宇都宮 陸(うつのみや りく、2002年12月6日 - )は… 宇都宮 陸(うつのみや りく、2002年12月6日 - )は、愛媛県出身のバスケットボール選手。2024シーズンより、ファイティングイーグルス名古屋に所属している。 出身は愛媛県松山市。高校は兵庫県の強豪・報徳学園を選んだ。持ち味のスピードとバスケットIQを武器に、チームを初のインターハイベスト8進出へ導いた立役者となった。京都産業大学では、1年生から主力として出場機会を得て、初の公式戦である第48回関西学生選手権ではいきなり総アシスト数2位を記録。大学4年生で第51回関西学生選手権と2024年度 関西学生リーグ戦の2冠を達成し、自身も最優秀選手賞(MVP)に輝いた。 2022年1月-3月、B2愛媛オレンジバイキングスに特別指定選手として登録された。
藤原 瞭我(ふじわら りょうが、2002年1月8日 - )は… 藤原 瞭我(ふじわら りょうが、2002年1月8日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。京都府南丹市出身。B3リーグのアースフレンズ東京Z所属。ポジションはポイントガード。 北陸学院高等学校、京都産業大学出身。2023-24シーズン途中より特別指定選手として神戸ストークスに入団。背番号は25。B.LEAGUE初得点は2024年3月27日愛媛戦でのスリーポイント。翌シーズンからはプロ選手として引き続き神戸に所属。2025年にはB.LEAGUEモテ男No.1決定戦にエントリーした。同年オフ、アースフレンズ東京Zに移籍。 神戸加入時には「身長は小柄ながらスピードを活かしたプレーで、アップテンポな試合展開を作れる選手」と評価されている。
上田 隼輔(うえだ しゅんすけ、1999年9月18日 - )… 上田 隼輔(うえだ しゅんすけ、1999年9月18日 - )は、日本の男子プロバスケットボール選手である。ポジションはスモールフォワード。 尽誠学園高校から京産大に進学し、2021年度関西学生リーグ1部の最優秀選手賞を受賞。[要出典] 2022年、富山グラウジーズと特別指定選手契約。 卒業後、富山グラウジーズとプロ契約。 2025年オフ、富山グラウジーズを退団。
大庭 岳輝(おおば たける、1997年7月29日 - )は、… 大庭 岳輝(おおば たける、1997年7月29日 - )は、日本のバスケットボール選手。身長184cm、体重85kgで、ポジションはシューティングガード。 大阪府で生まれる。バスケットボール選手だった父の影響を受け、小学校1年生からバスケットボールを始める。当初は野球とバスケットボールの両方で活動していたが、小学六年生の前にどちらかを選ぶ必要に迫られ、バスケットボールを選んだ。 中学は長尾西中学校、高校はバスケットボール強豪校の洛南高校に進学、同級生は寺嶋良や荒川颯、1つ後輩に津屋一球や柳川幹也 がいた。怪我の影響もあり1、2年は試合の出場機会に恵まれなかったが、3年生でレギュラーを掴んだ。この年までインターハイ京都予選で44年連続優勝をしていた洛南高校だったが、この年は決勝でカロンジ ・カボンゴ・パトリック、岡田侑大を擁する東山高校に95-63の大差で敗れている。
坂井レオ(さかい レオ、1993年〈平成5年〉8月29日 -… 坂井レオ(さかい レオ、1993年〈平成5年〉8月29日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。大阪府出身。ポジションはパワーフォワード兼センター。Bリーグ・滋賀レイクスターズ所属。 大阪府立豊島高等学校を経て京都産業大学に進学。卒業後の2016年に西宮ストークスへ加入。広島ドラゴンフライズ、アースフレンズ東京Zでもプレーし、2022-23シーズンは立川ダイスに所属した。 2023年5月、湘南ユナイテッドBCへの移籍が発表された。2023-24シーズン終了後、湘南ユナイテッドBCを退団した。 その後、2024年12月にインドネシア・バスケットボール・リーグ(英語版)のバリ・ユナイテッド・バスケットボール(英語版)に加入した。
合瀬 教成(おおせ みちなり、1989年11月5日 - )は… 合瀬 教成(おおせ みちなり、1989年11月5日 - )は、宮城県出身のバスケットボール選手である。ポジションはガード。 聖和学園高校を卒業後、京都産業大学に進学。 卒業後、アイシン・エィ・ダブリュ アレイオンズ安城に入団。
高松 英二(たかまつ えいじ、1988年〈昭和63年〉7月2… 高松 英二(たかまつ えいじ、1988年〈昭和63年〉7月2日 - )は、日本の元プロバスケットボール選手。兵庫県加古川市出身。現役時代のポジションはガード、フォワード。 加古川市立鳩里小学校から加古川市立加古川中学校、育英高等学校を経て京都産業大学へ進学。卒業後、2011年に兵庫ストークスに入団。 2014年1月、契約解除。
田代 拓也(たしろ たくや、1987年8月27日 - )は、… 田代 拓也(たしろ たくや、1987年8月27日 - )は、日本の元男子バスケットボール選手である。ポジションはガードフォワード。奈良県出身。 豊中市立第十中学校、東住吉工業高校から京都産業大学に進学。主将を務め、インカレにも出場。 卒業後の2010年、三菱電機に加入。 2014年、三菱電機を退団。2015年オフ引退。
濱田 卓実(はまだ たくみ、1985年〈昭和60年〉1月14… 濱田 卓実(はまだ たくみ、1985年〈昭和60年〉1月14日 - )は、日本の元バスケットボール選手。兵庫県神戸市出身。現役時代のポジションはフォワード。 神戸村野工業高等学校から京都産業大学を経てパナソニックに入社。 2009年ユニバーシアードの代表候補に選ばれた。 同年の東アジア大会で初のA代表入り。
菅谷 徹(すがたに とおる、1984年6月22日 - )は、… 菅谷 徹(すがたに とおる、1984年6月22日 - )は、日本の元男子バスケットボール選手である。ポジションはセンター。富山県新湊市出身。現黒田電気ブリット・スピリッツマネージャ。 高校は興誠高に進学しインターハイに出場した。京都産業大学在学中、当時のジェリコ・パブリセヴィッチHCによる日本代表第1回スプリングキャンプに呼ばれ欧州遠征にも参加した。ユニバーシアード代表にも選ばれた。 卒業後、黒田電気に入社。 いわゆる「竹内世代」のひとり。小学6年次に186cm、中学3年次に200cmを超え、215cmの身長に達した。過去には220cm、216cmと報じられたこともあった。かつて「現役日本人スポーツ選手の中で最長身」だった。
菊池 宏之(きくち ひろゆき、1983年12月13日 - )… 菊池 宏之(きくち ひろゆき、1983年12月13日 - )は、兵庫県尼崎市出身のプロバスケットボール選手である。ポジションはシューティングガード。身長192cm、体重83kg。 尼崎市立立花中学校在籍中の13歳の時に漫画・SLAM DUNKと兄の影響でバスケットボールを始める。 1999年4月、尼崎市立尼崎高校に進学。3年生時には主将を務め、2001年インターハイに出場して初戦突破している。 2002年4月に進学した京都産業大学では1年生時よりレギュラーを獲得し、第29回関西学生選手権で最優秀新人賞を受賞、リーグ戦の優勝にも貢献した。2年生時の2003年新人戦でも最優秀新人賞を受賞。3年生時の2004年は第31回関西学生選手権で2年ぶりの優勝に貢献し、優秀選手賞を受賞。
堀川 竜一(ほりかわ りゅういち、1979年6月9日 - )… 堀川 竜一(ほりかわ りゅういち、1979年6月9日 - )は、富山県富山市出身の元プロバスケットボール選手である。ポジションはスモールフォワード。身長191cm、体重85kg。 12歳の時、西部中学校のバスケットボール部に入部し、バスケットボールを始める。土浦日大高校に進学後、1996年ウィンターカップでベスト8進出に貢献。京都産業大学に進学後、1999年関西リーグ優勝と4年連続インカレを経験。大学卒業後、当時はクラブチームだった富山グラウジーズに加わった。 2005年のbjリーグ発足に当たり、埼玉ブロンコスにドラフト5巡目指名を受け入団。2008年、大阪エヴェッサに移籍する。2009年7月、トライアウトを経て滋賀レイクスターズに移籍。
菅 裕一(かん ゆういち、1977年9月19日 - )は、愛… 菅 裕一(かん ゆういち、1977年9月19日 - )は、愛媛県出身のバスケットボール選手。元日立サンロッカーズ所属。背番号は11。 松山市立内宮中学校、新田高校から京都産業大学を経て、日立に入社。 2001年のユニバーシアードで日本代表に選ばれる。翌年のアジア大会にも出場。2008-09シーズンは準優勝に貢献し、年間ベスト5賞に輝く。 2009-10シーズン限りで引退。10年間の功績を讃え、背番号11は永久欠番とされ、2010-11シーズン開幕戦においてセレモニーが開かれる。 引退後は日立に社員として残る。
村上 和之(むらかみ かずゆき、1976年7月10日 - )… 村上 和之(むらかみ かずゆき、1976年7月10日 - )は、大阪府出身の元プロバスケットボール選手で、現在は京都産業大学バスケットボール部コーチである。ポジションはガード。背番号0→9。178cm、75kg。 大阪市立天王寺小学校でバスケを始め、大阪市立天王寺中学校、東住吉工業高校、京都産業大学で活躍。 1999年、日立大阪に入社。しかしチームが合併により解散したため地元のクラブチーム「Teksa・B」に所属。2004年には国体に出場。 2005年、bjリーグに参加する仙台89ERSにドラフト外で入団。プレイオフ出場に貢献した。 2006年、埼玉ブロンコスに移籍。 同年、母校である京都産業大学のコーチに就任した。
青野 和人(あおの かずと、1976年4月28日 - )は、… 青野 和人(あおの かずと、1976年4月28日 - )は、長野県出身のプロバスケットボール選手・コーチである。現役時代のポジションはガード。背番号は21。181cm。75kg。 東海大三高校から京都産業大学を経て、1999年に大日本印刷イーグルスに入団。しかし1シーズンで廃部。 その後、クラブチームのGSPABL、ブロンコスクラブを経て、2005年にbjリーグに参加する埼玉ブロンコスに入団。2007年を以って現役引退。同じく引退したデービッド・ベンワーヘッドコーチの元、アシスタントコーチに就任。 2009年、学生時代を過ごした京都から新規参入の京都ハンナリーズにベンワーヘッドとともにアシスタントコーチに就任。
川西 英昭(かわにし ひであき、1973年6月8日 - )は… 川西 英昭(かわにし ひであき、1973年6月8日 - )は、島根県出身の元バスケットボール選手。 選手時代は豊富な運動量と正確なアウトサイドシュートを得意としていたプレイヤーで、現在は広島県瀬戸内高等学校の男子バスケットボールのヘッドコーチである。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
伊藤 篤司(いとう あつし、1972年4月18日 - )は、… 伊藤 篤司(いとう あつし、1972年4月18日 - )は、日本の元バスケットボール選手、現指導者である。現在は新潟医療福祉大学健康科学部准教授、女子バスケットボール部ディレクター。 浜松商業高校から京産大を経て、愛知機械工業で選手を経験。 引退後は指導者に転じ、2002年にアメリカのニューマン大学でコーチングキャリアを開始。 帰国後はアイシンAW女子のコーチに就任し、W1リーグ優勝に導いた。 2011年からはアイシンAW男子のヘッドコーチに就任しJBL2準優勝。 2014年からは実業団の紀陽銀行でヘッドコーチ。 2019年からは新潟医療福祉大監督を務め3年連続インカレ出場。同大学特任講師にも就任。
福島 雅人(ふくしま まさと、1970年9月22日 - )は… 福島 雅人(ふくしま まさと、1970年9月22日 - )は、大阪府出身の元バスケットボール選手・プロバスケットボール指導者である。 洛南高校在学中、インターハイ・ウィンターカップを経験。また、全日本ジュニアにも選出される。 その後は京都産業大学を経て三菱電機に入社。選手として活躍後、1997年現役引退。アシスタントコーチに就任。2002年、ヘッドコーチに昇格。2度のプレーオフ進出に導く。 2006年、三菱電機を退社。同年よりbjリーグに参戦する富山グラウジーズのヘッドコーチに就任。2008年11月退任。 2009-2010シーズンは埼玉ブロンコスのヘッドコーチに就任。同チームにおいてbjリーグ発足後初の外部招聘となる。
山崎 昭史(やまざき あきふみ、1968年6月5日 - )は… 山崎 昭史(やまざき あきふみ、1968年6月5日 - )は、愛媛県出身の元バスケットボール選手。ポジションはセンター。216cm、112kg。 松山市立椿小学校、松山市立東中学校、松山城南高、京都産業大学卒業後、松下電器に入社。1994-95シーズンにはルーキーの長谷川誠らとともに二冠に貢献。主将も務めた。 全日本のメンバーにも選ばれ、1994年アジア競技大会や1998年世界選手権にも出場。 翌年にはシドニー五輪アジア予選を兼ねたアジア選手権で主将に選ばれるが、大会直前に左ヒジ亀裂骨折を負い、本来の力を発揮できず、期待された五輪切符を逃した。 2002年現役引退。 現在はスカイ・A sports+の解説者を務める一方で、普及活動も行っている。
三木 力雄(みき りきお、1957年〈昭和32年〉7月29日… 三木 力雄(みき りきお、1957年〈昭和32年〉7月29日 - )は、日本の元バスケットボール選手で、現在は指導者。京都府出身。現役時代のポジションはポイントガード。B3リーグ・東京八王子ビートレインズヘッドコーチ。 東山高等学校から京都産業大学を経て、1980年に熊谷組に入社。 10年間選手として活躍し、引退後は母校である京産大を始め、中学生、国体チームなどで指導者として育成に取り組む。 2003年、さいたまブロンコスのヘッドコーチに就任。チームを日本リーグ2連覇に導く。 bjリーグ発足後は、テクニカルアドバイザーに退くが、2006-07シーズンは山根謙二ヘッドコーチの下、アシスタントコーチを務めた。
成田俊彦(なりた としひこ)は、元バスケットボール選手、現在… 成田俊彦(なりた としひこ)は、元バスケットボール選手、現在は山口パッツファイブ(旧山口ペイトリオッツ)代表取締役社長である。 聖徳学園関東高等学校から京都産業大学を経て、マツダオート東京で選手としてプレーし、後に広報に転じる。 1996年にアンフィニ東京が廃部になると、クラブチーム「所沢ブロンコス」を設立。GMに就任する。 1999年に日本リーグ昇格を果たしたが、当時の日本リーグは実業団のみで市民球団(クラブチーム)は例がなかったため、選手登録窓口だった実業団連盟と揉めるが、結局連盟は折れる事になり市民球団を認めさせた。 2005年、新潟アルビレックスの河内敏光GM(当時)とともにJBLを脱退。