宮路 洋輔(みやじ ようすけ、1987年6月12日 - )は… 宮路 洋輔(みやじ ようすけ、1987年6月12日 - )は、宮崎県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(センターバック)、ミッドフィールダー(ボランチ)。 鵬翔高校2年次に全国高等学校サッカー選手権大会に出場しベスト4、2006年福岡大学に進学。その福岡大学ではワールドカップドイツ大会日本代表に選ばれた現湘南ベルマーレの坪井慶介以来となる1年次よりレギュラーを獲得し活躍、さらに2009年の第33回総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントではキャプテンとしてチームの優勝に貢献した。なお、3年次の2008年よりアビスパ福岡に特別指定選手として登録される。 2009年10月22日に福岡への加入が内定したことが発表された。
岡田 祐政(おかだ ゆうせい、1987年5月8日 - )は、… 岡田 祐政(おかだ ゆうせい、1987年5月8日 - )は、熊本県出身のサッカー選手。ポジションは、ディフェンダー。 福岡大学を経て、2010年より栃木ウーヴァFCへ入団、3年間プレーした。 2013年、グルージャ盛岡へ移籍。 2016年、ヴァンラーレ八戸に移籍。シーズン終了後に現役引退を発表 するが、翌2017年に盛岡ゼブラへ加入し、現役を続行している。
冨成 慎司(とみなり しんじ、1987年2月22日 - )は… 冨成 慎司(とみなり しんじ、1987年2月22日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 2002年、サンフレッチェ広島ユースに入団。同期に前田俊介、桒田慎一朗、髙萩洋次郎、髙柳一誠、大屋翼、森脇良太、藤井大輔、佐藤昭大。主にFWやトップ下でプレーした。在籍時に日本クラブユース選手権2連覇、高円宮杯およびJユースカップ優勝と2年連続ユース2冠に貢献した。 2005年、福岡大学に入学。同期に山口和樹がいる。2年までFW、3年でMF(ボランチ)、4年で右サイドバックにコンバートされる。2006年には総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント準優勝に貢献。
山口 和樹(やまぐち かずき、1986年10月7日 - )は… 山口 和樹(やまぐち かずき、1986年10月7日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。 地元・福岡市で生まれ、福岡大学附属大濠高等学校を経て、数多くのJリーガーを輩出する福岡大学に入団した。大学1年生の夏からセンターバックのレギュラーに定着。大学3年生の時に、全日本大学選抜に選出された。 2009年、アビスパ福岡に入団。同年11月8日の甲府戦でJ2リーグ初出場し、デビュー戦で勝利に貢献した。2014年限りで現役を引退し、2015年からは同クラブの社員となった。
木村 絵梨(きむら えり、1986年7月25日 - )は、熊… 木村 絵梨(きむら えり、1986年7月25日 - )は、熊本県出身の女子サッカー選手。FC琉球さくら所属。ポジションはMF。 元福岡大学サッカー部女子主将。2006年度・2008年度九州女子サッカーリーグ得点王。
西田 信孝(にしだ のぶなり、1986年3月13日 - )は… 西田 信孝(にしだ のぶなり、1986年3月13日 - )は、熊本県出身のサッカー選手である。ポジションはゴールキーパー。 熊本県内でも強豪とはいえない専大玉名高校出身だったが、U-15、U-16日本代表候補、3年生時には熊本県国体選抜などに選ばれた。福岡大学では大学選抜に選ばれるなど大学屈指のGKであった。 2007年12月にFC岐阜のセレクションを受けて合格し、2008年シーズンより正式加入した。しかし出場機会は無く、1年で契約満了となり退団した。
飯山 悠吾(いいやま ゆうご、1986年3月6日 - )は、… 飯山 悠吾(いいやま ゆうご、1986年3月6日 - )は、東京都江東区出身のサッカー選手。ポジションは主にディフェンダー(DF)。 小学4年生時から東京ガスサッカー部(後のFC東京)の下部組織に加入し、高校卒業までの9年間に渡って所属。同期には呉章銀、梶山陽平、李忠成、鎌田次郎、斎藤雅也、眞行寺和彦ら。 2004年、福岡大学へ進学してサッカー部に入部。4年時に副将を務めた。 2008年に大学を卒業しザスパ草津U-23に加入。2012年限りで現役を退き、古巣FC東京のコーチに就いたが、2014年に東京23FCで現役復帰。 2015年、グルージャ盛岡に加入。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。
森山 大地(もりやま だいち、1985年8月25日 - )は… 森山 大地(もりやま だいち、1985年8月25日 - )は、熊本県八代市出身の元サッカー選手。
平石 健太(ひらいし けんた、1985年6月26日 - )は… 平石 健太(ひらいし けんた、1985年6月26日 - )は、広島県尾道市出身の元サッカー選手、指導者。ポジションはDF(右サイドバック)。 サンフレッチェ広島の提携スクールであるサンフレッチェびんごジュニアユース出身、一期後輩に元日本代表DF森脇良太がいる。その後、如水館高校、福岡大学 と進学する。大学3年の時にデンソーチャレンジカップ九州学生選抜に選ばれている。 卒業後は山口県にある中国サッカーリーグのFC宇部ヤーマンに在籍。2010年1月に練習生として参加していたアビスパ福岡へ加入するも1年で退団。その後は母校福岡大学サッカー部でコーチをしている。 その後広島県瀬戸内高校の保健体育の教師となる。
吉木 健一(よしき けんいち、1984年9月24日 - )は… 吉木 健一(よしき けんいち、1984年9月24日 - )は、広島県出身のサッカー選手。ポジションは、MF。
赤星 拓(あかほし たく、1984年4月21日 - )は、福… 赤星 拓(あかほし たく、1984年4月21日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー。 福岡大学2年時から大学選抜に選出され、2004年1月にはカタール国際ユーストーナメントに参戦。3年時の2005年にはユニバーシアード・イズミル大会の優勝に貢献。時久省吾と正GKの座を争った。4年時の2006年には、特別指定選手として大分トリニータに選手登録された。 2007年にJ2・サガン鳥栖に加入。新人ながら開幕戦にスタメン出場するなど、正GKとして活躍。その後、2008年に室拓哉が移籍加入し、浅井俊光も含めて激しい正GK争いを繰り広げた。 2011年から鳥栖の最古参選手となった。
登尾 顕徳(のぼりお けんとく、1983年11月30日 - … 登尾 顕徳(のぼりお けんとく、1983年11月30日 - )は、鹿児島県出水郡長島町出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはディフェンダー。 鹿児島実業高校出身。高校では1学年上に田原豊、上本大海、同級生に赤嶺真吾、松下年宏らがチームメイトにいた。福岡大学時代には2005年夏季ユニバーシアードの日本代表に選出された。 2006年に京都パープルサンガに加入。2006年は、ルーキーながら、リーグ戦20試合に出場。2008年、当初は京都に登録されていたが、2月に徳島ヴォルティスに期限付き移籍。2009年、徳島に完全移籍した。 2012年より、ギラヴァンツ北九州へ完全移籍。 2013年より、選手兼任コーチとしてヴォルカ鹿児島に加入。
衛藤 裕(えとう ゆう、1983年10月17日 - )は、福… 衛藤 裕(えとう ゆう、1983年10月17日 - )は、福岡県出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 東福岡高校から福岡大学に進学し、ともに背番号10を付け常にトッププレーヤーとして活躍。2005年にはユニバーシアード夏季大会(イズミル)の日本代表に選出され、全試合スタメン出場を果たし、チームの優勝に貢献した。 2006年に複数のJクラブのオファーから、サガン鳥栖に加入。ボランチとして活躍した。 2011年よりJ1昇格を目指す徳島ヴォルティスへ完全移籍。開幕スタメンをトップ下で飾った。 2013年は2度の負傷などもあり、出場は7試合にとどまった。 2015年シーズンをもって契約を満了、退団した。
高橋 大輔(たかはし だいすけ、1983年9月18日 - )… 高橋 大輔(たかはし だいすけ、1983年9月18日 - )は、福岡県八女市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代の登録ポジションはミッドフィールダー。 実弟の高橋祐太郎も元プロサッカー選手。 2006年、福岡大学から大分トリニータに加入。フォワードとして入団したが、監督のペリクレス・シャムスカに右ウィングバックとして抜擢される。4月22日のJ1第9節・大宮アルディージャ戦でプロデビューを果たし、7月22日のJ1第14節・アルビレックス新潟戦では初得点を記録。2006年天皇杯でのザスパ草津戦にてハットトリックを達成した。 2007年シーズンは前年と同じ右WBというポジションながらチーム得点王、自己最高となるリーグ10得点(そのうち4得点はヴィッセル神戸戦で記録)を挙げるが、10月27日のJ1第30節鹿島アントラーズ戦で負傷、左ひざ内側側副じん帯を損傷[要出典]し、全治2カ月と診断されシーズンを終えた。
長野 聡(ながの さとし、1982年8月2日 - )は、福岡… 長野 聡(ながの さとし、1982年8月2日 - )は、福岡県みやこ町出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー、フォワード。 2010年までディフェンダーとしてプレイしていたが、2011年よりフォワードにコンバートされる。しかし翌年からは本人の申し出によりディフェンダーに再転向した。 2013年からはタイのナコーンラーチャシーマーFCに所属。2012年シーズン8位だったチームに安定感もたらし、チームも5位と躍進した。2014年シーズンは、約1ヵ月間、週に2試合行う超過密日程もあった中で34試合中32試合に出場し、圧倒的な強さでタイディビジョン1優勝。国内1部リーグであるTPLへの昇格に大きく貢献。
田代 有三(たしろ ゆうぞう、1982年7月22日 - )は… 田代 有三(たしろ ゆうぞう、1982年7月22日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。元日本代表。 福岡大学時代は、大学No.1FWとの評価が高く、3年時に大分トリニータ、4年時にサガン鳥栖に特別指定選手として登録され計公式戦11試合に出場。2005年に鹿島アントラーズに加入。2006年から出場機会を増やし、2008年には巻誠一郎らの負傷により、東アジア選手権2008(中国・重慶)の追加メンバーで日本代表に初招集され、2月17日の北朝鮮戦で代表デビュー。2月20日の中国代表戦では、前半17分に駒野友一のクロスボールに反応し、潰れ役となる形で決勝点となる山瀬功治のゴールを生んだ。
福嶋 洋(ふくしま ひろし、1982年7月14日 - )は、… 福嶋 洋(ふくしま ひろし、1982年7月14日 - )は、愛知県出身の元プロサッカー選手。ポジションはFW(フォワード)。 都立駒場高校から2001年にアビスパ福岡に入団。U-22日本代表も経験した。2005年10月からロッソ熊本にレンタル移籍中であったが2006年12月に所属元の福岡が契約更新を行わない事を発表。 2007年からV・ファーレン長崎に完全移籍した。2010年シーズン終了後に退団。2011年シーズンはJFLのカマタマーレ讃岐に所属した。 福岡大学で学士(スポーツ科学)と修士(スポーツ健康科学)を取得し、2022年時点では久留米工業高等専門学校の准教授。
川田 和宏(かわた かずひろ、1982年6月11日 - )は… 川田 和宏(かわた かずひろ、1982年6月11日 - )は、福岡県中間市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。 国見高校時代は3年時の2000年、松橋章太・大久保嘉人らとともにインターハイ、国体(この時の少年男子長崎県選抜チームの選手は全員が国見高校サッカー部から選出されていた)、選手権を優勝し、高校三冠を達成した。 福岡大学を経て、2005年に大分トリニータに加入。2007年にはガイナーレ鳥取、2008年には松本山雅に期限付き移籍をする。 2011年には秋田FCカンビアーレからブラウブリッツ秋田に期限付き移籍。移籍1年目より中心選手として活躍し、翌年完全移籍を果たす。
小井手 翔太(こいで しょうた、1981年9月29日 -)は… 小井手 翔太(こいで しょうた、1981年9月29日 -)は、福岡県出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。
杉山 哲(すぎやま てつ、1981年6月26日 - )は日本… 杉山 哲(すぎやま てつ、1981年6月26日 - )は日本の元サッカー選手。ポジションはGK。元ユニバーシアード日本代表。 宇土鶴城中学校、熊本国府高校を経て、福岡大学へ進学。大学時代はユニバーシアードに2度選出されるも、2001年大会では後にチームメイトとなる高原寿康に、2003年大会では塩田仁史にそれぞれ正GKの座を譲った。 2004年、鹿島アントラーズに入団。長きにわたり第3GKであったが、小澤英明が退団して背番号1を継承した2010年シーズン以降は第2GK争いで広島からレンタル加入した佐藤昭大等を一歩リードしていた。しかし、曽ヶ端準の牙城は高く試合出場は叶わなかった。2011年12月4日、契約満了に伴い、次シーズンの契約を更新しないことが発表された。
奈良﨑 寛(ならざき ひろし、1981年6月1日 - )は、… 奈良﨑 寛(ならざき ひろし、1981年6月1日 - )は、日本の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。現在は、福岡大学サッカー部コンディショニングコーチを務めている。 2005年は、右サイドバックにコンバートされ、持ち前の俊足を活かした積極的な攻撃参加により活躍し、一時はスタメンの座を獲得した。しかし慣れない守備のためたびたび相手攻撃を許して失点に繋がることが多くなり、シーズン終盤には出場機会が大幅に減った。 2006年は、本来の攻撃的な位置で起用されたが、結果が残せず、オフに戦力外となった。 引退後は、サガン鳥栖の運営会社サガン・ドリームスの社員となり営業やサッカースクールのコーチとして活動した。
加藤 秀典(かとう ひでのり、1981年5月13日 - )は… 加藤 秀典(かとう ひでのり、1981年5月13日 - )は、三重県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。 四日市市立桜小学校、桜中学校、三重県立四日市中央工業高等学校を経て、福岡大学に入学。2004年にサガン鳥栖へ加入。2008年途中よりガイナーレ鳥取に期限付き移籍で加入し、2009年に完全移籍。2013年にヴィアティン桑名に移籍。 2019年7月に、ヴィアティン三重より松江シティFCに移籍した。2021年12月30日に、40歳で現役を引退し、翌シーズンより「FC神楽しまね」に改称される同クラブのアシスタントコーチを務めることが発表された。 2023年からヴィアティン三重アカデミースタッフに就任。
川原 周剛(かわはら しゅうごう、1980年2月14日 - … 川原 周剛(かわはら しゅうごう、1980年2月14日 - )は、岡山県倉敷市児島出身の元サッカー選手。ポジションはMF。 第79回と第80回の天皇杯で三回戦に進んだ福岡大学サッカー部のメンバーで、同時期に坪井慶介や杉山哲等もいた。 大学卒業後は、働きながら地元の三菱自動車水島FCでプレー。チームのJFL昇格に貢献した。 1年JFLでプレー後、2006年より同じ岡山県のファジアーノ岡山へ移籍。当時は格上のJFL所属クラブから地域リーグクラブに移籍したことで周囲を驚かせた[要出典]。 2007年からはキャプテンを務め、チームのJFL、J2昇格に貢献し2009年から念願のJリーガーとなった。2010年シーズン後に引退、翌年からファジアーノ岡山育成コーチに就任した。
吉村 和紘(よしむら かずひろ、1979年11月19日 - … 吉村 和紘(よしむら かずひろ、1979年11月19日 - )は、熊本県熊本市出身の元サッカー選手。
坪井 慶介(つぼい けいすけ、1979年9月16日 - )は… 坪井 慶介(つぼい けいすけ、1979年9月16日 - )は、東京都多摩市出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者、タレント。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表。 鶴牧サッカークラブ、東京小山FC、付知町立付知中学校、三重県立四日市中央工業高等学校から福岡大学を経て、2002年に浦和レッズに入団。同年のフェアプレー賞と新人賞を受賞。翌年にはベストイレブンに選出された。 2003年には日本代表にも招集。花王・「メンズビオレ」、カブドットコム証券などCMにも出演した。ナビスコカップ決勝で、前半終了間際にヘディングの競り合いでエメルソンと衝突し医務室に担ぎ込まれ、瞼の上を15針縫う大怪我を負うも強行出場し優勝に貢献した。
太田 恵介(おおた けいすけ、1979年4月24日 - )は… 太田 恵介(おおた けいすけ、1979年4月24日 - )は、静岡県静岡市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。福岡大学サッカー部でコーチを経て現在、佐賀県の龍谷高校サッカー部監督を務めている。 福岡大学在学中の2001年にユニバーシアード北京大会で日本代表に選出され、チームの優勝に貢献。2002年、その年J2に降格したばかりの福岡に入団した。2004年4月24日の大宮戦にて、古賀誠史からのフリーキックを得意の頭で合わせゴールを決めた際、ポストに腹部を強打し脾臓損傷という全治3ヶ月以上の大怪我を負うが同年8月1日の横浜FCより戦線復帰。2005年チームはJ1復帰を果たしたが、本人はJ1でプレーする事無く同年に戦力外通告を受ける。
吉本 岳史(よしもと たかふみ、1978年5月13日 - )… 吉本 岳史(よしもと たかふみ、1978年5月13日 - )は、高知県出身のサッカー選手、指導者。ポジションはDF、MF。
黒部 光昭(くろべ てるあき、1978年3月6日 - )は徳… 黒部 光昭(くろべ てるあき、1978年3月6日 - )は徳島県阿南市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。元日本代表。現在はJリーグ・徳島ヴォルティスの強化本部長を務める。 小学2年でサッカーを始める。徳島県立徳島商業高等学校時代、全国高校サッカー選手権大会徳島県大会で3年間連続して決勝へ勝ち進んだが全て準優勝だった。Jリーグクラブからのオファーはあったが、福岡大学へ進学。大学サッカー屈指のストライカーとして活躍し、ユニバーシアード(スペイン・マリョルカ大会)の日本代表にも選ばれた。大学では教員免許を取得した。 大学卒業後、京都パープルサンガに入団。 プロ1年目の2000年は三浦知良やへジスの陰に隠れていてゴールを決めることができなかったが、2年目の2001年には背番号9をもらい、この年41試合で日本人として驚異的な30ゴールを決めJ2ゴールランキング2位、日本人ゴールランキング1位に輝いた。
國保 塁(こくぼ るい、1976年11月3日 - )は、奈良… 國保 塁(こくぼ るい、1976年11月3日 - )は、奈良県天理市出身のサッカー指導者。 小学1年生時にサッカー始める。1992年に奈良育英高等学校へ進学。3年時にはDFとして、同期の藤井健太、楢﨑正剛と共に選手権に出場し、ベスト4入りした。1995年に福岡大学へ進学したが、2度の膝の手術により競技を断念した。同大学院に進み、サッカー部コーチを務めつつ運動生理学や体力学などを修得した。 2003年、Jリーグ・FC東京に普及部コーチとして加入。働きが認められ、2004年よりトップチームのフィジカルコーチを務め、2007年にB級ライセンスを取得。2010年にはU-18Jリーグ選抜のコーチを務めた。
前田 義貴(まえだ よしき、1975年8月29日 - )は、… 前田 義貴(まえだ よしき、1975年8月29日 - )は、佐賀県出身の元プロサッカー選手。ポジションはGK。 佐賀県杵島郡白石町出身。龍谷高校から福岡大学に進み、在学中の1997年にサガン鳥栖に入団。2001年まで在籍。翌2002年はアルエット熊本に半年在籍の後引退した。引退後の2003年、Jリーグキャリアサポートセンターの紹介でサッカーの雑誌やウェブなどを扱うフロムワンに入社。編集者として『CALCIO 2002』、『soccerz』(副編集長)などを担当したほか、多目的フットサルコート『キャプテン翼スタジアム』の支配人を務めた。また同時にスカパー!サッカー中継のレポーターとしても活動し、2006年ドイツワールドカップカウントダウン番組や、Jリーグのピッチレポーターを担当している。
大久保 誠(おおくぼ まこと、1975年5月3日 - )は、… 大久保 誠(おおくぼ まこと、1975年5月3日 - )は、日本の元サッカー選手、指導者。長崎県出身。現・BRISTOLサッカースクール代表。 福岡大学在学中の1997年にはユニバーシアード代表シチリア大会の日本代表に選ばれている。 大学を卒業後1998年にサンフレッチェ広島に加入。同期入団は、石川裕司、池端陽介、植田元輝、大畑隼哉、行友亮二、秋元雅博、山下一弥。主力として入団当初から攻撃的なMFで試合出場し、周囲にも期待されていたが、度重なる怪我に加え、その年の途中から加入した山口敏弘、翌年に加入した藤本主税のためにレギュラー確保にまでいたらなかった。2000年に怪我が原因で引退。 その後は地元へ帰っていたが、2004年から2008年まで名古屋グランパスエイト下部組織のコーチとして活躍。
柴 暢彦(しば のぶひろ、1974年4月18日 - )は、大… 柴 暢彦(しば のぶひろ、1974年4月18日 - )は、大阪府出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。 福岡大学時代にはユニバーシアード日本代表に選ばれ、1995年ユニバーシアード福岡大会に優勝した。1997年に当時JFLの大分トリニティに加入。J2が新たに発足した1999年からはアルビレックス新潟に4シーズン所属し、J2リーグで65試合に出場した。2003年の関東2部のザスパ草津でプレーを最後に一時引退した。 引退後は街クラブで小中学生の指導にあたっていたが、2008年に将来的なJリーグ入りを目指す関西2部のアルテリーヴォ和歌山の選手兼任監督に就任した。
仁田尾 博幸(にたお ひろゆき、1973年11月27日 - … 仁田尾 博幸(にたお ひろゆき、1973年11月27日 - )は鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。 1989年、鹿児島実業高校に入学。2年次に出場した全国高校選手権では大会を通して好セーブを連発し、準決勝武南戦のPK戦では相手の3人目までのキッカーを全員止めて鹿実高初の決勝進出及び準優勝に貢献。同期には前園真聖、藤山竜仁らがいた。1992年に福岡大学へ進学し、4年次の1995年にはユニバーシアードに参加。掛川誠とポジションを争った。 1996年に横浜フリューゲルスへ入団。しかしレギュラーには加われず、同年中にジェフ市原へ移籍。1998年には横浜Fの解散と天皇杯優勝を経験した。
若松 賢治(わかまつ けんじ、1972年8月16日 - )は… 若松 賢治(わかまつ けんじ、1972年8月16日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手(FW)、指導者(JFA B級コーチ)。登録名は「若松 賢治」 小学3年生から本格的にサッカーを始め、当初はゴールキーパーとしてプレーする。中学2年時からFWに転向、以降現役時代はポストプレーを得意とした。 鹿児島実業高等学校出身。同級生に笛真人、2期先輩に岩元洋成、1期先輩に片野坂知宏、1期後輩に前園真聖・仁田尾博幸・藤山竜仁、2期後輩に笹原義巳がいる。高校3年の時にエースとして第69回全国高等学校サッカー選手権大会準優勝に導いた。 1991年に福岡大学へ進学し、バルセロナ五輪代表候補にも選ばれている。 1991年から練習参加していたものの、1992年ヤマザキナビスコカップではサンフレッチェ広島の選手として登録されていない。
西形 浩和(にしがた ひろかず、1972年6月15日 - )… 西形 浩和(にしがた ひろかず、1972年6月15日 - )は、静岡県出身のサッカー指導者。 福岡大学大学院ではコーチ学を専攻し、2004年からは大分トリニータのフィジカルアシスタントコーチに就任。2006年に湘南ベルマーレへ移り、育成部やフットサルクラブでフィジカルコーチを務めた。2012年よりトップチームのS&Cコーチに就任。
大西 貴(おおにし たかし、1971年10月16日 - )は… 大西 貴(おおにし たかし、1971年10月16日 - )は愛媛県出身の元サッカー選手(DF)、サッカー指導者。
吉永 一明(よしなが かずあき、1968年3月17日 - )… 吉永 一明(よしなが かずあき、1968年3月17日 - )は、福岡県北九州市出身のサッカー指導者。 中学生からサッカーを始め、福岡県立八幡中央高校2年時に県大会準優勝を経験。福岡大学卒業後に三菱養和のコーチに就任。アビスパ福岡・清水エスパルスでの指導を経て、2007年からサガン鳥栖のコーチ兼育成部統括、08年は育成部統括兼U-18監督、2004年にJFA 公認S級コーチのライセンスを取得した。2009年より山梨学院大学附属高校(現・山梨学院高校)サッカー部ヘッドコーチに就任。同校の第88回全国高校サッカー選手権初出場初優勝に実質監督として貢献し、2010年度より監督に就任。 2016年よりヴァンフォーレ甲府のコーチに就任した。
高本 詞史(たかもと のりふみ、1967年12月31日 - … 高本 詞史(たかもと のりふみ、1967年12月31日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。日本サッカー協会A級ライセンスを所有している。現役時代のポジションはDF。 福岡大学を卒業後、東芝サッカー部に入団。東芝在籍中の1991年6月にキリンカップサッカーの日本代表にも選出された。 1993年に名古屋グランパスエイトへ移籍し、開幕節にも出場した。1994年に京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に移籍して1996年に現役を引退した。 1997年、京都のジュニアコーチに就任。以降はジュニア監督やアカデミーセンターセンター長などアカデミーの職を歴任し、2014年には京都の育成部チーフスカウト兼強化部スカウトを務めた。
牧内 辰也(まきうち たつや、1964年1月30日 - )は… 牧内 辰也(まきうち たつや、1964年1月30日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、指導者(JFA 公認S級コーチ)。 鹿児島商時代に全国高等学校サッカー選手権大会に出場、大会優秀選手に選ばれている。当時はMF。福岡大学を卒業後、1986年に全日空横浜サッカークラブ(のちに全日空サッカークラブに改名、横浜フリューゲルスの前身)へ入団、DFとしてモネール、反町康治、前田治、冨嶋均らとプレーした。1992年、現役を引退した。 1995年、アーセン・ベンゲル率いる名古屋グランパスエイトに入団、主にサテライトのスタッフとして活躍する。1996年に日本サッカー協会公認B級ライセンスを取得した。 2000年、アビスパ福岡育成部門責任者に就任。
森 正明(もり まさあき、1961年7月12日 - )は、長… 森 正明(もり まさあき、1961年7月12日 - )は、長崎県出身の元サッカー選手、サッカー指導者、政治家。自由民主党所属の神奈川県議会議員(6期)。 福岡大学を卒業後にフジタ工業に入団。1988年5月29日のCRフラメンゴ戦でサッカー日本代表として初めて出場した。 1999年に自由民主党公認で神奈川県議会議員選挙(平塚市選挙区、現在は6期目)に当選し、2016年5月から2017年5月までは同議会議長を務めた。フジタ工業を前身とする湘南ベルマーレの試合やイベントにも度々顔を見せている。
小林 幸一(こばやし こういち、1960年5月5日 - )は… 小林 幸一(こばやし こういち、1960年5月5日 - )は福岡県出身の元サッカー選手。ポジションはFW(センターフォワード)。 大学卒業後の1983年にフジタ工業(現在の湘南ベルマーレ)に加入。当時のフジタのFWは長年エースとして活躍したカルバリオは移籍していたものの、手塚聡、谷中治、吉浦茂和ら厚い選手層を有しており、当初は出場機会に恵まれなかった。3年目の1985年シーズンに身体能力の高さを買われてレギュラーの座を掴み10得点を上げ得点ランキングの4位に入るなど、リーグ戦4位の原動力となった。 翌シーズンからは再び控えに回る事が多くなったが、1988年に監督に就任した石井義信が従来の南米路線から欧州路線(イングランドスタイル)のサッカーへ転換を試みた事もあってレギュラーへ復帰を果たし1988-89シーズンに9得点を挙げ得点ランク4位となり、リーグ戦4位に貢献した。