宮田敬介(みやた けいすけ、1980年10月8日 - )は、… 宮田敬介(みやた けいすけ、1980年10月8日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターに所属している調教師。 茨城県日立市生まれ。父が熱心な競馬ファンで、幼少期から競馬が好きだった。 麻布大学の獣医学部動物応用化学科に進学し、馬術部に入部。大学3年生の夏休み、ノーザンファームに研修に行ったことが縁となり、大学卒業後の2003年、ノーザンファームで働くことになる。そこで2年を過ごした後、競馬学校の厩務員課程を受験し、2度目の試験で合格。 2006年、栗田博憲厩舎で働き始める。 2009年、田島俊明厩舎に移籍。 2014年、調教助手として国枝栄厩舎に移籍。 調教師試験に7度目の挑戦で合格し、その1年半後の2020年に独立。
伊藤 大士(いとう だいし、1972年11月29日 - )は… 伊藤 大士(いとう だいし、1972年11月29日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターに所属している調教師。愛知県出身。 1996年、10月よりJRA競馬学校厩務員課程に入学する。 1997年、競馬学校卒業後の4月から美浦・森安弘昭厩舎所属の厩務員となり、6月に美浦・上原博之厩舎に移籍して調教助手に転向した。 2009年、2月12日にJRA調教師免許試験に合格したことが発表され、3月1日付で調教師免許免許を取得した。 2016年8月7日、札幌11RのUHB賞をクリスマスで制し、JRA通算100勝を達成した。 2020年、ダイヤモンドステークスをミライヘノツバサで優勝、開業11年目で重賞初制覇となった。
大竹 正博(おおたけ まさひろ、旧姓:大崎(おおさき)。19… 大竹 正博(おおたけ まさひろ、旧姓:大崎(おおさき)。1969年12月30日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 所属の調教師(美浦トレーニングセンター)、元調教助手、元厩務員。麻布大学獣医学部卒業。東京都出身。 大竹の父は中央競馬の元騎手・大崎昭一である。1985年に大崎は八百長を行ったという疑いをかけられ、無期限の騎乗停止処分を受けた。最終的に八百長行為は認められないという結論が下され騎乗停止処分は解除されたものの、騒動の影響で栗東の一部の厩舎をのぞきほとんどの厩舎から騎乗依頼が来なくなるなど大崎の騎手生活は大きく狂わされることとなった(新潟事件)。事件の影響から大竹は競馬によい印象を抱いておらず、当初は獣医師を志していたが、1992年に大崎がレッツゴーターキンに騎乗して天皇賞(秋)を優勝したことをきっかけに中央競馬で働くことを考えるようになった。
梅田 智之(うめだ ともゆき、1969年4月20日 - )は… 梅田 智之(うめだ ともゆき、1969年4月20日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターに所属している調教師である。父は元調教師の梅田康雄。 父、康雄が栗東トレーニングセンターで調教師をしていたこともあり、競馬が身近な環境にいた。元々は騎手を目指していたが、騎手を断念。栗東町立金勝小学校、栗東市立栗東中学校の同期に元騎手の岸滋彦がいる。 麻布大学獣医学部卒業後、1995年に競馬学校厩務員課程を経て、栗東・西橋豊治厩舎の厩務員、調教厩務員、調教助手を務めた。 2006年にJRA調教師免許試験に合格。翌07年に栗東で開業。伊藤雄二厩舎の一部を引き継ぐこととなった。 2007年3月10日の中京第11レースのファルコンステークスでエミネンツァベルタで初出走(14着)。
相沢 郁(あいざわ いくお、1959年6月19日 - )は日… 相沢 郁(あいざわ いくお、1959年6月19日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンター所属の調教師。 主な管理馬に1999年の優駿牝馬(オークス)優勝馬ウメノファイバーなどがいる。 1959年、北海道に生まれる。麻布大学獣医学部在籍時代に牧場でアルバイトをしてから競走馬に惹かれるようになり、当初は日本中央競馬会の獣医師を志していた。北海道の白井牧場に入り、牧場を回りながら獣医師としての研修を詰んだが、現役の競走馬に携わりたいとの思いを強くして目標を調教師に改め、競馬学校を経て美浦トレーニングセンターの前田禎厩舎に調教助手として入った。「40歳までに調教師免許を取得」という目標を自らに課し、果たせなかった場合は獣医師資格を活かして開業医になろうと考えていたという。
浅野 洋一郎(あさの よういちろう、1956年11月26日 … 浅野 洋一郎(あさの よういちろう、1956年11月26日 - )はJRA・美浦トレーニングセンターに所属していた元調教師。浅野武志調教師は義父。旧姓は小島。 1956年東京都新宿区にて4人兄姉の末子として出生。当時「小島」姓を名乗っていた洋一郎であるが暫くして両親が離婚し、彼だけが母方の故郷である山梨県の富士吉田市の祖母の元で幼少期を送る。 その後、母が浅野武志調教師(東京競馬場所属)と息子洋一郎を連れて再婚。洋一郎は東京の府中市にある小学校へ転校、再び東京に移り住むこととなる。洋一郎は母の再婚後も小島姓を名乗っていたが中学1年の夏に自らの希望により「浅野」へと姓を改めている。 中学1年生から父・武志の厩舎業務を手伝うようになった洋一郎は、やがて馬関係の仕事に就きたいと告げ、「馬をやるなら『馬の足元』を勉強するのが一番」という父・武志の助言もあり、駒場学園の装蹄畜産科を経て麻布獣医大学へと進学。
中村 均(なかむら ひとし、1948年9月13日 - )は、… 中村 均(なかむら ひとし、1948年9月13日 - )は、京都府京都市左京区一乗寺出身の元調教師。 父も元調教師の中村覚之助。 2010年2月まで日本調教師会会長を務めていた。2011年の時点では同会名誉会長を務めている。 京都市立修学院小学校出身。麻布獣医科大学を首席卒業し、1971年に栗東・中村覚之助厩舎の厩務員となり、後に調教助手となる。 1977年に成宮明光に次ぐ28歳6ヶ月の若さで調教師免許を取得し、1978年に厩舎を開業。7月8日の中京第1競走アラブ3歳未勝利・アイチハヤオーが初出走で2着となり、9月10日の阪神第4競走4歳以上300万下・エスティキング(延べ6頭目)で初勝利を挙げる。
太宰 義人(だざい よしひと、1945年6月29日 - 20… 太宰 義人(だざい よしひと、1945年6月29日 - 2007年3月19日)は、宮城県出身の元騎手・元調教師。 騎手の太宰啓介は次男。 麻布獣医大学卒業後の1972年、栗東・中村好夫厩舎からデビュー。中央競馬史上数人の大卒騎手の一人であり、太宰は史上初で話題となる。他に大卒で騎手経験を持つ者には、大久保正陽(立命館大学卒)、山内研二(大阪工業大学卒)、橋口弘次郎(九州産業大学卒)、川合達彦(立命館大卒)がいる。 3月4日の阪神第10競走5歳以上300万下・トクミドリ(9頭中7着)で初騎乗を果たし、6月10日の函館第1競走3歳新馬・タカヨシタイホウで初勝利を挙げる。同馬では2連勝で函館3歳ステークスも制し、デビュー4ヶ月での重賞制覇を達成。
松山 康久(まつやま やすひさ、1943年9月4日 - )は… 松山 康久(まつやま やすひさ、1943年9月4日 - )は日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターに所属した調教師である。
武 宏平(たけ こうへい、1943年4月13日 - )は、日… 武 宏平(たけ こうへい、1943年4月13日 - )は、日本中央競馬会の栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師である。京都府出身。同志社香里中学校・高等学校、麻布大学卒業。 父は騎手・調教師であった武平三。元騎手の武永祥、武牧場の武勇はそれぞれ実弟、元騎手の武英智は甥、元調教師の作田誠二は義弟である。 京都競馬場所属調教師・武平三の長男として生まれる。4歳上の従兄に、平三に弟子入りしていた武邦彦がおり、生活を共にしていた。「競馬の世界は苦労する」という母の助言もあって幼少期から獣医師を志し、高校卒業後、麻布大学獣医学部に進学。同級生に松山康久がおり、共に馬術部に所属した。在学中、シンザンが史上2頭目のクラシック三冠を達成して世間の競馬に対する注目度が高まり、修士卒業後の1968年、平三の元に戻り、厩務員、次いで調教助手となった。