安井 義博(やすい よしひろ、1938年10月8日 - )は… 安井 義博(やすい よしひろ、1938年10月8日 - )は、日本の実業家。ブラザー工業元会長、現相談役。東邦ガス社外監査役。一般社団法人日本縫製機械工業会副会長。元名古屋商工会議所副会頭。
慶應義塾大学:1,253人
安井 義博(やすい よしひろ、1938年10月8日 - )は… 安井 義博(やすい よしひろ、1938年10月8日 - )は、日本の実業家。ブラザー工業元会長、現相談役。東邦ガス社外監査役。一般社団法人日本縫製機械工業会副会長。元名古屋商工会議所副会頭。
柴田 雄次(しばた ゆうじ、1938年9月16日 - )は、… 柴田 雄次(しばた ゆうじ、1938年9月16日 - )は、日本の経営者。トヨタ自動車出身者でない生え抜きの愛知製鋼社長を務めた。愛知県出身。 1961年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年に愛知製鋼に入社。 1993年3月に取締役に就任し、1996年9月に常務を経て、1999年6月に社長に就任した。2004年6月に会長に就任し、2008年6月から相談役を務めた。 2004年4月には藍綬褒章を受章。
清水 隆雄(しみず たかお、1938年9月 - )は、日本の… 清水 隆雄(しみず たかお、1938年9月 - )は、日本の経営者。三井不動産販売代表取締役社長や、不動産流通経営協会理事長を務めた 1961年慶應義塾大学経済学部卒業、 三井不動産入社。都市開発部門を歩み、三井不動産取締役都市開発事業部長を経て、1998年から三井不動産販売代表取締役社長。1999年から不動産流通経営協会理事長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
第24代 田部 長右衛門(たなべ ちょうえもん、1938年(… 第24代 田部 長右衛門(たなべ ちょうえもん、1938年(昭和13年)7月22日 - 1999年(平成11年)11月7日)は、日本の実業家。「たたら御三家」田部家の第24代当主で、株式会社田部代表取締役社長、山隂中央テレビジヨン放送株式会社代表取締役社長、有限会社松陽印刷所代表取締役社長、日新林業株式会社代表取締役社長を歴任した。出生名は田部 智久(たなべ ともひさ)。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 父は島根県知事を務めた第23代田部長右衛門朋之。 島根県飯石郡吉田村(現・雲南市)出身。父の知事就任に伴い、慶應義塾大学学生の身分でいくつかの企業の社長に就任した。 1967年(昭和42年)のUHF開放時、島根をカバーしていたテレビ局は、鳥取県米子市に本社を置くVHFの山陰放送(BSS)だけだった。
田村 俊磨(たむら としま、本名同じ。1938年6月12日 … 田村 俊磨(たむら としま、本名同じ。1938年6月12日 - )は、日本の元実業家である。登司麿(読み同じ)の名を使うこともある。 阪東妻三郎の次男であったが、本人は俳優業に全く興味はなく、慶應義塾大学経済学部卒業後は会社員になる。その間、あくまで付き合いで木下恵介監督の映画「笛吹川」(1960年)に兄・高廣が演じる役の少年時代に田村登志麿名義で出演、1965年7月17日のNHKドラマ『破れ太鼓』に田村登志麿名義で、他の兄弟と共に出演した。 高廣、正和が松竹を退社後は約3年間、2人のマネージャーも務めていた。その後は貿易会社の社長を務めていたが、2021年現在は既に社長を退き引退生活を送っているという。
伏見 勝(ふしみ まさる、1938年(昭和13年)4月1日 … 伏見 勝(ふしみ まさる、1938年(昭和13年)4月1日 - )は、日本の実業家。元報知新聞会長・最高顧問。元遊技産業健全化推進機構代表理事。 1956年(昭和31年)、静岡県立静岡高等学校卒業。慶應義塾大学文学部卒業。1961年(昭和36年)、読売新聞社入社。社会部次長(部長待遇)を経て、1987年(昭和62年)、写真部長、1992年(平成4年)、出版部次長兼「週刊読売」編集部長。1994年(平成6年)、出版局長。1995年(平成7年)、役員待遇。1996年(平成8年)、取締役。1998年(平成10年)、報知新聞社兼報知印刷社長。 2006年(平成18年)、遊技産業健全化推進機構設立と同時に、専務理事就任。
増倉 一郎(ますくら いちろう、1938年3月27日 - 2… 増倉 一郎(ますくら いちろう、1938年3月27日 - 2023年9月13日)は、日本の経営者。髙島屋社長、会長を務めた。大阪府八尾市出身。 1961年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に髙島屋に入社した。1991年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、2001年3月に社長に就任。2003年3月に会長に就任し、2005年5月から相談役を務めた。 一方で、2004年から2019年までに南海電気鉄道で取締役と監査役を務めた。 2023年9月13日、敗血症のため死去。85歳没。
武藤 高義(むとう たかよし、1938年3月25日 - 20… 武藤 高義(むとう たかよし、1938年3月25日 - 2021年12月27日)は、日本の経営者。カルピス社長を務めた。長野県出身。 1961年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に味の素に入社した。1997年に取締役に就任し、1995年に顧問とカルピス食品工業常任顧問、1996年にカルピス食品工業副社長を経て、2000年に社長に就任。2005年に会長に就任。 2021年12月27日病気のために死去。83歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
利光 國夫(としみつ くにお、1938年3月17日 - )は… 利光 國夫(としみつ くにお、1938年3月17日 - )は、日本の経営者。小田急電鉄代表取締役会長兼グループCEO、小田急百貨店社長、会長を務めた。東京都出身。 1961年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1967年8月に小田急電鉄に入社。1989年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1997年6月に専務を経て、2001年6月に副社長に就任した。その一方で、1997年5月に小田急百貨店社長に就任し、2001年3月には小田急百貨店会長に就任。2003年6月27日には小田急電鉄代表取締役会長兼グループCEOに就任したが、2005年6月、有価証券報告書の虚偽記載問題の責任を取り小田急電鉄代表取締役会長兼グループCEOと小田急百貨店会長を辞任。
関家 憲一(せきや けんいち、1938年 〈昭和13年〉 3… 関家 憲一(せきや けんいち、1938年 〈昭和13年〉 3月5日 - 2020年〈令和2年〉 4月26日)は、日本の実業家。 実父の関家三男の創業した工業用砥石メーカー、有限会社第一製砥所(現:ディスコ)を、実弟の関家臣二と共に半導体製造装置・システムのメーカーとして東証第一部上場企業へと成長発展させた。 東京市麻布区に関家三男の長男として生まれる。神奈川県大磯町立小学校、私立湘南学園中等部、慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学経済学部へ進学。高等学校、大学と継続して体育会空手部に在籍して松濤館流空手4段を取得。 1959年(昭和34年)の慶應義塾大学在学中、父である関家三男より日本政策金融公庫(旧中小企業金融公庫)から融資を受ける為の資料作成を命じられ、それらの作成を行う。
田口 義嘉壽(たぐち よしかず、1938年3月1日 - 20… 田口 義嘉壽(たぐち よしかず、1938年3月1日 - 2016年9月22日)は、日本の経営者。西濃運輸社長、会長を務めた。創業者田口利八の次男、田口利夫の弟 岐阜県大垣市出身。1960年に慶應義塾大学法学部を卒業。在学中でも、夏休みなどで必ず実家に帰省し、会社で働いていた。中部生産性本部での勤務を経て、同年10月に西濃運輸入社。 1968年に取締役に就任し、1973年に常務、1976年度日本青年会議所会頭、1981年7月に専務を経て、1987年7月には社長に就任。社長時代は、国内拠点の充実に取り組み、輸送網を国内外で拡大させて、同社を日本有数の物流企業に育て上げた。2003年6月に会長に就任し、2005年10月からは代表取締役を務めた。
浅地 正一(あさじ しょういち、1938年〈昭和13年〉2月… 浅地 正一(あさじ しょういち、1938年〈昭和13年〉2月25日 - )は、日本の実業家である。東京商工会議所顧問、浅地事務所代表。日本ビルサービス代表取締役社長、特別顧問を務めたほか、東京青年会議所理事長、逗子なぎさホテル社長、日本商工会議所特別顧問、東京商工会議所副会頭等を歴任した。 1938年(昭和13年)2月25日、東京赤坂に生まれる。1944年(昭和19年)東京都東調布第二国民学校入学。在学中に軽井沢へ疎開。後、暁星小学校を卒業。中学は慶應義塾普通部に、高校は慶應義塾高等学校に進学。中学ではテニス部主将を務め、高校ではゴルフ部主将を務める。その後、慶應義塾大学経済学部に進学。グリーンクラブ(現・体育会ゴルフ部)主将、関東学生ゴルフ連盟委員長と日本学生ゴルフ連盟委員長を務める。
杉山 修美(すぎやま おさみ、1938年2月23日 - )は… 杉山 修美(すぎやま おさみ、1938年2月23日 - )は、日本の経営者。トピー工業社長、会長を務めた。 東京都出身。1962年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、同年4月に東都製鋼(のちのトピー工業)に入社した。1992年6月に取締役に就任し、1994年6月に常務、1997年6月に専務を経て、1998年6月には社長に就任。2005年4月に会長を経て、2008年4月に相談役に就任。 2002年11月に藍綬褒章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
加藤 千麿(かとう かずまろ、1938年(昭和13年)1月1… 加藤 千麿(かとう かずまろ、1938年(昭和13年)1月1日- 2023年(令和5年) 2月25日)は、日本の実業家。元名古屋銀行取締役会長。関東州大連市生まれの引揚者。長女はフリーアナウンサーの加藤千佳。名古屋銀行頭取の藤原一朗は娘婿(次女の夫)。 関東州大連市で加藤廣治の子として出生して同地で9歳まで過ごし、1945年の敗戦で引揚者として日本に入国した。 愛知県立旭丘高等学校を経て、1963年に慶應義塾大学法学部卒業後、東海銀行入行。1968年に父が創業した名古屋相互銀行入行。1974年に取締役となり、1975年に代表取締役常務就任、以後43年間にわたり代表取締役を務めた。 1982年に名古屋相互銀行社長就任、1989年に名古屋相互銀行の普通銀行への転換により、名古屋銀行頭取就任。
宮田 侑(みやた すすむ、1938年 - )は、日本の学校経… 宮田 侑(みやた すすむ、1938年 - )は、日本の学校経営者、学校法人明海大学元理事長、学校法人朝日大学元理事長。歯学博士。藍綬褒章(2003年)、旭日中綬章(2014年)受章者。父は宮田慶三郎。 1961年、慶應義塾大学商学部卒業。1977年、「歯科医療管理に対する経営学的思考」で、大阪歯科大学から歯学博士を授与。1979年から1987年まで、社団法人日本私立歯科大学協会常務理事を務めた後、明海大学副学長などを経て、1997年に学校法人明海大学理事長、学校法人朝日大学理事長(どちらも2014年3月末日まで。その後、それぞれの法人の相談役に就任)。 2012年、中国の教育分野の発展への貢献と、人的交流による日中友好を推進したとして、中国国家友誼賞を受賞。
伊藤 研一(いとう けんいち、1937年12月27日 - 2… 伊藤 研一(いとう けんいち、1937年12月27日 - 2011年2月20日)は、日本の経営者。伊藤ハム社長、会長を務めた。創業者伊藤傳三の長男。 兵庫県神戸市出身。1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業。1959年6月に伊藤ハム取締役に就任し、1965年に常務、1977年5月に専務を経て、1981年7月に社長に就任。2002年10月に会長に就任。 1994年4月に藍綬褒章を受章。 2011年2月20日、急性肺炎のために死去。73歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
立花 宗鑑(たちばな むねあき、1937年〈昭和12年〉12… 立花 宗鑑(たちばな むねあき、1937年〈昭和12年〉12月25日 - )は、日本の実業家。 筑後柳川藩立花家第17代当主。 1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業。 大学卒業後の同年に三井物産に入社。重機械部にて、機械、プラント関連の業務に従事する。1975年に豪州三井物産のシドニー、メルボルンの支店で機械関連の業務に従事。1980年に本店業務部経営企画室に勤務。1988年に日本ユニバックへ出向。バロースとの合弁事業に携わる。2001年6月に取締役、常務取締役関西支社長などを経て退任。同年7月よりは日本ユニシスサプライ代表取締役社長に就任。2004年に退任後は、財団法人軽井沢文化美術学院を立ち上げ、理事事務局長に就任、公益法人の認可を取得。
副島 忠雄(そえじま ただお、1937年12月13日 - )… 副島 忠雄(そえじま ただお、1937年12月13日 - )は、日本の経営者。東京証券社長を務めた。 長崎県出身。1960年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年4月に日興證券に入社。1983年12月に取締役、1986年9月に常務、1988年8月に専務を経て、1991年5月に副社長に就任し、1995年6月には東京証券社長に就任。2000年10月に会長に就任し、2002年4月には相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松田 英三郎(まつだ ひでさぶろう、1937年12月11日 … 松田 英三郎(まつだ ひでさぶろう、1937年12月11日 - )は、日本の経営者。阪急百貨店社長を務めた。 兵庫県神戸市出身、在住。1956年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に阪急百貨店に入社。若いころは営業を担当した。 1985年6月に取締役に就任して以降も開発を担当しており、現場との接点が多く、「現場の声を聴いて組み立てる」のが持論だった。量販店が周囲に多い川西阪急ではアクセサリーなど身の回り品の充実、商圏が狭い宝塚阪急では商品の絞り込みで成功した。その後は常務、専務に就任。1992年(平成4年)ごろ、当時社長の福光尚次からの要請で、次期社長の修行も兼ね、東京店舗事業本部長に就任。赤字が続いた首都圏3店舗(東京大井店=大井阪急、有楽町阪急=阪急百貨店#阪急メンズ東京、数寄屋橋阪急=現在は閉店)の問題を担当した。
武藤 治太(むとう はるた、1937年12月2日 - 202… 武藤 治太(むとう はるた、1937年12月2日 - 2025年12月10日)は、日本の経営者。大和紡績社長を務めた。兵庫県出身。祖父は鐘紡社長を務めた武藤山治。 1960年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年4月に大和紡績に入社。1988年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務を経て、1992年6月に社長に就任。2003年6月に会長に就任し、208年6月から相談役を務めた。 2025年12月10日、病気のため死去。88歳没。
水田 寛和(みずた ひろかず、1937年11月9日 - )は… 水田 寛和(みずた ひろかず、1937年11月9日 - )は、日本の経営者。東急百貨店社長、会長を務めた。大分県出身。 1962年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年4月に東京急行電鉄に入社。1995年4月に東急百貨店取締役に就任し、1996年6月に常務、1998年4月に専務を経て、2000年4月には社長に就任。2008年4月から2010年1月までに会長を務めた。
清原 武彦(きよはら たけひこ、1937年(昭和12年)10… 清原 武彦(きよはら たけひこ、1937年(昭和12年)10月31日 - 2024年(令和6年)12月27日)は、日本のジャーナリスト、実業家。産経新聞社特別顧問、日本美術協会副会長。 父は検事総長を務めた清原邦一。甥はフジテレビプロデューサーの清原邦夫。 清原邦一の次男として東京で生まれる。第二次世界大戦中、疎開した和歌山県・粉河の長田町小学校に入学、戦後は成蹊中学校・高等学校を経て1962年(昭和37年)慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。同年、産経新聞社に入社した。 2024年12月27日午前7時4分、肺炎のため東京都新宿区の慶応大学病院で死去した。87歳没。 東京本社社会部、横浜総局記者を短期間務めた後、1964年(昭和39年)から社内留学生として2年間、アメリカに留学、聴講生としてミシガン大学で学んだ。
井川 高雄(いかわ たかお、1937年8月28日 - 201… 井川 高雄(いかわ たかお、1937年8月28日 - 2019年9月19日)は、日本の実業家・経営者である。大王製紙創業家2代目で、同社社長・会長等を歴任した。 大王製紙の創業者である父伊勢吉の社長時代に、倒産という修羅場を経験したが、父と力を合わせて大王製紙を再建。家庭用紙への参入など時代の先を読む経営手腕を発揮して、同社を王子製紙、日本製紙に次ぐ業界3位の総合紙パルプメーカーに育て上げた。 1937年(昭和12年)、当時愛媛県宇摩郡三島町(現在の四国中央市)で製紙原料商を営んでいた井川伊勢吉の長男として生まれた。 1943年(昭和18年)、父・伊勢吉は大王製紙を創立、社長に就任した。 大阪府立北野高等学校を経て、慶應義塾大学文学部英文学科を1年ずつ浪人留年して卒業。
峰岸 慎一(みねぎし しんいち、1937年〈昭和12年〉8月… 峰岸 慎一(みねぎし しんいち、1937年〈昭和12年〉8月28日 - )は、日本の実業家、放送作家。文化放送代表取締役社長、社団法人日本音楽事業者協会専務理事を務めた。 東京府生まれ。慶應義塾幼稚舎から慶應義塾に通い、慶應義塾大学経済学部卒業。1960年文化放送入社。 プロデューサー、1984年7月編成部長、1985年6月編成局次長、1986年6月編成局長等を歴任。 1987年6月取締役編成局長、1988年6月常務編成局長、1990年6月専務、フジテレビジョン取締役、1991年6月文化放送ブレーン取締役。 1992年、赤尾一夫から指名され社長に就く。学生時代から加山雄三のバックバンドを務め入社後も続けた自身を「サラリーマン出世物語の好見本」というのが口癖であった。
松山 和夫(まつやま かずお、1937年8月4日- )は、… 松山 和夫(まつやま かずお、1937年8月4日- )は、日本の経営者。B-Rサーティーワンアイスクリーム社長、会長を務めた。 青森県出身。1961年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に明治乳業に入社した。 1984年にハインツジャパン副社長に就任し、1987年にボーデンインターナショナルインク社長、1990年にボーデンジャパン社長を経て、1994年9月にB-Rサーティーワンアイスクリーム顧問に就任し、1995年3月には社長に昇格。2008年1月から2020年3月までに会長を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
守随 武雄(しゅずい たけお、1937年7月28日 - )は… 守随 武雄(しゅずい たけお、1937年7月28日 - )は、日本の経営者。日本ビクター社長を務めた。 東京都出身。1961年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年に松下電器産業に入社。1993年6月に取締役に就任し、1994年6月には日本ビクター社長に就任。2001年6月に顧問に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宮島 将郎(みやじま まさろう、1937年〈昭和12年〉7月… 宮島 将郎(みやじま まさろう、1937年〈昭和12年〉7月27日 - 2025年〈令和7年〉5月23日)は、日本のテレビプロデューサー・実業家、元ラジオパーソナリティー、社会運動家、音楽家。 東京都新宿区出身。東京教育大学附属高等学校(現:筑波大学附属高等学校)卒、1962年(昭和37年)慶應義塾大学商学部卒。在学中は慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団に所属し副指揮者を務める。2025年(令和7年)現在埼玉県入間市に在住していた。 1962年(昭和37年)日本テレビ放送網株式会社入社、芸能局音楽班配属。教育・音楽番組を制作。宮島が最も気に入っている番組は幼児教育番組『カリキュラマシーン』だという。
辻川 昭(つじかわ あきら、1937年5月22日 - )は、… 辻川 昭(つじかわ あきら、1937年5月22日 - )は、日本の経営者。フジクラ社長、会長を務めた。滋賀県出身。 1961年に慶應義塾大学工学部電気工学科を卒業し、同年に藤倉電線(のちのフジクラ)に入社。1989年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1996年6月に専務を経て、1999年6月に社長に就任。2005年4月に会長に就任。 2017年11月に旭日中綬章を受章した。
平野 宏(ひらの ひろし、1937年5月20日 - 2020… 平野 宏(ひらの ひろし、1937年5月20日 - 2020年9月13日)は、日本の実業家。中部飼料代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本飼料工業会会長を歴任した。 1937年、愛知県出身。 1962年、慶應義塾大学商学部卒業。 同1962年、中部飼料入社。1967年中部飼料取締役岡山工場長。1971年中部飼料取締役販売部長。1974年中部飼料代表取締役副社長。1979年中部飼料代表取締役社長。平成24年秋の勲章で旭日双光章受章。2015年中部飼料代表取締役会長。2017年中部飼料代表取締役会長兼社長。同年久光正郎の辞任を受けて日本飼料工業会代表理事・会長に就任。需要の拡大を受け、新工場建設などを行った。
砂原 幸雄(すなはら ゆきお、1937年(昭和12年)5月8… 砂原 幸雄(すなはら ゆきお、1937年(昭和12年)5月8日 - 2020年(令和2年)8月12日)は、日本の実業家・テレビディレクター。 東京放送 (TBS) の社長・会長、横浜ベイスターズの球団オーナー、東京エレクトロンの取締役を務めた。 香川県出身。慶應義塾大学文学部卒業。 1961年(昭和36年)、TBSに入社。1967年(昭和42年)に制作部に配属され、『半七捕物帳』『時間ですよ』などのサブプロデューサーを務めた。1977年(昭和52年)にはテレビ編成部専任部長、1984年(昭和59年)にはニューヨーク支局長にそれぞれ異動となり、ニューヨーク支局長時代にはマスターズゴルフの中継権交渉などを担当した。
濵田 益嗣(はまだ ますたね、1937年(昭和12年)5月6… 濵田 益嗣(はまだ ますたね、1937年(昭和12年)5月6日 - )は、日本の実業家。株式会社赤福前代表取締役会長(10代目当主、2代社長)、株式会社濵田総業社長。元皇學館大学常任理事、伊勢商工会議所会頭、アイティービー会長(代表権はない)。男性。三重県伊勢市出身。父は濵田裕康、母は佳代子。妻は現赤福社長(4代)の濵田勝子、 最初の名前は益種で、1962年から1963年の間に改名したとされる(『伊勢年鑑』)。 赤福9代目当主、裕康の長男として生まれた。生後9か月にして出征していた父親を戦争で失い当主となるが、実際は8代当主の未亡人である濵田ますが切り盛りし、赤福が1954年に企業化した際、ますが企業としての赤福初代社長に就任している。
加藤 順介(かとう じゅんすけ、1937年4月17日 - )… 加藤 順介(かとう じゅんすけ、1937年4月17日 - )は、日本の経営者。小糸製作所社長、会長を務めた。東京都出身。 1960年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に小糸製作所に入社した。1968年に取締役に就任し、1972年に常務、1979年に専務を経て、1985年6月に副社長に就任し、1997年6月には社長に昇格した。2003年6月に会長、2007年6月に取締役相談役を経て、2009年6月には相談役に就任。 2002年4月に藍綬褒章を受章。
寺田 縉太郎(てらだ しんたろう、1937年(昭和12年)4… 寺田 縉太郎(てらだ しんたろう、1937年(昭和12年)4月9日 - )は、日本の実業家。BPカストロール名誉会長。ペトロルブ・インターナショナル名誉会長。曽祖父は浅野財閥の創始者・浅野総一郎。Sansan創業者兼代表取締役社長の寺田親弘は三男。 東京都出身。富士産業会長を務めた寺田統一郎の長男として誕生。戦時中は岐阜県揖斐郡に集団疎開を経験した。 1961年(昭和36年)慶応義塾大学経済学部卒業、同年日本石油に勤務。1978年(昭和53年)9月ペトロルブ・インターナショナルを設立し、社長、会長、名誉会長を歴任。 名前の「縉」は中国のめでたい席に必ず飾る赤い絹を指し、縁起のよい意味をとって名が付けられた。
箱崎 安弘(はこざき やすひろ、1937年4月1日 - )… 箱崎 安弘(はこざき やすひろ、1937年4月1日 - )は、日本の経営者、銀行家。東北銀行頭取を務めた。 岩手県出身。1959年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、同年4月に東北銀行に入行した。1990年6月に取締役に就任し、1993年4月に常務、1998年6月に専務を経て、2000年6月には頭取に就任。2004年6月から2007年6月までに会長を務めた。 2007年4月に旭日小綬章を受章。
江原 達怡(えはら たつよし、1937年3月26日 - 20… 江原 達怡(えはら たつよし、1937年3月26日 - 2021年5月1日)は、日本の俳優、実業家。血液型はA型。東京府出身。慶應義塾大学卒。 劇団の地方巡業に参加していたのを経て、1948年に『鐘の鳴る丘』に子役で出演。その後東宝へ入社し、久保明らと共に若手青春スターとして活躍。 1961年にスタートした『若大将シリーズ』では、若大将の友人・江口役でレギュラー出演。加山雄三らと共に若々しい演技に加え、清潔感ある都会派の好青年役で人気を集めた。 その他、黒澤明監督の『椿三十郎』、『赤ひげ』などの名作に出演。岡本喜八監督作品の常連として、『独立愚連隊』、『江分利満氏の優雅な生活』などにも助演し、印象を残した。
内藤 碩昭(ないとう みつあき、1937年3月11日 - 2… 内藤 碩昭(ないとう みつあき、1937年3月11日 - 2025年8月20日)は、日本の経営者、銀行家。三和銀行副頭取、UFJホールディングス会長を務めた。 東京都出身。1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に三和銀行に入社。1988年6月に取締役に就任し、1990年5月に常務、1992年6月に専務を経て、1994年6月に副頭取に就任した。1999年6月には会長に就任し、2002年1月にUFJホールディングス会長に就任し、同年6月にUFJ銀行特別顧問を経て、2004年7月には名誉顧問に就任。 2001年6月から2017年6月までに南海電気鉄道取締役を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
富永 靖雄(とみなが やすお、1937年3月5日 - )は、… 富永 靖雄(とみなが やすお、1937年3月5日 - )は、日本の経営者。横浜ゴム社長、会長を務めた。神奈川県出身。 1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に橫濱護謨製造(のちの横浜ゴム)に入社。1991年3月に取締役に就任し、1995年3月に常務、1996年6月に専務を経て、1999年4月に社長に就任。2004年6月に会長に就任。
千輪 博(ちわ ひろし、1937年2月27日 - 2002年… 千輪 博(ちわ ひろし、1937年2月27日 - 2002年5月15日)は、日本の経営者。愛知県名古屋市出身。 1959年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年にトヨタ自動車に入社。1988年に取締役に就任し、1996年に専務に就任した。1997年に豊田通商に移り、副社長に就任し、1999年には社長に昇格した。2001年に副会長に就任した。 2002年5月15日肝不全のために死去。65歳没。
淺井 昌信(あさい まさのぶ、1937年2月15日 - )は… 淺井 昌信(あさい まさのぶ、1937年2月15日 - )は、日本の経営者。ヒガシマル醬油社長を務めた。 兵庫県出身。1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1966年にヒガシマル醤油に入社した。1984年に取締役に就任し、1986年に常務、1990年に専務を経て、1996年に副社長に就任し、2002年3月には社長に昇格した。2012年3月には会長に就任。 2018年4月には旭日小綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
斎田 一路(さいた いちろ、1937年2月12日 - 200… 斎田 一路(さいた いちろ、1937年2月12日 - 2006年1月18日)は、日本の経営者。共同通信社社長を務めた。 東京都出身。1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に共同通信社に入社。1994年6月に常務理事に就任し、1996年6月に専務理事を経て、1998年6月から2002年12月までに社長を務めた。電通取締役も務めた。 2006年1月18日下咽頭がんのために死去。68歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中冨 博隆(なかとみ ひろたか、1937年2月6日 - 20… 中冨 博隆(なかとみ ひろたか、1937年2月6日 - 2021年8月16日)は、日本の経営者。久光製薬社長、会長を務めた。 佐賀県出身。1962年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、1966年に久光製薬に入社。1975年4月に取締役に就任し、1979年5月に常務を経て、1981年5月に社長に就任。2015年5月には社長を息子の中冨一栄に譲り、自身は会長に就任。日本赤十字社理事、慶應義塾大学評議員も務めた。 2019年5月に旭日小綬章を受章。 2021年8月16日老衰のために死去。84歳没。 NHKの朝ドラ「ひよっこ」の登場人物の一人・島谷純一郎の人物設定が完全に同一で、地元では「島谷のモデルは中富会長の青年時代では」と話題になった。
奥谷 武彦(おくたに たけひこ、1937年2月3日 - )は… 奥谷 武彦(おくたに たけひこ、1937年2月3日 - )は、日本の経営者。神戸電鉄社長を務めた。兵庫県出身。 1953年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に入社。1980年6月に取締役に就任し、1992年6月に常務を経て、1994年6月に阪急バス社長に就任し、1998年6月には神戸電鉄社長に就任。2003年6月に会長を経て、2006年6月に相談役に就任。 2010年4月に旭日中綬章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
出馬 迪男(いづま みちお、1937年(昭和12年)1月20… 出馬 迪男(いづま みちお、1937年(昭和12年)1月20日 - 2019年(令和元年)12月15日)は、日本の実業家。フジテレビジョン副社長、関西テレビ放送社長を務めた。 大阪府大阪市出身。大阪府立高津高等学校、慶應義塾大学法学部を卒業。 共同テレビジョンを経て、1963年(昭和38年)1月フジテレビジョン入社。 1987年(昭和62年)6月取締役営業局長、88年6月常務取締役(営業担当)、91年6月専務取締役(総括担当)。 1997年(平成9年)6月代表取締役副社長営業統括本部長、99年6月代表取締役副社長営業総括・営業統括本部長特命事項担当。 2001年(平成13年)6月、関西テレビ放送代表取締役社長に就任する。
阿部 雅一郎(あべ まさいちろう、1937年1月12日 - … 阿部 雅一郎(あべ まさいちろう、1937年1月12日 - 2012年11月21日)は、日本の実業家、馬主。 木材卸であった阿部木材工業(現・アベキャピタル)の第2代社長であり、会社を複合的な企業グループに拡大させた。また、競走馬の馬主としても著名で、GI競走に優勝したヒシアマゾン、ヒシアケボノ、ヒシミラクルなど数々の活躍馬を所有した。 阿部木材工業創業者の阿部雅信は父、第3代社長の阿部雅英は長男。両者もまた馬主として知られる。 慶應義塾大学卒業後、阿部木材工業に入社。1964年、雅信が脳溢血に倒れたため同社の経営を継いだ。良質な無垢材の確保が困難になりつつあったことから、合板の製造に着手すべく1967年に「阿部合板」を設立。
武田 正利(たけだ まさとし、1937年1月2日 - 201… 武田 正利(たけだ まさとし、1937年1月2日 - 2018年4月11日)は、日本の経営者。カネカ社長、会長を務めた。 石川県出身。金沢大学教育学部附属高等学校卒業。1959年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年に鐘淵化学工業(のちのカネカ)に入社。1987年6月に取締役に就任し、1992年6月に常務、1996年6月に専務を経て、1999年6月に社長に就任。2005年6月に会長に就任。 2018年4月11日呼吸器不全のために死去。81歳没。
秦 郷次郎(はた きょうじろう 1937年 - )は、日本の… 秦 郷次郎(はた きょうじろう 1937年 - )は、日本の実業家。元ルイ・ヴィトン・ジャパン、LVJグループ代表取締役社長。高知県出身。 1937年(昭和12年)、高知県高知市に生まれ育つ。8歳の時に終戦を迎え、10代の頃には評論家を目指すも、父親から「経済を勉強した方が良い」と助言され、土佐中学校・高等学校を卒業後、慶應義塾大学経済学部に進学する。1961年(昭和36年)、建築家だった義兄の圓堂政嘉の勧めで、大学を卒業すると同時に米国に留学し、カリフォルニア大学バークレー校で1年間学んだ後、ニューハンプシャー州のダートマス大学エイモス・タック・ビジネススクールに入学し、1964年(昭和39年)に日本人初の経営学修士号(MBA)取得者として卒業後、ピート・マーウィック・ミッチェル会計事務所に就職し、1年の会計監査業務を勤めた後、同事務所の経営コンサルティング部門に配属され、1967年(昭和42年)、同事務所の東京コンサルティング部門開設に伴い、6年ぶりに帰国する。
伊勢 桃代(いせ ももよ、1937年〈昭和12年〉- 202… 伊勢 桃代(いせ ももよ、1937年〈昭和12年〉- 2024年〈令和6年〉1月3日)は日本の実業家、元国際連合職員、国連大学理事長、国連システム元国際公務員日本協会(AFICS-Japan)元会長。日本人初の国連大学事務局長などを務めた。 京都府出身。慶応義塾大学文学部社会学科に進学し、有賀喜左衛門のもとで社会学に興味を持ち社会学を専攻し、社会学学士号を取得。1962年、シラキュース大学マックウェル大学院にて計量社会学学士号を取得。1964年までハーバード大学にて比較文化研究に従事する。1964年からオファーを受けたことでジョンソン大統領下で反貧困政策に従事する。この経歴が評価されたことや、伊勢がニューヨークタイムズ紙に掲載された市民権のないイスラエル人の労働を違法であると認めるべきの内容を読んだことがきっかけとなり、1969年より国連職員としてニューヨーク本部で勤務する。
中村 胤夫(なかむら たねお、1936年(昭和11年)11月… 中村 胤夫(なかむら たねお、1936年(昭和11年)11月13日 - )は、日本の経営者。三越社長・会長、相談役、特別顧問を歴任。長野県塩尻市生まれ。 名橋「日本橋」保存会会長、ECO EDO 日本橋 実行委員会 会長、慶應義塾大学評議員。
北川 正人(きたがわ まさと、1936年〈昭和11年〉11月… 北川 正人(きたがわ まさと、1936年〈昭和11年〉11月11日 - 2023年〈令和5年〉6月12日)は、日本の実業家、経営コンサルタント。元千代田化工建設代表取締役社長。妻は加賀前田家17代当主前田利建侯爵の長女。 アメリカ・カリフォルニア州バークレーにて誕生。第二次世界大戦開戦直前の1941年(昭和14年)8月、日本に帰国。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校を経て、1959年(昭和34年)に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。同年、千代田化工建設入社。営業部門を経て、1982年(昭和57年)取締役就任。1987年(昭和62年)常務、1989年(平成元年)専務、1992年(平成4年)副社長を経て、1996年(平成8年)12月柏原正明に代わり社長に就任。
成宮 雄三(なるみや ゆうぞう、1936年10月12日 - … 成宮 雄三(なるみや ゆうぞう、1936年10月12日 - )は、日本の実業家。ナルミヤ・インターナショナル創業者・社長。広島県広島市出身。 家業は明治期の1899年、広島市の元柳町(現在の広島平和記念公園)に創業した呉服問屋の老舗。その後広島市中心部鉄砲町に移転。戦時中は軍服製造などを手がけ戦後の1952年、成宮織物株式会社、1979年ナルミヤと改称して婦人服・洋品部門を拡張させた。成宮は三兄弟の末っ子として生まれ、広島大学附属高校を経て1959年慶應義塾大学法学部を卒業。大学卒業後、髙島屋に入社。ニューヨーク店などに勤務。父の病気で1975年退職し、二番目の兄が東京青山でやっていた洋服卸部門を引き継ぐ。