西村 二郎(にしむら じろう、1903年10月28日 - 1… 西村 二郎(にしむら じろう、1903年10月28日 - 1999年12月30日)は、日本の経営者。新潟日報社社長を務めた。 東京都出身。1928年に東京商科大学を卒業。電通、同盟通信社での勤務を経て、1944年に新潟日報社取締役に就任し、1950年に社長に就任。1967年に会長に就任し、1980年9月に相談役を経て、1984年4月には顧問に就任。 1974年4月に勲二等旭日重光章を受章。 1999年12月30日肺炎のために死去。96歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
水上 達三(みずかみ たつぞう、1903年〈明治36年〉10… 水上 達三(みずかみ たつぞう、1903年〈明治36年〉10月15日 - 1989年〈平成元年〉6月16日)は、日本の実業家。 山梨県北巨摩郡清哲村字青木(現・韮崎市)に農業水上勘三郎・千鶴夫妻の五男として生まれる。水上家は江戸時代、庄屋を務めた家系という。国文学者の清水泰は実兄。 旧制甲府中学校(現山梨県立甲府第一高等学校)を経て、1928年東京商科大学(現一橋大学)卒。大学の同期には三井物産副社長や東レ副社長等を務めた町田栄次郎、三菱地所社長を務めた伊藤達二、松下電器理事を務めた乗松健二、第一電工社長等を務めた松原美義がいる。 1928年三井物産入社。高崎派出所駐在員を命ぜられ、以後6年間を同地で過ごす。
矢口 孝次郎(やぐち たかじろう、1903年10月4日 - … 矢口 孝次郎(やぐち たかじろう、1903年10月4日 - 1978年11月12日)は、日本の経済学者。関西大学教授、第22代関西大学学長、第4期・6期・7期・8期日本学術会議会員、文部省の学術奨励審議会専門委員等を歴任。 長野県松本市出身。旧制松本商業学校を経て、1927年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。1928年関西大学専任講師、助教授を経て1934年関西大学教授となった。1959年に関西大学第22代学長、1974年より大阪商業大学教授。神戸商業大学の宮下孝吉、大阪商科大学の五島茂とともに関西におけるイギリス経済史研究をリードした。学外においては、1937年社会経済史学会の評議員に選ばれ、 理事、 常務理事を歴任。 戦後、1950年には日本西洋史学会評議員を務めるなど学会の発展に尽くした。
今井 忍(いまい しのぶ、1903年9月26日 - 1976… 今井 忍(いまい しのぶ、1903年9月26日 - 1976年)は、日本の会計学者。 島根県松江市出身。1931年東京商科大学卒。1962年「原価管理の基礎理論と生産技術との関連性に関する研究」で中央大学商学博士。1937年三菱化成工業勤務、1942年海軍省嘱託、日本原価計算協会常務理事、1946年物価庁参与、経済安定本部委員、1949年千葉工業大学教授、1951年中央大学教授、1963年成蹊大学教授。1975年退職。
久武 雅夫(ひさたけ まさお、1903年(明治36年)9月2… 久武 雅夫(ひさたけ まさお、1903年(明治36年)9月24日 - 2003年(平成15年)10月8日)は、日本の経済学者。専門は数理経済学。学位は、経済学博士(1958年)(学位論文「価格理論の基礎」)。一橋大学名誉教授。国際基督教大学第3代学長。 高知県生まれ。東京商科大学(現一橋大学)卒、同教授、一橋大学教授、1951年に佐藤信吉らと商業数学研究会(のちの日本経営数学会)を設立。1958年「価格理論の基礎」で経済学博士の学位を取得。1965年定年退官、名誉教授、1967年から69年まで国際基督教大学学長、名誉教授、駒澤大学教授、1981年定年。日本数理経済学会会長。2003年10月8日、急性呼吸不全のため川崎市川崎区の病院で死去。
正田 英三郎(しょうだ ひでさぶろう、1903年9月21日 … 正田 英三郎(しょうだ ひでさぶろう、1903年9月21日 - 1999年6月18日)は日本の実業家。群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)出身。
佐藤 勇二(さとう ゆうじ、1903年9月15日 - 197… 佐藤 勇二(さとう ゆうじ、1903年9月15日 - 1977年12月4日)は、日本の実業家。三菱自動車工業初代社長。 広島県福山市出身。山口高等商業学校を経て、旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。 三菱造船勤務、水島航空機製作所業務部長、水島機器製作所営業部長、三菱重工業副社長などを経て、1970年三菱自動車工業初代社長に就任。クライスラーとの提携を実現。合弁事業を行い、アメリカへの進出を進め、1971年には北米のクライスラーチャンネルでコルトギャランの発売を開始。 1977年12月4日世田谷区の橋本病院で肝硬変のため死去。享年74。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
石田 磊(いしだ らい、明治36年(1903年)9月8日 -… 石田 磊(いしだ らい、明治36年(1903年)9月8日 - 昭和62年(1987年))は、日本の商工官僚・実業家。通産省鉱山局長。 鳥取県米子市明治町出身。石田悦の長男。 大正14年(1925年)、文官高等試験行政科に合格。昭和2年(1927年)東京商科大学(現一橋大学)卒。商工省に入省。 昭和15年(1940年)博覧会主任官として渡米、昭和16年(1941年)より満州国政府招聘、昭和20年(1945年)商工省復帰、鉱山局長、大阪商工局長を歴任。 昭和24年(1949年)退官、同年平仙レース(株)顧問、大日実業(株)取締役、昭和28年(1953年)カナダ国トロント市国際見本市に参加、欧米各国を歴訪した。
古我 周二(こが しゅうじ、1903年 <明治36年> 7月… 古我 周二(こが しゅうじ、1903年 <明治36年> 7月25日 - 1983年 <昭和58年> 8月15日)は、日本の経営者。滋賀県出身。位階は従四位。 1929年に東京商科大学本科を卒業し、同年に横浜護謨製造に入社。取締役、常務、専務を経て、1959年に日本ゼオン副社長に就任し、1966年11月には社長に昇格。1972年5月に会長に就任。 1970年4月に藍綬褒章を受章し、1977年5月に勲三等旭日中綬章を受章。 1983年8月15日 脳梗塞のために死去。80歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
芦田 泰三(あしだ たいぞう、1903年7月10日 - 19… 芦田 泰三(あしだ たいぞう、1903年7月10日 - 1979年10月18日)は、日本の実業家。住友生命保険元社長・会長。 明治36年(1903年)、兵庫県生まれ。昭和2年(1927年)、東京商科大学(現一橋大学)を卒業、同年住友生命入社。京都、ソウル、福岡などの支店長、人事部長、営業部長を歴任し、昭和22年(1947年)財閥解体により名称変更された国民生命保険社長に就任。昭和27年(1952年)もとの社名に改称、昭和41年(1966年)には会長。 源氏鶏太から『三等車に乗る一等重役』と称賛されたという。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
中村 清(なかむら きよし、1903年(明治36年)5月25… 中村 清(なかむら きよし、1903年(明治36年)5月25日 – 1993年(平成5年)11月15日)は、日本の内務官僚、政治家。三重県副知事、衆議院議員(2期)。 三重県志摩郡鵜方村、のちの阿児町鵜方(現志摩市阿児町鵜方)で、中村市太郎の二男として生まれる。専検合格を経て、1929年、東京商科大学本科を卒業。1928年10月、高等試験行政科試験に合格。1929年、内務省に入省し警視庁属兼警部に任官し保安部工事課に配属された。 以後、沖縄県警察部特別高等課長、茨城県警察部特別高等課長、警視庁警視、麻布鳥居坂警察署長、岡山県商工水産課長兼知事官房秘書課長、同人事課長、千葉県警察部特別高等課長、京都府警察部特別高等課長、島根県経済部長などを歴任。
内多 蔵人(うちた くらうと、1903年5月1日 - 198… 内多 蔵人(うちた くらうと、1903年5月1日 - 1980年10月6日)は、日本の経営者。富山県高岡市出身。 1927年に東京商科大学を卒業し、同年に大日本麦酒に入社。1949年に日本麦酒(のちのサッポロビール)に移り、東京支店長、理事、取締役を経て、1961年に常務に就任し、1967年2月に副社長に就任した。1971年2月に社長に昇格し、1973年2月には会長に就任した。 1980年10月6日台湾台北市で旅行中に脳溢血のために死去。77歳没。
山辺 六郎(山邊 六郎、やまべ ろくろう、1903年5月1日… 山辺 六郎(山邊 六郎、やまべ ろくろう、1903年5月1日 - 1983年1月18日)は、日本の会計学者。 東京市浅草区生まれ。1931年東京商科大学(現一橋大学)卒、1961年「原価計算論 管理会計としての原価計算」で一橋大学より商学博士の学位を取得。1931年横浜専門学校教授、1935年長崎高等商業学校教授、1949年学制改革により長崎大学経済学部教授となり、1950年横浜国立大学経済学部教授兼横浜経済專門学校教授兼九州大学講師兼長崎経済專門学校講師、1951年企業会計基準審議会臨時委員、1953年公認会計士審査会(第二次)試験委員、1963年学部長、1966年定年退官し名誉教授、1969年青山学院大学教授、1972年亜細亜大学教授となる。
小原 敬士(おはら けいじ、1903年4月27日 - 197… 小原 敬士(おはら けいじ、1903年4月27日 - 1972年3月26日)は、日本の経済史学者、経済地理学者。専門はアメリカ経済で、一橋大学経済研究所所長、アメリカ学会会長、経済地理学会会長等を歴任した。学位は、経済学博士(一橋大学・論文博士・1962年)。 静岡県浜名郡浜名町で誕生する。名古屋市立名古屋商業学校を経て、神戸高等商業学校(現神戸大学)に進み、さらに東京商科大学(現一橋大学)に入学して、金子鷹之助に師事して外国経済史を学ぶ。 1929年大学卒業、同年横浜市立商業専門学校(現横浜市立大学)助教授。同教授を経て、1938年に早瀬利雄とともに治安維持法違反で寿町警察署に連行され、1941年から休職となり、1942年に懲役2年執行猶予3年の裁判が確定し失職し、金融経済研究会研究主任となった。
片野 一郎(かたの いちろう、1903年4月4日 - 198… 片野 一郎(かたの いちろう、1903年4月4日 - 1983年6月2日)は会計学者。一橋大学名誉教授、商学博士。高瀬荘太郎門下で貨幣価値変動会計などを研究テーマとした。第7期日本学術会議会員等も務めた。 1903年、東京府東京市小石川区白山前町(現東京都文京区白山)生まれ。京華商業学校(現京華商業高等学校)、京北実業学校(後の京北学園白山高等学校)を経て、1928年東京商科大学(現一橋大学)附属商学専門部を卒業。1931年、同大学学部を卒業。在学中は高瀬荘太郎ゼミで学ぶ。 卒業後は、京北実業学校教諭を経て、1938年鹿児島高等商業学校(現鹿児島国際大学)教授。1940年善隣高等商業学校(のちの日本商科大学)教授。
印南 博吉(いんなみ ひろきち、1903年4月1日 - 19… 印南 博吉(いんなみ ひろきち、1903年4月1日 - 1990年5月9日)は、経済学・保険学者。明治大学名誉教授、創価大学名誉教授。明治大学商学部長、全国生活協同組合連合会の初代理事長等を歴任。 栃木県出身。栃木県立大田原中学校(現・栃木県立大田原高等学校)卒、東京商科大学(現一橋大学)卒業。田中外次初代住友金属鉱山社長は志田鉀太郎ゼミの同期。1955年「保険本質論の再吟味」で明治大学より商学博士の学位を取得。明治大学商学部助教授、教授、学部長、1971年名誉教授、創価大学教授、1982年名誉教授。1982年から87年まで全国生活協同組合連合会の初代理事長を務め、一般の人が低額で加入できる生命共済事業を全国的に広めた。
岩田 蒼明(いわた そうめい、1903年(明治36年)3月1… 岩田 蒼明(いわた そうめい、1903年(明治36年)3月1日 - 1980年(昭和55年)5月31日)は、日本の実業家。日本陶器取締役社長や、同社取締役会長、中部生産性本部会長などを務めた。旧名:岩田莊一。 1926年に東京商科大学(現一橋大学)専門部卒業後、日本陶器に入社し、水品浩からハーマン・ホレリス式統計機第1号機の操作を学び、会計処理の機械化を行うなどした。1944年取締役に昇格。1945年常務取締役。1950年専務取締役。1956年取締役副社長。1961年から取締役社長を務め、アメリカ市場開拓を進めた。1965年日本特殊陶業取締役、日本碍子取締役、東洋陶器取締役。1973年中部生産性本部会長。
永井 大三(ながい だいぞう、1903年(明治36年)1月2… 永井 大三(ながい だいぞう、1903年(明治36年)1月20日 - 1988年(昭和63年)1月20日)は、日本の実業家。社長不在時の朝日新聞社で常務取締役業務局長としてトロイカ体制を敷いたが村山事件で解任された。 広島県出身。1927年旧制東京商科大学(現一橋大学)を卒業し、朝日新聞社に入社。 販売部門を歩み売上を伸ばし、1947年に販売及び広告を統括する業務局長に就任。業務局長のまま、1951年から取締役、1956年から常務を兼任し、社長不在の中で、信夫韓一郎専務、笠信太郎論説主幹とトロイカ体制を敷いた。 この間、1952年から東京放送取締役を兼務。1961年に復帰した村山長挙社長と対立し、1963年の村山事件で退任して朝日新聞社社友となる。
加瀬 俊一(かせ としかず、1903年(明治36年)1月12… 加瀬 俊一(かせ としかず、1903年(明治36年)1月12日 - 2004年(平成16年)5月21日)は、日本の外交官、外交評論家。第二次世界大戦前後に活躍し、国際連合加盟後初の国連大使や外務省顧問、内閣総理大臣顧問などを歴任した。外交評論家の加瀬英明は息子。
加瀬 俊一(かせ としかず、1903年(明治36年)1月12… 加瀬 俊一(かせ としかず、1903年(明治36年)1月12日 - 2004年(平成16年)5月21日)は、日本の外交官、外交評論家。第二次世界大戦前後に活躍し、国際連合加盟後初の国連大使や外務省顧問、内閣総理大臣顧問、日本を守る国民会議議長などを歴任した。外交評論家の加瀬英明は息子であり、オノ・ヨーコは姪。 終戦時にポツダム宣言受諾の日本政府の決定を連合国側に通知したスイス駐在公使の加瀬俊一(しゅんいち)(1956年死去)とは同姓同名の別人である。外務省内では入省年度が早い(1920年入省)彼と区別するため「小加瀬」とも称された。 1903年(明治36年)に最年少代議士・弁護士・中央大学副学長であった父・加瀬禧逸の五男として千葉県旭町(現在の千葉県旭市大田)に生まれた。
山田 雄三(やまだ ゆうぞう、1902年12月20日 - 1… 山田 雄三(やまだ ゆうぞう、1902年12月20日 - 1996年5月25日)は、日本の経済学者(理論経済学)、一橋大学名誉教授。社会保障研究所長、国民年金審議会会長等を歴任。池田内閣の所得倍増計画に参画した。 山梨県出身。1927年旧制東京商科大学(現一橋大学)卒業。福田徳三門下。1929年同助手、1934年同予科教授、1935年助教授、1941年教授。1944年東京商科大学附属図書館長。1949年から1963年までは東京経済大学教授を兼任。一橋大学教授、1955年一橋大学経済学部長。66年定年退官。社会保障研究所(現国立社会保障・人口問題研究所)初代所長。96年従三位。 1951年「日本国民所得推計資料」は国民所得分析の先駆的業績。
松本 正雄(まつもと まさお、1902年12月6日 - 19… 松本 正雄(まつもと まさお、1902年12月6日 - 1996年1月4日)は、日本の弁護士、最高裁判所判事。第二東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長、最高裁判所判事、国家公安委員等を務め、1972年勲一等旭日大綬章受章。 愛媛県出身。1919年神奈川県立第一横浜中学校(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)卒業。1926年に旧制東京商科大学(一橋大学の前身)卒業後、古河電気工業に入社するも、「自由を志し」同社を退社し、1929年東京府立第一商業学校(現東京都立第一商業高等学校)講師に着任。1930年に弁護士登録。弁護士としては、保全経済会事件で破産管財人を務めるなど、主に民商事事件を手がけた。法曹一元制論者としても知られる。
小椋 広勝(おぐら ひろかつ、1902年11月19日 - 1… 小椋 広勝(おぐら ひろかつ、1902年11月19日 - 1968年11月6日)は、日本の経済学者。東京出身。東京商科大学(現在の一橋大学)卒。共産党系の文化団体・プロ科で活動しつつ法政大学商業学校(現在の法政大学中学高等学校の前身のひとつ)で教えるが、1928年、三・一五事件で検挙され退職。1937年、同盟通信社に入社。戦後はレッドパージにあい、世界経済研究所理事、1959年、立命館大学教授。在職中に死去。
大橋 英吉(おおはし えいきち、1902年11月18日 - … 大橋 英吉(おおはし えいきち、1902年11月18日 - 1987年9月23日)は、日本の実業家。元いすゞ自動車社長。勲二等瑞宝章。 岐阜県出身。1920年旧制岐阜中学校(のちの岐阜県立岐阜高等学校)卒業。のちに第三代在京岐阜高校同窓会会長を務めた。 1928年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業後、東京石川島造船所自動車部(のちのいすゞ自動車)に入る。 1965年いすゞ自動車社長に就任。自動車業界再編の中、1966年に富士重工業と提携。同年藍綬褒章受章。1970年に日産自動車と提携。 1970年日産自動車との提携を機に社長を退任。この退任は、ワンマン社長として知られた大橋が、同じくワンマン社長として知られ、大学の1年後輩である、日産自動車の川又克二社長に主導権を握られるのを嫌ったことが理由との見方もされた。
小宮 孝(こみや たかし、1902年11月15日 - 197… 小宮 孝(こみや たかし、1902年11月15日 - 1975年11月16日)は、日本の経済学者。関西学院高等商業学部教授、関西学院大学経済学部教授、同学院院長などを歴任した。 神奈川県横浜市出身。兵庫県立神戸商業学校(現:兵庫県立神戸商業高等学校)、第一神港商業学校(現:神戸市立神港高等学校)を経て、1929年(昭和4年)に、東京商科大学(現:一橋大学)卒業後、関西学院高等商業学部(のちの関西学院高等商業学校、現関西学院大学経済学部・商学部)の経済学担当教授に就任した。 関西学院初代教職員組合長、初代宗教活動委員会委員長を経て、1950年(昭和25年)から1954年(昭和29年)まで関西学院大学経済学部長を務めるなどし、関西学院におけるキリスト教活動の活性化及び民主化に尽力した。
小林 茂(こばやし しげる、1902年(明治35年)9月28… 小林 茂(こばやし しげる、1902年(明治35年)9月28日 - 1988年(昭和63年)10月23日)は、日本の実業家。東京創元社を設立し、同社社長や会長を務めた。 東京商科大学(現一橋大学)卒業。創元社東京支社長を経て、創元社東京支社が独立して設立された同名の創元社が倒産したため、これを再建し、1954年に東京創元社を設立。同社社長や、会長を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
高橋 朝次郎(たかはし あさじろう、1902年9月24日 -… 高橋 朝次郎(たかはし あさじろう、1902年9月24日 - 1976年8月5日)は、日本の実業家。キリンビール代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。広島県広島市出身。 広島市立本川小学校、旧制広島一中を経て、1927年東京商科大学(現一橋大学)卒業、キリンビール入社。1942年営業部第一部長。1943年営業部第一部長兼東京支店長。1944年麦酒配給統制出向。1948年酒類配給公団理事。1949年酒類配給公団解散に伴い、キリンビールに復帰し、同社取締役営業部長に就任。1953年取締役営業部長兼宣伝部長。1958年常務取締役営業部長。1966年専務取締役。1969年から代表取締役社長を務め、史上最高の63.8パーセントの市場シェアを獲得。
新庄 博(しんじょう ひろし、1902年8月16日 - 19… 新庄 博(しんじょう ひろし、1902年8月16日 - 1978年11月17日)は、日本の経済学者。専攻は、金融論・国際金融論。神戸大学経済学部教授・関西学院大学商学部教授を歴任。 京都市立第一商業学校(現:京都市立西京高等学校)の級友に野村寅三郎神戸大学名誉教授がいた。同校を経て、神戸高等商業学校(現:神戸大学)卒業後、東京商科大学(現:一橋大学)に入り、高垣寅次郎の下で金融論を専攻。テニス部出身。1928年(昭和3年)に卒業し、神戸高等商業学校講師となる。その後、同校の昇格に伴い神戸商業大学助教授、神戸経済大学教授、神戸大学経済学部教授として勤務。 門下生には、神戸大学名誉教授・三木谷良一(神戸大学名誉教授)、則武保夫(神戸大学名誉教授)、千田純一(名古屋大学名誉教授)、片山貞雄(滋賀大学名誉教授)などがいる。
富永 祐治(とみなが ゆうじ、1902年(明治35年)3月2… 富永 祐治(とみなが ゆうじ、1902年(明治35年)3月29日 - 1997年7月25日)は、日本の交通経済学者。大阪市立大学経済学部名誉教授。 東京商科大学(のち一橋大学)卒、大塚金之助に師事。1929年大阪商科大学付属大阪市経済研究所勤務、1933年大阪商大助教授、教授、1953年「交通における資本主義の発展」で大阪商大経済学博士、大阪市立大学経済学部教授、1965年定年退官、名誉教授。都市交通研究所長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
久保田 貫一郎 (くぼた かんいちろう、1902年(明治35… 久保田 貫一郎 (くぼた かんいちろう、1902年(明治35年)3月2日 - 1977年(昭和52年)7月14日)は、日本の外交官。外務省参与やカンボジア国最高顧問、駐南ベトナム大使を務めた。 和歌山県出身。進路に海軍兵学校か外交官か悩んだ末に外交官を志し、1924年に東京商科大学(一橋大学の前身)に入学。同校を中退し、外務省入省。 1953年(昭和28年)に日韓会談で日本側首席代表を務めた。その後、在メキシコ特命全権大使を務め、1957年(昭和32年)の帰任時には、メキシコ国内の事情を昭和天皇に進講した。さらに在南ベトナム特命全権大使等を務めた。 妻清子は石井菊次郎(元外務大臣)の子。 日韓基本条約に向けての日韓会談で、韓国併合が結果的にインフラ投資等で韓国の生活水準向上に貢献したと発言し、韓国から「久保田妄言」として反発された。
松野 賢吾 (まつの けんご、1902年2月28日 - 19… 松野 賢吾 (まつの けんご、1902年2月28日 - 1993年11月9日)は、日本の経済学者。松野新次郎の長男。熊本県八代市生まれ、神奈川県湯河原で逝去。
片岡 久兵衛(久兵衞、かたおか きゅうべえ、1902年 <明… 片岡 久兵衛(久兵衞、かたおか きゅうべえ、1902年 <明治35年> 1月30日 - 1988年 <昭和63年> 10月11日)は、日本の経営者、銀行家。京都銀行頭取を務めた。京都府福知山市出身。位階は従五位。 1923年に東京商科大学を卒業。1946年に京都銀行の前身である丹和銀行頭取に就任。1972年に相談役を経て、1980年には顧問に就任。 1988年10月11日急性呼吸不全のために死去。86歳没。死没日付をもって従五位に叙された。
2代目玉塚 栄次郎(たまつか えいじろう、1902年1月9日… 2代目玉塚 栄次郎(たまつか えいじろう、1902年1月9日 - 1962年11月22日)は、日本の実業家。玉塚證券社長・会長、日本証券業協会会長、東京証券取引所理事長を歴任。 東京市日本橋生まれ。旧姓は山崎。初代玉塚栄次郎の養子となり、1925年東京商科大学(現一橋大学)卒業、玉塚證券入社。玉塚證券社長・会長、玉塚不動産社長、日本証券業協会会長などを歴任。1955年から1957年まで東京証券取引所理事長を務めた。 1962年日本医科大学付属第一病院で胃癌のため死去。享年60。酒が飲めず、地味な性格で、夜の付き合いが苦手なため、敵がいないと評された。 玉塚證券で役員を務めた玉塚和男は子息。ローソン社長などを務めた玉塚元一は孫。
土井 末夫(どい すえお、1902年〈明治35年〉1月6日 … 土井 末夫(どい すえお、1902年〈明治35年〉1月6日 - 1976年〈昭和51年〉6月5日)は、日本の実業家、銀行家。第2代佐賀銀行頭取。東邦海運(現:NSユナイテッド海運)元常務。小幡亜鉛鍍金工場元常務。佐賀商工会議所元会頭。佐賀県テニス協会元会長。従五位勲四等旭日小綬章受章者。 佐賀県佐賀郡川副町(現:佐賀市川副町)出身。佐賀市在籍。1927年(昭和2年)東京商科大学を卒業し、同年4月日本興業銀行に入行。 1937年(昭和12年)3月満洲興業銀行に出向。1941年(昭和16年)5月復帰。1946年(昭和21年)7月庶務部長となり、1948年(昭和23年)12月理事に選ばれ、後取締役と改称。
燕石 猷(えんせき ゆう、 1901年(明治34年)12月2… 燕石 猷(えんせき ゆう、 1901年(明治34年)12月22日 - 1974年(昭和49年)11月9日)は、日本の詩人。本名は岸野 知雄。 東京市本所区(現・東京都墨田区)に生まれる。東京府立第三中学校(現・東京都立両国高等学校)を経て、東京商科大学(現・一橋大学)在学中から日夏耿之介に師事し、1922年同大学予科を卒業した。 1925年に同大学本科2年を修了後、三省堂に入社し、同社資料室長、営業部長などを務めた。 蒐集したウィリアム・バトラー・イェイツ初版本を含むアイルランド文学関連のコレクションは一橋大学附属図書館に岸野文庫として収蔵された。
田中 百畝(たなか ひゃっぽ、1901年12月1日 - 19… 田中 百畝(たなか ひゃっぽ、1901年12月1日 - 1964年2月11日)は、日本の実業家。京浜急行電鉄社長、京浜百貨店社長。広島県世羅郡津名村下津田(現:世羅町下津田)出身。 教育者を志し1927年、東京商科大学(現:一橋大学)教員養成所を卒業。 教職にあったが1932年、京浜電気鉄道(現:京浜急行電鉄)に入社。1939年同社常務、東京地下鉄道専務、東京急行電鉄専務を経て、1946年京浜百貨店(現:京急ストア)社長に就任。 戦後、京急の大東急からの分離独立運動に尽力。1948年京浜急行電鉄発足後の1950年、同社社長に就任。川崎鶴見臨港バスの買収、都営地下鉄との提携による都心乗り入れ、平和島温泉の建設、三浦半島の開発など沿線地域の開発に敏腕を振るい京急発展の礎を築いた。
田中 外次(たなか そとじ、1901年(明治34年)11月7… 田中 外次(たなか そとじ、1901年(明治34年)11月7日 - 1992年(平成4年)10月27日)は、日本の実業家。初代住友金属鉱山社長。元日本鉱業協会会長。旧姓は水谷。 長崎県長崎市に生まれる。旧制長崎県立長崎中学校(1919年卒業)を経て、1926年に東京商科大学(現・一橋大学)本科を卒業した。印南博吉(明治大学名誉教授)は志田鉀太郎ゼミの同期である。 また、坐禅クラブの「一橋如意団」に所属し、古川尭道門下で、円覚寺での禅の修行で知り合った草鹿任一の勧めで、大学卒業後は住友合資会社に入社した。 1927年に住友合資会社別子鉱業所が独立して設立された住友別子鉱山に入社。住友別子鉱山が住友炭砿と合併して改組された住友鉱業の総務部長や、同社が商号変更した井華鉱業取締役を経て、1947年井華鉱業の専務取締役となる。
浦松 佐美太郎(うらまつ さみたろう、1901年10月1日 … 浦松 佐美太郎(うらまつ さみたろう、1901年10月1日 - 1981年12月23日)は、日本のジャーナリスト・登山家。 今日では本業のジャーナリストとしてよりも、登山家・山岳作家としての仕事で知られている。 1919年、旧制芝中学校卒業後、東京商科大学(現・一橋大学)卒業。ロンドンに留学して近代登山に出会い、帰国後『たった一人の山』((1941年刊)など、山岳紀行の分野を開拓する。 ジャーナリストとしては日本太平洋問題調査会に参加し、1929年京都で開かれた「太平洋会議」(太平洋問題調査会の国際会議)の後、その争点を検討する「東京政治経済研究所」を蠟山政道・松本重治・牛場友彦らとともに設立し、近衛文麿の外交問題ブレインを形成した。
北沢 直吉 (きたざわ なおきち、1901年9月25日 - … 北沢 直吉 (きたざわ なおきち、1901年9月25日 - 1981年7月19日)は、日本の外交官、政治家。衆議院議員、外務省参与、内閣官房副長官を務めた。 茨城県筑波郡大穂村大字長高野(現在のつくば市長高野)生まれ。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)から東京商科大学(現在の一橋大学)に進学し、1925年に卒業すると外務省に入る。入省して直ぐアメリカに赴任しプリンストン大学でM.A.の学位を取得(1927年)、斎藤博大使の下で対米交渉の一員として加わるが斎藤大使の死去に伴い帰国する。その後は香港で中華民国との和平工作に従事するが、1941年に在中華民国(汪兆銘政権)大使館一等書記官兼北京総領事となり、1943年にはビルマ大使館に参事官として赴任し、ビルマ首相のバー・モウが日本軍の敗走と共に亡命する際に案内役となった。
山中篤太郎(やまなか とくたろう、1901年9月4日-198… 山中篤太郎(やまなか とくたろう、1901年9月4日-1981年1月16日)は、日本の経済学者。第3代一橋大学学長。日本経済政策学会代表理事、中小企業学会会長、労働省中央労働基準審議会会長等を歴任。
森田 優三(もりた ゆうぞう、1901年8月29日 - 19… 森田 優三(もりた ゆうぞう、1901年8月29日 - 1994年2月7日)は、日本の経済学者。一橋大学教授・内閣統計局長・日本統計学会会長を歴任。1974年勲一等瑞宝章受章。 指導学生に溝口敏行(一橋大学名誉教授)、宮川公男(一橋大学名誉教授)など。
杉本 栄一(すぎもと えいいち、1901年8月9日 - 19… 杉本 栄一(すぎもと えいいち、1901年8月9日 - 1952年9月24日)は、日本の経済学者。
5代 上野 喜左衛門(うえの きざえもん、1901年(明治3… 5代 上野 喜左衛門(うえの きざえもん、1901年(明治34年)8月6日 - 1971年(昭和46年)8月9日)は、大正から昭和時代の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員、参議院議員。南国殖産、南国交通、長崎自動車などの創業者。 豪商・先代上野喜左衛門の長男として鹿児島県薩摩郡隈之城村大字東手の向田(のちの川内市(現薩摩川内市)向田町)に生まれ、父の死去に伴い1921年(大正10年)家督を相続し、前名次郎七を改め襲名する。 1920年(大正9年)東京商科大学(現一橋大学)予科に入学し、1927年(昭和2年)に同大学を卒業する。キッコーマンの茂木啓三郎とは大学時代からの親友。 1925年(大正14年)川内電気社長となる。
福井 道二(ふくい みちじ、1901年(明治34年)5月22… 福井 道二(ふくい みちじ、1901年(明治34年)5月22日 - 1991年(平成3年)4月4日)は、昭和期の実業家。南満州鉄道株式会社の社員(参事)。 愛知県渥美郡高松村(現在の田原市)において、父作蔵と母とも(旧姓:中藪)の十三人兄弟姉妹の四男として生をうける。作蔵は福井作蔵商店を興し明治42年(1909年)、渥美半島の片浜(太平洋岸)十三里(約50km)の地引き網100ヵ統への資材の供給する網元であった。 高松尋常高等小学校を卒業し、田原にあった成章中学校(旧藩校:成章館)に進んだ。その後、両親は親戚が東京神田で鉄鋼の商いをしているので一橋商大(東京商科大学、現:一橋大学)を勧め、兄からは名古屋高等工業学校(現:名古屋工業大学)の紡織科を勧められている。
香月 保(かつき / かずき たもつ、1901年(明治34年… 香月 保(かつき / かずき たもつ、1901年(明治34年)4月30日 - 1964年(昭和39年)3月12日)は、日本のジャーナリスト。福岡県田川市長。 福岡県田川郡方城村大字弁城(方城町を経て現福智町弁城)に生まれる。1918年福岡県立中学修猷館を卒業、同級生には後に朝日新聞で同僚となる笠信太郎と益田豊彦がいる。1923年東京商科大学(現・一橋大学)を卒業。 東京朝日新聞に入社し、同社ロンドン支局長、亜細亜部長を経て、1945年朝日新聞大阪本社編集局長に就任する。 1947年4月第1回大阪府知事選挙に日本社会党公認候補として立候補するが、修猷館の同級生である赤間文三に敗れ落選する。 1951年田川市長に当選し、1955年まで務める。
中村 茂(なかむら しげる、明治34年(1901年)4月2日… 中村 茂(なかむら しげる、明治34年(1901年)4月2日 - 昭和53年(1978年)2月6日)は、NHKのアナウンサー。 東京府出身。1923年東京商科大学(現一橋大学)附属商学専門部卒業、日蘭貿易入社。NHKラジオが放送開始された1925年にNHK入局。二・二六事件で「兵に告ぐ」を担当。NHK業務局告知課長として「淡々調アナウンス」を主導。 NHK国際局亜州部長、理事兼札幌中央放送局長を経て、1950年NHK放送文化研究所所長。1956年に退職後、電波タイムス社社長。1962年藍綬褒章受章。1971年勲四等瑞宝章受章(放送事業功労)。1978年に老衰のため死去し、従五位に叙された。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
鈴木 三千代(すずき みちよ、1901年1月5日 - 199… 鈴木 三千代(すずき みちよ、1901年1月5日 - 1997年11月10日)は、日本の実業家。三楽(のちのメルシャン)社長を務めた。食品産業功労賞者。 旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業後、1924年味の素本舗鈴木商店(のちの味の素)入社。大阪支店長、常務、専務等を経て、三楽(のちのメルシャン)社長に就任、ワイン事業などをすすめた。1952年に同社会長就任。また味の素の監査役や顧問も務めた。 1997年11月10日、東京都目黒区の病院で死去、享年96。築地本願寺で社葬が行われた。 鈴木忠治(鈴木商店(のちの味の素)第2代社長)の長男。2代目鈴木三郎助(鈴木商店創業者)は伯父、鈴木忠雄(元メルシャン社長、元味の素副会長)は長男。
笠 信太郎(りゅう しんたろう、1900年12月11日 - … 笠 信太郎(りゅう しんたろう、1900年12月11日 - 1967年12月4日)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞論説主幹をつとめた。
鬼頭 仁三郎(きとう にさぶろう、1900年12月1日 - … 鬼頭 仁三郎(きとう にさぶろう、1900年12月1日 - 1947年9月29日)は、日本の経済学者。 愛知県名古屋市出身。1925年東京商科大学卒、1928年同研究科卒。高垣寅次郎に師事した。東京商大図書館に勤め、1935年東京商大附属商業専門部教授、1940年東京商大教授を兼任した。1945年東京商大附属商学専門部長、同商業教育養成所長となった。1947年叙官吏一級、正五位。墓所は多磨霊園。 ケインズの「貨幣論」を翻訳し1932-1934年に刊行。「貨幣と利子の動態」をはじめとする貨幣論の著作によって、ケインズ金融理論の発展に努めた。弟子に三上隆三、吉野昌甫らがいる。英文学者で作家の北條文緒は娘。
中崎 敏(なかざき / なかさき とし、1900年(明治33… 中崎 敏(なかざき / なかさき とし、1900年(明治33年)11月27日 - 1963年(昭和38年)5月17日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 島根県那賀郡都野津村(現江津市都野津町)で、中崎熊太郎の長男として生まれる。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京商科大学を卒業。 卒業後、三井銀行本店に勤務。以後、東邦化学工業代表取締役、日本切削油製造社長、日本防火資材 (有) 社長、新理研映画社社長などを務めた。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に島根県選挙区から日本社会党公認で立候補し当選。以後、第28回総選挙まで連続7回の当選を果たした。この間、日本社会党中央執行委員、同日中国交回復特別委員長、同財務委員会事業部長、中小企業国会議員協議会長を歴任。