片岡 篤志(かたおか あつし、1996年8月2日 - )は、… 片岡 篤志(かたおか あつし、1996年8月2日 - )は、滋賀県出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。日本海リーグのSHIGA HIJUMPS所属。かつては四国アイランドリーグplus、関西独立リーグの球団に所属していた。 軟式チームから高校は大津商業高校に進学。主戦級の投手であったが3年生の夏前に股関節を故障し、夏は登板できずに高校野球を終えた。大学は滋賀を離れ、千葉県の国際武道大学に進学。しかし、硬式野球部では全く目立つ存在でなく、球速は最速140km/h程度で、調子が悪いときは130km/hにも満たない程度だった。結局、ベンチ入りを一度も果たせないまま野球部を引退した。1年後輩に勝俣翔貴がいる。
友永 翔太(ともなが しょうた、1991年4月1日 - )は… 友永 翔太(ともなが しょうた、1991年4月1日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(外野手)。
西野 真弘(にしの まさひろ、1990年8月2日 - )は、… 西野 真弘(にしの まさひろ、1990年8月2日 - )は、東京都江戸川区出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。 南葛西小学校時代に「葛西キラーズ」で野球を始め、南葛西中学校では「浦安リトルシニア」に所属し、東海大学付属浦安高校では甲子園出場経験は無し。 国際武道大学4年生の時、千葉県大学野球リーグで春・秋の2季連続で二塁手のベストナインを獲得した。明治神宮野球大会では初戦で富士大・多和田真三郎にノーヒットノーランで敗れた。 JR東日本時代は1年目に第84回都市対抗野球大会でベスト8に進出、社会人野球ベストナインを獲得した(二塁手)。2年目には韓国で行われた第17回アジア競技大会の野球日本代表に選ばれ、4試合に出場、計8打数1安打だった。
仲澤 広基(なかざわ ひろき、1987年1月22日 - )は… 仲澤 広基(なかざわ ひろき、1987年1月22日 - )は、山梨県中巨摩郡竜王町(現:甲斐市)出身の元プロ野球選手(内野手)。
川端 崇義(かわばた たかよし、1985年2月4日 - )は… 川端 崇義(かわばた たかよし、1985年2月4日 - )は、静岡県焼津市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。右投右打。 小学3年生の時から野球をスタート。同郷の同級生である牧田和久と増井浩俊(いずれも投手)とは、後にオリックスの外野手として、パシフィック・リーグ(パ・リーグ)の公式戦で相まみえている。 東海大学第一中学校(現在の東海大学付属静岡翔洋中学校)時代は「1番・捕手」で、3年時に全国大会ベスト8を経験。東海大相模高校への進学後は、4番打者を任された。3年夏の神奈川大会で決勝まで進んだが、在学中には春夏ともに、甲子園に出場できなかった。ちなみに、当時の同級生であった原拓也とは、後にオリックスでもチームメイトになっている。
平田 徹(ひらた とおる、1983年5月10日 - )は、神… 平田 徹(ひらた とおる、1983年5月10日 - )は、神奈川県横浜市出身の日本の高校野球指導者。高校保健体育科教諭。 ポジションは捕手。1999年、横浜高校(以降:横浜)に入学し、硬式野球部へ入部。全国高校野球選手権大会に2回出場。2年次ベスト8。3年次には主将になり、同選手権で優勝することになる東京の日大三高に準決勝で敗れるが、荒波翔、円谷英俊らと共にベスト4進出。卒業後、国際武道大学へ進学し、野球を継続。大学でも四年生時に主将を務める。 国際武道大学卒業後の2006年、横浜高校のコーチに就任。2010年に部長の小倉清一郎が定年を迎え、部長に昇格。 2015年夏の大会後、恩師である渡辺元智の勇退に伴い、監督に就任。
比嘉 幹貴(ひが もとき、1982年12月7日 - )は、沖… 比嘉 幹貴(ひが もとき、1982年12月7日 - )は、沖縄県沖縄市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ。現在はオリックス・バファローズの一軍投手コーチを務める。 高校教諭で野球部監督だった父の影響で幼い頃から野球に親しみ、小学3年生の時に少年野球チームに入団する。中学に入ると左膝の離断性骨軟骨炎を発症し、運動が出来ない2年間を過ごすが、3年時から再び運動が出来るようになり、軟式野球部に入部し、公式戦にも1試合だけ出場した。 沖縄県立コザ高等学校では無名であったが、国際武道大学ではリーグ通算29勝を挙げ、日立製作所に入社。入社5年目の2009年、三菱自動車岡崎との第80回都市対抗野球大会1回戦で7回5安打無失点と好投し、同大会4年ぶりの勝利をチームにもたらした。
山本 淳(やまもと じゅん、1982年4月16日 - )は、… 山本 淳(やまもと じゅん、1982年4月16日 - )は、神奈川県海老名市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、社会人野球の日立製作所硬式野球部に所属している。
中村 一生(なかむら いっせい、1982年4月2日 - )は… 中村 一生(なかむら いっせい、1982年4月2日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロ野球選手(外野手)、コーチ。右投右打。 東海大学付属浦安高等学校時代の3年時の夏に第82回全国高等学校野球選手権大会へ千葉県代表として出場。「5番・中堅手」として、チームの準優勝に貢献した。 高校卒業後に国際武道大学へ進学。広い守備範囲と俊足を武器に1番打者として千葉県大学リーグで3年秋にMVP、4年春ベストナインを受賞。 2004年のプロ野球ドラフト会議で、中日ドラゴンズから7巡目指名を受け、契約金5,000万円、年俸1,000万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。背番号は「51」。国際武道大学野球部の選手がNPBの球団と契約した事例は、高橋光信に次いで2人目であった。
高橋 光信(たかはし みつのぶ、1975年7月7日 - )は… 高橋 光信(たかはし みつのぶ、1975年7月7日 - )は、神奈川県横浜市南区出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ。愛称は「ミツ」。 小学1年の時に野球を始め、中学時代は中本牧リトルシニアに所属する一方で中学では柔道部に所属した。 横浜高校では1年時に右肩を手術、捕手も経験して3年時には第65回選抜高等学校野球大会に出場したが、膝を故障するなど度重なる怪我に苦しんだ。その際に渡辺元智野球部監督から相談に親身に対応してもらったことで、高校卒業の時点では指導者になることを目指していた(また、高校の1学年先輩に丹波幹雄・部坂俊之・中野栄一が、同期に白坂勝史が、1学年後輩に多村仁(現・多村仁志)・斉藤宜之・矢野英司・紀田彰一が、2学年後輩に横山道哉がいた)。