樹が社長就任後はその秘書を務め、角川春樹事務所の立ち上げにも参画するなど、春樹の側近中の側近だった。角川春樹事務所時代は映画プロデューサーを担当した。一時期角川書店を離れキティグループに所属するが、3年ほどでメディアワークスに移り、角川グループに復帰。角川書店(2代目法人)代表取締役社長、角川映画株式会社代表取締役社長を経て、現在、学校法人法政大学理事。
成川 哲夫(なりかわ てつお、1944年4月15日 - 20… 成川 哲夫(なりかわ てつお、1944年4月15日 - 2010年1月1日)は、日本の元俳優。国際空手道連盟玄制流成道会前会長(創師)。本名同じ。別名伍代 勝也、伍代 達弘。妻は元女優で、成道会会長の成川昭子(旧姓:関口)。 東京都千代田区飯田橋出身。法政大学第二高等学校卒業、法政大学経済学部中退。 父親は不二家の調理部で、フランス料理のコック長であった。1歳のころに東京都日野市に引っ越すが、父親の通勤に不便なため、小学4年時に狛江市に転居。 法政大学在学中より東映演技研修所に入り、1967年3月、『悪魔くん』(NET)第22話ほか数本の作品にテスト出演。同年、第8期東宝ニュータレントに合格し、数本の舞台出演を経て1968年放送の『東京バイパス指令』(日本テレビ)で正式にデビューした。
兵部 行遠(ひょうぶ ゆきひろ、1944年3月25日 - )… 兵部 行遠(ひょうぶ ゆきひろ、1944年3月25日 - )は、日本の実業家。ミライアル代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長。 北海道生まれ。千葉県立長生高等学校を経て、1967年法政大学法学部卒業。大学の学費は全額アルバイトで捻出した。大学卒業後、商社・大宝産業に入社し、営業部門に配属される。その後ものづくりへの思いから、1970年営業先だった町工場・柿崎製作所(のちのミライアル)に入社。熊本事業所長を経て、1985年取締役に昇格。1998年専務取締役。 創業者から株式の譲渡を受け、2000年に柿崎製作所代表取締役社長に就任。同社再発足にあたり、2003年にミライアルに商号変更を行い、2005年にはジャスダック上場を果たした。
桜井 勝郎(さくらい かつろう、1944年〈昭和19年〉3月… 桜井 勝郎(さくらい かつろう、1944年〈昭和19年〉3月24日 - )は、日本の政治家。静岡県議会議員(3期)、元静岡県島田市長(3期)。 静岡県出身。法政大学経済学部卒業。島田市議会議員を経て、2001年島田市長選挙に立候補し、現職を破って初当選する。2005年に島田市は金谷町と合併し、新たな島田市が発足。合併後の市長選挙に当選。2009年に再選。2013年の市長選では元島田市教育委員の染谷絹代に敗れて落選した。 落選後、2015年の静岡県議員選に無所属で出馬し(島田市・川根本町選挙区)、当選。2019年も再選。2023年に無投票で三選した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
小沢 和夫(小澤 和夫、おざわ かずお、1944年〈昭和19… 小沢 和夫(小澤 和夫、おざわ かずお、1944年〈昭和19年〉3月15日 - 2007年〈平成19年〉10月2日)は、日本の政治家。釜石市長(2期)。 岩手県釜石市出身。法政大学社会学部卒。釜石市議会議員を経て、議長も務める。2003年の釜石市長選挙で初当選。2007年の選挙では無投票で再選。同年10月2日、肝硬変のため現職のまま死去。死没日をもって旭日小綬章追贈、正五位に叙される。
柴山 光由(しばやま みつよし、1944年(昭和19年)3月… 柴山 光由(しばやま みつよし、1944年(昭和19年)3月9日 - )は、仙台放送の元アナウンサー、元アナウンス部長。在籍末期は解説委員の肩書も持っていた。 東京都台東区生まれ。1966年に法政大学卒業。同年、仙台放送に入社(同期に山崎正)。『2時ですOXです』やゴルフの『JCBクラシック仙台』の実況などを経て、夕方のローカルニュース(『FNN仙台放送スーパータイム』~『仙台放送スーパーニュース』)のキャスターを2004年3月26日まで16年近く務めた。 2004年3月31日でアナウンサー職を退いた後、仙台放送を退職し、さとう宗幸が代表を務めるさとう音楽事務所に所属。仙台市教育委員を務めつつ、宮城県ローカル版のアメリカンホームダイレクトのコマーシャルに出演している。
村田 紀敏(むらた のりとし、1944年(昭和19年)2月1… 村田 紀敏(むらた のりとし、1944年(昭和19年)2月11日-)は日本の実業家。初代株式会社セブン&アイ・ホールディングス代表取締役社長。 東京都に生まれる。法政大学第一高等学校(現・法政大学高等学校)卒業を経て、法政大学経済学部へと進学。大学卒業後の1966年、大径鋼管株式会社に入社。経理部門を担う。 その後会社再編を受け、1971年、上場を控えたイトーヨーカ堂に転職する。1990年5月に取締役、1996年5月に常務取締役、2003年(平成15年)5月に専務取締役・専務執行役員を経て、2005年(平成17年)9月にセブン&アイ・ホールディングス代表取締役社長・COOに就任。鈴木敏文同社会長兼最高経営責任者の側近として鈴木体制を支えてきた。
伊藤 叡(いとう さとし、1944年2月5日 - 2018年… 伊藤 叡(いとう さとし、1944年2月5日 - 2018年1月25日)は、日本のアニメプロデューサー。虫プロダクション株式会社元代表取締役(社長)でもあった。東京都出身。 法政大学卒業後、株式会社虫プロダクション(旧虫プロ)に入社してフイルム編集を担当。1977年11月26日、旧虫プロ労働組合により継承法人として設立された虫プロダクション株式会社(新虫プロ)の代表取締役に就任。以降、プロデューサー、製作として様々なアニメーション作品に参加した。2017年12月24日に脳内出血にて自宅で倒れ 2018年1月25日に73歳で永眠した。
片岡 五郎(かたおか ごろう、1944年1月24日 - 20… 片岡 五郎(かたおか ごろう、1944年1月24日 - 2025年12月30日)は、日本の俳優・タレント。本名は品川 光雄(しながわ みつお)。旧姓及び旧芸名は片岡 光雄(かたおか みつお)。妻は美容家のマダム路子、義理の息子にお笑いコンビ・品川庄司の品川祐がいる。 法政大学卒業。俳優座養成所の第15期生で、大学時代から『青春とはなんだ』などの青春ドラマで活躍。 1970年代から1990年代にかけてはその強面とドスの聞いた声から悪役としてもブレイク。時代劇の悪代官や刑事ドラマの凶悪犯などで出演している。1980年代前半は日活ロマンポルノ作品にも度々出演した。当初『太陽にほえろ!』には山東昭子と共にセミレギュラーとして出演予定であったが、山東が議員になったことでセミレギュラーとしてではなく、後に犯人役などで同番組に出演することになった。
渡辺 嘉二郎(わたなべ かじろう、1944年 - )は日本の… 渡辺 嘉二郎(わたなべ かじろう、1944年 - )は日本の工学者。法政大学名誉教授。専門は、計測工学・制御工学。
滝村 隆一(たきむら りゅういち、1944年〈昭和19年〉 … 滝村 隆一(たきむら りゅういち、1944年〈昭和19年〉 - 2016年)は在野にして独学の政治学徒。 1944年岡山県倉敷市生まれ。埼玉県立浦和高等学校、1970年法政大学社会学部応用経済学科卒業。 1967年「二重権力論」(『試行』21号)を発表。吉本隆明主宰の不定期雑誌『試行』を主要な論文発表の舞台とする。1969年『革命とコンミューン』(イザラ書房1976年新版)、1971年『マルクス主義国家論』(三一書房1974年増補版)、1973年『北一輝』日本の国家社会主義(ISBN 4326150203 勁草書房)出版。 その後、実証史学の業績を踏まえた歴史理論的研究へと進み、「アジア的国家の論理構造」(『展望』1976年3月号)などの歴史理論的諸論文を発表。
近藤 徹(こんどう とおる、1944年 - )は、愛知県出身… 近藤 徹(こんどう とおる、1944年 - )は、愛知県出身の元アマチュア野球選手(内野手)。 岡崎北高等学校では3年生の時に、1962年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、豊田西高に敗退。高校卒業後に法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは在学中2回優勝。三番打者、三塁手として活躍し、1966年秋季リーグではベストナイン(三塁手)に選出されている。 大学同期に二塁手の中村之保、投手の里見忠志がいる。同年の第二次ドラフトでサンケイアトムズに4位指名されるが入団を拒否。 卒業後は社会人野球の日本コロムビアに進む。1967年の都市対抗に四番打者として出場、エース近藤重雄を擁し準々決勝に進出する。この試合の先発を任された永淵洋三(東芝から補強)が好投するが、6回に逆転を許し電電東京に惜敗。
因田 義男(いんでん よしお、1944年 - )は、日本の地… 因田 義男(いんでん よしお、1944年 - )は、日本の地方公務員。名古屋市副市長や、名古屋観光コンベンションビューロー理事長を経て、学校法人名古屋学院大学理事長。 三重県生まれ。1968年法政大学法学部法律学科卒業、名古屋市役所入庁。2000年市長室長。2001年総務局長。2002年助役。2007年副市長。名古屋市立大学の公立大学法人名古屋市立大学への移行などにあたった。2009年財団法人名古屋観光コンベンションビューロー理事長。2012年学校法人名古屋学院大学監事。2014年瑞宝中綬章受章。2018年学校法人名古屋学院大学理事長。日本ガイシ留学生基金理事なども務めた。
江藤 正修(えとう まさのぶ、1944年 - 2017年5月… 江藤 正修(えとう まさのぶ、1944年 - 2017年5月24日)は、昭和から平成時代の社会運動家、ジャーナリスト。政治グループ・MELTの中心メンバー。『労働情報』編集長。 東京都杉並区、埼玉県川口市で育ち、中学生のとき隣家の共産党員から影響を受けた。1960年、埼玉県立浦和西高校に入学。1962年、日本社会主義青年同盟に加盟。1963年、高校の先輩で後に全国反戦委員会世話人となる村上明夫により社青同構造改革派(後の主体と変革派)の一員となった。高校卒業後、一浪して法政大学文学部に入学。1966年頃に村上の誘いで社青同の専従となり、1968年に埼玉県反戦青年委員会事務局長となった。 70年闘争の後は左翼運動から離れてサラリーマン生活を送っていたが、社青同に加入していた第四インターメンバーと再会したことが契機となり、1974年に第四インターナショナル日本支部に加盟した。
竹石 松次(たけいし まつじ、1943年12月7日 - )は… 竹石 松次(たけいし まつじ、1943年12月7日 - )は、日本の実業家、新潟放送の元アナウンサー。同社代表取締役社長・会長を経て、現在は顧問を務めている。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
木村 興三(きむら こうぞう、1943年〈昭和18年〉11月… 木村 興三(きむら こうぞう、1943年〈昭和18年〉11月15日 - 2024年〈令和6年〉10月24日)は日本の銀行家。筑波銀行会長、元頭取。 1943年(昭和18年)11月15日、茨城県山方町(現・常陸大宮市)出身。 1966年(昭和41年)に法政大学法学部を卒業し、関東銀行(現・筑波銀行)に入行する。新宿支店長、研究学園都市支店長、営業統括部長を歴任。 2000年(平成12年)に常務取締役に就任。 2003年(平成15年)の関東銀行とつくば銀行の合併により関東つくば銀行(現・筑波銀行)が誕生した後には専務取締役、取締役副頭取、代表取締役頭取に就任する。 2010年(平成22年)3月1日に茨城銀行を吸収合併した後に筑波銀行代表取締役頭取に就任し、2014年(平成24年)に会長に退いた。
甘竹 勝郎(あまたけ かつろう、1943年11月9日 - )… 甘竹 勝郎(あまたけ かつろう、1943年11月9日 - )は、日本の政治家。元岩手県大船渡市長(4期)、気仙歴史文化研究会会長。旭日小綬章受章。 岩手県大船渡市出身。法政大学経済学部卒。卒業後は岩手県立大船渡高校教諭などを務め、1988年大船渡市議会議員に当選する。1994年大船渡市長選挙に立候補し、初当選し、4期務める。在任中の2000年に隣接する気仙郡三陸町が編入された。また、男女地域づくりを推進し、1996年に同市で「女性サミット」が開催された。2010年に市長を引退した。 2014年 春の叙勲で地方自治功労により旭日小綬章を受章
実川 幸夫(實川 幸夫、じつかわ ゆきお、1943年〈昭和1… 実川 幸夫(實川 幸夫、じつかわ ゆきお、1943年〈昭和18年〉10月14日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(5期)、運輸政務次官(第2次森内閣)、法務副大臣(第2次小泉内閣)、衆議院総務委員長、千葉県議会議員(1期)などを歴任。 千葉県印旛郡富里町(現・富里市)出身。成田高等学校を経て、1967年法政大学法学部卒業。同年山村新治郎の秘書となる。 1991年に千葉県議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し初当選。1993年、任期途中で議員を辞職し自民党を離党。衆議院議員総選挙に新生党公認で立候補し初当選。その後新進党の結党に参加するも1997年に自民党に復党し、新進党を除名される。第2次森内閣で運輸政務次官、第2次小泉内閣で法務副大臣を歴任。
渡辺 剛夫(わたなべ たけお、1943年10月13日 - )… 渡辺 剛夫(わたなべ たけお、1943年10月13日 - )は、埼玉県出身の元アナウンサー。 東京都北区立富士見中学、法政大学第一高等学校、法政大学経済学部卒業。ラジオ大阪(旧社名・大阪放送株式会社)にアナウンサーとして入社。主にスポーツ・ニュース部門を担当。 ハワイ日本語放送局KZOOに日本語アナウンサーとして派遣される。1994年(平成6年)、ラジオ大阪を退社。 元京都光華女子大非常勤講師。 株式会社「フェーム」ならびにフェーム・コミュニケーションアカデミーを設立。 話し方教室「渡辺剛夫のスピーチセミナー」、朗読教室「フェーム・朗読教室」を主宰。 その後、リタイアして兵庫県丹波篠山市に移住、現在、地区老人クラブで会長職などを務めている。
大内 仁(おおうち ますし、1943年9月28日 - 201… 大内 仁(おおうち ますし、1943年9月28日 - 2011年6月6日)は、福島県郡山市出身の元重量挙げ選手でのちにコーチ。オリンピック重量挙げで2大会連続男子ミドル級メダリスト。
五明 公男(ごみょう・きみお、1943年〈昭和18年〉8月2… 五明 公男(ごみょう・きみお、1943年〈昭和18年〉8月21日 - 2019年〈平成31年〉3月1日)は、日本の体育学者、アマチュア野球指導者。 1943年(昭和18年)に東京都で生まれるが、太平洋戦争激化の影響により一家で長野県更級郡篠ノ井町(現在の長野市篠ノ井地区)へ疎開し、幼年時代を過ごす。小学校入学の際に東京へ戻り、大田区立羽田小学校へ入学。小学校・中学校と野球に熱中する。 中学校3年時に進学先を決める際に、東京都と神奈川県の高等学校をリサーチし、「高校で野球をやるんなら甲子園へ行きたい」と思い、「法政二高の田丸仁監督は素晴らしい指導者であると言うので、ここへ行こう」と思い法政大学第二高等学校への進学を決めたという。
鎌田 豊(かまた ゆたか、1943年8月4日 - )は、岡山… 鎌田 豊(かまた ゆたか、1943年8月4日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
藤田 恒美(ふじた つねみ、1943年7月17日 - )は、… 藤田 恒美(ふじた つねみ、1943年7月17日 - )は、日本の女性アナウンサー、ナレーター。 東京都出身。法政大学社会学部卒業。 1966年4月、TBS(現・TBSHD。以下同)にアナウンサー11期生として入社(同期には岩崎直子・遠藤泰子・川戸惠子・堀川友子)。 1967年11月15日、アナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務に。。1969年3月、アナウンサー研修室付兼ラジオ局放送部。1969年4月、ラジオ局放送部兼第一制作部兼アナウンサー研修室付に。1970年7月25日、ラジオ本部アナウンス室(アナウンサー研修室から改称)。1991年5月、アナウンスセンター。
長谷川 大紋(はせがわ たもん、1943年6月3日 - )は… 長谷川 大紋(はせがわ たもん、1943年6月3日 - )は、日本の政治家、実業家。 参議院議員(1期)、茨城県議会議員(9期)、茨城県議会議長(第82代)等を歴任した。 茨城県議会議員、笠間市長を務めた長谷川好三は父。 茨城県笠間市で生まれ、岩瀬町(現桜川市)で育つ。法政大学法学部卒業。1970年から大泉砕石株式会社代表取締役を務める。 1974年、茨城県議会議員選挙に自由民主党公認で西茨城郡選挙区から出馬し、初当選。以後、9期にわたって県議を務め、茨城県議会議長(第82代)や自民党茨城県連会長代行・幹事長等を歴任する。 2005年、茨城県選挙区選出の狩野安参議院議員が郵政民営化法案の参議院本会議における採決で反対票を投じ、自民党執行部は2007年の第21回参議院議員通常選挙で公認しない旨を狩野に通告。
小松 喬一(こまつ きょういち、1943年(昭和18年)4月… 小松 喬一(こまつ きょういち、1943年(昭和18年)4月16日 - )は、日本の経営者。大塚製薬工場社長を務めた。 高知県出身。1967年に法政大学経営学部を卒業し、同年に大塚製薬工場に入社。 1972年に常務に就任し、1986年に専務を経て、1998年12月に社長に就任し、2004年までに務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
漆原 和子(うるしはら かずこ、1943年3月26日 - )… 漆原 和子(うるしはら かずこ、1943年3月26日 - )は、日本の地理学者。法政大学名誉教授。専門は自然地理学。 岩手県に生まれる。1965年に法政大学文学部地理学科を卒業し、1971年に法政大学大学院人文科学研究科博士課程を単位取得後退学する。1965年、法政大学文学部地理学教室実験助手(-1975年)、1974年にユーゴスラビア・リュブリャナ大学地理学教室にて研究する。1975年に足利工業大学共通課程助手に就任し、講師、助教授に就任する。1983年、筑波大学で理学博士を取得する。1984年に駒澤大学文学部自然科学教室助教授、1990年に教授に就任する。1999年に法政大学文学部地理学教室教授に就任。