西村 龍介(にしむら りゅうすけ、1903年3月6日 - 1… 西村 龍介(にしむら りゅうすけ、1903年3月6日 - 1989年5月13日)は、日本の経営者。小西六写真工業(現在のコニカミノルタ)社長を務めた。 山口県出身。1926年に九州帝国大学工学部を卒業。商工省での勤務を経て、1932年に小西六写真工業に転じ、1948年に取締役に就任し、1954年に常務を経て、1968年4月に社長に就任。1973年11月から1979年12月までに会長を務めた。東京工芸大学理事長も務めた。 1966年9月に紫綬褒章を受章し、1973年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1989年5月13日、心不全のために死去。86歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
松尾 靜麿(まつお しずま、1903年2月17日 - 197… 松尾 靜麿(まつお しずま、1903年2月17日 - 1972年12月31日)は、元運輸省航空庁長官および元日本航空社長・会長。佐賀県杵島郡若木村(後の武雄市)出身。連合国軍最高司令官総司令部によって航空事業が壊滅的な打撃を受けた中、民間航空の再建に取り組んだことから戦後日本航空業界の父と言われる。
孫 永寿(ソン・ヨンス、朝鮮語: 손영수/孫永壽、1902年… 孫 永寿(ソン・ヨンス、朝鮮語: 손영수/孫永壽、1902年8月12日または1905年 - 没年不詳)は、大韓民国の政治家、実業家。初代河東郡郡守、第4代馬山市長、第4・5代釜山市長、第4代韓国国会議員を歴任した。 慶尚南道釜山出身、本籍地は密陽。東莱高等普通学校、京城法学専門学校、九州帝国大学(現・九州大学)法学部卒。1945年10月24日から1946年2月1日までは初代河東郡守、1947年11月5日から1949年6月20日までは第4代馬山市長、1952年5月8日から1954年7月9日までは第4・5代釜山市長を歴任した。特に4代目市長の在任中の1953年11月27日に発生した釜山大火災により同年12月11日に辞任したものの、その後はまた市長に選ばれ、12月17日より5代目市長となった。
堀 豁(ほり とおる、1902年2月20日 - 1996年1… 堀 豁(ほり とおる、1902年2月20日 - 1996年1月10日)は、日本の経営者。新潟県長岡市出身。 1925年に九州帝国大学工学部電気科を卒業し、同年に北越水力電気に入社。1942年に東北配電(のちの東北電力)に転じ、1946年9月に常務に就任し、1949年11月に副社長を経て、1960年5月に社長に就任し、1962年12月までに務めた。 1961年に藍綬褒章を受章し、1972年に勲二等瑞宝章を受章。 1996年1月10日老衰のために死去。93歳没。
津上 研蔵(つがみ けんぞう、1900年3月17日 - 没年… 津上 研蔵(つがみ けんぞう、1900年3月17日 - 没年不詳)は、日本の機械工学者、実業家。 津上嶮路の四男として、福岡県糸島郡北崎村(現・福岡市)に生まれる。津上製作所(現・ツガミ)創業者津上退助は実兄。1920年福岡県中学修猷館、1922年3月第五高等学校理科乙類を経て、1925年3月九州帝国大学工学部機械工学科を卒業。 卒業後、三菱鋼業に入社。1928年津上製作所に転じ、1929年技師長となる。1940年名古屋帝国大学工学部教授、および愛知県工学試験所部長を兼ね、1945年津上製作所取締役に選ばれ、1947年常務に進む。1964年5月津上文化機器販売社長に就任。 機械学会(現・日本機械学会)評議員、長岡市商工会議所理事、日本小型工作機械工業会(現・日本精密機械工業会)会長なども務めている。
高口 政俊(こうぐち まさとし、1898年7月19日 - 1… 高口 政俊(こうぐち まさとし、1898年7月19日 - 1967年2月11日)は、日本の経営者。三井金属鉱業元社長。福岡県出身。 1923年に九州帝国大学冶金科を卒業し、同年に三井鉱山に入社。 1949年に取締役に就任し、1950年に常務を経て、、1955年8月に三井金属鉱業副社長に就任し、1958年5月は社長に昇格し、1964年5月までに務めた。 1967年2月11日脳出血のために死去。68歳没。
福西 清(ふくにし きよし、1897年9月26日 - 196… 福西 清(ふくにし きよし、1897年9月26日 - 1967年12月25日)は、阪神電気鉄道社長。奈良県出身。 広島高等師範学校卒業後は、一時教職を務めるが、九州帝国大学法文学部に入学し、1929年に卒業し、阪神電気鉄道に入社した。 主に電灯、電力部門の営業を担当していたが、1942年4月に同部門が関西配電に譲渡されたのを機に同社に移籍し、1944年に阪神に復帰した。その後は、庶務部、取締役、常務取締役を歴任し、1957年に阪神百貨店の専務取締役に就任した。 1965年に藍綬褒章を受章。 1960年5月に阪神に戻り、副社長を経て、1967年11月18日に社長に就任したが、同年12月25日に脳出血のために在職中のままに死去。
徳根 吉郎(とくね よしお、1896年2月17日 - 198… 徳根 吉郎(とくね よしお、1896年2月17日 - 1980年10月12日)は、日本の経営者。日本セメント社長を務めた。 北海道函館市出身。1914年に九州帝国大学応用化学科を卒業し、同年に浅野セメント(のちの日本セメント)に入社。1942年に取締役に就任し、常務を経て、1946年から1947年までと1948年から1949年9月までに社長を務めた。1949年9月には会長に就任した。 1970年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1980年10月12日、心筋梗塞のために死去。84歳没。
進藤 武左ヱ門(進藤 武左衞門、しんどう ぶざえもん、189… 進藤 武左ヱ門(進藤 武左衞門、しんどう ぶざえもん、1896年 - 1981年)は、日本の実業家。日本発送電副総裁、中国電力初代会長、水資源開発公団(現・水資源機構)総裁などを務めた。 山梨県北巨摩郡小淵沢村(現・北杜市)出身。山梨県立甲府中学校(現・山梨県立甲府第一高等学校)、長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)、佐賀県立佐賀中学校(現・佐賀県立佐賀西高等学校)、旧制第五高等学校を経て、九州帝国大学(現・九州大学)工学部電気科卒業。1923年東邦電力入社。東京電力を経て、東京電灯取締役、関東配電副社長、戦災復興院業務局長、資源庁長官、日本発送電副総裁、通商産業省(現・経済産業省)資源局長、行政審議会委員、中国電力会長、電源開発副総裁、大聖通商株式会社会長、愛知用水公団副総裁、水資源開発公団(現・水資源機構)総裁、電源開発調整審議会会長代理などを歴任。
山川 良一(やまかわ りょういち、1891年〈明治24年〉6… 山川 良一(やまかわ りょういち、1891年〈明治24年〉6月5日 - 1982年〈昭和57年〉8月19日)は、大正から昭和期の鉱山技術者、実業家、政治家。参議院議員。 長崎県出身。1915年(大正4年)九州帝国大学工科大学採鉱学科を卒業した。 卒業後、三井鉱山(現日本コークス工業)に入社し、山野鉱業所長、砂川鉱業所長、同社常務取締役などを歴任し、1947年(昭和22年)同社長に就任。その他、初代日本石炭協会長、同顧問、全国石炭復興会議議長、全国炭鉱管理委員会委員、経済復興計画委員会委員、北海道総合開発審議会委員、日本産業協議会理事、経済団体連合会(現日本経済団体連合会)理事、日本経営者団体連盟(現:日本経済団体連合会)理事、東京商工会議所議員などを務めた。
久留島 秀三郎(くるしま ひでさぶろう、1888年9月11日… 久留島 秀三郎(くるしま ひでさぶろう、1888年9月11日 - 1970年9月22日)は京都府出身の日本の実業家、作家。鉱山技師で工学博士でもある。同和鉱業社長、日本科学技術連盟第5代理事長、ボーイスカウト日本連盟第5代総長など多くの要職を務めた。義父は児童文学者の久留島武彦。従三位。 1888年(明治21年)9月11日、京都で薬種商を営んでいた父(六代)中野忠八と母みねの間に生まれた。次男ではあったが、曾祖父の幼名であった秀三郎の名を受け継いだという。京都修道小学校、第三高等小学校を卒業。 京都第二中学校に進学するも5年半をかけて卒業できず、1905年(明治38年)に上京し日本中学校に転校した。
森本 貫一(もりもと かんいち、1888年(明治21年)6月… 森本 貫一(もりもと かんいち、1888年(明治21年)6月1日 - 1979年(昭和54年)9月26日)は、日本の技術者、実業家。三菱化成工業(現三菱ケミカル)社長や、旭硝子(現AGC)社長、電気化学協会会長を務めた。正四位勲二等瑞宝章。 熊本県宇土市生まれ。第五高等学校を経て、1915年九州帝国大学工科大学応用化学科卒業、旭硝子入社。1940年尼崎工場長。1944年三菱化成工業常務取締役、日本板硝子取締役。1946年に三菱化成工業社長に就任したが同年公職追放となった。1951年旭硝子会長、旭化学工業奨励会理事長。 1952年から旭硝子社長を務め、高度経済成長期に、ブラウン管用ガラスや、自動車用ガラスの製造を進めた。
北嶋 信顕(きたじま のぶあき)は、日本の銀行家、実業家。ユ… 北嶋 信顕(きたじま のぶあき)は、日本の銀行家、実業家。ユーシーカード代表取締役社長、日本クレジットカード協会会長などを務めた。 福岡県山門郡(現・みやま市)出身。福岡県立山門高等学校を経て、1982年九州大学法学部卒業後、第一勧業銀行入行。 2000年エムタウン監査役。2006年みずほ銀行宝くじ部長、みずほドリームパートナー取締役、日本宝くじ協会理事、全国市町村振興協会理事。 2010年みずほ信託銀行信託総合営業第一部長。2011年同執行役員福岡支店長、2013年同常務執行役員。 2016年ユーシーカード社長に就任し、2020年3月末退任。この間、日本クレジットカード協会会長も務めた。
猪山 英徳(いやま ひでのり)は、日本の実業家。元東洋酸素社… 猪山 英徳(いやま ひでのり)は、日本の実業家。元東洋酸素社長、大陽東洋酸素副社長。東洋酸素と大陽酸素の合併を決めた。 長崎県出身。1957年に九州大学法学部卒業後、三菱信託銀行入行。1985年同行取締役丸の内支店長を経て、1987年4月に東洋酸素入社。同年6月常務取締役、1989年6月専務取締役を経て、1992年1月社長に就任した。1994年、競争力の強化を目的として同じ三菱グループに属する大陽酸素と合併することを発表、1995年4月1日付で発足した新会社・大陽東洋酸素の副社長に就任した。
金森 廣(かなもり ひろし)は、日本の実業家。元サウディ石油… 金森 廣(かなもり ひろし)は、日本の実業家。元サウディ石油化学社長、韓国三菱商事社長。長崎県出身。 長崎県立長崎東高等学校を経て、九州大学工学部応用化学科に進学。同期には竹下道夫(宇部興産社長)がいる。1973年に同大学を卒業後、三菱商事入社。同社では化学畑を歩み、1998年にサウジ基礎産業公社とサウディ石油化学の合弁会社であるSHARQに出向、2000年本店ポリエステル原料ユニットマネージャー、2002年台湾三菱商事副総経理、2004年韓国三菱商事社長、2006年本店理事化学品グループCEOオフィス室長を歴任した。2010年にサウディ石油化学常務となり、2011年3月同社社長に就任。中東協力センター理事も務めた。
玉置 浩伸(たまき ひろのぶ)は日本の実業家。ゴルフダイジェ… 玉置 浩伸(たまき ひろのぶ)は日本の実業家。ゴルフダイジェスト・オンライン共同創業者。九州大学客員教授。 ラ・サール高等学校、東京大学教養学部卒業、ハーバード・ビジネス・スクール経営学修士、早稲田大学博士後期課程修了。博士(商学)。三井物産、AOLジャパン代表取締役。ゴルフダイジェスト・オンライン共同創業者、取締役兼COO(2004年に東証マザーズ上場)を経て、シリコンバレーにてSatura Cakesを創業。2010年同社売却。2007年よりアブラハム・グループ・ホールディングス社外取締役を務めた後、2012年に辞任。その他、留学斡旋を手掛けるブルード、個室ジムを展開するハコジムなど、ベンチャーの社外取締役も務める。
西 良一(にし りょういち)は、日本の実業家。三菱日立製鉄機… 西 良一(にし りょういち)は、日本の実業家。三菱日立製鉄機械代表取締役社長として、シーメンスの製鉄機械事業との統合にあたり、統合後のプライメタルズ テクノロジーズ日本法人代表取締役社長を務めた。 鹿児島県出身。1975年九州大学経済学部卒業、三菱重工業入社。2000年MHI日立製鉄機械(のちの三菱日立製鉄機械)入社。2008年三菱日立製鉄機械常務取締役。2013年三菱日立製鉄機械取締役副社長。2014年から三菱日立製鉄機械代表取締役社長を務め、シーメンスの製鉄機械事業との統合にあたり、統合後のプライメタルズ テクノロジーズ日本法人で代表取締役社長に就任した。2017年には本社を東京都から広島市西区の三菱重工業広島事業所内に移転。