嶋崎 昭典(しまざき あきのり、1928年8月20日 - 2… 嶋崎 昭典(しまざき あきのり、1928年8月20日 - 2025年8月5日)は、日本の農学者。長野県塩尻市出身。信州大学繊維学部 名誉教授、農学博士(1960年 東京大学)。 高度経済成長期、製糸業も自動繰糸機全盛期へと向かう中(1950~1960年代)、製糸工程の統計的管理法、定粒繰糸・定繊自動繰糸の基礎理論を確立。戦後日本の製糸業界発展に寄与すると共に、現在は世界的に普及した自動繰糸機の工程管理手法の礎を築いた。 信州大学教授就任後(製糸・管理工学)は、数多くの学生を指導、国際的にも門戸を拡げ世界各国の学生を受け入れた。 教授時代の中国蘇州丝绸工学院(現:蘇州大学)との交流は、後に岡谷蚕糸博物館名誉館長就任後に、岡谷市と蘇州絲博物館(英語版)との学術交流協定締結へと繋がった。
山田 博光(やまだ ひろみつ、1928年5月10日 - 20… 山田 博光(やまだ ひろみつ、1928年5月10日 - 2025年7月8日)は、日本近代文学研究者、帝塚山学院大学名誉教授。 長野県豊科町(現・安曇野市)生まれ。1954年信州大学文理学部英文科卒、1959年東京都立大学 (1949-2011)大学院博士課程満期退学。1965年苫小牧駒澤短期大学助教授、1969年帝塚山学院大学文学部助教授、73年教授、85年文学部長、89年学長、2001年定年、名誉教授。
清水 正男(しみず まさお、1914年(大正3年)5月1日 … 清水 正男(しみず まさお、1914年(大正3年)5月1日 - 2014年(平成26年)8月29日)は、日本の教育学者、信州大学名誉教授、松商学園短期大学第6代学長。専門は、教育学、特に学校図書館の研究や、教育工学的な視聴覚教育の研究などであった。 長野県諏訪郡原村出身。長野県諏訪中学校、長野師範学校から、東京高等師範学校に進み、1944年に東京文理科大学教育学科を卒業した。同年、下諏訪小学校訓導、東京高等師範学校教諭、1946年に北海道第一師範学校助教授を務めた後、東京学芸大学講師を経て、1951年に信州大学教育学部助教授となり、1968年に教授に昇任した。1970年に文部省在外研究員としてコロンビア大学、オハイオ州立大学に留学。
細野 武男(ほその たけお、1912年6月28日 - 199… 細野 武男(ほその たけお、1912年6月28日 - 1994年9月19日)は、日本の法学者。専門は法社会学。学校法人立命館総長・立命館大学学長、京都橘女子大学学長など歴任。 岐阜県揖斐郡揖斐町(現・揖斐川町)出身。旧制松本高文科甲類在学中から農民運動・教育運動に参加。治安維持法違反での検挙歴(1933年、二・四事件)がある。1934年、東京帝国大学文学部社会学科に入学し、理論社会学を専攻。卒業論文テーマは「ジンメルの貨幣哲学」であった。 大学卒業後、東洋経済新報社に入社するが石橋湛山と衝突し退社。その後、財団法人日本貿易振興協会日本貿易研究所に入所し米国経済史の研究に注力。しかし同研究所もまもなく閉鎖され、1947年兵庫県立労働研究所に移籍。
田中 亮(たなか りょう、1907年(明治40年)8月15日… 田中 亮(たなか りょう、1907年(明治40年)8月15日 - 1993年(平成5年)5月25日)は日本の哺乳類学者。ネズミの研究で広く知られる。 長野県上田市に生まれる。1930年(昭和5年)上田蚕糸専門学校を経て、1934年(昭和9年)台北帝国大学理農学部生物学科卒。同年4月から1946年(昭和21年)3月まで同大副手、助手を経て助教授となる。終戦後、国立台湾大学理学院副教授を経て帰国し、1947年(昭和22年)高知県立女子専門学校講師、のち教授。新制大学発足に伴い高知女子大学家政学部教授。1973年(昭和48年)3月定年退官を経て、同年5月7日に高知女子大学名誉教授となる。晩年は高知市に住んだ。
小泉 清明(こいずみ きよあき、1904年12月17日 - … 小泉 清明(こいずみ きよあき、1904年12月17日 - 1977年10月26日)は、日本の生物学者。理学博士(1935年)。信州大学教授などを歴任。 長野県上田市生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1928年京都帝国大学農学部農林生物学科卒業。翌年、母校講師。理学博士(1935年)。 1930年台北帝国大学助教授、1944年熱帯医学研究所所長、1949年岐阜師範学校(学制改革により岐阜大学教育学部)教授、1958年信州大学教授、1960年同繊維学部長などを歴任し、1969年定年退官。 日本生態学会環境問題専門委員会委員長、長野県水質審議会委員、日本学術会議自然保護研究連絡委員会委員なども務める。
唐木 順三(からき じゅんぞう、1904年(明治37年)2月… 唐木 順三(からき じゅんぞう、1904年(明治37年)2月13日 - 1980年(昭和55年)5月27日)は、日本の文芸評論家・哲学者・思想家。 京大で西田幾多郎に師事。『現代日本文学序説』(1962年)を書き、『鷗外の精神』(1943年)、『中世の文学』(1955年)と研究を進めた。反近代の思想を貫き『「科学者の社会的責任」についての覚え書』(1980年)を遺して死去した。 1904年(明治37年)、長野県上伊那郡宮田村に生まれる。旧制松本中学(現:長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校(現:信州大学)文科甲類を卒業後、1927年(昭和2年)に京都帝国大学文学部哲学科を卒業。西田幾多郎や田邊元から多大な影響を受けた。
田中 八百八(たなか やおはち、1884年8月 – 1952… 田中 八百八(たなか やおはち、1884年8月 – 1952年1月10日[要出典])は、日本の林学者、農林技官。 信州大学初代農学部長を務めた。学者としての専門分野は林業政策、治山治水。 現在の福井県小浜市竹原[要出典]で生まれる。 旧制小浜中学校を経て、[要出典]1909年に東京帝国大学農科大学(現・東京大学農学部)を卒業した。 1917年、岩手県庁山林課長に就任する[要出典]。山梨県庁でも勤務した。 1925年に農林省山林局兼内務省土木局技師となる。1926年にイタリアのローマで開催された第1回万国森林会議(英語版)に日本代表の1人として出席し、副議長(6人の1人)を務めた。会議からの帰途にはヨーロッパ各国の林業事業を視察した。
井川 靖彦(いがわ やすひこ)は、日本の医師、医学者。専門は… 井川 靖彦(いがわ やすひこ)は、日本の医師、医学者。専門は泌尿器科。医学博士(信州大学)、Ph.D.(ルンド大学)。東京大学大学院医学系研究科コンチネンス医学講座特任教授。第23回日本排尿機能学会会長。
六井 淳(ろくい じゅん)は、日本の計算機科学者(人工知能・… 六井 淳(ろくい じゅん)は、日本の計算機科学者(人工知能・機械学習・知能情報処理・音楽情報処理・動画像処理・圧縮符号化)、実業家。学位は博士(情報科学)(北陸先端科学技術大学院大学・2003年)。静岡県立大学経営情報学部教授・大学院経営情報イノベーション研究科教授。 株式会社エイ・ティ・アール知能映像通信研究所研究員、株式会社キュリオシティ取締役、島根大学総合理工学部助手、島根大学大学院総合理工学研究科講師、島根大学総合情報処理センター副センター長、島根大学学術研究院理工学系講師などを歴任した。 信州大学に進学し、理学部の数学科にて学んだ。1996年3月、信州大学を卒業した。さらに北陸先端科学技術大学院大学に進学し、情報科学研究科にて学んだ。
細内 信孝(ほそうち のぶたか)は、日本のコミュニティ・ビジ… 細内 信孝(ほそうち のぶたか)は、日本のコミュニティ・ビジネス研究者、社会学者、経営学者、社会的企業家。コミュニティビジネス総合研究所所長、コミュニティ・ビジネス・ネットワーク会長 、「町の学校」校長を務める。元法政大学大学院兼任講師、元立教大学大学院兼任講師、元埼玉女子短期大学客員教授、元中央大学兼任講師。日本において最初にコミュニティ・ビジネスの概念を提唱した人物とされ、日本における第一人者である。 2001年福島県うつくしま未来博の近未来都市パラダイム『森にしずむ都市』のコンペにおいて、福島県知事賞、日本混相流学会会長賞を、タイセイ総合研究所と共同受賞している。2003年英国外務省より日英社会的起業家交流プログラムに日本代表の一員として招聘され、渡英した。
竹田 誠(たけだ まこと、Makoto TAKEDA)は、日… 竹田 誠(たけだ まこと、Makoto TAKEDA)は、日本の医師、医学者。学位は、医学博士(東京大学・2000年)。東京大学大学院医学系研究科教授、東京大学新世代感染症センター 主任研究員。日本におけるコロナウイルス研究の第一人者のひとり。専門は呼吸器系ウイルス学(麻疹、MERS等)、微生物学。 実父は、東京大学医科学研究所教授、国立感染症研究所所長などを歴任した竹田美文。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。