スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
鵜澤 飛羽(うざわ とわ、2002年11月25日 -)は、日… 鵜澤 飛羽(うざわ とわ、2002年11月25日 -)は、日本の短距離走選手。200メートル競走を専門としている。 宮城県出身。宮城県築館高等学校、筑波大学を経て日本航空所属。中学時代に野球をしていた経験がある。 2023年にアジア陸上競技選手権大会と日本陸上競技選手権大会で優勝した。同年、世界選手権にも出場し、準決勝に進出した。 2024年にはオリンピックに出場し、準決勝に進出した。 2025年にはアジア陸上競技選手権大会に出場し、20秒12の自己ベストで2連覇を達成した。
三橋 亜記(みつはし あき、1989年9月12日 - )は、… 三橋 亜記(みつはし あき、1989年9月12日 - )は、日本の女子フィールドホッケー選手。ポジションはFW。宮城県栗原市出身。ロンドン五輪ホッケー女子日本代表。 小学校の頃は6年間、父が指導していたサッカークラブに所属した。 栗原市立築館中学校入学後、フィールドホッケーを始める。元ホッケー男子日本代表の山田健一から指導を受け当初からスピードを生かしたFWして活躍、在学中にチームを全日本中学生選手権初優勝に導いている。 高校は宮城県築館高等学校に進学する。在学中に18歳以下の日本代表に選出されている。 2008年、強豪・山梨学院大学へ進学する。在学中にさくらジャパンに選出され、大学4年時には全日本大学王座決定戦で優勝した。
千田 美智子(ちだ みちこ、1984年3月20日 - )は、… 千田 美智子(ちだ みちこ、1984年3月20日 - )は、日本の女優。宮城県出身。宮城県築館高等学校、桜美林大学総合文化学群卒業。劇団文学座所属(2006年 - )。
狩野 英孝(かの えいこう、1982年〈昭和57年〉2月22… 狩野 英孝(かの えいこう、1982年〈昭和57年〉2月22日 - )は、日本のお笑いタレント、YouTuber、ミュージシャン、俳優、神職。マセキ芸能社所属。芸風はナルシシストキャラによる1人コント、クセの強い歌ネタ、リアクション芸が特徴。ミュージシャンとしては、主に『ロンドンハーツ』のドッキリ企画から誕生した50TA(フィフティーエー)として活動。第39代櫻田山神社神主。 宮城県泉市(現:仙台市泉区)生まれ、栗原郡栗駒町(現:栗原市)育ち。弟は放送作家の狩野孝彦。幼少期を泉市、黒川郡富谷町(現:富谷市)で過ごしたが、父が神職の資格を取得したことを機に、父の実家である櫻田山神社へ転居した。 鷹乃杜幼稚園、栗駒町立尾松小学校(現:栗原市立栗駒南小学校)、栗駒町立栗駒中学校 (現:栗原市立栗駒中学校)、宮城県築館高等学校卒業。
後藤 慶悟(ごとう けいご、1977年7月14日 - )は、… 後藤 慶悟(ごとう けいご、1977年7月14日 - )は、日本のラグビー指導者。 宮城県築館高等学校、日本体育大学卒。2000年、リコーブラックラムズへと入団。2010年はアシスタントパフォーマンスコーチ兼任という形でプレーし、同年を以って引退した。 2022年、昌平高校ラグビー部監督に就任。2年間務めた。
宮藤 官九郎(くどう かんくろう、1970年〈昭和45年〉7… 宮藤 官九郎(くどう かんくろう、1970年〈昭和45年〉7月19日 - )は、日本の脚本家、ラジオパーソナリティ、俳優、映画監督、演出家、作詞家、作曲家、放送作家、ミュージシャン、濡れ場評論家。劇団大人計画所属。愛称は「クドカン」「クン」。ロックバンド・グループ魂のギタリストとしての名義は暴動(ぼうどう)。パンクバンド画鋲のギタリスト。 宮城県栗原郡若柳町(現在の栗原市)出身。本名は宮藤 俊一郎(くどう しゅんいちろう)。身長176.5cm。妻は振付師の八反田リコ。 実家は文具店を経営。父は教員であり、校長を務めたこともある。年の離れた姉が2人いる。 幼少時から文才を発揮し朝日新聞主催の作文コンクールで2年連続の県予選入賞歴がある。
千葉 修(ちば おさむ、1968年5月22日 - )は、宮城… 千葉 修(ちば おさむ、1968年5月22日 - )は、宮城県大崎市出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。 宮城県築館高等学校から仙台大学へ進学。 卒業後、本田技研工業へ加入(1990/91シーズン第11節追加登録)。本田技研工業サッカー部のプロ化見送りを受け、監督の宮本征勝、ヘッドコーチの関塚隆、主力選手の黒崎久志、長谷川祥之、本田泰人、内藤就行、入井和久とともに、設立されたばかりの鹿島アントラーズに移籍した。 鹿島アントラーズには、1994年まで在籍。Jリーグ開幕前の1992年のJリーグカップでは5試合に出場。Jリーグが開幕した1993年は古川昌明に正GKを奪われ、Jリーグカップ3試合の出場にとどまった。
泉田 純(いずみだ じゅん、1965年10月28日 - 20… 泉田 純(いずみだ じゅん、1965年10月28日 - 2017年1月25日ごろ)は、日本の元男性プロレスラー。元大相撲力士。宮城県栗原郡一迫町(現在の栗原市)出身。全日本プロレス、プロレスリング・ノアに所属していた。血液型B型。 宮城県築館高等学校時代は、相撲部に所属していた。東京農業大学を2年で中退して大相撲の東関部屋に入門し、高見将(たかみしょう)の四股名で1986年3月場所初土俵。後の取材では祖父も急死しており、その分父が苦労する姿を見て来たので、自分も頑張らねばという気持ちがあったことが明らかになり、それが入門の動機になっている。その後、四股名を青雲龍(せいうんりゅう)、武蔵海(むさしうみ)と改名して幕下まで進んだ。
おかやま はじめ(1964年〈昭和39年〉4月22日 - )… おかやま はじめ(1964年〈昭和39年〉4月22日 - )は、日本の俳優。宮城県栗原市出身。宮城県築館高等学校、大東文化大学経済学部経営学科1987年度卒業。 大学在学中に同大学の劇団「劇団虚構」に照明係として入り、そのうち役者としても活動した。のち、在学中に劇団ラッパ座に入団した。そのまま30歳を迎え、「今さら就職も難しい。そこでプロの俳優としてやっていこうと腹を括ったのです。」と語っている。 藤賀事務所→2023年よりファザーズコーポレーション所属。劇団ラッパ屋の団員。趣味でフットサルチームに所属している。 大学の語学ではインドネシア語を専攻していたが、インドネシア語専攻は計4人しかいなかった。
熊谷 信也(くまがい しんや、1960年1月19日 - )は… 熊谷 信也(くまがい しんや、1960年1月19日 - )は、日本の演劇プロデューサー、イベントプロデューサー、舞台プロデューサー、音楽プロデューサー。 宮城県栗原郡金成町出身。宮城県築館高等学校卒業。明治大学法学部法律学科(栗本慎一郎ゼミ。元教授&元参議院議員)卒業。大学2年からマガジンハウス(旧平凡出版)の『週刊平凡』編集部でアルバイト。2年後「原稿書けます」と言うと「じゃあ書いてみろ」とフリーライターとして執筆を開始。「週刊平凡」、「平凡パンチ」(マガジンハウス)、「ギャルズライフ」(学研)、「投稿写真」(サン出版)等に掲載。明治大学学園祭にて「糸井重里VS栗本慎一郎の対談」を企画。司会を務め単行本化。
三浦 明博(みうら あきひろ、1959年5月28日 -)は、… 三浦 明博(みうら あきひろ、1959年5月28日 -)は、日本の小説家、コピーライター。 宮城県栗原郡築館町(現在の栗原市)出身。宮城県築館高等学校、明治大学商学部卒業。仙台市の広告会社でコピーライターとして勤務後、1989年に独立。現在はフリーランスで活動している。 2000年、シンククエスト@ジャパン学際部門、小学生向けのインターネット環境教育ソフト『ふしぎのとびら』でプラチナ賞受賞。同年、第46回江戸川乱歩賞最終候補。 2002年、「亡兆のモノクローム」(刊行時『滅びのモノクローム』に改題)で第48回江戸川乱歩賞を受賞しデビューする。
佐藤 智(さとう さとし、1957年(昭和32年)3月8日 … 佐藤 智(さとう さとし、1957年(昭和32年)3月8日 - )は、日本の政治家。宮城県栗原市長(2期)。 宮城県栗原郡築館町(現・栗原市築館)出身。1975年、宮城県築館高等学校卒業。同年築館町役場に勤務する。2005年築館町は合併により栗原市となったが、引き続き栗原市役所に勤務する。同市企画部行政管理課長、総務部人事課長、総務部財政課長、総務部次長兼財政課長、教育部長、総務部長を経て、2015年に副市長となる。 2017年の栗原市長選挙では勇退する佐藤勇の後継者として立候補したが、中学と高校の同級生だった元栗原市議の千葉健司に42票差で敗れた。4年後の2021年の市長選挙で再び立候補、前回と同じ現職の千葉との一騎打ちとなり、1484票差で雪辱を果たし初当選。
千葉 健司(ちば けんじ、1956年〈昭和31年〉9月25日… 千葉 健司(ちば けんじ、1956年〈昭和31年〉9月25日 - )は、日本の政治家。元宮城県栗原市長(1期)。元栗原市議会議員(1期)。 宮城県栗原郡築館町(現:栗原市築館)出身。祖父の千葉秋男も父の千葉徳穂もそれぞれ、築館町(2005年4月1日に9町村と合併し栗原市となる)長を務めた。築館町立築館中学校(現・栗原市立築館中学校)卒業。1975年(昭和50年)3月、宮城県築館高等学校卒業。1980年(昭和55年)3月、國學院大學法学部卒業。銀行に勤務。 2009年(平成21年)、栗原市議会議員に初当選。 2013年(平成25年)2月に市議を辞任。同年4月21日に行われた市長選挙に立候補するも、現職の佐藤勇に敗れる。
柴山 育朗 (しばやま いくろう、1956年(昭和31年)1… 柴山 育朗 (しばやま いくろう、1956年(昭和31年)1月20日 - )は、日本の実業家、伊藤ハム代表取締役社長を務めた。 宮城県栗原郡若柳町(現栗原市)出身。宮城県築館高等学校を経て、1978年岩手大学農学部卒業、伊藤ハムデイリー入社。伊藤ハムデイリー東北工場製造部長を経て、2010年伊藤ハム取締役執行役員加工食品事業本部生産本部長に昇格。2015年伊藤ハム取締役常務執行役員加工食品事業本部長。 2016年から伊藤ハム代表取締役社長及び米久との経営統合で同年設立された伊藤ハム米久ホールディングス代表取締役副社長を務め、2015年にM&Aにより買収したニュージーランドの食肉企業を通じたグローバル化や、コスト削減を進めた。
赤坂 光昭(あかさか みつあき、1950年5月10日 - )… 赤坂 光昭(あかさか みつあき、1950年5月10日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手(捕手)。 宮城県築館高等学校では、捕手、四番打者として1968年夏の甲子園県予選決勝に進出するが、東北高のエース佐藤政夫に抑えられ大敗、甲子園出場を逸する。 1968年にドラフト外でサンケイアトムズへ入団。加藤俊夫、大矢明彦の壁を破れず、一軍でマスクを被ることはなかった。いわゆる当て馬として1971年に6試合出場したに留まる。1973年限りで現役を引退した。
高橋 芳郎(たかはし よしろう、1949年8月31日 - 2… 高橋 芳郎(たかはし よしろう、1949年8月31日 - 2009年3月22日)は、日本の中国史学者。 宮城県栗原郡一迫町(現・栗原市)出身。宮城県築館高等学校卒、1972年東北大学文学部東洋史学科卒、1975年同大学院文学研究科博士課程中退、北海道大学文学部助手、1983年名古屋大学教養部講師、同助教授、1989年北海道大学文学部助教授、同教授、文学研究科教授。2002年「宋-清身分法の研究」で東北大学文学博士。
氏家 和男(うじいえ かずお、1949年 - )は、日本の弁… 氏家 和男(うじいえ かずお、1949年 - )は、日本の弁護士。仙台弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。仙台弁護士会所属。 昭和24年10月、宮城県栗原市に生まれる。昭和44年に宮城県築館高等学校卒業、昭和48年3月に東北大学教育学部を卒業し、昭和52年10月に司法試験合格する。昭和55年4月に弁護士登録し、仙台弁護士会に入会する。仙台弁護士会会長、日本弁護士連合会理事を経て平成19年4月から平成20年3月まで日本弁護士連合会副会長を務める。平成20年4月から日本弁護士連合会・民事裁判手続きに関する委員会委員、仙台弁護士会・偏在対策拠点事務所支援委員会委員長などを務めている
伊東 総一郎(いとう そういちろう、1947年10月21日 … 伊東 総一郎(いとう そういちろう、1947年10月21日 - )は、宮城県大崎市出身の射撃選手。宮城県築館高等学校卒業。バルセロナ五輪、アトランタ五輪代表。宮城県クレー射撃協会会長。
みなみ らんぼう(本名:南 寛康(みなみ ひろやす)、194… みなみ らんぼう(本名:南 寛康(みなみ ひろやす)、1944年〈昭和19年〉12月13日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター、俳優。 「らんぼう」という芸名はフランスの詩人アルチュール・ランボーにあやかったものである。 宮城県栗原郡志波姫町(現・栗原市)生まれ。プロボクシング元WBA世界スーパーフライ級王者の河野公平は娘婿に当たる。 1963年、宮城県築館高等学校卒業。1967年、法政大学社会学部卒業。その後、コピーライター、ラジオ台本作家を経て1971年、日活映画『ネオン警察 ジャックの刺青』の挿入歌『酔いどれ女の流れ唄』で作詞・作曲家としてデビュー。1973年に『ウイスキーの小瓶』で歌手デビューした。
能島 和明(のうじま かずあき、1944年1月30日 - )… 能島 和明(のうじま かずあき、1944年1月30日 - )は、日本の画家。東京都出身。 東京都浅草に5人兄弟の長男として生まれる。戦争のため母の実家のあった宮城県栗原郡築館町(現栗原市)に疎開し、そのまま移住した。父である能島康明は日展で活躍した日本画家であり、幼少の頃から日本画に触れる機会は多かった。少年時代から絵の才能を見出されており、当時の学校の先生から嫉妬を受け、筆を折るように言われたという話もある。 宮城県築館高等学校を卒業すると、東京に戻り多摩美術大学で日本画を学ぶ、奥田元宋に師事。大学在学中に日展に初入選、なおこれは最年少での入選記録となる。以降、日展特選を2回、日展会員賞、日展文部科学大臣賞、宮城県教育文化功労者、日本芸術院賞などを受賞した。
高橋 渉(たかはしわたる、1944年 - 2020年)は、日… 高橋 渉(たかはしわたる、1944年 - 2020年)は、日本の数学者。東京都出身。理学博士。専門は非線形関数解析学、不動点理論、凸解析学。宮城県築館高等学校 、横浜国立大学卒業、東京工業大学大学院修了、 東京工業大学助手、横浜国立大学助教授を経て、1974年東京工業大学助教授。1999年東京工業大学教授。2009年慶應義塾大学教授、東京工業大学名誉教授。国立中山大学の客員教授など。500編以上の数学論文を生み出し、国内外で多数の博士課程学生を指導し、論文誌Journal of Nonlinear and Convex Analysisなど多数の国際論文誌の編集や国際会議の発展に寄与した。高橋の論文はトムソン・ロイターにより数学分野で引用回数の極めて高い論文に選出されている。
高森 玄(たかもり げん、1941年〈昭和16年〉4月30日… 高森 玄(たかもり げん、1941年〈昭和16年〉4月30日 - 1995年〈平成7年〉11月27日)は日本の元俳優、元歌手。本名および旧芸名は高橋 俊行(たかはし としゆき)。デビュー当時の芸名は高城 裕二。 宮城県出身。宮城県築館高等学校卒業、千葉商科大学中退後、「高城 裕二」の芸名で映画デビュー。 1964年(昭和39年)に東映東京の制作による数本の映画に脇役として出演した後に俳優業から離れたが、数年間のサラリーマン生活を経て、新宿を拠点に活動していた「劇団世代」に入団、本名の「高橋 俊行」を新たな芸名として1967年(昭和42年)に俳優業へ復帰。 1968年(昭和43年)に東映京都テレビプロダクション制作のテレビ時代劇『俺は用心棒』の続編『待っていた用心棒』のレギュラーに抜擢()され、無表情で無愛想だがさりげない優しさも見せる氏素性の不明な浪人『狂犬』を演じた。
高森 玄(たかもり げん、1941年(昭和16年)4月30日… 高森 玄(たかもり げん、1941年(昭和16年)4月30日 - 1995年(平成7年)11月27日)は日本の俳優、歌手。本名および旧芸名は高橋 俊行(たかはし としゆき)。デビュー当時の芸名は高城 裕二。
中嶋 英一(なかじま えいいち、1927年〈昭和2年〉1月1… 中嶋 英一(なかじま えいいち、1927年〈昭和2年〉1月17日 - 2004年〈平成16年〉11月25日)は、日本の元男子フェンシング選手。元日本フェンシング協会会長。宮城県出身。 1927年1月17日、宮城県栗原郡若柳町にて誕生。宮城県築館中学校(現在の宮城県築館高等学校)に進学した。中嶋は走ることが子供の頃から好きであったため、中学校では陸上部へ入部する。中学校卒業後は明治大学へと入学。明治大学にて友人にフェンシングを誘われ当日明治大学にコーチをしていた森寅雄から「足が良いし、反射神経も中々良いぞ」と褒められ、その後本格的にフェンシング選手へとなった。明治大学に在学中チームの中心選手として活躍後、東北フェンシング連盟会長、日本フェンシング協会副会長などを経て、1999年から2002年に日本フェンシング協会会長を務めた。
津軽 芳三郎(つがる よしさぶろう、1923年8月26日 -… 津軽 芳三郎(つがる よしさぶろう、1923年8月26日 - 2021年1月28日)は、日本の地方公務員。宮城県副知事。 1923年、宮城県栗原郡金田村(現・栗原市)に生まれる。旧制宮城県築館中学、第二高等学校、東北帝国大学法文学部(法)卒。大学卒業後宮城県庁入り。企画、財政、人事の各部門を歴任し、教育長、総務部長を務めた。その後宮城県副知事、宮城県美術館館長を歴任。1994年、勲三等旭日中綬章を受章。2021年1月28日死去。従七位から従四位に進階。
白鳥 常男(しらとり つねお、1922年4月14日 - 20… 白鳥 常男(しらとり つねお、1922年4月14日 - 2012年10月16日)は、宮城県出身の医学者。奈良県立医科大学名誉教授。 宮城県築館中学校(現・宮城県築館高等学校)出身。陸軍航空士官学校を経て、東北帝国大学医学部へ進学、1950年に卒業。大学に勤務し、1959年日本平滑筋学会の前身、平滑筋・筋電図研究会の設立発起人となる。1961年東北大学医学部第一外科学講師、1971年同教室助教授となる。翌1972年初代中島佐一教授の後を受けて、奈良県立医科大学第一外科学教室教授。1979年 - 1981年、厚生省特定疾患「炎症性腸管障害」調査研究班班長。1980年同大学附属病院長。1988年同大学定年退職、叙名誉教授。
長谷川 峻(はせがわ たかし、1912年4月1日 - 199… 長谷川 峻(はせがわ たかし、1912年4月1日 - 1992年10月19日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。自由民主党衆議院議員。宮城県栗原郡築館町(現在の栗原市)出身。 旧制宮城県築館中学校(現・宮城県築館高等学校)、早稲田大学専門部政経科卒業後、1933年に九州日報社(現 ・西日本新聞社)に入社。記者として活躍。この頃、緒方竹虎、中野正剛との知遇を得て、両雄の下で政治のイロハを学ぶ。1945年、緒方が東久邇宮内閣の国務大臣に就任すると、その秘書官を務めた。内閣では総理大臣の東久邇宮稔彦王の「国民諸君から直接手紙をいただきたい」との意向のもとで緒方のアイデアにより国民からの投書を募っていたが、稔彦王がすべての手紙を読むわけにもいかず、「平衡感覚を持った人」たる元記者の長谷川が手紙の整理役を務めた。
白鳥 省吾(しらとり せいご、1890年2月27日 - 19… 白鳥 省吾(しらとり せいご、1890年2月27日 - 1973年8月27日)は、日本の詩人・文人。ヒット曲『星影のワルツ』で知られる、詩人で作詞家の白鳥園枝は二女。 省吾が作る詩は、民衆の内面を描いた物であり、“民衆派詩人”と称されている。ウォルト・ホイットマンの作った詩の翻訳でも著名。 旧制宮城県立築館中学校4年生頃から詩を書くようになる。早稲田大学に入学後、「夜の遊歩」などの詩を収めた詩集『世界の一人』を若山牧水、太田水穂、前田夕暮の仲介で自費出版し、詩人として文壇にデビューを果たす。『世界の一人』は好評を博し、省吾は一躍名声を高める。 早稲田大学英文科卒業後は、『新少年』・『露西亜評論』・『女学生』など、戦前に発行された雑誌の編集者で、詩人の団体「詩話会」の発行する『日本詩集』や、「詩話会」の発行する『日本詩人』の編集委員も歴任する。
熊谷 公平(くまがい こうへい)は、河北新報社常務取締役。
高峰 東天(たかみね とうてん)は、日本のお笑い芸人。本名∶… 高峰 東天(たかみね とうてん)は、日本のお笑い芸人。本名∶渡辺 勝吉
栗原 操寿(くりはら そうじゅ)は、日本の医学者、慶應義塾大… 栗原 操寿(くりはら そうじゅ)は、日本の医学者、慶應義塾大学医学部教授。慶應義塾大学病院病院長 宮城県に生まれる。宮城県築館高等学校卒業。東北大学医学部卒業。
岡本 久美子 は、日本の元女子プロテニス選手。1980年代の… 岡本 久美子 は、日本の元女子プロテニス選手。1980年代の日本女子テニス界をリードした選手の1人で、同学年の井上悦子、岡川恵美子とともに“3人娘”と呼ばれた。岡本は当時の日本人女子テニス選手としては珍しい両手打ちバックハンド・ストロークが最大の武器で、美人選手としても高い人気を持っていた。